第25話「【緑】と炉端焼き」
真子にドタキャンされ、真冬と知り合ってから、俺の管理生活はさらに複雑になった。
久美子は【青】、安心と安定を供給してくれる存在。
真子は【赤】、刺激と飢餓感を与えてくる、不確定要素。
明日菜は【黄】、承認欲求を満たしてくれる、分かりやすい好意。
狩野は【緑】、真冬は【紫】、この2人はまだ実績を解除してはいない。
人間関係をアプリの色で整理するようになってから、俺は全能感を得るようになっていた。
そして今の俺は、不足している感情を、適切な相手で補充している。
そして、それぞれが互いに干渉しないようスケジュール管理をする。
行動履歴、GPS、返信速度などを全部を整合させれば、破綻はしない。
少なくとも俺はそう思っていた。
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今日は久美子が家に来る日だ。
昼過ぎに起きた突発のせいで、定時上がりが難しそうになり、久美子に社内メールで断りの連絡をする。
するとすぐに、<仕事なら仕方ないね!また今度にしよ!無理しないでね!>と連絡がきた。
こういう時、変に疑わないし、責めない久美子は本当に扱いやすかった。
自身の残念な感情より先に、俺を気遣ってくれる。
だから、優先順位を後回しにしても関係が崩れない。
俺は返信だけ返して、再び業務に戻った。
そのまま、作業に集中し、気づけば20時を過ぎていた。
フロアの照明も半分以上落ち、オフィスには少しのキーボードの音だけが残っていた。
残っていたのは、俺と狩野、それぞれの上司だけだった。
俺がそれに気づくと、お互いの上司に声をかけられ、退勤を促された。
まだ作業は残っていたが、追い出されるように狩野と執務室を後にした。
「新卒って、もっと楽しいと思ってた。」
エレベーターを待ちながら、狩野がぽつりと呟く。
「毎日、新しい壁にぶつかって、普通にしんどい。」
「狩野って普通に優秀だからさ。ちゃんと任されてるんだと思う。だから、新しいことを毎日吸収出来てるんじゃないか?」
「……そうかな。」
「少なくとも、期待されてない奴にはそんな振られ方しないって。一緒に頑張ろうぜ。」
その瞬間、狩野の表情が少しだけ緩んだ。
承認に飢えている人間の反応は、分かりやすい。
「……この後さ、ちょっと飲み行かない?」
狩野は少しだけ遠慮がちにそう言ったのは、断られる可能性を考えているからだろうか。
俺は一拍置いてから、軽く笑う。
「いいよ。俺もちょっと飲みたい気分だった。」
その瞬間、狩野の肩から少しだけ力が抜けたのが分かった。
「狩野は魚得意?近くに炉端焼きの居酒屋があって、そこが良い店ってこの前先輩に聞いたんだけど。」
「普通に魚好きだよ。そこにしよっか。」
会社から少し歩いた路地裏の店は、平日の夜にしては賑わっていた。
カウンター越しに炭火の匂いが漂い、焼かれた魚の脂が小さく音を立てる。
俺たちは奥の半個室の2人がけソファ席へ案内された。
所謂カップルシートだったが、狩野は抵抗なく腰掛けた。
「こういう店、なんか社会人って感じする。」
俺の隣に座っている狩野が、メニューを眺めながら小さく笑う。
「分かる。学生の頃って、チェーン店ばっかだったし。」
「あと飲みも、とりあえず安いとこって感じで、宅飲みも多いよね。」
そんな他愛もない会話をしながら、最初の酒が届く。
狩野は梅酒ソーダ、俺はジンジャーハイボール。
乾杯を交わしたあと、狩野は少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
会社での狩野はいつも落ち着いていて、報連相も丁寧な上、あまり感情を表に出さない。
だからこそ、今みたいな気の抜けた表情は少し新鮮だった。
「狩野ってさ、大人びてるから、大学時代から結構モテたでしょ。」
良い香りを立てているきんきの塩焼きを取り分けながら軽く聞くと、狩野は露骨に嫌そうな顔をした。
