第4話 婚約報告は、嵐の合図
私の予感は、全て当たっていた。
多分直人さんは、主役なのに残業で壮行会開始時刻よりも遅れてくるだろう。
多分席順は、幹事の里佳と石橋さんによって勝手に決められているだろう。そして私が恐らくど真ん中にどーんと据え置かれるのだろう。
多分里佳が私をこの場に呼んだのは、参加率を上げるためで、石橋さんが私を呼んだのは、普通に一緒に飲みたいだけなんだろう。
全て、当たってた。
直人さん以外の企画室オールメンバーが揃うこの大きな和室に、一列に長テーブルが置かれ。
私は右から数えても左から数えてもど真ん中という、部外者のくせに晴れがましい席に座らされた。
「不破さん、開発部長に呼ばれちゃってたから。先に始めててって言ってたけど、主役不在で始めちゃってもいいのかな?」
そう女性社員が私に聞いてくれるけど、ぶっちゃけ私に聞かれても困る。
もう私は、企画室から離れてしまっているのに。仕事では関わっているけれど、ここのメンバーではないのに。
……嬉しい。
こうして招いてくれた気持ちも、私に気を遣って聞いてくれる気持ちも。
思わず緩んだ頬で、私はさあ? とばかりに首をかしげていると、いつの間にか隣に来た里佳が、ぎょっとした顔をわざとらしく作ってた。
「何一人でニヤけてんのよ、気持ち悪いわね」
……失礼ね。ニヤけてんじゃないわよ。微笑んでるのよ。
その私の文句を込めた眼差しを黙殺し、里佳は私に質問をしてきてくれた社員に軽く手を振った。
「いいわよ、先に始めちゃいましょう。それじゃ皆、グラスを持ってー」
里佳の声に、ざわめいた人々は口を結び、お互いにお酌をして……私は両隣に座る、石橋さんと里佳にお酌して、私はとっても嬉しそうな石橋さんにお酌してもらった。
全員がグラスを持ったのを確認すると、立ち上がった里佳がグラスを掲げた。
「それでは、不破さんのアメリカ出張の成功をまずは祈願して、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
と声が続くけど……その本人、いないし。
まだ、仕事しているし。
主役なのに……ここにいないのに、祈願されてもその祈りは通用しないような気がするけど。
でも、皆の目線が私に向けられているのが、何か心地よかったりして。
私、直人さんの代理人? えへ、それってやっぱり婚約者だから?
私って直人さんの分身?
なんて調子のいいことを考えていたら、隣から「薄気味悪い」って呟かれた。
またしても、私はニヤけていたらしい。だけど、その言葉は失礼極まると思うのは私だけ?
唇を尖らせて、いよいよ里佳に文句を言おうとしたら、逆隣の石橋さんが、私の腕を引っ張った。
「なあ、まどか。お前はいつまでも、ここの面子なんだからさー。飲み会、気軽に参加しろよ。な?」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだけど、私は困ったように首を傾げた。
「ありがとう。でも、私がいつまでも出張ったら、彼女が……」
そう目を向けたのは、女子社員に囲まれた新企画室庶務担当の女性。
元総務部主任で、主任の肩書きはそのままで企画室に派遣されている彼女。尾崎係長よりも少し年上だったと記憶にある彼女は、企画室女子メンバーからの評判がすこぶる良くて、今も女子メンバーと楽しそうに話をしている。
「彼女、面白くないって思うんじゃない?」
面白くないよね。前任者が、いつまでも影をチラつかせたら。
そう思って言ったのに、石橋さんは鷹揚に手を振った。
「思わねえ、思わねえ。『鉄の女』は最強だから。まどかなんて、屁とも思ってねえよ」
『鉄の女』!? 凄くその言葉にびっくりしたんだけど、石橋さんからしたら褒め言葉だったようだ。
某国のかつての女性首相並の強さを誇る彼女は、仕事は完璧という意味らしい。
そして彼女からしたら、私は屁以下の存在でしかないらしい。
ははは、と乾いた笑いで返しておくと、周囲に座っていた男性陣が、久し振りに私に色々と声を掛けてくれる。
「どうよ山岸さん、総務部主任の肩書き。重たくね?」
「大丈夫よ、出来る仕事しか出来てないから」
「ははっ、何だよそれー! でも無理しすぎんなよ。尾崎さん、さりげなく鬼だろ?」
「あー、そんなこと言って。全然そんなことないわよ。ていうか、真菜の方が鬼よ、現実は」
「横峰さんかー、超リアリストだからな、彼女。確かに怖そうだ」
なんて下らない話をして盛り上がっていると。
背後の閉ざされていた襖が控えめな音を立てて開かれた。
その瞬間、ぷんと嗅ぎなれた香りが漂う。
そして私は、石橋さんが何かを話している最中だというのに、ばっと振り返り、蕩けるような笑みを浮かべて、里佳をうんざりとさせることに成功した。
「直人さん!! お疲れ様!」
