第3話 疑惑の影と、中学生の純情
突然泣き出した美咲ちゃんに驚いた私だけど、こんなところで立ったままでいるのも何だし、彼女を連れてアパートに入った。
私の腰にぎゅっとしがみ付いた美咲ちゃんは、大きなバックを持っていて。何泊するつもり? っていうくらいそのバックはパンパンだった。
「あの、美咲ちゃん。とりあえず、座ろう。ね?」
私から離れようとしない美咲ちゃんを何とかソファに座らせ、私は冷蔵庫から麦茶を出して、彼女の前に差し出した。
だけど美咲ちゃんは、俯いたまま顔を上げない。それを覗き込もうとしたら、ばっちりと目が合った。
直人さんに良く似た、切れ長の綺麗な目。それがうるうる涙がいっぱい浮かんでいる。
「まっ、まどかちゃん!! 私、私っ……!」
「うん、どうしたの? 落ち着いて? ゆっくり話して?」
美咲ちゃんの背中をゆっくりと撫でると、彼女は口をヘの字に曲げ、眉をぎゅっと寄せて。
再び大声で泣き始めた。
「裏切られたー!! たっくんが、私を裏切って浮気したぁー!!」
余りの大声で驚いたんだけど、その内容に更に驚いた。
たっくんって、アレよね。美咲ちゃんの彼氏よね。
惜しい、あと一息でアイドルになれそう! という、可愛いルックスの彼氏。
駅前でも、堂々とキスするくらい、ラブラブだったのに。
ていうか、浮気!?
なにー、浮気だとぉ!?
中学生の分際で、生意気な!!
今そんなんで、将来どうなっちゃうの!? ジゴロ並みに女の子を転がすオトコになっちゃうんじゃないの!?
ましてや、私の可愛い美咲ちゃんを泣かせるだなんて。十億年早いわっ!
許すまじ!! 成敗してくれるっ!
ふつふつと怒りが沸く私の心境が移ったのか、わんわん泣いていた美咲ちゃんがぴたりと泣き止み。
俯いたまま、ぽつりと呟く。
「……てやる」
「え?」
聞こえなかった私が耳を寄せると、そこからおぞましいほど低い、地を這うような声を絞り出した。
「アソコちょん切って、犬に食わせてやる……」
ひぃ!! 美咲ちゃんに、悪魔が降臨!?
余りに恐ろしい発言に、私が顔を引き攣らせていると、美咲ちゃんは俯いたまま肩を上下に揺らしている。ビクビクと彼女の様子を伺うと、どうも美咲ちゃんは泣いているのではなく、笑っているようで。更に恐怖心が増し、私は思わず身を引いてしまった。
「あ、あの、美咲ちゃん?」
「ただじゃ許さない。くっくっ……私の裏切ったことを、子々孫々まで後悔させてやる!」
「美咲ちゃんー!? 戻ってきてっ!!」
私が美咲ちゃんの肩をガクガクと揺らすと、綺麗な顔が歪んでいたのが、はっと我に返ったように、また泣き顔に戻り。
私にしがみついて、またオイオイと泣き声を上げ始めた。
「うぇぇーん! だって、だって悔しいぃー!!」
「待って、何で浮気したって分かったの? もしかしたら誤解かも知れないじゃない」
「そんなこと無いもん! 私の友達が、たっくんが女といるところ見たって言ってたもん!! 絶対浮気だもん!」
うーむ、女の子と一緒にいるところかあ。場所にもよるけど、確かにそれを友達から聞かされたら面白くないだろう。
だけど、これは事実関係を確認した方が良さそうね。
と、さっき怒ったことは棚の奥深くに置いておいて、大人な私は冷静にそう分析し、美咲ちゃんの髪をそっと撫でた。
「ねえ、美咲ちゃん。たっくんに、電話してみよう? 確認してみないと分からないわ」
「浮気だもん!! 絶対浮気!」
「女友達かもしれないじゃない」
「たっくん、女友達なんていないもん!! ヘタレだから、私以外の女の子とちゃんとまともに喋れないんだもん!!」
うっ、あんなに軽そうだったたっくんの意外な素顔。
そうなんだ、女の子とまともに喋れないのか。そこだけ、何だか直人さんみたい。うふ。可愛い。
思わず頬が緩んだ私に、美咲ちゃんの一言。
「だったらまどかちゃん、兄貴が女と一緒にいたら、もしかしたら浮気かもって疑わない!?」
ぐさっと来た一言だった。
けど、大人よ、私は。うん、大人。
職場関係の人かもしれないじゃない。提携会社の人かもしれないじゃない。
うん、だから浮気じゃないって、まずは信じるわ。直人さんを私は信じる。
「もし、本当に兄貴が浮気してたら、まどかちゃんはどうすんの!」
大人の私は、この美咲ちゃんの一言であっさりと崩壊してしまった。
もし?
直人さんが浮気したら? それが本当だとしたら?
