第17話「【黄】のメッセージ」
大学のエレベーターが閉まった瞬間、俺は静かに息を吐いた。
網膜に焼き付いているのは、耳まで赤くした明日菜の顔だった。
帰路の電車の中で、俺はその反応をときめきとしてではなく、1つの成功事例として反芻していた。
明日菜は、物理的接触への許容も高く、パーソナルスペース侵入時も拒否反応は無く、好意の言語化に対する応答もあった。
真子みたいに、その日の感情や状況で反応が変わる非決定的なタイプとは違い、明日菜の反応には連続性があった。
それは、俺が距離を縮めればその分だけ返ってくるし、決められた手順を踏めば、関係は進展するものだ。
俺がきちんと攻略ルートに乗れさえすれば、問題は無くなる。
そう考えると、胸の奥に溜まっていたざらつきが、少しだけ静かになっていく気がした。
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数日後の定時退社日に、久美子が俺の部屋にやってきた。
手土産のゼリーを冷蔵庫に入れながら、久美子が少し照れくさそうに笑う。
「ねえ、直樹くん。ちょっと……気づかない?」
「ん?」
見ると、久美子の輪郭が以前より少しだけシャープになっていた。
「……ちょっと痩せたね。結構頑張った?」
「うん!仕事の合間にウォーキングして、おやつも我慢してるんだ。直樹くんに、もっと可愛いって思ってほしくて!」
その言葉に含まれているのは、多分、打算のない好意だった。
けれど俺の脳裏に浮かんだのは、真子の細い肩や脚のラインだった。
久美子は痩せたと言っても微々たるもので、まだ全体的に丸いぽっちゃり体型で、腰回りも、太腿も、腕も、真子みたいな研ぎ澄まされた細さとはまるで違う。
俺は元々、真子や明日菜のような細身の女性が好きだった。
抱いた時に骨の感触が分かるくらい細い身体に、服の上からでも分かる華奢さに儚さを感じる。
手弱女振りと言う言葉もあるが、そういう女性に昔から強く惹かれていた。
けれど、大学時代の俺は童貞で、女に対する免疫も経験も無かった。
だから、自分に好意を向けてくれる久美子を、現実的ラインと思い込んで受け入れた。
本当は好みじゃない部分から、ずっと目を逸らしたまま。
でも、真子と身体を重ねた瞬間、その誤魔化しが全部崩れた。
細い身体の感触、軽くて、骨の丸みを感じて、一部はしっかり柔らかくて、簡単に抱き寄せられる感覚。
一度その美味しさを知ってしまうと、久美子の身体はどうしても鈍く見える。
現状の痩せ具合ならまだ違う、もっと削れよ、とすら思ってしまう。
それでも、俺の好みに近づこうとして自分を変え続ける久美子の姿は、どこか安心できた。
少なくとも、真子みたいに予測不能ではなく、俺の反応に合わせて変化してくれる。
そう考えると、その努力すら管理可能な挙動に見えてしまった。
「いいと思うよ。頑張ってるじゃん。」
俺がそう返すと、久美子は「ほんと?」と嬉しそうに笑い、肉にまみれた体を押し付けてきた。
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明日菜とのLINEは、その頃には明らかに熱を帯び始めていた。
俺は意図的に返信時間を調整し始めていた。
すぐには返さず、深夜や通勤時、昼休みに短く返すことで多忙ぶりをアピールする。
数時間だけ既読を放置してから、<ごめん、会議長引いてた。>と一言添える。
社会人の余裕や仕事を含めての生活を、演出する。
すると明日菜の文章は、少しずつこちらへ寄ってきた。
<この前のお礼、ちゃんとさせてください!もし迷惑じゃなければ、来週の金曜って空いてますか?>
明日菜からそんなメッセージが来たのは、平日の昼休みだった。
続けて送られてきたのは、明日菜が住んでいるアパートの最寄駅付近を調べたスクリーンショットだった。
<ここ、雰囲気良さそうで……!>
<佐藤さん、コーヒー好きって言ってたので!>
俺はその画面を見ながら、小さく笑った。
まだデートという言葉は使わないけれど、明日菜から店を探し、時間を合わせ、理由を作って会おうとしている。
俺は通知で内容だけ確認し、そのままスマホを伏せて仕事へ戻る。
明日菜みたいなタイプは、待たせた方が熱量が上がるだろうと判断しただけだ。
放置されている時間に、自分の送った文章を読み返し、『変じゃなかったかな』と勝手に不安になる。
その後で返事が来ると、それだけで返信が来たという安心が報酬になる。
俺は残業後、2時間ほど空けてから返信した。
<金曜なら大丈夫だよ。せっかくだし、ゆっくり話そうか。>
送信して数秒後、既読が付き、さらにその数秒後に返信が届く。
<やった!めちゃくちゃ嬉しいです!>
明日菜の勢いのある返信を見て、俺は無意識に口角を上げる。
真子みたいに気分で反応が変わるわけでもなく、久美子みたいに重い愛情をぶつけてくるわけでもない。
明日菜は、こちらが与えた熱量に対して、素直に反応を返してくれる。
しかも、研究を助けてくれた頼れる社会人の先輩、という好意の土台まで既に出来上がっている。
そこへ少しだけ男としての言葉を混ぜるだけで、自分から距離を詰めてくる。
明日菜から届いたメッセージを再度眺めながら、俺は静かに目を細める。
明日菜のメッセージは攻略ルートとして、あまりにも綺麗だった。




