第10話「【青】と配属発表」
研修最終週。
配属発表の時間が近づくにつれ、研修室には妙な緊張感が漂っていた。
人事部長が前に立ち、マイクをもった。
「皆さんの適性を見て判断した結果です。これからスクリーンにそれぞれの配属先を映します。声を上げるのはいいですが、立ち上がったりはしないように。」
そう言って照明が落ちると、前方のスクリーンに、それぞれ部署名とともに同期の名前が1スライドづつ映される。
発表が進むたび、あちこちで小さなざわめきが起きる。
「うわ、インフラ周りかぁ……」
「営業支援って忙しいんだっけ?」
「え、いきなり出向ってマジで?」
そんな声を聞き流しながら、俺は自分の名前を探していた。
やがて一覧に切り替わり、そこに表示された内容を見た瞬間、俺は心の中で静かに息を吐いた。
久美子は、内販向けの保守・サポート部門。
真子は、社内システムやサーバーの監視・運用等の管理部門。
そして俺は、システム更改+新規プロジェクトの開発・運用部門だった。
全員、別部署という事実を確認した瞬間、胸の奥に張り付いていた見えない圧迫感が、一気に軽くなる。
同じビル内とはいえ別フロアであれば、毎日顔を合わせ続けるリスクは低い。
シャツの色やネクタイの色、会話の食い違い、視線の違和感といった小さなノイズは、積み重なると致命傷になる。
だが、物理的に部署が分かれるなら、接触頻度そのものを減らせる。
それはこの生活を維持する上で、必須だと感じていた。
「部署、分かれちゃったね……狩野ちゃんと交換したいよ。」
研修室を出たあと、久美子が少し寂しそうに俺の袖をつまむ。
狩野は俺と同じ部署であり、久美子はそれを羨んでいる様子だ。
「研修終わっても、もっと一緒にいられると思ってた。」
「いや、別に会社なくなるわけじゃないだろ。」
「それはそうだけど……」
久美子は小さく笑ったあと、少しだけ俯いた。
その反応すら、今の俺には都合よく感じてしまう。
同じ部署じゃないのは、つまり、監視される機会も減る。
俺と同じ部署の狩野は、久美子とは女子グループも別だから、関わりが薄いはずだ。
「共有カレンダーも社内予定表もあるし、空き時間とかすぐ分かるだろ。そんな変わんないって。」
そう言うと、久美子は安心したみたいに表情を緩めた。
「……そっか。うん、そうだよね。」
そして、何かを思いついたようにスマホを取り出す。
「私、もっと細かく予定入れるようにするね!直樹くんが今なにしてるか分かったら安心するし。」
「……ああ。ありがとう。」
俺は頷きながら、自分のスマホ画面へ視線を落とした。
共有カレンダーには、すでに今週末の予定が並び始めている。
青色は久美子だがその空白部分へ、俺は頭の中で別の予定を埋めていく。
サークルや研究室の飲みだけじゃなく、これからは部署の飲みや残務も使える。
空いている時間を探すのではなく、先に言い訳用のログを作っておくのが肝要だ。
久美子はそんなことを疑いもせず、「配属した後、雰囲気とか教えてね!」とはしゃいでいる。
その無防備さに、俺は罪悪感より先に安心感を覚えた。
少なくとも今のところ、システムは問題なく動いている。
俺はそう確認しながら、カレンダーの空白を静かに見つめ直した。
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配属後は生活の感覚が一気に変わり、研修期間は学生の延長みたいなものだったと痛感する。
研修の頃みたいに、朝から夕方まで全員で同じ課題をやるわけじゃない。
部署ごとにフロアも雰囲気も違い、俺の部署は社内でも1,2を争うブラック部署だったようだ。
だが、仕事を言い訳にしやすいというメリットもあるのは確かだ。
昼休みには1階にある食堂に赴き、久美子と他愛のない会話をする。
「今日ね、先輩に褒められたんだ!」
「へぇ、何て?」
「質問の筋が良いって!ちょっと嬉しかったな。」
久美子の声は明るく、配属先でもうまくやっているようだ。
俺が笑顔を作って相槌を打ったタイミングで、スマホ画面の上部に通知が滑り込んだ。
<今日ひま?>
俺は相槌の声色を変えないまま、久美子に見えないよう机の下で親指だけを動かす。
<19時にうちなら>
それだけ打って送信し、何事もなかったみたいに会話へ戻る。
「直樹くん?聞いてる?」
「聞いてるって。質問の筋が良いってことは、ちゃんと理解してるってことだし、先輩にもそれが伝わってるってことじゃん。」
「えへへ。」
俺の対面で食べ終わった久美子が嬉しそうに笑う。
その声を聞きながら、机の下のスマホを左ポケットに突っ込んだ。
こういう操作にも、徐々に慣れてきている。
全ての通知はロック画面へ内容が表示されない設定にし、振動量で相手が分かるように設定済み。
