第3話 さらば、イチャイチャ計画
もうすぐ直人さんがアメリカに出張に行ってしまう。
その詰めがあるらしく、現在彼は超忙しそうで、毎日会議を繰り返し、更には残業三昧。帰って来るのが日付が変わりかけたころ、なんて当たり前になりつつあった。
二週間くらい前までは、直人さんも疲れたような顔を浮かべたりなんて絶対しなかったのに、最近は帰宅すると、無言でソファにボーッとしていたりして、相当疲れているんだなっていうのが分かる。
そういう時、私はどう声を掛けていいのか分からなくて、とにかくお風呂を追い炊きにして、
「もうすぐ、お風呂沸くから。そしたら入ってきて? その間に、ご飯温めておくね」
そう言うと、直人さんは力ない笑みを私に向けてくれる。
「うん、ありがとう」
「あの、あの……無理するなっていうのは無理かもしれないけど、休める時間は休んでね」
こんなことくらいしか言えないの、情けない。
私が俯きながら直人さんの隣に腰掛けると、大きな手がぽんぽんと私の頭を撫でた。
驚いて顔を上げると、確かに疲れてはいるけれど、柔らかな笑みを浮かべていた。
「ありがとな、まどかちゃん」
「え?」
「俺、今一人じゃなくて良かった。まどかちゃんがいてくれて、良かった」
その言葉の意味がよく分からずにいたんだけど、直人さんはにこりと笑みを浮かべたままお風呂に入り、パジャマ姿になって私の作ったあまり美味しくない夕飯を、それは嬉しそうに食べていた。
私、直人さんの役に立っているのかな。
何にもしていないのに。
もう少し仕事スキルがあったら、少しでも直人さんのお手伝いが出来るのにな。
そう思うけど、でもあまり深く考えるのはやめた。そうすると、良い事がないような気がする。
直人さんが、『良かった』と言ってくれるんだから、多少は直人さんを癒せてるのかな。憧れの『癒し系彼女』に片足くらいは突っ込んでいるのかな。
そうだといいなと思っていた矢先のことだった。
総務部のいつもの机で、私が仕事の割り振りチェックをしていると、「まどか」と上から声を掛けられた。
目線を上げると、そこに全開の笑みを浮かべる石橋さんが立っていて、軽く手を上げていた。
「よう、頑張ってっか」
いつものように、お気楽なその口調に、私は思わず笑ってしまった。
「頑張ってますよ。石橋さんは? 庶務の人と上手くやってる?」
そう尋ねると、石橋さんは途端に眉を寄せ、声を潜めた。
「上手くやってるっつーか、毎日怒鳴られてる」
「ええー?」
私の後任の『メデューサ』こと芹沢さんが退社してしまってから、企画室の庶務は、当時尾崎さんと同じ総務部主任だった、少し年配の女性になった。
会社側は、芹沢さんが辞めた理由を知る由もないけれど、人の口に戸は立てられない。
何となく事情を知った人事部が、苦肉の策で年配のしっかりした女性をその後釜に据えたのだった。
私や芹沢さんのように、若い女性に慣れていた企画室の男性陣は、ベテランの新庶務担当にビシビシとやられているらしい。
彼女に物を頼むにもビクビクで。結果今まで簡単に庶務に頼んでいたことも、自分で時間の許す限り処理しているということだった。
今までとあまり変わらないのは、直人さんと企画室女子チーム。ていうか、女子たちは返って男性陣に媚びを売らず、しっかりと自分の仕事をわきまえるこの新庶務担当を大歓迎しているらしい。
直人さんは……どっちでもいいんだろうな。全然彼から、この手の話を聞かないもの。
大体の事情を知っている私は、一応そう反応したものの、ははは、と笑っておいた。
石橋さんも苦い顔を浮かべていたのは短い間だけで、それは置いといて、と前置きをして。
「あのさ、来週の金曜日、予定空けておいてくれな」
「え、来週の金曜? でも、その日は……」
「絶対この日がいいんだ。むしろこの日じゃないとダメなんだよ。不破の、壮行会」
壮行会……えええ!?
直人さんのお見送りをやってくれるの? しかも、この石橋さんが?
直人さんのこと、大嫌いみたいなのに。
ペラペラとよく喋る石橋さん。職場では、必要ではないことはほとんど口にしない直人さん。
愛想の塊のような石橋さん。いつも気難しそうな顔をしている直人さん。
……入社当初から、私にラブ光線を送りまくってくれた、石橋さん。
照れて、そんなことが出来るはずもない直人さん。
全くもって、正反対の二人だから、相容れることはないのかもしれない。もっとも、直人さんの方はどう思っているのか……人の悪口を口にしないから、石橋さんのことを聞いたことがない。
ということは、逆に考えれば話題にしないと言うことで。直人さんも石橋さんを嫌っているのかしら……。でも、サーバーダウン事件のときには、ちゃんと石橋さんのフォローをしてあげたしな。
直人さんのことだから、仕事は仕事、私事は私事ときっちりと分けているのかも。私には到底出来ないことだけど……。
「で、場所とかも確保したから。まどか、来いよ、絶対来いよ」
「あ、うん、でも、不破さんは? 出張前日でしょ、ダメだって言ってなかった?」
そう、来週末、直人さんはアメリカへと旅立ってしまう。
その前日に飲み会だなんて。絶対キツいはず。
というか、断っていて! 前日は、二人きりの甘い夜を過ごしたい!!
その私の心の叫びを見抜いたかのように、石橋さんはにやりと笑った。
「不破が? ダメだなんて言わせる訳ねえだろ。お前ら、今同棲してんだろ? 出張前の甘い夜なんて、絶対過ごさせるもんか。俺ら企画室全員総出で邪魔してやるよ」
にやりと笑った石橋さんに、私は眩暈がする思いだった。
見抜かれている……全て見抜かれている……さらば、甘い夜…………。
「まどかと飲むのも、久し振りだしなあ。あ、気合入れた格好しなくてもいいぞ。居酒屋だから。不破ごときの壮行会で、洒落た店なんて冗談じゃねえ」
そう石橋さんは、失礼極まりないことをゲラゲラと笑いながら言い、私に何度も念を押して帰っていった。
残された私は、一人魂の抜けた状態で、ぽかーんと口を半開きにしたまま呆然としてしまった。
ただでさえ、直人さんが忙しく、スキンシップ控えめにしているのに。
眠るときに抱っこしてもらうのが、唯一の私の心の支えになっているというのに。
後は、おやすみのキスとおはようのキスくらいで我慢してるのに。
直人さんはそれで十分だよって言ってくれるけど、私が全然足りないって言ったら、それじゃ出立前日くらいは、イチャイチャしようねって約束してたのに。
それを全部ぶち壊してくれた、企画室の面々……許すまじ。
ブチッと切れた私は、早速里佳にメールを送った。
『石橋さんから、来週金曜日のお誘いを頂きました。ありがとうございます。その日は残念ですが、私と不破は、夜八時までの参加とさせて頂きたく、ご了承ください』
八時までは妥協するわよ。だって直人さんをお見送りしてくれるんだから。だけど、その後はダメよ。直人さんを独り占めしたいの!!
……という、私の乙女心を理解してくれる里佳ではなく。
即効返ってきた返信は、
『おふざけになってはいけません。明け方まで、少なくともまどかは拘束されます。その覚悟の元、参加されたし』
ひぃーっ!! 怒りを更に買ってしまった!
後悔先に立たず。
里佳には下出に出て、協力を仰ぐべきだったか。
私はがっくりとデスクにうっつ伏した。




