第37話「【青】との電話」
日曜日の昼過ぎ、俺の部屋にはゲームの効果音と、だらだらとポテチを噛む音が響いていた。
「おい、そこに街道伸ばすなって!ここまで伸ばした俺の港ルート死ぬだろ!」
「だって直樹は、8と6、両方からもらえる時点でズルいし。」
ベッドへうつ伏せになった真子が、気の抜けた声でそう返す。
俺の鉄を軸にした交易+都市化構成、真子は麦と羊を確保しながら、カードで他人の妨害と勝利ポイントを稼ぐ嫌がらせプレイ。
さっきから盗賊も独占も俺を狙い撃ちにしている。
「その交渉レートおかしいだろ。麦1で鉄3とか誰が飲むんだよ。」
「鉄余りは直樹でしょー、交換交換。」
「飲まねぇよ。」
「じゃあ交渉決裂でーす!」
真子はポテチを摘みながら、当然みたいな顔で盗賊を俺の6番タイルへ移動させた。
「うわ、マジで性格悪ぃ……。」
「勝負事で性格とか言い出したら負け。」
真子は今朝にも追撃で<暇だから行く>と送ってきて、昼前にコンビニ袋を片手に本当に来た。
特に何かする約束をしたわけでも、昼飯を食う約束も、泊まる約束も無い。
ただ、暇だったから来たと言う真子との関係は、最初からずっとそんな感じだ。
俺のベッドへ勝手に寝転がり、服を漁り、冷蔵庫を開け、俺の飲みかけの炭酸を普通に飲み、ゲームに飽きたらアニメを流しながらスマホを弄る。
その雑な距離感と、何かを求められる訳でもなく居るだけの状態が、俺にとっては異様に心地良かった。
本来ならば、の話だが。
「直樹今日めっちゃ弱いね。本気出して。」
「寝不足で頭動かないんだよ。」
「ふーん。」
真子は興味なさそうにそう返しながら、ポテチトングで2、3枚口に入れ、バリバリ音を立てながらコントローラーを操作する。
その直後だった。
「昨日、中野いた?」
不意に飛んできた言葉に、俺の指が一瞬止まる。
画面の中では、真子が伸ばした街道によって、俺の港ルートが完全に寸断されていた。
「……は?」
「ゲーセン。夜勤明けで寄ったら、直樹っぽいの見た。」
真子はベッドへ転がったまま、こちらを見ることすらなく、淡々とカードを切っている。
問い詰めるような声音ではなく、ただ思い出したことをそのまま聴いているだけの口調だった。
「人違いじゃね。」
「んー。そうかー。でも派手髪と一緒にいたから、違うかも。」
「中野のゲーセンなんて派手髪だらけだろ。」
「まぁ、それはそう。」
真子は本当にそれ以上追及しなかった。
そのまま「鉄2で麦出す?」と、何事もなかったように交渉フェーズへ戻る。
だが俺だけが、脳内へ薄く嫌なノイズが貼り付いていく感覚を覚えていた。
真子は、別に俺を監視しているわけじゃない。
ただ、見たもので雑談しているだけだ。
なのに俺は、その悪意のない記憶が、静かな監査システムみたいに思えてしまっていた。
そのまま数時間、七戦目までフルで付き合わされた俺は、ソファ代わりになっているベッドへ身体を預けながら深く息を吐いた。
モニターには、敗北画面とリザルトが虚しく表示されている。
「直樹今日よわ。」
「お前が盗賊で粘着してくるからだろ……全試合で騎士ボーナス取ってんじゃねーか。」
「勝てばいいのー。それより、飲み物。」
真子は俺のベッドで仰向けになったまま、スマホを顔の上に掲げたまま気の抜けた声で言った。
「冷蔵庫。」
「遠い。」
「人ん家でだらけすぎだろ……。」
文句を言いながら立ち上がり、冷蔵庫から真子用に買っていたダイエットドクペを2本取り出す。
テーブルに置いた瞬間、俺のスマホが短く震えた。
画面に表示された名前を見て、俺は無意識に息を止める。
「……あ。」
俺の声を受け、真子は「ん?」と言いながら、特に興味も無さそうにこちらを見る。
「久美子?狩野ちゃん?」
「……まぁ。」
「ふーん。」
それだけ言うと、真子はまたスマホへ視線を戻した。
本当に、それ以上の興味が無いのかと、俺は妙な居心地の悪さを覚えた。
