第44話「【黄】の呼出」
金曜日の昼休み、至る所で見かける同期社員の空気は、いつもの終末よりも少しだけ熱を帯びていた。
今日の定時後は、新卒配属後の情報共有会という名目での、人事主催の懇親会が予定されている。
都内ホテルのバンケットホールを借りた、150人規模の半公式の飲み会だ。
人事部がホストとして対応してくれるため、普段の仲のいい同期の居酒屋飲みとは空気が違うのだろう。
「立食らしいよ。」
「去年の先輩の時は、役員来たみたい。」
「人事の出し物もあるって聞いたよ!」
周囲の雑談をBGM代わりに聞き流しながら、俺は食事を終え、食堂の机から立とうとした時だった。
不意に背後から聞きなじみのある声がする。
「直樹くん!」
振り返ると、久美子が少し嬉しそうに笑っていた。
「今日、玄関で待ち合わせして一緒に行こ?せっかく全体で集まる機会だし。」
「ああ、うん。」
「立食だったら、一緒に食べるもの選ぼうね。」
少しだけ照れたように笑う。
「最近、部署違うと職場で全然話せないし……」
「……そうだな。」
「終わった後も、タイミング合ったら一緒に帰ろ?」
押しつけるような言い方ではない。
恋人関係であるというのに、二次会等も考慮し、断られる可能性を最初から織り込んだ、遠慮がちな誘い方だ。
それでも、その当たり前に未来を共有してくる感じが、今の俺には重かった。
そのまま久美子に曖昧な返事をし、俺は自席まで戻ってきた。
その様子を見ていた同じ課の同期の男が、缶コーヒーを片手にニヤニヤしながら俺の席に寄ってきた。
「佐藤、お前なんか古見さんと仲良いなー?」
「まあ、同期だしな。」
俺は適当に返事をしながら、視線はディスプレイへ戻した。
「そういやこの前さ、うちの先輩がテーマパーク行った時の写真見せてもらったんだけど、狩野っぽい人とその彼氏の後ろ姿が映ってたんだよな。」
俺の心臓が、一瞬だけ強く跳ねる。
「へえ。」
「狩野って男っ気無さそうなのに、テーマパークデートとか意外すぎるよな。人違いかもだけどさ。」
彼が、深い意味など一切なさそうに笑う。
「……そうなんだ。」
「佐藤もテーマパークとか行くの?」
「いや、あんま行かない。」
「まぁ、佐藤は全く興味無さそうだもんな。」
それだけ言うと、彼は缶を揺らしながら自席へ戻っていった。
俺はキーボードへ視線を戻したが、彼の言葉は頭の片隅へ残り続ける。
ただ雑談として口にしただけだったとして、「狩野が男とテーマパークにいた。」という断片が、彼の記憶へ保存されたことだけは確かだった。
そして、それらが何かの拍子に接続された瞬間、多重運用している関係性は整合性を失う。
それは浮気が発覚することへの恐怖というより、自分が管理していたシステムの破綻を意味するのだろう。
俺はずっと、全部制御できているつもりでいた。
しかし、久美子の隣へ座り、恋人という正常なロールを更新し続けること自体が、今の俺にはひどく息苦しかった。
定時まであと15分ということころで、ポケットの中でスマホが静かに震えた。
画面を開くと表示されたのは、久美子でも、真子でも、里香でも、真冬でもない。
<前もお伝えしましたが、今日、もし少しだけ時間あったら会えませんか?>
それは、理由も目的も書かれていない短いメッセージだった。
ただ、その文面からは、明日菜が今、俺との繋がりを求めていることだけが伝わってきた。
返信欄を開きかけたところで、Teamsが鳴ったため受話器を取ると、協力会社の担当者だった。
「佐藤さん、すみません。来週の合同テスト用に反映したモジュールなんですが、別機能への影響が出ている可能性があります……」
その声色から嫌な予感がしたが、話を聞き終える頃には、その予感は確信へ変わっていた。
