第41話「【緑】の承諾」
閉園の時間を迎え、ライトアップされたパークを後にして駅へと向かう。
終電も近くなり、周囲の喧騒も少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
だが、駅の改札の手前で、狩野がふと足を止めた。
その肩は心なしか小さく落ちていて、本当に疲れ切っているのが見て取れた。
「……直樹。ごめん、なんか足もう限界かも。」
改札前で、里香は少し困ったように笑った。
「それに、今から電車乗るのちょっとしんどい……」
俺は反射的に周囲へ視線を走らせた。
最寄りのラブホテルの位置、終電時刻、明日の勤務の予定、同期との遭遇リスク等。
頭の中で条件を並べたあと、最終的に残ったのは、単純な結論だった。
「……俺の部屋、タクれるから少し休んでから帰る?」
言った瞬間、自分でも少し驚いた。
もっと無難な選択肢はいくらでもあったはずなのに、気付けば、一番距離の近い案を口にしていた。
里香は少しだけ目を丸くしたあと、小さく笑った。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
俺はそのままタクシーを拾い、里香をワンルームへと連れ込んだ。
風呂上がりの狩野は、俺が貸した大きめのTシャツとスウェットパンツを身に纏い、床にぺたんと座っていた。
サイズの合っていないTシャツの襟元は少し広く、華奢な首筋から鎖骨の線が薄く覗いている。
濡れた髪が肩へ張り付き、その下の細い身体の輪郭を余計に際立たせていた。
膝を抱えるように座るたび、布地越しでも分かるくらい身体の線が細い。
相変わらず扇情的な骨を見せつけるような、美しい身体だ。
里香が髪を拭くたび、肩口から鎖骨にかけての線が僅かに動く。
その薄い骨格の動きを見ているだけで、視線を逸らす事が出来ない。
太いとか細いとか、胸があるとかないとか、そういう話じゃない。
皮膚のすぐ下に骨の形が存在するあの華奢な身体の構造そのものが、俺には異様に綺麗に見えるのだ。
部屋には適当につけたテーマパーク内BGMが響き、今日の楽しさを思い出させる。
「直樹さ、ずっと気ぃ張ってるよね。いつでも次のタスクを処理しようって、何かに追われてるように見える。」
俺は一瞬だけ、心臓の鼓動が跳ね上がり、身体が完全に固まった。
自分の多重運用、その歪んだ生活の裏側を見透かされたかのような、冷たい汗が背中を伝う。
「……そうかな。普通だよ。いつも通り過ごしてるだけだけど。」
俺はすぐに乾いた笑いを浮かべ、いつものように曖昧に誤魔化す。
狩野はそれ以上、俺のプライベートに踏み込もうとはしなかった。
俺の方へと視線を移し、静かに、包み込むような声音でこう言った。
「そっか。でも、ちゃんと休んだ方がいいよ。オフィスでたまに壊れちゃいそうに見えるから。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が妙に静かになった。
焦燥感も、不安も、頭の中で回り続けていたノイズも、一瞬だけ薄れる。
楽しさで薄れるのではなく、安堵に似た何かで薄れる。
そんな感覚を与えてくる人間を、俺は今まで知らなかった。
その時、机の上に伏せて置いていたスマホが、静寂を破って短く震えた。
画面を覗き込むと、ポップアップが表示される。
<明日のお昼、一緒にお昼食べられそうかな?だめそうなら、夜に少しだけ電話できそう?>
俺は里香に気づかれないよう、久美子からのメッセージをスワイプし、スマホを机に伏せる。
その横で里香は、今日買った小さなグッズを、本当に嬉しそうに眺め続けていた。
テーマパークの限定デザインらしく、細かな装飾の意味を、独り言みたいに小さく解説している。
「これね、背景設定だと…」
その声を聞きながら、俺はぼんやりと里香を見つめていた。
風呂上がりで少し赤くなった頬が、美しく華奢な骨格と湿った髪で演出されている。
今日一日、ずっと隣で笑っていた人間で、ただ隣にいるだけで、妙に満たされる。
スマホの存在が、急に鬱陶しく感じた。
伏せた画面の向こうには、明日も、調整と嘘と管理が待っているのに、今だけは全部忘れていたかった。
「……里香。」と俺が名前を呼ぶと、里香がゆっくり顔を上げる。
「ん?」
視線が合うその瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
気づけば俺は立ち上がり、そのまま里香の肩へ手を伸ばしていた。
「え、ちょ!」
小さく揺れた声ごと、俺はそのまま里香を押し倒す。
床へ崩れるように倒れ込んだ里香の髪が、ラグの上へふわりと広がった。
押さえた肩越しに伝わる骨の細さが、逆に妙な色気を帯びていた。
至近距離で呼吸が重なり、風呂上がりの甘いシャンプーの匂いが、熱を持った吐息と一緒に混ざり合う。
驚いているはずの里香は俺を突き放さず、熱を帯びた視線のまま、小さく息を呑む。
薄く開いた唇と乱れた髪に加え、押し倒された衝撃でずれた襟元から覗く鎖骨が、呼吸に合わせて上下している。
その姿がなんとも煽情的だった。
「……直樹?」と、里香は掠れた声で、俺の名前を呼ぶ。
その声音が拒絶ではないことが分かった瞬間、俺の理性を繋ぎ止めていた最後の糸が、音もなく切れる。
気づけば俺は、貪るように里香の唇を求めていた。




