第4話「【赤】と回転寿司」
2日後の研修、隣の席がペアとなり課題を提出出来たものから終了というものだった。
真面目な久美子は時間通りに終え帰路についており、俺は劣等生寄りの真子に教えながら進めたため、遅くになるまでかかってしまった。
「いやー、教えながらやってもらってごめんねー!」
自身も疲れているだろうが、笑顔で真子が謝ってきた。
「お礼にご飯奢るよー!」
「いや、いいよ。困った時は助け合いだろ。…それより飯食うなら寿司にしようぜ。」
「お!ご褒美ですね、旦那!あたしゃサーモンとエンガワには目がないたちでして!」
ケラケラと笑いながら芝居掛かった様子の真子に、思わず頬が緩む。
その和やかな雰囲気のまま、俺と真子は最寄り駅前の回転寿司に寄った。
「直樹!サーモン炙り頼んで!私はアボカドサーモンでシェアしよ!」
カウンター席に着くなり、いきなり真子は真剣な眼差しになった。
その様子がおかしくて、俺は思わず声を出して笑う。
「ははっ、オッケー。品数食うためにはシェアだよな!」
「話がわかる!あ、光物は興味ないから頼むならシェア要らないから!」
そう言って真剣にメニューを選び始めた真子が、時折髪を耳にかける仕草をする。
その何気ない仕草で、細い首筋が無防備に露出する。
照明に照らされた肌が、あの夜夢中で吸い付いた真子のくびれと同じ白色だと気づいて、視線がそこに引き寄せられた。
指先に触れた感触や、体温が、断片的に蘇る。
まだ一皿も食べていないのに、自然に寿司を食べた後のことへと思考が導かれる。
回転寿司のざわついた店内にいながら、意識だけが別の場所に滑っていく。
「なに、ぼーっとしてんの?やる気ある?寿司は戦争だよ!」
「……いや、なんでもない。注文するか。」
慌てて視線を逸らし、湯呑みに口をつける。
だが一度浮かんだ想像は、簡単には消えなかった。
「え、また失敗したの?」
カウンター席で、真子があっさりと言う。
周囲の雑音に紛れて、その言葉だけが妙に軽い。
「……まあな。」
「なんで?」
「なんでって……色々あるだろ。」
俺が曖昧に濁すと、真子は首を傾げた。
「痛いとか怖いとか、言ってたやつ?」
「……まあ、そんな感じ。」
「ふーん。」
流れる寿司を指で止めながら、真子は少しだけ考える素振りを見せる。
「ってかさ、ローション使えばよくない?」
真子はいつもの軽いトーンで、何でもないことのように言った。
「……は?」
俺は、そのあまりにも単純で、あまりにも軽い解決策に驚いた。
「だって滑り良くなるし。痛いなら普通に使うでしょ。」
「いや……そういう問題じゃなくて……」
「え、じゃあ何の問題なん?」
真子には悪意はなく、分かっていないだけだというのは理解している。
だからこそ、その言葉は俺に妙に刺さった。
久美子は、あれだけ考えて、準備して、それでも上手くいかなかった。
それを、真子は何でもないことのように、解決できると言っている。
「ま、直樹が痛みを与えないと興奮出来ないタイプなら、別にいいけど。」
興味を失ったように、真子は次の皿を取る。
「私的には、気持ちよければそれでよくない?って思うけど。」
その一言で全てが合理的に整理される。
全部飛ばして、結果だけを考えればいいという、シンプルな思想だ。
「……そうかもな。」
心から納得した俺は、気づけばそう返していた。
「ま、別に直樹の好きにしたら良いんじゃん?」
そう言いながら、真子は笑顔でサーモンを口に放り込んだ。
店を出た直後、夜風が少しだけ火照った身体を冷ました。
「本当に割り勘でよかった?俺の方が量食べてたのに。」
「むしろ、迷惑かけたし奢るつもりだったから、割り勘でごめんねって感じだよ。さんきゅー!」
真子が軽く手を振った、その瞬間だった。
「あれ、佐藤じゃん。」
背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
振り返ると狩野里香が立っており、その後ろには同期の男女数人が店の前に立っていた。
皆一様に顔が赤く、明らかに飲み会帰りの空気だ。
「おー、席次隣同士の組み合わせで、何してんの?」
後ろにいた同期の中の一人が、ニヤつきながら言う。
視線が俺と真子の間を往復し、嫌な間が生まれる。
「……あー、ペア課題残っててさ。今終わったとこ。」
俺は出来るだけ自然に、事実だけを抜き出して答える。
「へぇ〜?」
別の同期が口角を上げる。
「そのまま飯?仲良いねぇ。」
「うわ、直樹浮気かー?」
軽い調子の冗談だが、その一言で空気が一瞬だけ濁る。
「違うって。マジで課題終わり。な?」
俺が横を見ると、真子は一拍置いてから、肩をすくめた。
「そうそう。私が課題分からんすぎて、社会人初残業!」
あっけらかんと笑う真子の自然さに、場の空気が緩む。
「なんだよー、つまんねー。」
「疑って損したわー。」
「今度飲み行こ行こー!」
適当な言葉を残して、同期たちはそのまま去っていった。
笑い声だけが、少し遅れて遠ざかる。
助かったと思ったのと同時に、妙な感覚が残る。
真子は何事もなかったかのように、スマホをいじり始めていた。
「……じゃ、私コンビニ寄ってから帰るからー。また明日ねー。」
「あ、ああ。」
真子は当然かのように、手を振って俺から離れていった。
本当ならこのまま家に誘う選択肢もあった。
さっきまでの流れなら、それは自然だったはずだが、さっきの「浮気か?」という一言が頭から離れない。
俺に引き止める理由は、残ってなどいなかった。
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一人で帰る夜道は、やけに静かだった。
さっきまで隣にあった楽さや軽さが、もうない。
ポケットの中でスマホが震えると、俺は誰からの連絡かは分かっていた。
「また久美子か。」
ぼそっと呟きながら画面開くと、目に飛び込んでくるのは案の定久美子の名前。
<こんな遅くまで研修お疲れ様。>という一文だけのメッセージ。
普段の久美子のトーンとの違いを感じ、妙に引っかかる。
メモ帳を開いてどう返すか、何パターンか組み立てているその最中だった。
通知が、もう一つ重なる。
画面の上部に表示された名前を見て、思考が一瞬止まる。
反射的にタップすると、<直樹の焦り顔ウケる>と、たった一行。
真子からのメッセージに、さっきの路上での出来事が思い返される。
久美子の未返信の画面と、真子のメッセージ。
2つを交互に見ながら、俺はその場に立ち止まっていた。
どちらに、どう返すべきか、全く分からなくなる。
夜道の静けさの中で、スマホの光だけがやけに強く感じられた。