俺はスマホを持ってキッチン側へ移動し、「もしもし。」と電話に出た。
『直樹くん?』
通話越しに聞こえた久美子の明るい声に、胸の奥が少しだけ重くなる。
『今日ずっとお家?なんかLINE既読遅かったから、疲れてお昼寝してるのかなって思ったんだけど…』
「あー、ごめん。ゲームに夢中になってた。」
『あー!また徹夜したでしょ?』
図星だったが、久美子の発言とは意味が違う。
昨晩の中野からの終電、そして帰宅後の真子のメッセージの検討と、脳がずっと休まっていない。
『この前会った時も思ったけど、最近ほんと疲れてる顔してるよ?』
誰かに会うたびにそう言われている。
それはもはや事実で、俺の劣化が目に見え始めているのだろう。
『ねえ、ちゃんと寝てる?』
「寝てる寝てる。」
『絶対嘘。声ちょっと変だもん。言い訳っぽいトーンになってるよ。』
電話口で久美子は心配そうに笑った。
その声音には、疑いなんて一切含まれていない。
純粋に、俺を気遣っているだけだと分かるのに、今の俺には、その優しさが妙に息苦しかった。
『今度、美味しいもの作りに行こうか?お母さんにまた教えて貰ったんだけど……直樹くん、最近コンビニとかスーパーばっかりでしょ。』
「いや、まぁ……。」
適当に相槌を打ちながら、俺はキッチンの奥から部屋を覗く。
真子はベッドへ寝転がったまま、俺の飲みかけの炭酸を勝手に飲んでいた。
その光景を見た瞬間、脳内で複数のスレッドが一気に衝突する。
久美子の愛情は未来を積み上げようとしてくる重いものだ。
だからこそ俺は、真子の居る部屋の空気へ依存してしまっているのだろうか。
『直樹くん?聞いてる?』
「あ、悪い。聞いてる。」
『もう。本当に疲れてるなら、無理しないでね?』
「ああ。」
そう短く返事をして俺は通話を切り、壁へ背中を預けたまま動けなかった。
部屋の奥では、動画サイトの軽いBGMが小さく流れている。
真子はもう、俺に興味を失ったみたいに、ベッドへ寝転がったまま猫の動画を眺めていた。
「……帰る?」
自分でも、何を確認したいのか分からないまま聞く。
「んー?」
真子はスマホを顔の上へ乗せたまま、気の抜けた返事をした。
「まだ別に夜食も食べてないし。」
「明日仕事だろ。」
「直樹もじゃん。」
それだけ言って、真子は小さく欠伸をするが、帰る気配は毛頭無かった。
俺は冷えた炭酸を飲みながら、ぼんやり真子を眺める。
「直樹。」
「ん?」
「さっきの彼女、たぶん直樹のことめっちゃ好きじゃん。」
真子はスマホ画面を見たまま、独り言みたいに呟いた。
「……まぁ。」
「ちゃんと大事にしなよ。久美子でも狩野ちゃんでも良いけど、私は同期で揉めるの面倒だし。」
軽い口調で冗談みたいなトーンなのに、その言葉が妙に胸へ刺さる。
「お前、そういうこと言うんだ。」
「言うよ。だって話の内容的にめっちゃ良い子そうだったし。」
真子はそこでようやく身体を起こし、俺の飲みかけの炭酸へ手を伸ばした。
その細い指を見た瞬間、俺の中で何かが妙にぐらついた。
安心したかったのか、責任も未来も考えず逃げたかったのか、受け入れて欲しかったのかは分からない。
気付けば俺は、真子の手首を軽く掴んでいた。
「……なに。」
「いや。」
真子は少しだけ目を細めた。
嫌そうではないが、積極的でもない曖昧な態度だ。
その反応が、逆に俺の理性を鈍らせる。
「直樹さ。」
「ん?」
「最近、ほんと疲れてる顔してる。」
あの真子ですら、俺の崩れ始めた外側を見ている。
その事実が、妙に息苦しく、俺は返事をしないまま、真子の肩へ額を預けた。
「重。」
「少しだけ、こうさせて。」
「……私は彼女じゃないんだけど?」
俺が自分を止めるならここだったが、真子は本気で身体を離そうとはしない。
ただ困ったみたいに笑って、小さく息を吐いただけだった。
「ほんと面倒。」
その言葉は、俺の理性を外すには十分だった。




