第21話「【緑】と朝当番」
月曜朝の通勤電車、世のサラリーマンが憂鬱に揺られる中、俺のスマホは、元気に通知を吐き出していた。
<直樹くんおはよ!今日もお仕事がんばろー!>
久美子から毎朝欠かさず送られてくる定型メッセージ。
返信速度の低下に敏感なため、優先度は高い。
雑に扱うと、「最近冷たくない?」という定例障害対応が発生する。
だが逆に言えばイレギュラーはそれだけで、久美子は対策しやすい。
好意も、不安も、欲しい言葉も、だから安定させやすい。
ちゃんと俺を好きでいてくれる。
将来を考慮するなら、多分一番まともだが、容姿に関しては食指が動かない。
通知欄に並ぶ名前を見ながら、俺は無意識に別のアイコンを探していた。
<このRTA配信やばすぎ>
真子から深夜二時に送られてきたゲーム配信URL。
それだけで、絵文字も無ければ、気遣いも無い。
なのに、視線が止まるのは何故だろう。
真子は、俺に合わせない。
返信が半日空くこともあるし、休日も普通に別のコミュニティの人間と遊びに行く。
束縛を嫌い、自分の好きなことを優先する。
多分、付き合ったとしても彼氏最優先にはならないタイプだ。
俺は真子の容姿が好みというだけじゃなく、自分の思い通りにならない相手ほど、追いかけたくなるのだろうか。
面倒だと思うが、やはり目で追ってしまう。
俺は真子への返信欄を開き、少しだけ考えてから短く打った。
<見た!三階で壁抜けリングは豪運すぎ!>
真子は理解している反応に一番食いつき、過剰な好意表現は逆に軽く扱われる。
俺は送信して、そのまま別の通知を開くと、写真付きメッセージが表示されていた。
<今日の内定者懇親会、変じゃない方のブラウスってどっちですかね?>
明日菜からのメッセージは、鏡越しの自撮りが2枚添付され、どちらも少し不安そうに笑っている。
明日菜は、見てもらうことに安心するのだろう。
服装の正解が欲しいわけじゃなく、自分を気にかけてくれる相手が存在しているかを確認しているんだ。
研究室でも、就活でも、ずっと自分は周りより劣っているという焦燥を抱えていたはずだ。
俺は少しだけ2枚を比較した。
<どっちも似合ってるけど、2枚目かな!落ち着いて見えるけど、堅すぎないから、懇親会向きだと思う!>
<ほんとですか!?>
<そっちにします!>
一瞬で既読がついたと思ったら、秒で返信が返ってきた。
<先輩に聞いてよかったです。ちょっと安心しました!>
追撃を読んだ俺は、無意識に口元を緩める。
久美子や真子と違って、少し肯定してやるだけで、ちゃんと俺は頼られる側でいられる。
明日菜は、努力して正解を返せば、ちゃんと好感度が上がっていく感覚がある。
明日菜といることで、恋愛も結局、攻略可能なゲームのようなものに思えた。
そして今、さらに俺のスマホは震えた。
<おはよう。先に着いたから朝当番作業進められるとこは進めとくね。>
メッセージの送信元は狩野里香だった。
狩野は、黒髪のセミロングを三つ編みバレッタでまとめ、作業中だけ細いフレーム眼鏡をかけている同じ部署の同期だ。
歓迎会の二次会以降、狩野の俺への警戒値は明確に下がっていた。
研修中に距離が近かった俺と真子を、カップルだと思っていたが、その誤認は解除された。
飲み会の日、別れ際に見せた狩野の笑い方を思い出すと、あれは愛想笑いじゃないと感じた。
そう思いを巡らせていた数秒後、再びスマホが震える。
<この前の飲み会のお礼ってことで。>
狩野の律儀さと、少しだけこちらを気にしている様子が見て取れる内容だ。
完全に脈ありというほど単純ではないが、狩野の中で、自分の優先順位が少し上がった感覚。
それが、妙に気分が良く、俺はすぐに返信内容を考える。
ここで優しさを過剰供給すると、助けてくれるいい人で固定されるだろう。
