第22話「【赤】とドタキャン」
平日昼前の池袋駅前の喫茶店、手元のスマホが放つ冷たい光が、一時間無駄に待機した俺の徒労感を際立たせていた。
<ごめん、寝てた>
真子から届いた、あまりにも短いメッセージは、俺が構築しようとしていた最適化プランを、いとも容易く反故した。
メッセージが来たため、通話ボタンを押すと、5回ほどの呼び出し音で真子が出た。
「……真子?」
『んー……あ、直樹?今起きたんだーよね。まじでごめん。もう帰った?』
電話越しの真子の声には、申し訳なさよりも、深い眠りから引き剥がされたことへの気怠さが混じっている。
「……いや、別に。1時間喫茶店で待ってたから、まだ池袋だけど。」
『そ?今日どうする?今から出るのは、ちょっとダルいかなぁ……昨日先輩達と飲んでて二日酔いっぽいんよね……』
その声を聞きながら、俺はスマホ画面に表示された時刻をぼんやり見つめる。
待機時間は1時間21分、移動時間は往復45分、喫茶店代は720円。
本来なら、この時間には真子とゲームのコラボカフェへ行って昼飯を食べ、そのままカラオケやゲーセンに行ってから、俺の家へと流れる予定だった。
俺の中では既に、今日という一日の処理順序が完成していた。
だが真子は、悪意も無くその予定を崩してくる。
真子の行動原理には、他人の期待値を優先する処理が存在しない気がする。
「……いや、もういい。今から準備して昼食うのも遅いしな。」
『了解ー。じゃ、また今度ね。私はもっかい寝るから、おやすみー。』
ブツッと通信が切れ、今日のためにとった年休が呆気なく幕切れとなった。
喫茶店を出て駅前のベンチに座り直した俺は、人が流れるロータリーを眺める。
不思議と、激しい怒りは湧いてこなかった。
ただ、胸の奥に得体の知れない空白が広がっていくのを感じる。
久美子なら、こんなことは絶対にしないだろうと思う。
俺が予定を入れれば、久美子はそれを最優先事項としてスケジュールに組み込む。
俺が連絡を返せば、その数倍の熱量で安心を返してくる。
久美子は少し気を遣えば管理可能だ。
だが、真子は違う。
誘えば来るし、来たら抱けるし、その中での性的な欲求には抵抗なく応じる。
しかし、来ない時は本当に来ない。
悪意も駆け引きもなく、ただその瞬間の気分という予測不能な変数で動いている。
論理的だと自負していた俺が、制御不能な真子に執着し始めている気がする。
最適化すればするほど、真子から発生するエラーが俺のリソースを食っていく。
「……重症か。」
乾いた笑いが漏れた瞬間、視界の端に如何わしい通りが映り込む。
池袋北口、この辺りに、そういう店が並んでいたことを思い出す。
点在するのは、ピンクと紫が混ざった看板。
普段の俺なら、まず選ばない選択肢だった。
コストが高く、リスクが高く、再現性がなく、関係性も継続しない。
だが今はとにかく、真子で埋められなかった欲望を鎮めたかった。
時間と金を投入すれば、確実に見返りが返ってくる環境。
そのままスマホで、<池袋北口 風俗>と検索する。
情報サイトが並び、煽情的な姿の写真が飛び込んでくる。
「……ふーん……女の子検索……そういうのもあるのか。」
1つの情報サイトに目を付け、そこにあった女の子検索画面から期待する条件を入力する。
<バストサイズ:貧乳(A~Bカップ)、年齢:20代、身長:高め、特徴:明るい、喫煙:無し、出勤状況:即対応可能、最寄駅:池袋>
検索結果には、俺の好みのスレンダーな女性が並ぶ。
その中で、名前も容姿も真子によく似た明るい茶髪の女性が居た。
<
高岡真夏(23)
スレンダー系で可愛さ満点!
ノリのいい明るい雰囲気と、積極性が印象的な女の子!
距離がすぐに縮まって、イチャイチャ甘甘大好き!
>
そのまま予約をしようと思い注意書きを見ると、<初めての方はこちらまでお越しください>との記載を見つけた。
そのままその住所に行くと、怪しげな雑居ビル。
薄暗い階段に、ビルの前には擦れた案内板があり、雑居ビル特有の、埃と煙草が混ざった臭いが鼻を突く。
3階まで上がり、扉横のインターホンを押すと、数秒遅れてロックが外れる。
中は、人一人通れる程度の細くて小さな受付カウンターだけだった。
奥から出てきた無精髭の男が、慣れた口調で言う。
「初めてっすか?」
「……はい。」
「コースどうします?75分か90分が多いですけど。」
料金表を見ると、指名料、入会費、オプションと、細かい追加条件が多く、ソシャゲの課金画面みたいだと思った。
「じゃあ90分で。」
「フリー?指名?」
雑な物言いにざわつきながらも、俺はスマホ画面を見せる。
「この、真夏って子でお願いします。」
「少々お待ちください。」
男が奥へ引っ込み、数十秒後に戻ってくる。
「いけます。ただ、延長できないですけどいいすか?」
「……延長?」
「次予約入ってるんで。人気ある子なんすよ。」
その言葉に、妙な納得感を覚えた。
真子に似た女は、やっぱり需要が高いらしい。
「じゃあ、入会金指名料込み3万円になります。」
俺は言われた通り、財布から札を3枚掴んで男に渡す。
「では、ホテルついたら部屋番号の連絡をお願いします。」
そう言って紙を渡されて店を出ると、昼間だというのに妙に空気が重く感じた。
紙に記載されたホテル名を確認しながら、池袋北口の通りを歩く。
平日の昼間だけあって、スーツ姿のサラリーマン、キャリーケースを引く外国人、制服姿の高校生が多く歩いている。
そんな普通の人混みの中を、自分だけ別のレイヤーに入り込んだみたいな感覚があった。
初めてだから当然緊張するか、と自分に言い聞かせる。
恋愛経験が少ないくせに、風俗だけは平然としている方が不自然だ。
ホテル街へ入ると、人通りが少し減る。
昼間なのに薄暗い路地の雰囲気で、湿度が一気に上がったような感覚に陥る。
どの建物にも、壁面いっぱいに貼られた料金表が並ぶ中、俺はスマホを握りながら指定されたホテルを探した。
途中、カップルらしい男女とすれ違い、無意識に目を逸らしてしまう。
別に違法なことをしているわけじゃないが、妙な後ろめたさだけが消えなかった。
ホテルに入り、休憩利用を告げる。
フロントの店員は慣れた様子で鍵を渡してきた。
エレベーターに乗り、部屋へ入り、ドアを閉めた瞬間、ようやく小さく息を吐く。
その時に、自分が思ったより心拍数が上がっていたことに気づいた。
狭い部屋にベッドが1台、薄暗い照明と壁掛けテレビが目に入る。
初めて来たラブホテルは、どこか埃のような匂いがした。
内装を眺めながら、俺はスマホを取り出し、店に電話をかける。
「先ほど受付した者ですが、502号室に入りました。」
『分かりました。すぐに女の子向かわせます。』
その言葉を聞いた瞬間、急に手持ち無沙汰になった。
何をして待てばいいのか分からない。
テレビを付けるとAVが流れるが、興奮より緊張が勝っている。
落ち着こうとスマホを開き、真子とのトーク画面を、数秒それを見つめ、それから画面を閉じた。
その時、廊下側から小さく足音が聞こえた。
続いて、部屋のドアがドンドンと強めにノックをがされた。
俺が慌ててドアを開くと、明るい女性の声が聞こえた。
「失礼しまーす。待たせちゃったかな?」




