第4話 痴女か乙女か、煩悶の朝
明日、いよいよ直人さんが一ヶ月ぶりに帰国する。
いつ戻ってくるのか分からない私は、何となく期待をこめて、本当は肌に良くないんだけど、うっすらメイクをしたままベッドに入った。
だって夜中に戻ってきて、私の寝顔を……素顔を見たら、引くかもしれない。
恐らく何度も私の素顔なんて見られているとは思うけど、でも一ヶ月ぶりに会うっていうのに、ブサイクなスッピンまどかを見せるなんて、私には出来ない。直人さんも私も、可哀想すぎる。
一番綺麗な姿ではないにしても、少しでもまともに見れる状態で会いたい。
そんなことを思う私は、いい年をして乙女なのだろうか?
布団を顎近くまで被り、目を閉じた私は色々なパターンでシュミレーションをしていた。
明日、昼間に帰ってきた場合。直接会社に来るのだろうか。それとも荷物を一旦実家かここに置いてから、来るのだろうか。
そうしたら、まずは企画室へ行くだろうけど、総務にも顔を出してくれるのかな。
あ、出すか。出張費精算しなくちゃならないもんね。その処理、誰がするのかな。私がしたい。うん、私がしよう。そうなるように、何とか仕向けなくては。
もし帰国が夜になったら、うちへ帰ってくるよね。夕飯どうしよう。私が作った味がいまいちはっきりとしない、ぶっちゃけ不味い料理でも作っておいたほうがいいのだろうか。
それとも、配達のピザか……疲れているだろうから、外食は絶対避けよう。宅配ってうち、ピザがお寿司のメニューしかない。久し振りの日本だから、お寿司の方がいいかも。でもあそこのお寿司屋さん、あんまり美味しくないんだよなぁ。
悶々とそんなことを考えて、更には何を明日着て行こうかとか、下着は新しいのに履き替えようとか。
更にそんなバカなことまで考えていたら、目が冴えてきたような気がするんだけど、でも寝なくちゃと焦って、ギューギュー目を閉じていた。
羊が一匹、羊が二匹って数えると眠れるっていうけど、あれは絶対嘘。私、最高5万匹以上までいったことあるもの。
だから、羊はやめて、直人さんを数えよう。
直人さんが一人、直人さんが二人、直人さんが三人……クローン? ちょっと怖いかも。
ていうか、そうなったら私は何番目の直人さんを愛せばいいの? 日替わり? 今日は直人さん一号、明日は五号、みたいに?
果てしなくくだらないことを考えていると、段々脳内がぼやけてきて……
車の止まる音がした。そして少し後に、パタンと車のドアが閉まる音。
ガラガラと何かを引きずる音がしたので、私はばっと身体を起こした。
嘘、帰ってきた!! 直人さんが、帰ってきた!!
まずは鏡。うっすら施したメイクを補強して、慌しく髪を梳かして整えた。
そして玄関前に立って待機していると、そっと鍵を開けて、ドアノブが捻られるより先に。
「直人さん!!」
私は素足で玄関に飛び降り、ドアを勢いよく開いた。
「うぉっ!? ま、まどかちゃん!?」
びっくりしていたような声で私を呼ぶ直人さんの声。ああ、毎日電話で聞いていたけれど、やっぱりいい。生はいい。
本当はすぐにでも抱きつきたいんだけど、私は感動のあまり打ち震え、その場に硬直してしまった。
直人さんはにこりと笑顔を浮かべ、玄関に入り。
そしてその場にスーツケースを置いて、居間まで歩いていった。
私はその後を追いながら、どの言葉を先に口にするべきか悩んでいる。
『お疲れ様』『ずっと会いたかった』『向こうでどうだった?』
悶々と悩む私に、直人さんはくすりと笑みを浮かべて手招いた。
おずおずと乙女な私が近づくと、直人さんは嬉しそうな笑みを浮かべたまま、
「ただいま」
「おっ、お帰りなさい……」
「まどかちゃん、俺が今、何を考えているか分かる?」
へっ?
直人さんのことは大好きだけど、私はエスパーじゃないので、そこまでは……。
だけど、にこにこと笑う直人さんが私の返事を待っているので、私は上目遣いで直人さんを見上げた。
「あの……間違ってても、笑わないでね?」
「うん、笑わない」
直人さんが頷いたから、私は小さく呟いた。もう、目線は直人さんを見れなくて、足元に落ちている。
「えっと、ええと……私を、抱きしめたい?」
何て恥ずかしいことを言っているんだろう、私は。自分で言ってしまってから、めちゃくちゃテレてしまったんだけど。
でも、ふわりと私を包み込んだぬくもり。それが強く熱くなり、私を直人さんはぎゅっと抱きしめた。
顔を肩に埋めて、囁かれた声は、さっきよりもずっと甘い。
「正解。それじゃ、次は?」
「つっ、次? え、ええと、キ、キスしたいとか……?」
それは直人さんの気持ちを読んだわけではなく、単なる私の願望なんだけど。
でも、直人さんは私から片腕を離すと、その手で私の顎を捉えた。
くいと上を向かされると、そこにあるのは優しい笑みばかりじゃなく、ドキドキするような艶やかな色あいの顔。
「うん、それも正解……」
目線を真っ直ぐ私の唇に捕らえ、段々近づいてくる直人さん。
塞がれた一ヶ月ぶりの感触の唇は、喜びで震えてる。
するりと入ってきた舌に、必死で合わせていると、直人さんは私から顔を上げ、そして頬をそっと撫でた。
「まどか、次は……?」
次? 次って言ったらもう、アレしかないでしょ? でも、帰ってきて早々はいくらなんでも……
「言って、まどか。俺、もう……」
もう限界!? う、嘘、早く言わなくちゃ。だけど、そんな恥ずかしいことを私が言うの? どんな顔をして言えばいいの。
抱いてって言うの? それとも直人さん、私を抱きたい? って聞くべき?