逆に素っ気なさ過ぎると、昨夜形成された親密度が落ちる気もする。
<気にしないで笑。ってか、テーマパークの話、ちょっと面白かった。>
仲のいい同期くらいのテンションで文面を作り、俺は送信ボタンを押下した。
数秒後にすぐ既読が付き、さらに間を置かず返信が飛んできた。
<え、ほんと?ああいう話、オタクっぽいかなって思ってあんまり人にしないんだけど……笑>
俺は少しだけ口元を緩める。
狩野は、好きなものを理解されることに弱いのかもしれない。
<待機列まで作り込まれてるって話、普通に感心したし、行ったら見て見たくなった。>
記憶にある狩野の話を使って返信すると、狩野の既読がまた即座につく。
<あ、そこなんだ!?でも嬉しい笑。Qラインちゃんと見てくれる人あんまり居ないんだよね>
そこから数分、狩野のメッセージは止まらなかった。
<アトラクション乗る前の空気感づくりが一番大事で…>
<建物の傷とか錆びとかも、きちんと時代背景とか演出に使ってたりとか、アトラクション毎に小説に出来るレベルのバックストーリーとかが有って…>
<エリアごとに照明とか植え込みの種類とか変えてる場所もあるし、川の色とかもきちんと塗料つかって日の光と世界観に合わせた色にしてたりとか…>
普段、部署では落ち着いた空気を纏っているのに、好きな話になると急に文章量が増える。
しかも、ところどころ早口っぽいなと思いながら、俺は執務室へ入った。
朝当番開始時刻の五分前、既に何人かの上司・先輩はPCを立ち上げている。
その奥の末端席で、狩野はスマホを片手に俯いていた。
三つ編みバレッタでまとめられた髪の隙間から、細いうなじが少しだけ覗いている。
作業中だけ掛ける細いフレーム眼鏡をかけ、真面目そうな表情のまま、指だけが忙しなくスマホを叩いていた。
部署では落ち着いて見えるのに、好きな話になると急に夢中になる。
そのギャップが、少し可愛らしく思っていると、三つ編みの隙間から覗くうなじと目が合った。
華奢な首筋へ視線が滑りかけて、俺は無意識に逸らした。
ただ同期だと頭では理解しているのに、狩野から返ってくる通知を見ていると、少しだけ優越感に似た感覚が湧く。
「佐藤?」
不意に名前を呼ばれ、俺は顔を上げると、いつの間にか、狩野がこちらを見ていた。
「あ。」
どうやら俺は、気付かないうちに狩野の席の近くまで来ていたらしい。
「……おはよ。」
「おはよ。っていうか、俺との朝当番進めてくれてるんじゃなかったの?」
俺がそう言うと、狩野は一瞬だけ目を逸らしたあと、スマホ画面をそっと伏せる。
「……途中からテーマパークの話になっちゃってた。」
少しだけ気まずそうに笑う狩野の顔を見て、俺もつられて笑った。
「完全に自爆じゃん。」
「佐藤が乗ってくるから悪い。」
「いや、あそこまで熱量あると思わないでしょ普通。」
そう返すと、狩野は「う……」と少しだけ肩を縮める。
その反応が、普段の大人びた狩野の表情とは違い、年相応で可愛らしく感じてしまう。
先程の笑顔も、今の反応も、歓迎会の時の愛想とは違うように見えた。
「でも、佐藤って意外にそういう細かい作り込み、ちゃんと面白がるタイプなんだなって思って……」
狩野の言葉を受け、俺は少しだけ考える。
正直、興味を持っていなかったが、好きなものを語る時の狩野は、少し無防備で可愛らしさがあった。
普段は落ち着いていて、空気を読んで人に合わせているくせに、自分の好きを肯定されると距離が縮まる。
「まあ、作る側のこだわり聞くのは嫌いじゃない。」
そう返すと、狩野は少しだけ目を丸くしたあと、いたっずらっぽく笑いながら「……じゃあ今度、本当に案内しようか。」と、小さく言った。
その瞬間、俺の脳裏には、自分に好きなものを共有したがっている狩野が、強く焼き付いた。




