第29話「【紫】の提案」
中野駅前アーケードの入り口に、紫混じりの派手な髪色をした女がスマホをいじっていた。
俺の足音に気づくと、真冬はパッと顔を上げた。
「あ、来た。お疲れー、直樹の仕事は大丈夫なん?」
「……真冬、お疲れ。仕事はまぁ…」
真冬は俺の顔を一瞥すると、クスクスと笑い出した。
「……表情やば。会社でなんかあった?」
真冬は笑いながらそう言って、俺の顔を覗き込んでくる。
「そんな酷いか?」
「うん。目が完全に過労自殺する前の社畜。」
「最悪な例えだな。」
「だってほんとにそんな顔してるし。」
真冬はけらけら笑いながら、俺の肩を軽く叩いた。
その距離感が妙に自然で、会社の人間たちと居る時みたいに、発言の意味や裏を読まなくていいことに少しだけ救われる。
「まぁいいや。とりあえず急ぐよ。今からだと受付ギリ。」
真冬はそう言って、俺の腕を軽く引っ張る。
アーケードを抜けた先、雑居ビルの地下一階にあるゲーミングスペースは、既にかなり賑わっていた。
店内へ入った瞬間、コントローラーの打鍵音と歓声が耳へ飛び込んでくる。
壁際には配信用の大型モニターが設置され、対戦台の映像がリアルタイムで映し出されていた。
「真冬さん、こっちで受付お願いしまーす!」
スタッフに声を掛けられ、真冬が慣れた様子で手を上げる。
「はーい。相方ちゃんと連れてきた。」
「ほんとに当てがあったんだ、レアなカオカタ使い。」
スタッフが俺のアケコンを見て笑う。
どうやら真冬は、俺が来るか半信半疑だったらしい。
「ギリギリだけど間に合ったね。」
真冬は受付表へ当然みたいに自分の名前を書いた。
「私は大会系は平仮名まふゆだけど、直樹も平仮名でいい?」
「あ、うん。それでいい。」
<まふゆ>と<なおき>、そう並んだ文字列を見た瞬間、妙に座りが良すぎる気がした。
ただ自然に、同じチーム員が同じフォーマットで並んでいるだけ。
その感覚に、一瞬だけ思考が引っ掛かったが、真冬は何も気にした様子もなく受付票を提出してしまう。
「ほら、行くよ。もう呼ばれてる。」
久美子や狩野の時みたいに、誰へどう説明するかを考えそうになったところで、真冬に腕を引かれる。
そこで俺は、すぐにゲームをするだけで成立するのがこの空間だと思い直した。
「まだ仕事モード引きずってる?」
真冬はそう言いながら、俺の額へ軽く指を当てる。
「今日はそういうの禁止。大会中は脳みそ対戦用にして。」
「無茶言うな。」
「はいはい、文句言わない。まず一回戦ね。」
トーナメント表が公開され、店内が少しざわついた。
平日の夜に開催されている大会なのに36キャラ中32キャラのチームが揃っている。
平日大会にしてかなり規模が大きく、配信卓もあった。
「うわ、WSFから配信台じゃん。」
真冬がモニターを見ながら嫌そうに眉を寄せる。
「緊張するタイプ?」
「する。超する。しかも今日化粧直してないから、あんま顔映りたくない。だから直樹が暴れて。」
「人任せかよ。」
「その代わり、勝ったらガチで褒める。」
そう言って笑う真冬は、夜職で見せていた営業用の笑顔よりずっと可愛らしかった。
大会が始まると、余計な思考は驚くほど消えた。
画面を見て、相手の癖を読んで、反応するという繰り返しだけ。
それで、脳内を埋め尽くせるため、真子のメールも、久美子も、狩野も、全てが遠ざかる。
「ナイス!!」
始めてのオフライン大会に手が震えながらも、何とか勝ち抜いた瞬間、真冬が勢いよく俺の手へハイタッチを叩き込んできた。
「直樹のF式JAからメタギタまで繋いだのキャラ限でしょ!?」
「真冬だって3Cchからキャラ限叩き込んでたじゃん。」
「いやでも今の直樹のは気持ちよすぎた!」
興奮した真冬が、そのまま俺の腕へ軽く抱きついてくる。
柔らかいシャンプーの匂いが一瞬だけ近づき、俺は少しだけ目を逸らした。
だが真冬は気にした様子もなく、すぐモニターへ視線を戻す。
「次から、配信台だって。」
「マジか。」
「炎上しない程度にかっこつけて。」
「難易度高いな。」
「あと、スマホとかで配信見てもいいけど、配信コメントで変なこと言われても気にしないこと。格ゲー界隈そういうのあるから。」
「慣れてる感じだな。」
「まぁね。前、負けた時に『まふゆは顔と性別でプライド不利背負わせてるだけのザコ』とか言われたし。」
真冬は軽く笑って流したが、その言葉の奥に、何度もそういう空気へ晒されてきた慣れが滲んでいた。
「だから今日は、直樹にも働いてもらう。ちゃんと。」
「急に責任重くなるな。」
「カオカタ使い探すの大変なんだから当然。」
スタッフに呼ばれ、俺たちは配信台へ座る。
大型モニターには、<まふゆ&なおき>の名前が映し出されていた。
