第2話 銭と恋と、手作りチケット
「……で、昨日はどこまで話したっけ」
満面の笑みの私を、うんざりとした顔で里佳が見ている。その里佳の隣にいる真菜は、カレーを無言で食べ続け、私の話を鼻っから聞いている様子がない。
全く失礼ね。人の話はちゃんと聞かないとダメなのよ。
私はターゲットを里佳に絞り、身体をずいと前に寄せた。
「ねえ、どこまでだっけ。二人の出会ったところの思いは、全て話したっけ」
「……それはもう、とっくに聞いてる。不破さんが、あんたに一目惚れしてたってとこでしょ」
「あーっ、そうそう。もう、やあねえ直人さんったら。私、全然気付かなかったのよ。直人さんが私のことを好きになってくれていたなんて。もっと前向きにアタックしてくれれば良かったのに。うふ」
「『うふ』じゃない!! そんな気色悪いノロケ話ばっかり聞かされる身にもなってみろ!! 同じ場所、三日連続よ!? もういい加減にしなさい!」
里佳がクワッと目を見開いたので、私は引き攣り笑顔で身を戻した。
直人さんがアメリカに行ってしまってから、二週間が過ぎていた。
今は、お昼休憩中。
この身も心も休める大事な時間に、私は毎日里佳と真菜に、直人さんからもらった手紙の素晴らしい文面の数々を教えてあげていた。
だって独り占めしたいけど、でも言いたい。
だから、こんなこと書いてくれたのよって、嬉しくて、あまりにも嬉しくて、里佳と真菜に聞いてもらっていた。
直人さんが知ったら怒られちゃうかな。でも、手紙をそのまま見せている訳じゃないから大丈夫かな。
というか、何回、何十回、いや。何百回も十二枚にも渡る直人さんからの手紙を読み返したので、私はもうほとんど、その文面全てを暗記してしまっていた。
同じところばかりを聞かされて、里佳がご立腹だというのに、懲りない私はまたぽわーんと宙を見上げた。
本当に素晴らしい贈り物を頂いてしまった。
私と出会って、片思いをしていた当時の直人さんの気持ちとか。お付き合い始めた時の緊張感とか。
あとは、愛ある私へのお説教だったりとか。私が小食で心配だとか、偏ったものを食べないでとか……何か食べ物ネタが多かったような気がするけど。
でも、それも全部私を心配して、私を想って書いてくれたってことで。
全てが、嬉しすぎ。
「…………ぐふっ」
「妄想してる。妄想に入ってる。もう誰もバカまどかを止められないわよ」
お水を飲んだ真菜が、醒めた目で私を見ながら言うと、里佳が深い溜息をついて、額に手を当てた。
「色ボケ女が、不破さんがいなくなって少しはマシになると思っていたのに。更にヒートアップしてるじゃないよ。全く不破さん、何て物を置き土産にしていったんだか」
「でもさー、あの不破さんが、そんな熱い思いを書き綴っていたなんてねー。凄い意外。凄いキモい」
真菜がケロッとした顔で言った一言が、私を現実から引き戻した。
「キモいって言うな!! 何よっ、真菜も恋をすれば私の気持ちが少しでも理解出来るようになるんだから! 恋はいいわよ、恋をしなさいよ、恋せよ乙女よ!!」
「コイコイうるさい。花札でもやってろ。ていうか、私は恋だの愛だの信じないの。お生憎様」
へっ……。
真菜の冷め切った口調に、私は力説していたのを忘れて絶句してしまった。
男っ気、無いなあとは思っていた。
おしゃれにもあんまり興味ないんだろうなあとも思っていた。
身だしなみはきちんとしている真菜だけど、でも、何となくそう思っていた。
だけど、直接その話題に触れたことのない真菜から出た言葉は、私を確実に驚かせた。
「え……真菜、男の人、嫌いなの……?」
「好きとか嫌いっていう問題じゃないの。興味がないの」
えええ!? 男の人に興味が無い! それじゃもしや、もしかして、百合?