「……ちょん切る」
「でしょー!? うわぁぁあーん、ぶった切って、ブタに食わせてやるぅ!」
美咲ちゃんの怒りが更にヒートアップしてしまい、私もそこで現実世界に戻ってきて……危なかったわ。妄想で、直人さんのアレをちょん切るところだった。
額にうっすら浮かんだ汗を拭い、私は美咲ちゃんに手を伸ばした。私の手のひらを、首を傾げて見る美咲ちゃんに、
「スマホ。たっくんの番号に掛けて、私に貸して?」
私が真偽のほどを確かめてやるわ。そしてその浮気が事実ならば、この私が……近い未来、美咲ちゃんの義姉となる私が、たっくんに制裁を加えてみせよう。
静かに鼻息荒くする私に、美咲ちゃんは自身のスマホを操作し、私の手のひらにそれを乗せた。
すぐに耳に当てると、短い呼び出し音のすぐ後、聞き覚えのある声がした。
『美咲!? 美咲か! 何でお前、メール返信しないし電話にも出ないんだよっ!』
焦ったようなたっくん。私がそれに答える前に、彼は続けた。
『お前のツレに聞いた。俺が浮気したって思ってんだって!? バカじゃねーの、女とまともに喋れないオレが、浮気なんて出来る訳ねーっつの! てか、疑ってんじゃねーよ!』
あらま、言い訳に入ったわ。
女の子と二人でいるところを見られた事実はどうするのかしら。
何となく面白くなった私は、無言のまま受話器部分を耳に押し当てた。
たっくんは、美咲ちゃんが怒りで無言になっていると勘違いしているらしい。更に焦ったような声を上げる。
『何だよ、まだ疑ってんのかよ。くそっ、当日まで内緒にしようと思ってたのに……来週、お前、何の日か覚えてるか?』
突然柔らかくなった声。私が訝しげに眉を寄せると、その様子を見ていた美咲ちゃんも顔を近づけて眉を寄せる。だけど、彼女には聞こえない、たっくんの声。
優しい、美咲ちゃんを想う声。
『来週火曜日、オレ達付き合い始めて一年じゃん。プレゼント、何がいいか分かんねーし、お前に聞くわけにいかないしさ。そんで恥を忍んで友達の彼女に選んで貰ってたんだよ。それを何だよ。ったくよー』
何よ……何よたっくん、いいヤツじゃないの!!
思わず私は感動して、胸がドキドキしてしまい。
中学生の恋愛に、こんなにきゅーんとなるなんて、思いもしなかった。
どうしよ、頬が赤くなってきちゃうわ。何か興奮して、開いた小鼻が戻らない。
妙な顔になった私を不思議そうに見る美咲ちゃん。
あなた、とっても愛されてる。恋愛ごっこじゃなく、ちゃんと恋愛してる。だって、好きだから、たっくんを疑っちゃったのよね? 不安になっちゃうのよね?
その気持ち、とてもよく分かる。うん、痛いほど、よく分かる。
『あのさ、美咲。オレ、お前しか……』
おっと、その先の言葉は美咲ちゃんに直接言わなくちゃ。
私は慌ててスマホを握りなおし、「ちょっと待って!!」と言って、その端末を美咲ちゃんに押し付けた。
不機嫌そうな美咲ちゃんは、それを耳にあて、
「はい……え、何よ、今、あんたが喋ってた相手、まどかちゃんだよ。私は一つも聞いてない」
低い声のまま美咲ちゃんが言うと、『まどかちゃんー!? うそ、マジでー!? うわーっ!!』というたっくんの悲鳴が聞こえてきた。
きっともう、大丈夫だね。
私はくすくすと笑って立ち上がり、夕食の準備をすべく台所へ立った。
それから美咲ちゃんの声は、段々機嫌のいいものになり、
「うるせ、ばーか、猿」
って悪口を言いながらも、とても嬉しそう。
やがて私が買ってきたお惣菜ばかりの夕飯をテーブルに並べ終わると、美咲ちゃんもスマホを切った。
その瞳にはもう、涙は無い。少し紅潮した頬が緩んでいて、涙が消えた瞳はキラキラ輝いていた。
……恋する女の子は、皆美しい。私の持論は、正しかった。
とても綺麗な美咲ちゃんは、凄く幸せそうに私を見上げて微笑んだ。
「まどかちゃん、ありがと!!」
「私は、何もしていないわ。でも、良かったわね。ちょん切らずに済んで」
そう言うと、美咲ちゃんは可笑しそうに笑った。
それから二人で楽しく夕食を食べて、賑やかにお喋りをした。
お喋りをしながら、時折見せる直人さんとそっくりな反応、表情。
それにドキドキしてた。
手紙、読み返したい。
その衝動に駆られる。
だけどそれをぐっと我慢して、私は歯磨きを終えた美咲ちゃんを招いてベッドに入った。
直人さんと寝るよりも、少し狭く感じる。相手女の子なのに。
そこで思い至った。
そっか。直人さんは、私をいつも抱きしめてくれたから。二人の間に、距離が無かったからだ。
私はいつもの直人さんが寝る側に寄り、美咲ちゃんの首の下に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
びっくりしたような美咲ちゃんだったけど、すぐに私の胸に顔を摺り寄せてくる。
……可愛い。
柔らかい美咲ちゃんを満喫していると、何だか男の人の気持ちが少し分かる気がする。
不思議な感覚でいると、胸元から小さな声がした。
「……まどかちゃん?」
「ん?」
「あのね……早く、お姉ちゃんになってね」
その言葉の意味が最初分からずにいたけれど、でも。暗闇でも僅かに分かるほど、美咲ちゃんは耳を真っ赤にしていた。
照れ屋さんなとこも、そっくりね。
思わずくすりと笑った私は、更に美咲ちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「もう、美咲ちゃんは私の妹よ。可愛いたった一人の妹」
そう囁くと、嬉しそうにくすくす笑っていた声が、やがて定期的な寝息になる。
ねえ、直人さん。
私、凄く今、幸せよ。
家族が増えるって、愛する人が増えていくってことなのね。
それを早く報告したいわ。
私の可愛い妹と、お喋りした楽しい話を聞いて欲しいの。
あなたはどんな顔で聞いてくれるかな?
きっと、嬉しそうに目を細めて聞いてくれるわね。目に、浮かぶ。
それを実感できるまで、あと少し。
直人さんの第一回目の帰国が、来週に迫ってる。
今からもう、待ち遠しい。