あたふたと考えていると、くすりと笑った直人さんが、私の首筋に顔を埋めた。そしてちゅっと音を立ててそこにキスをする。それだけで、ふるっと身体が喜んだ。
「時間切れ。だから、罰としてベッドじゃなく、ここで……」
そしてゆっくりと寝かされた私は、ベッドじゃなくてソファに座らされ、その前に胡坐を掻いた直人さんが、私のパジャマのボタンをゆっくりと脱がし……
「あっ……」
直人さんの手が、私の身体をゆっくりとなぞって……
「やっ、だめ……」
やがて身体を起こした直人さんは、私に目線を合わせて顔を近づけ、
私に頭突きを食らわした。
「いだっ!!」
……ちゅんちゅんと、スズメののどかな鳴き声が聞こえてくる。
そして私は、ベッドから、頭から落ちていた。
「……」
もちろん、隣には直人さんはいない。
ひぃー!! 夢!? なんていう生々しい……恥ずかしい!!
誰も見てはいないというのに、私は飛び上がるように起きて、あまりの恥ずかしさに顔を押さえた。
熱い。手も顔も、まるで熱があるみたい。
いくら直人さんが帰ってくるのが嬉しいからって、こんな夢を見るなんて。私、痴女!?
ていうか、私って直人さんの身体が目的みたいじゃない! やだやだ、最悪!!
それに何あれ。最後の頭突き。何で直人さんが私に頭突きを……全くもって、意味不明。
そもそも夢って基本的に、意味不明だけどね……。
今日、いよいよ直人さんが戻ってくるっていうのに。私は朝からトーンダウンしてしまい、総務についても無言を貫いていた。何か一言喋ると、私の痴女っぷりを大公開しそうな恐怖もあった。
昼休みまで、必要最小限喋らないでいた私は、休憩中に里佳と真菜から首を傾げられるくらいヘンだったようだ。
直人さんが帰ってくるのは嬉しい。だけど、どんな顔をして出迎えよう。
出来れば、夜に帰ってきてくれるといいな。
確かに私は絶賛欲求不満中。心も身体も、直人さん不足で限界ギリギリ。
だから、職場でも、直人さんの姿を見たら抱きつきそう。ヤバい、危険。
どうしよう、どうしようと自分を抑えている中で、目の前に座っていた里佳が、ふと視線を上げて。ニヤリと笑って私の腕を突っついた。
「なあに?」
その問いに、里佳は顎で私の横を指し示す。
訝しげな表情を浮かべた私は、その場所に顔を向けると。
目の前に、すんごく目の前に。
直人さんがいた。
一ヶ月ぶり。
少し痩せた? でも、髪の毛ちゃんとカットしたのね。眉に掛かるくらいの長さの前髪、前よりも軽くなったみたい。後ろもちゃんと短めに切ってある。
眼鏡越しの瞳が、優しく細まり、私の声を待ってる。
お帰りって、言わなくちゃ。
でも、泣きそう。一言声を出したら、絶対泣く。そしたら、抱きつきたい衝動に駆られる。
もし抱きついたら、キスしてもらいたくて仕方がなくなる。
分かってる。
だから、その一連の行為を止めるには、声を上げない方がいい。
でも、無言のままでいたら、直人さんがヘンに思う。私が待っていなかったって勘違いするかも。
頭の中でグルグルと色々考えていると、直人さんの目が見開き、慌ててスーツのポケットをまさぐっている。
そして身体を寄せて、私を覗き込んだ真菜が、一瞬絶句した後、私を指差して、突然大爆笑した。
「ぶははははは!! まっ、まどかー!! あんた今の一瞬で何を考えてたのよー!!」
「妄想癖もここまでくると変態の域ね」
溜息交じりの里佳に向くと、彼女はヒクッと頬を引き攣らせた。
「動くな!! 気持ち悪い!」
気持ち悪い? 何たる失礼発言。だけど、何か手にポッタンポッタン垂れてくる。あれ、私とうとう泣いちゃった?
「ま、まどかちゃん、これっ!!」
慌てた様子の直人さんが、私にティッシュを押し付けた。そして何枚かを手にして、私の鼻をぎゅっと押さえた。
ひっ、痛い、いたたたた!
昼休みの食堂で。
久し振りの再会だというのに、私は愛する婚約者に突然鼻を摘まれるという展開に、頭が着いていかなかったんだけど。
「エロいこと考えてたんでしょ!! ぶはははは、この痴女!!」
私を指差して大爆笑中の真菜の声で、私は自分が鼻血を出したことにやっと気がついた。
さ……最悪じゃないの!! 最悪極まっちゃったじゃないの!!
一ヶ月ぶりの再会で、嬉しくて。あまりに嬉しくて。
静かに脳内大暴走の私は、興奮が収まらずに鼻血噴出。
ありえない……お帰りの一言も言えずに、直人さんを見た瞬間鼻血って、……
呆然とする私を、直人さんは心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫? 医務室行こうか。立ち上がれる?」
優しさ全開の直人さんに、里佳が冷たい声を放った。
「放っておきゃいいのよ。どうせただの欲求不満なんだから」
と、恥知らずな発言をして、更に私は鼻血を噴出してしまった。
ああ、もう……エンドレスに直人さん帰国後のシュミレーションをしていたのに、全て泡のごとく消えていってしまった。
私はティッシュを自分で抑えながら、直人さんを見上げた。隣で歩く直人さんの空気。直人さんの香り。全てが懐かしく感じ、涙が出そうになる。
だけどそれを堪えて、発した言葉は。
「…………おひゃえりなひゃい」
……消えてしまいたい。