私がどんな表情を浮かべたかは自分では分からないけど、でも真菜が明らかに私をバカにしたような表情を浮かべたから、それは違ったようだ。
「まどか、あんたこの世の中には愛と恋しか無いと思ってるんじゃないの?」
「え、でも、だって、男と女が出会えば、おのずとそういう感情が芽生えるのが普通で……」
言いかけた私を止めた真菜は、さっきの私のように、ずいと身体を前に寄せた。そして言った言葉は。
「世の中、銭よ」
「……はあ?」
「私がこの世界で信じているものは、金よ。お金は裏切らないもの。でも、人間は裏切る。特に男は信用なんない。だから、最初から興味を持てないの」
淡々と言った真菜の言葉に、私は口をぽかーんと空けてしまった。
初めて聞いたかもしれない。真菜の心の底。
仕事に厳しく、私にも厳しく、残業するのを嫌がる真菜は、人が裏切るものだと思っている。
人間って、そういうもんだって思ってる。
でも、違う。絶対違う。
確かに裏切ったり裏切られたりってあると思うけど。
人は一人で生きていけない。
だから、寄り添って助け合って生きるパートナーが必要だと私は思う。
それが異性でも、同性でも。そういう人が、必要だと私は思ってる。
「真菜、けど、でも、私は……」
言いかけた私を、里佳が目線だけで止めた。彼女を見ると、軽く首を左右に振る。
何も言うなってこと? どうして……。
戸惑った私の前に、立ち上がった真菜がいた。彼女は空になったカレー皿を手にして、
「先に戻るわね」
と言って歩き出そうとしたから、それを思わず止めてしまった。
「真菜!」
訝しげに振り返る彼女に、里佳は何も言うなって合図を送るけど、でも……
「真菜、私のことも、信用出来ない……?」
震える声でそう言うと、真菜は僅かに驚いたような表情を浮かべ、それから意地悪っぽい笑みを浮かべた。
「あんたみたいな、思ったことをすぐ口や顔に出すおバカさんが裏切るような世界なら、世の中全て犯罪者だらけになってるわよ」
遠まわしな真菜の言葉がすぐに理解出来なくて、ぼーっと真菜の後姿を見送っていたんだけど。
分かったのは、どうやら私は人を裏切ることも出来ない、おバカさんならしい。
思わず苦笑を浮かべてコーヒーを口に運んでいると、里佳がじっと私を見つめて真っ赤なルージュの唇を開いた。
「……真菜はね。学生時代に男に騙されたみたいなの」
「えっ……」
突然の言葉に、私は思わず目を見開いた。
「私も又聞きでしかないんだけど、真菜が大学時代に付き合っていた男が、酷いやつだったみたいでね。真菜に貢ぐだけ貢がせて、その後真菜の当時の親友とデキちゃったらしいわ。真菜にしたら、親友と彼氏、ダブルで裏切られたことになるわね」
「……」
「真菜が男を見る目が無かったといえば、それまでだけど。でも、これ以上は私たちが踏み込んでいい領域じゃない。分かるわね、いくらバカなあんたでも」
「……バカって言う方がバカなのよ」
やっとのことで反論すると、里佳は唇の端を上げて笑い、自身のトレーを持って立ち上がった。そして片手で、私の肩をぽんと叩く。
「まあ、真菜の前ではノロケまくるのもいいかもね。ショック療法ってやつ?」
「……私の話で、恋っていいなって思ってくれるかしら」
「どうかしらね。逆に幻滅するかも」
里佳はそんな酷いことを口にして、そして急に真剣な表情を浮かべた。
「まどか」
「……なに?」
「あんたは、そのままでいなさいね」
謎めいた言葉を言った里佳は、そのまま私から手を離し、テーブルから離れていった。
一人になった私は、空っぽになったコーヒーカップを見つめていた。
人を好きになるって、素敵なことだと思う。
もちろん考え方の違いや、言葉一つで傷つくこともある。
だけどそれを乗り越えて作り上げた絆は、お金で買えるものではないし、何よりの宝になると思う。
生きていく力になると思う。
私の考えって、甘いのかな……。
そんな辛い思いをした真菜に、お説教なんて出来る訳が無い私は、それでも真菜に私の気持ちを分かってもらいたくて。
仕事が終わった後、真菜に一枚の紙を渡した。
訝しげにそれを受け取った真菜は、更に眉を潜める。
「何、これ?」
真菜に渡したのは、手書きのチケット。
『まどか ご利用フリーパス』
本当は、『アフロディーテご利用フリーパス』って書こうかと思っていたんだけど、自分で自分のことをアフロディーテなんて書くのは恥ずかしいから、こうなった。
それに、名前で書いた方が、真菜に気持ちが伝わるような気がした。
「あのね、真菜がほら、気分転換にメイクしてもらいたいなって思ったり、私に何か頼みごとがあったりした時。いつでもどこでも、私を呼び出してくれて構わないから。そのための、フリーパス」
しどろもどろにそう言うと、真菜はしばらくチケットを眺めていたと思ったら、プッと噴出して、私を見上げた。
その時の彼女の眼差しは、昼に見せた冷たさは無かった。
「そう、それじゃ早速使わせてもらう」
え、さ、早速!?
ドキドキした私に、真菜は机の上にある山のような書類を指差した。
「まどか、これ今日中に処理しといて」
「へぇっ!?」
こ、これを今日中に!?
徹夜でも無理!! 二日貫徹でも無理!!
目を見開いた私を見て、真菜はげらげらと笑い出した。
「バカだねー、嘘よ。ありがとう。これ、大事に使わせてもらう」
真菜は笑いながら、私のショボいお手製チケットを折りたたみ、ポケットに仕舞った。
……伝わったかな。
愛も恋も、真菜には必要ないかもしれない。だけど、いつか。
いつか、真菜の前に運命の人が現れたら、『裏切る』という気持ちを前提に向き合わないで貰いたい。少しは信じてもいいかな、と思って貰いたい。
そういう人が現れるといいな。
定時で仕事を終えることが出来、私は少し急いで帰宅した。
金曜日のこの日、私は大事な約束があった。
大慌てで帰宅すると、玄関の前に人影がある。
「ごめんね、美咲ちゃん。お待たせ!」
そう声を掛けると、直人さんの妹、美咲ちゃんが私に気付いて駆け寄ってきた。
今日は、美咲ちゃんがうちに泊まりたいと前から約束していたのだった。
「まどかちゃん、お疲れ様」
黒い長い髪の美少女、美咲ちゃんは、にっこりと笑って私を見上げた。
中学生の美咲ちゃんは、私が見てもドキドキしちゃうほど綺麗な顔立ちをしている。そして眼差しは、直人さんにそっくり。
何だか直人さんと見詰め合っているような錯覚を覚えてきた危ない私の前で、美咲ちゃんはにこにこしていた笑顔をぴたりと止め、そして段々表情を崩し。
私の胸に抱きついてきた。
「うわぁーん、別れる、別れてやるぅー!! 酷いよ、許せないぃー!!」
突然号泣した美咲ちゃんに、私は驚きすぎて、動きを止めたまま。
アパートの前で、硬直してしまった。




