最終話 永遠のアフロディーテ
私、どうしたんだろう。
何でこんなにあの一枚の紙に、心が揺らいでいるの。
『記念写真・雑誌・パンフレット等の撮影スタジオにて メイクアップアーティスト見習い募集中』
諦めたはずじゃない。
会社の女の子のメイクをしてあげるだけで、満足しているはずじゃない。
なのに、どうして……胸が苦しくなるの。
出来るだけ、平然と毎日を過ごしてきたつもりだった。
だけど、直人さんがアメリカへ戻る、最後の夜。
直人さんはベッドで私を抱きしめながら、耳元で囁いた。
「まどかちゃん、言える範囲でいい」
「え?」
その言葉に驚いて、顔を上げると、直人さんは私の後ろ髪を撫でながら、横向きで私を見下ろしていた。
その眼差しは、泣きたくなるほど柔らかい。
「何か、あったんだろ? 言いたいこと、あるんじゃない?」
何で直人さんには隠し事出来ないのかな。
私は顔を隠すかのように、直人さんの胸に顔を埋めて、ぽつりぽつりと明かしていった。
「あの、あのね……」
「うん」
「結婚式場でね、メイクアップアーティストの見習い募集の貼り紙を見つけたの……」
「そうなんだ」
「うん……撮影スタジオで、募集しているみたいなの」
「そう……」
直人さんは、先を煽ることなく、私の言葉を待って、聞いてくれている。だからかしら。私は素直に思いを言葉にすることが出来た。
「私ね、直人さん。メイクするの、大好きなの」
「そうだね。化粧をしてあげている時のまどかちゃん、凄く生き生きして楽しそうだ」
「ふふ、そう? そうなら、嬉しい」
「チャレンジしてみれば?」
あっさりとしたその言葉に、私は嬉しくてうんうんと頷きそうになったんだけど。
でも、はっと気付き、身体を思わず跳ね起こした。
「え……えええ!?」
夜中だというのに、思わず大声を出してしまった私の前に、ゆっくりと身体を起こした直人さんは、変わらず柔らかい笑みを浮かべたまま。私の手を、きゅっと握った。
「やりたいんだろ? 好きなことを仕事で出来るなんて、そんな幸運は無いよ。いいチャンスかもしれない。頑張ってみたら?」
「で、でも、けど……!」
今、私は総務部で主任にさせてもらって、仕事もたくさん抱えているし……。会社を裏切るようなことは、出来ない。
思わず俯いた私の体が、ふわりと包まれた。
直人さんが、そっと私を抱きしめながら、囁いてくれた。
「大丈夫だよ。まどかちゃんのお陰で、総務部も大分まとまってきた。それに、まどかちゃんがやりたい道へと進むのを、誰も邪魔しないと思うよ」
「だけど……」
「まどか」
声の色が変わり、私はびくんと顔を上げた。そこには、真剣な顔の直人さんがいる。
「俺は、きみの人生の足かせにはなりたくない」
「そんなこと……」
無い、って言うのを止める、直人さんの眼差しの強さ。私は思わず息を呑んだ。
「だから、まどか、自分のやりたいことを、優先させて。そのためなら、俺はどんなことでもする。きみの力になる」
「直人さん……!」
私はこの時ほど、直人さんの愛情の深さを思い知ることはないだろうというほど……嬉しくて、胸が苦しくなるほど、嬉しくて。
直人さんに抱きついたら、ぽろりと涙が零れてしまった。
私の背中を撫でた直人さんの手が、暖かくて。私を包み込んでくれる想い全てが優しくて。
ひとしきり泣いてしまったら、ある程度の覚悟が出来ていた。
「……結婚式に、私がらみの人を招待するのは、失礼ね。人数、少し調整した方がいいかも」
泣いてしまった照れ隠しにそう言うと、直人さんはくすりと笑って私の頬に唇を寄せた。
ちゅっとキスをしてくれて、
「そんな心配、いらないと思うけどね」
「え?」
「俺は傍にいてあげられないけど、いつでも電話して。俺が出来ることがあったら、教えて?」
直人さんが、いつでも私の力になってくれる。
その確約を得ただけでも、随分と度胸がついた。
次の朝、前回同様、笑顔で直人さんをお見送りした私は、その日の定時後、早速結婚式場に足を運んだ。
式の打ち合わせも早々に、掲示板の前へと立つ。
震える手で、スマホを取り出し、そこに記載してあったスタジオの番号を押した……。
それから、一ヵ月後。
真っ白なウェディングドレス。アップにした髪。ティアラが眩しく輝いている。
少しばかり派手な顔の私は、今日は更に派手で、かなり恥ずかしい。もっとナチュラルなメイクにしたかったのに。どうしよう、直しちゃおうかな。
そう目論んでいると、背後の扉がそっと開いた。しまった、遅かったか。
「花嫁様、準備が整いました。式場へご案内いたします」
「はい!」
仕方ない。覚悟を決めよう。
女は度胸と根性よ!