ヘッドホン越しに実況の声が聞こえる。
『さあ平日同キャラタッグもいよいよWSF!こちら、最近よく名前を見るまふゆ選手のカオカタチーム!』
『相方のなおきはオフ初参加らしいですね。』
「うわ、そんなこと分かんの!?」
「界隈狭いからねー。」
真冬はそう言いながらも、レバーへ触れた瞬間、空気が変わった。
さっきまで笑っていた女とは別人みたいに、視線が鋭くなる。
一戦目、真冬が相手の暴れを完全に読んで3タテした瞬間、店内が少し沸いた。
「うお……。」
「ほら、次直樹。」
真冬がニヤリと笑うと俺も続くように席へ座り、深く息を吐いた。
画面だけを見て、差し返し、暴れを潰し、起き攻めは丁寧に。
気づけば俺たちは、WSFを抜け、WFに進んでいた。
「やっば。配信コメント、<なおきの方がうまくね?>って流れてる。」
「見るな見るな。」
「いや見る。空き時間はこういうの見るのが楽しいんよ。」
真冬は流れるコメント欄を覗き込みながら笑っていため、つられて俺も真冬の画面をのぞき込む。
<なおき絶対オフ勢だろ>
<まふゆの相方強すぎw>
<距離感彼氏で草>
<付き合ってんの?w>
「ほら見て見て。付き合ってんの?だって。」
「読むなって。」
「なんで?否定しとく?」
「余計面倒になるだろ。」
「たしかに。」
真冬は他人事みたいに笑いながら、紙コップの水を飲む。
その軽さに、逆に俺だけが少し落ち着かなくなる。
WFは関東勢の有名配信者2人のチームで、俺たちは0-2で負けた。
最後、俺のコンボミスで逆転された瞬間、観客席から「あーっ!」という声が上がったのが妙に記憶に残った。
「……すまん。」
思わず謝ると、真冬は数秒ぽかんとした後、吹き出した。
「いや、そこで謝るの会社員すぎでしょ。」
「いやでも……」
「ミスる時はミスるって。だからゲーム面白いんじゃん。」
真冬は笑いながら、俺の肩を軽く小突いた。
「ほら、ルーザーズ行くよ。まだまだ終わってない。」
真冬の言葉で、不思議なくらい気持ちが切り替わった。
昨晩の疲労も抜けてなく、集中力は削れているはずなのに、逆に頭だけは研ぎ澄まされていく。
「ナイス!」
「今の通したのヤバ!」
勝つたびに真冬が笑い、ハイタッチして、肩を叩いて、配信カメラの前で騒ぐ。
その全部が、今までの人間関係よりずっと単純だった。
そして、GFになり、配信モニターには、チーム名とプレイヤーネームが大きく映し出されている。
実況の熱量も、店内の空気も、さっきまでとは別物だった。
『グランドファイナル!ウィナーズ側はカエル使いのタッグのチームロベリア!対するルーザーズはカオカタ使いのチームまふゆなおき!』
真冬は試合前、俺へ拳を軽く突き出してくる。
「リセットかけるよ。」
「ああ。」
拳を合わせた瞬間、不思議なくらい頭が冴えた。
GFは何と2-1で勝ち、最後のラウンドを俺が取り切った瞬間、店内が大きく沸く。
『リセット!! グランドファイナル、フルセット突入!!』
「っしゃあああ!!」
真冬が勢いよく俺へ飛びついてくるので反射的に受け止めると、細い身体がそのまま胸元へぶつかった。
「やば、ほんとにリセットした!!」
興奮した真冬は、そのまま俺の肩へ腕を回しながら笑っている。
大型モニターの配信画面には、その様子までしっかり映っていた。
だが、その時の俺は熱狂に酔い、そんなことを気にする余裕すら無かった。
久々に、何も考えず楽しいと思っていたからだ。
そして、最後は負けた。
最終セット、最終ラウンド、あと一発通せば勝ち、という場面で、相手の暴れが通る。
画面の中で、自キャラの体力が消し飛んだ。
K.O.の文字と歓声が飛び、実況の絶叫が木霊する。
俺は数秒間、何も考えられなかった。
「……あー!負けたー!!」
隣で真冬が、悔しそうに笑いながら机へ突っ伏す。
「あそこ惜しかったー!」
「俺の択が甘かっただけだ。」
「いや最後あれ暴れた相手褒めるやつ。」
真冬はそう言いながら、悔しそうに唇を尖らせたあと、不意に笑った。
「でも、超楽しかった。」
その言葉だけで、負けたはずなのに少し救われる。
ふとスマホが震えたため、そのまま時計を見ると、既に終電が危うい時間になっていた。
「……あ。」と真冬もスマホを見ながら固まる。
「終わった?」
「終わった。」
「解散しても、たぶん直樹帰れないねこれ。」
「そうだな、タクればって帰れるけどって感じだけど。」
数秒沈黙したあと、真冬が少しだけ視線を逸らしながら口を開いた。
「……どっかで泊まってく?」
その言葉に、俺は少しだけ息を止めた。
真冬は冗談めかして笑っていたが、断る理由を探す気力も、今の俺には残っていなかった。




