第14話「【赤】とSNS」
今日は金曜だった。
真子と、部屋で新作ゲームをやる約束をしていた日だ。
だから昨日のうちに、久美子との予定は緊急対応が入ったと断り、その分の仕事を前倒しで片付けておいた。
冷蔵庫にはドクペを入れ、ポテチも買った。
ソファベッドの上には、真子がよく包まる毛布を畳んで置いてある。
準備は完璧で、あとは真子が来るだけのはずだった。
21時を過ぎても、スマホは静かなままだった。
大型モニターには、起動したままのゲーム画面が映っている。
俺はソファに座りながら、今日だけで数十回目は聞いているオープニングをBGMに、何度もスマホの通知欄を確認した。
別に、珍しいことじゃない。
真子は返信がマメなタイプじゃないし、時間にも割とルーズなのは分かっている。
それなのに、胸の奥がざわつく。
予定通りに進まないことへの苛立ちなのか、それとも別の感情なのか、自分でもよく分からなかった。
時計が23時近くを指した頃、ようやく通知音が鳴った。
<先輩達と飲んでて今気づいた!これからもう一軒いくからー、また!>
俺はスマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。
ここまで環境を整えても、真子は来ない時は来ない。
どれだけ快適にしても、どれだけ優先順位を調整しても、俺の思った通りには動かない。
真子という存在だけが、俺の管理の外側にいる気がした。
予測不能で、合理性を感じなくて、整合性がなくて、だからこそ気になる。
まるで、システムの中に一つだけ混ざった、処理不能な例外みたいだった。
その時、また通知音が鳴る。
スマホをすぐに確認すると、今度は明日菜だった。
<佐藤さんのおかげで解決しました!やっぱり、佐藤さんってすごいですね!>
さっきまで胸の奥に溜まっていたざらつきが、少しだけ薄れる。
頼られて、感謝されるだけで、自分の価値が補強される感覚があった。
俺はスマホを持ち直し、そのまま返信を打つ。
<会社から名刺貰ったから、今度大学寄って教授にも挨拶しようと思ってるんだよね。よかったら、その時に進捗見るよ。土曜で、教授と明日菜ちゃんがいる日を教えてもらえない?>
送信ボタンを押したあと、俺はソファへ深く背中を預け、部屋の電気を消した。
そのまま、俺は大型モニターに共有カレンダーを映して眺めていた。
橙は仕事、青は久美子、赤は真子。
そして、新しくラベルとして追加した黄色が、明日菜。
色分けされた予定が、画面の中で綺麗に噛み合っている。
3色の予定表をこれから4色に色分けしていくんだと考えると、俺は不思議と安心した。
破綻していない、完成されたものに心を奪われるような気持ちだ。
そう思った瞬間スマホが震え、真子がタグ付けされたSNSの動画通知が画面に表示された。
思わず開くと、投稿者は真子と同じ部署の先輩社員だった。
<新入社員の真子ちゃん、ノリ良すぎ!>
軽い文面と一緒に上がっていたのは、15秒ほどの短い動画だった。
そのまますぐに再生した瞬間、騒がしい笑い声と風の音が部屋に流れ込む。
画面の中では、朝焼けに染まった海沿いの道路に、数人の男女が座り込んでいた。
足元には空き缶のビール。
誰かがBluetoothスピーカーで音楽を流していて、酔った笑い声が絶え間なく重なっている。
その中心で、真子が声を上げて笑っていた。
髪は泥や塩水で乱れ、白いYシャツには砂浜で転んだような黒っぽい汚れが広がっている。
「うわー!最悪ですよー!!」
真子が笑いながら汚れたYシャツの裾を掴むと、酔いで火照った頬のまま、そのまま乱暴にシャツを脱ぎ捨てた。
キャミソール越しに浮いた細い身体のラインが、朝焼けのオレンジ色にぼんやりと照らされていた。
むき出しになった肩には潮風と海水で乱れた髪が張り付き、アルコールで熱を持った肌が、妙に艶っぽく見えた。
『うわ、やっば……』
『おいおい、真子ちゃんサービスしすぎだってー!』
『俺も一緒に脱ぐぞー!』
男の下卑た笑い声が、次々に聞こえてくる。
さらに周囲にグループ以外の男達の視線も、真子へ集まった。
酔いで火照った真子の肌は普段の真っ白の肌とは違い、うっすら赤く輝いている。
真子が笑うたびに肩紐がずれて、白い肩が無防備に覗く。
周りの男達からの、酒で緩んだ空気の中に混ざる、妙に生々しい熱を帯びた視線が画面越しでも分かる。
けれど真子は、そんな視線に慣れているみたいに、まるで気づいていない顔で笑っていた。
濡れた髪をかき上げると、真子の慎ましい胸がわずかに浮き、その細くて白い腰のラインが朝日に滲む。
その無防備さが、逆に周囲の空気をいやに騒がしくしていた。
『やばいって、真子ちゃん酔いすぎ!』
動画の中で男の先輩が笑いながら近づき、手に持っていたジャージを真子の肩へ雑に掛けた。
そのままタオルで濡れた髪をわしゃわしゃと拭かれ、真子は抵抗するでもなく、『あざまーす!』と笑っていた。
俺は無言のまま、その場面をスクショし、画像を拡大する。
これは嫉妬ではなく、自分の把握していない情報に対する違和感を処理しただけだ。
真子を管理できない状態への、単純なストレスとでも言うべきだろうか。
「……次からは、代替案も用意しとくべきか。」
独り言のように呟き、俺はスマホを伏せた。
真子が来るはずだったソファベッドは、綺麗なまま何も崩れていない。
ドクペの空き缶も、ポテチの食べカスも机には無い。
準備したもの全部が、取り残されたみたいに部屋へ並んでいた。
俺は深く息を吐き、もう一度大型モニターへ視線を向ける。
破綻も矛盾もしていない管理された予定なのに、胸の奥には、小さな違和感だけが残っている。
俺は、先程見た真子の動画を思い出す。
肩へ無造作に掛けられた、知らない男のジャージにお礼を言った真子は、髪をかき上げながら、いつもの調子で笑っていた。
俺の部屋でゲームをしている時と、何も変わらない顔で。
けれど、その隣にいたのは俺じゃない。
動画の向こうでは、男達が真子の肩を叩き、下着を見て、距離感もお構いなしに笑いかけていた。
真子もまた、それを拒むことなく笑い返している。
まるで、俺の知らない場所で、俺の知らない関係性が、もうずっと前から出来上がっていたみたいだった。
その事実だけが、胸の奥へ小さな棘みたいに引っ掛かり続けていた。
スマホが小さく震えると、画面には明日菜からの返信。
<ぜひお願いします!教授もきっと喜ぶと思います!次の土曜の午後はMTGで研究室いますので!>
俺はその文章を数秒眺めたあと、静かにカレンダーを開いた。
土曜の欄へ、新しい予定を追加する。
黄色の予定が、1つ増え、これで管理する色は4つだ。
その瞬間、不思議と胸のざわつきが少しだけ薄れる。
空いた場所を別の予定で埋めると、全体のバランスは決して崩れない。
少なくとも、今まではそれで上手くいっていた。
俺は少し睡魔を感じ、暗い部屋の中で小さく目を閉じた。
最後に俺の目に映った赤い予定だけが、なぜか少しずつ輪郭を失っていくように見えた。