赤いヴァージンロードを、お父さんと一緒に歩いていく。
隣のお父さんは、泣くどころじゃない。にこにこ笑顔全開だ。
「いやあ、直人くんがまどかを引き取ってくれれば、もう僕たちも自由だ。ね、佳奈子」
そんな酷いことを言っていたのを知らない私じゃない。全く、今までもやりたい放題だったくせに。
だけど、いいの。お父さんとお母さんが放任主義だったお陰で、直人さんと出会えたと、そう思っているから。
一人で高校生になると同時に上京して、雑誌モデルのバイトをして。そして短大を出て、会社に就職して。
そして、直人さんに出会った。
全ては、この日のために繋がっていた道だったと思う。
これを、運命というのかしら。
一目惚れした直人さんのお嫁さんになれるこの日を、どれだけ待ち望んでいたか。
親戚の人たちの祝福を受け、会社の人たちも参列してくれる中、歩んでいく先には、直人さんがいる。
神父さんと一緒に、私を待っている直人さん。
長めの前髪を、今日は仕方なくセットしてもらったのね。とっても素敵なその姿は、私のためのもの。
そう思うと、笑みが思わず浮かんできちゃうわ。
「……ふ……ふふ……」
「花嫁さーん、気色悪いよ」
そう失礼なことを言うお父さんの手から、私の手が直人さんの手に。
この暖かい手を、一生しがみ付いてでも離さないから。覚悟してね。
運命って、本当にあるんだと思う。
あのスタジオのカメラマンは、私の雑誌モデル時代のカメラマンだった。そして私の師匠になる人は、私にメイクを教えてくれた人だった。
信じられないこの運命の出会いを、直人さんは何となく感じていたのかな。だから、背中を押してくれたのかな。
よく分からないけど、私は大歓迎されて、あのスタジオの一員になった。
そして、問題の会社の方は、説得するのが大変だろうと思っていた真菜は、意外なほどあっさりと私の決意を受け入れてくれた。
「まどか、いつかそっちの道に進めればいいなって思ってた。まあ、大変だろうけど頑張んな」
驚く私に、真菜は照れたようなそんな顔で、
「ま、総務のギャルたちを使えるようにしてくれたからさ、あんたが来る前よりはずっとマシになった。何とかやっていけるでしょ!」
そう言ってくれて、心から安心した。
里佳はただ、「送別会、盛大にやるからね」とだけ。石橋さんは号泣してくれたけど……「お前のスタジオに行くからな! 写真撮りに行くからな!」って言ってたけど、お見合い写真でも撮るつもりなのかしら?
私、自分で気付かなかったけど。凄く暖かい人たちに囲まれていたんだって知った。
遠慮して、結婚式に呼ぶのは控えようと思ってたって言ったら、メチャクチャ怒られた。
「仕事なんて関係ないでしょ。あんたは私たちの友達でしょ!」
って言われて、恥ずかしいけど会社の中で、声を上げて泣いてしまった。
そんな人たちに祝福されて。私は念願の「不破まどか」になれた。
私は隣に立つ直人さんを見上げた。幸せいっぱいのこの気持ち、少しでも伝わっているかしら?
直人さんは、ふと私を見下ろし、神父さんが何か言っているのにも関わらず、私の耳に口を寄せて囁いた。
「俺だけの、アフロディーテでいてね」
その甘い囁きに、私はボンッ! と顔が真っ赤になってしまった。
あなたがそう、望むなら。
私はあなただけの、永遠のアフロディーテでいられるように頑張るわ。
だから、ずっとずっと、傍にいてね?
そして、月日が流れ。
やっと、直人さんが日本へと帰ってきた。
長かった。本当に長かったけど、私のほうもバタバタしていたから、振り返ればあっという間だったような気がする。
残念ながら、一度も直人さんのアメリカの職場に行けなかったけど。でも、それはゆっくりとこれから聞ければいいか。
「まどか、まずい、時間が無い!」
直人さんが玄関先から声を上げる。
「はいはいはーい!! 待って待って!!」
私はドレッサーでちょちょいと髪を直し、慌てふためいて上着と商売道具……メイク道具一式が入っている大きなボックスケースを手にした。
「ごめんね、お待たせ!」
パンプスを突っかけると、直人さんがにこりと笑って私に腕を差し出した。
その手に掴まり、私も笑顔で彼を見上げる。
今まで以上に、これからも恋する女の子達の手助けをしていきたい。
恋するのって、素敵なことだと伝えていければいいな。
それが出来る幸せをかみ締めながら、二人で駅までの道のりを歩いた。
これからもずっと、歩いていこう。
幸せへの、道のりを。
大切な、大好きなあなたと二人で。
END
最後までご覧いただきまして、誠にありがとうございました。
暴走特急のようなラブコメでしたが、お楽しみいただけたなら幸いです。
どこにでもありそうでなさそうなストーリーでしたが、まどかと直人のこれからの幸せな未来に思いを馳せて、締めくくりとさせていただきます。
では、また次のお話でお会いしましょう。
皆様に、永遠の幸が訪れますように。