「それ、褒めてないよね。」
「いや、普通に褒めてしかいないけど?」
「……そっか、…まぁ、男の人には大人っぽいって言われること多かったけど。私は老け顔って言われてるみたいで、気にしてるんだよね。」
そう言いながら、狩野は髪を耳へ掛ける。
細い指先が狩野の髪を払うたび、露わになる首筋や耳のラインが妙に色っぽい。
スレンダーな体型も相まって、視線が吸い寄せられる。
だが俺は、そこには触れず、狩野の中身へ興味があるように振る舞う。
「付き合った人数とか多そう。」
「え、なにそれ、面接?」
狩野は苦笑しながらグラスを口元へ運ぶ。
「……でも、全然だよ。ちゃんと付き合ったの、1人だけ。」
「へー、何か意外。」
「佐藤、絶対今重そうって思ったでしょ。」
「いや、そんなこと……」
「思ってる顔だよねー?」
狩野が少し頬を膨らませながら睨んでくる。
その反応が普段とのギャップがあり、幼くて可愛かった。
「狩野って、尽くすタイプっぽいもんな。」
「……まぁ、好きになったら結構合わせること多いかも。」
「元彼は?」
「一個上だったから先に就職して、遠距離になって自然消滅かな。そこからフリー。」
少しだけ、狩野の声が淡くなったが、俺は慰めを入れず、「そっか」とだけ返した。
「佐藤は?」
「ん?」
「初恋とか過去の恋愛的な意味だよ。」
今度は質問の矛先が俺の方へ向くと、俺はグラスを口元まで運びながら、一瞬だけ言葉に詰まった。
「それな、普通に恥ずい話なんだけど……」
俺は苦い昔の思い出と向き合うことが必要で、思わず言葉を濁した。
「私も答えたんだから、答えなよ。」
狩野は面白そうに笑っている姿から、本当に雑談の延長線上だと理解した。
「わかったよ。……初恋は小学生の同じクラスだった子で、その子とは高校卒業まで片思いだった。」
「え、なにそれ、意外過ぎて可愛い話じゃん。」
「うっせ。ただ、卒業の日に告白したら、俺の友達と付き合ってることが判明した。」
「あはは、それはキツい。」
「まぁな。」
自分の恥部だと思っていたが、意外にも笑って話せることに気づき、自身の成長を感じた。
「えー、意外に青春してるんだね。大学は?」
「大学……まぁ、研究室の後輩で気になる子はいたけど、それだけ。就職して連絡途絶えたって感じ……」
俺はここで、半分本当で半分嘘をついた感覚に陥った。
しかし、明日菜とはいったん連絡は途絶えたが、その後の言っていない部分があるだけと思い直す。
「そっかー。」
狩野は酒盗のクリームチーズを箸でつまみながら頷き、何気ない調子のまま次の言葉を投げる。
「で、いまは彼女とか。いるの?」
俺は久美子、真子、明日菜の3人の顔が浮かんだが、グラスの氷を軽く揺らしながら、わざと少し曖昧に笑った。
「まぁ、色々。」
「なにそれ。絶対いるじゃん。」
「どうだろ。」
その濁し方に、狩野は少しだけ視線を落とし、再び耳へ髪を掛ける。
露わになった頬は、酔いのせいかほんのり赤い。
「……私さ。……佐藤って、最初ちょっと怖かった。」
「え、なんで。」
「なんか、研修の成績も良かったし、真面目な理系って雰囲気で、全部ちゃんとしてそうだったから。」
その言葉に、俺は思わず笑った。
ちゃんとしているという印象のままなら、今こんな風にはなっていない。
だが、狩野の中では、俺はまだ誠実で頼れる同期として認識されているのだろうか。
「でも最近、特にあの飲み会の後からは、普通にめっちゃ話しやすい。」
「それは良かった。」
「……うん。」
その返事を柔らかく感じた俺は、静かにグラスを傾ける。
そして他愛無い話が続いて数十分後。
酒も回り、会話のテンポが少し緩んできた頃だった。
狩野が、不意に切り込んでくる。
「佐藤って、本当に小松さんと付き合ってないの?」
「付き合って無いよ、ただ席が隣だった同期。」
「……そっか。」
酒の回った狩野のその分かりやすい安堵を見て、俺は頭の中で静かに確信する。
今日は押し時なんだと。