詳細を聞きながら調査ログを確認すると、影響範囲の調査漏れが原因なのか本来更新されるはずのないテーブルへデータが書き込まれている。
件数は少ないが、来週の合同テストまでに直しておかないと、テストの意味が無くなってしまう。
PMもPLも外部会議で不在、リードエンジニアの先輩は有給、同案件を担当している主任も打ち合わせで席を外している。
つまり、一次対応できるのは俺しかいなかった。
<ごめん、急な仕事で遅れそう。先に行ってて>
俺は久美子に向けて短くメッセージを送信した。
すぐに定時となり、うちの課の同期たちも次々と席を立ち始めた。
里香も席を立ち、立つ様子の無い俺に怪訝な眼差しを向け、近づいてきた。
「行かないの?」
「いや、来週の合同テストの機能でちょっとトラブル。遅れていくことになりそう。」
「あー、それは仕方ないね。お疲れ様。じゃ私は行くから頑張って。」
里香は淡泊にそれだけ言うと、エレベーターへ小走りで駆けて行った。
俺はそれを少し追いながら、連携されたコードと調査ログから報告すべき内容を精査していた。
その時、スマホが震え久美子からの返信がくる。
<えっ、大丈夫?無理しないでね。先に行ってるね!>
返す間も無く数秒後、さらに真子からの通知が増える。
<今、久美子と狩野ちゃんと一緒になった。なんかすごい組み合わせで行くことになりそう。>
思わず視線が止まったところに、さらにもう一件。
今度は里香からのメッセージだった。
<玄関で古見さんと小松さんに捕まった。なぜか三人で会場向かってる。。。。。。>
同じ状況を説明しているはずなのに、文章の温度が全く違う。
俺は思わず頭が重くなる。
よりによって、なんでその3人が一緒にいるのかという疑問が絶えない。
久美子は、同期女子の中でも穏やかなWLBを大事にするグループにいるタイプだ。
真子は夜勤やシフト勤務が中心の運用部隊だから、そもそも同期の集まりに顔を出さず、入社直後に少しだけ入っていたキラキラ女子グループとも疎遠になっている。
里香は俺と同じ現場寄り仕事人間タイプで、仲のいい同期も2、3人のはずだ。
本来なら交わらないはずの、社内で顔を知っている程度の、接点の薄い3人だ。
それなのに今は、俺という共通項だけを抜き取られた状態で、一緒に移動しているところに嫌な想像が頭をよぎる。
里香が何かの拍子に、「小松さんって本当に佐藤と付き合ってないの?」等と聞き出したらどうなるのだろう。
あるいは久美子が、「最近、彼氏の直樹くんは忙しいみたいで…」等と話し始めたら、どうなるだろう。
真子は隠す必要性そのものを理解していないからこそ、何気ない会話の流れで事実だけを口にしてしまう危うさがある。
久美子は他人を疑わないし、里香は必要以上に踏み込まないし、真子は他人に興味がないということは理解している。
だからこそ、同期内3人という関係性も今まで成立してきた。
実際、まだ送られてきた内容は、一緒にいることは分かるが、真子も里香も乗り気ではないことが分かる。
俺は、少なくとも今は大丈夫だと感じスマホを伏せ、再び障害報告書へ視線を戻した。
俺が仕事に手を付け始めてから十数分後、再びスマホが小刻みに震えた。
<久美子:小松さん、初絡みだったけど、思ったよりいっぱい話してくれる人だった!>
<真子:久美子が人事イベント楽しみにしすぎて、すでに疲れた。>
<里香:古見さん元気に話しすぎ、小松さんは話に興味無いの隠さなすぎ>
俺は思わず小さく息を吐いた。
同じ空間にいるはずなのに、それぞれが見ている景色が違う。
そしてその3人全員と個別の連絡を取り続けている自分の状況が、急に現実味を帯びて見えた。
スマホの画面を閉じても、心に少しだけある罪悪感は消えない。
だが、関係性に嘘はあっても現在起きているトラブルは本物だ。
だからこそ、心のどこかで安心していた。