「遅くなってすみません。あの、ええと……」
直人さんが何とかお詫びを言おうとしているのに、里佳はそれを止めて、私の隣に彼を座らせた。
よ、良かったあ、離れ離れにされないで済んだ。実はこれが心配だった。
私がど真ん中に据えられて、肝心の主役の直人さんが端っこだったら。
私は誰も止められないような、見事な暴れっぷりを披露していたに違いない。
直人さんは席をずれてくれた里佳に頭を下げ、そして私を見下ろした。その眼差しが、他の誰を見るのよりも柔らかいのに気付き、胸がドキドキうるさい。
「まどかちゃん、まだビール?」
「う、うん。直人さんが来るまではと思って……」
「そっか。待たせてごめんね。っと、ありがとうございます」
目の前の男性社員からお酌を受けた直人さんは、そう礼を言い、皆に煽られて恥ずかしそうな顔を浮かべてその場に立ち上がった。
グラスを手にしたままの直人さんは、困ったような顔で、全員の注目を受けている。
こういうの、苦手なのに。直人さん、恥ずかしがり屋さんだから、今限界点までバクバクいっているに違いないのに。
まるでわが子の旅立ちを見守る母のように、私が両手を握り締めてドキドキハラハラしていると、直人さんは真っ赤になってしまった顔を引き締めて、ぺこりと頭を下げた。
「本日は、お忙しい中、私のためにこのような席を設けていただき、誠にありがとうございます。今回の出張は、私の企画した……」
そこからもう、分かんない。訳分かんない。直人さんが何か日本語を言っているような気がするけど、専門用語が多すぎて、全然分からない。
だけど直人さんの出張の中身を、全員が真剣に聞いている。
この場で理解していないのは、きっと私ただ一人。あの新庶務担当の人までも、うんうんと頷いて聞いている。
……やっぱり場違いだな、私……。
しゅんとうな垂れていると、ふいに私の肩に手が置かれた。
びっくりして顔を上げると、直人さんが照れくさそうな顔で私を見て、また企画室メンバーに目を向けながら、
「ついでに、といっては何ですが、もう皆さんご存知だと思いますけど、報告しておきます。私、不破と山岸は、先日正式に婚約をし、私の出張終了後に結婚することになりました」
え、……。
えええええー!?
まさか、どうして、何でこんな展開に!!!
脳内大パニックの私の腕を掴み、ひょいと立ち上がらせた直人さんは、私の耳元に唇を寄せた。それでもう、頭の中身が真っ白になってしまうっていうのに!!
「まどかちゃん、一言」
嘘でしょ、やめて、本気で!?
何も言葉、用意してない!!
パニックになりすぎて、ちょっと気持ち悪くなってきちゃった私に、女性社員から盛大な拍手と冷やかしの声が。男性社員からは、笑いを込めたブーイングが発せられる。
「え、ええと、ええと…………」
直人さんに負けないくらいのド緊張っぷりを発揮しながら、私が口にしたのは。
「え、ええと、長年の片思いを成就できて、とっても幸せです…………暖かい家庭を作れるように、頑張ります。これからもどうぞよろしくお願いします」
いいのかな、こんな感じでいいのかな。
不安一杯で、思わず直人さんご越しに里佳を見下ろすと、彼女は真っ赤なルージュの唇を笑み作り、小さく一つ頷いた。
それだけで、凄くほっとした。
私が頭を下げるのと共に、直人さんも頭を下げて。
私たちは、企画室員皆の祝福を受けさせてもらった。
幸せね。
こんなにも、笑顔で私たちのことを祝ってくれているわ。
直人さん、いつの間にこんなことを発表する計画を立てていたの? ずるいわ、私に内緒なんて。
だけど、ちゃんと言えて良かった。
腰を下ろし、無礼講になった居酒屋の宴会室で、ほっとしていた私に悲劇が舞い降りる。
それは直人さんが遅れながらもこの場に到着して、三十分ほど経った後だった。
私は男性陣から、直人さんとの馴れ初めっていうか、どうしてヤツに惚れたんだ、惚れる要素がどこにあるんだと失礼極まる質問を受け、それにカチンと来て、直人さんの素晴らしさを講演会のごとく語っていた矢先だった。
私の右側、石橋さんが身を乗り出して、私を覗き込んで突然言った。
「俺はなー、入社当初からまどかに惚れてんだ! 何で不破ごときにかっ攫われなきゃなんねーんだ!」
……酔ってる。早くも、酔ってる。
酔っ払いは、適当にあしらうのが一番なのに。
その言葉に、私の左隣にいた直人さんが、敏感に反応した。
「…………なに?」
低い声。今まで聞いたこともないくらい、身震いするほどの低い声。
怖い!! 直人さんが、あの直人さんが激怒している!!
しかも、本気で半端ない。振り返れないんだもの。直人さんのオーラ強すぎ。怒りがひしひしと私に直撃し、眩暈がして倒れそうなのを引き起こすほどの強さ。
この場から逃げたい。超逃げたい!
私はバチバチと火花を散らす二人の間に挟まれて、半泣き状態だった。