メッセージ履歴も、一定期間で整理し、直接的なメッセージを間引くことで、仮に見られても雑談に見える。
どこで誰に何を話したかも、頭の中である程度整理され始めていた。
久美子には<ジムに行く日>と話し、真子には<久美子と会う>と伝える。
予定同士が衝突しないよう、空き時間を組み替えていく感覚は、スケジュール管理というよりストラテジーパズルに近かった。
久美子に手を振り、自席に戻るまでの間に共有カレンダーを開く。
青色の久美子との予定へ空いた時間を縫うように、別の予定を差し込んでいく。
綺麗に噛み合った時の小さな快感が病みつきになる。
「……俺、意外と向いてるのかもな。」
誰に聞かせるでもなく、独り言が漏れる。
二つの関係を同時に維持しているという感覚。
それは単なる浮気というより、複雑なシステムのゲームの攻略法を見つけた時の感覚に近かった。
どこにも異常はなく、少なくとも今のところ、全部ちゃんと回っていた。
自販機と給湯器が並ぶ休憩室の前を通りかかった時、奥から真子の名前が聞こえた。
「え、真子ちゃんって最近別れたんだっけ?」
「そうそう。大学の時の彼氏が、入社前の宿泊研修で浮気したらしくて。」
「うわ、最低。」
「しかも、『一緒に寝ただけで何もしてない』とか言ったらしいよ。」
「いや黒だろ、それ。」
同期の女子たちの笑い混じりの会話が、半開きのドアから漏れてくる。
「でも真子ちゃん、最近なんか吹っ切れてない?」
「分かる。距離感ちょっとバグってるよね。」
「前からふわふわしてたけど、今は男との距離さらに近い気する。」
その言葉に、俺の足が一瞬だけ止まった。
真子の距離感が曖昧なのは、俺に対してだけじゃなかった。
「でも、真子ちゃんみたいに細くて可愛い子も、浮気ってされるんだね。」
「なんかもう、恋愛どうでもよくなってそう。」
俺は何も聞かなかったふりをして、その場を通り過ぎる。
けれど、胸の奥には小さなざらつきだけが残った。
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数日後、久美子が同期とビル外にランチに行ったため、俺は1人で昼休みの食堂に赴いた。
後ろから聞き覚えのある声がして、こっそり振り向くと、真子が同じ部署であろう男数人と笑いながら話しているのが見える。
「え、真子ちゃん、じゃあ金曜オールする?」
「いいですよー。どうせ次の日休みなんで。」
「ノリいいね!じゃあ皆でダーツ行ってから、そのまま朝日見に行こうぜ。」
「ありあり。俺車出すわ!海沿い行こうぜ!」
「あ、海いいですね!ぜひぜひ!」
真子はそう笑いながら、頷いていた。
「お前この前みたいに途中で寝んなよ。運転する俺の身を考えて。」
「じゃあ私DJしますよ!」
「真子ちゃんセレクトの曲でドライブいいね!」
集団から軽い笑い声が広がった空気にいる真子は、俺といる時と何も変わらなかった。
誰にでもあの距離感で、自然に近づいて、誘われれば、そのままついていく。
頭では分かっていたはずなのに、胸の奥に小さなざらつきが残る。
朝日を見にドライブするということは、夜通しあの男達と真子が一緒にいることになる。
真子は、俺がいなくても問題なく楽しめるタイプの人間だった。
朝日を見た後はどうなるのだろうか、眠くなって誰かの家で仮眠をしたりするのだろうか。
そんなことを考えていると、再び声が聞こえる。
「え、でも朝日見たあとどうする?」
「それぞれの家に送るのは無理だからな。俺はそのまま家まで車走らせるよ。」
「んー、じゃあ、先輩の家で雑魚寝します?」
「真子ちゃんそれでいいの!?」
真子は最初から、そういう距離感のやつだ。
俺だけが特別なわけじゃないってことは、最初から分かっている。
分かっていたはずなのに、思考の奥に小さなノイズみたいなものが居座り続ける。
誘われれば行く、楽しい方へ流れる、その場の空気に自然に馴染む。
真子はそういう人間だ。
だからこそ、繋ぎ止めるなら感情じゃ駄目なんだと思った。
好きとか付き合うとか、そういう曖昧なものじゃなく、もっと分かりやすく、居心地のいい環境を用意する必要がある。
真子が他の連中と遊ぶ理由があるなら、それを上回ればいい。
真子はゆるい対戦ゲームや、酒を飲みながらだらだら遊ぶのが好きなはずだ。
だったら、もっと居心地のいい部屋を作ればいい。
終電を逃しても泊まれて、コンビニも近くて、適当に酒を飲みながらダラダラできる場所。
他の連中と遊ぶより、俺の部屋に来た方が楽だと思わせればいい。
ただ、それだけの話だ。
帰宅途中、俺はスマホで大型モニターとソファベッドを検索し始めた。
必要なのは愛情じゃなく、真子が俺から離脱するコストを上げることだ。
ただ、真子が本当に欲しがっているものが何なのか、俺はまだ理解していなかった。




