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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
二人きりの思い出を

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第4話 文通の終止符、愛の再点火

カチ、カチ、カチ。


ただ、時計の音だけが響き渡っている。


いや、違う。それに伴って、私の鼻を啜る音が鳴り響いている。


きっと今、私は無様な姿を直人さんに晒しているんだろう。だけど、自分ではこの涙を止めることが出来なかった。


『浮気なんてしないよ』


そう言った直人さんの言葉を信じたい。だけど、目の前にあるのは、女性から来た手紙。


厚みからして、便箋二枚くらいはあると思う。それだけの思いがそこにあると思うと、更に私は泣けてきた。


居間に向かい合って座った私たちは、しばらく無言だったんだけど。


直人さんは、私にその封筒を押しやった。


「読んでも、いいよ」


私は鼻を啜っていたのを止め、一瞬まじまじと直人さんを見やってしまった。


本気で言っているんだろうか。


驚いた私に、直人さんははっと気付いたようで、小さく溜息をついた。それすらも、私の心に棘を残していく。


「ごめん、嫌だよな、ごめん……」


「……この人、誰。いつから手紙のやり取りしているの」


私の質問に、直人さんはびくりと身体を震わせ、視線を一瞬彷徨わせていたものの、覚悟を決めたのか私に視点を合わせた。


「……高校、大学時代に付き合ってた」


ああ……やっぱり。


元彼女、決定。


女の勘は鋭いっていうけど、本当にそれって事実なのね。全然嬉しくないけど……。


「やり取りっていうか……その、別れてからすぐに、手紙が来て、俺が返事をしてっていうのを、半年に一度くらいの間隔でずっと……」


ぐいと涙を拭き、彼を真っ直ぐに見つめた私から目を逸らした。


直人さんの表情が、見たこと無いものになっている。後悔……そうね、その言葉が一番合うかしら。凄く後悔している顔をしている。


私は、一体どんな表情なんだろう。鏡ですぐにでも見たい気分だわ。


だけど今、心に思うのは。


その女、未練タラタラじゃないの!! 何よ、別れたんだったらすっぱり忘れて、別の男とやり取りしなさいよ!


直人さんも直人さんよ、生真面目にもほどがあるわ。どうして別れたのに、その女からの手紙に付き合ってやっているの。返事なんて、時と場合によっては出さないほうがいいこともあるのよ!


そう、私は初めて直人さんに怒りを覚えていた。


直人さんのその行動は、優しさからだろう。だけど、違う。彼女が前に進むのを妨害したことになるかもしれない。


そんなことも分からないなんて……! そして私というものがいながら、他の女に手紙を書くだなんて。


半年に一度!? それじゃ私と付き合っている間にも、手紙を出したことがあるということじゃない。


私には、一度も手紙なんてくれたことないくせに!!


悲しみがいつか怒りに変わり、私はふーっ、と自分を落ち着かせるために息を吐いた。


その音を聞き、直人さんはビクーン! と勢いよく反応し、そして恐る恐る顔を上げた。私はにっこりと今出来る限りの笑みを浮かべた。直人さんが顔を引き攣らせたので、少しばかり怖い笑みになっていたのかも。


「ねえ、直人さん?」


「はっ、はい……」


「それって、世間では、文通っていうのよ」


「ぶっ、文通!? 待ってまどかちゃん、俺はそんなつもりは全く……」


「文通、っていうのよ」


もう一度ゆっくりと繰り返すと、直人さんは顔を真っ青にさせ、テーブルに載せられている手紙を見つめた。


それがそんな響きのものだとは、微塵も思わなかったのだろう。


しばらく封筒を見つめていた直人さんは、その手紙を手に取り、突然私の前でびりびりと破き始めた。開封も、しないまま。


私がぽかんとそれを眺めていると、直人さんは背後のサイドテーブルにあった来客用の灰皿を取り出し、その横にあったライターを手にした。


そして、灰皿の中に元手紙だったものを入れて、躊躇うことなく火を着けた。


勢いよくそれが一瞬燃え上がり、そして燻って灰になるのを、呆然としている私と一緒に見守った直人さんは、突然スマホを取り出した。


ピッピと操作しているかと思ったら、それを耳に当てて。


「あ、美咲? うん、今日、手紙持ってきてくれてありがとう。それで、悪いんだけど頼みがあるんだ。俺の部屋に入って? 入った? そしたら、パソコンの横にレターケースがあるだろ。それを開いて」


何を、何を突然……直人さんがてきぱきと動き始めたのを、私は今度はおどおどと見つめるばかりだった。


「うん、分かった? その中にね、『小西真理奈』っていう差出人の手紙がいくつかあると思うんだ。それを全て、処分して」


『えー!? 私が!?』


盛大な声で、美咲ちゃんが叫んだのが聞こえてきた。だけど直人さんは表情を変えることなく、無表情のままで「そう。悪いけど頼むな」って言って、通話を切ってしまった。


こ、これで一連の行動は終わりかなと思っていたけど、甘かった。


さっきキレてしまった私だけど、直人さんがここまで速攻動くとは思いもせず。完全に私が甘かったことに気付いた。


「あ、あの、直人さん? その、私、そこまで別に怒っては……」


「うん、ごめん。もう少しだけ、待っていて」


そう言うなり、鞄から手帳を取り出し、それを見ながら再びスマホを操作する直人さん。


もう私は、黙って直人さんを見守ることしか出来ない。


彼はスマホを耳に当てて、再び声を上げた。それはもう、私が震え上がるほど、事務的な声だった。


「こんばんは、小西さん。ええ、不破です。お手紙ありがとうございます。……ええ、申し訳ありませんが、中は拝見していません。……大変申し訳ありません。実はこのたび、結婚することになりまして。ですので、今後一切お手紙、お電話等お控え下さい。……ええ、そういう意味です。今まで大変ご無礼を致しました。どうもありがとうございました。では」


直人さんはそう言って通話を切り……きっと、直人さんの一方的な言い方に、相手の女性は今頃ぽかーんとしているに違いない。そしてその後、ショックのあまり泣いているのかも。


でも今回はさすがに、私も相手の女性を同情する気持ちにはなれなかった。というか、突然の行動に出た直人さんに、正直ビビッてた。


スマホをテーブルに置いた直人さんは、手帳の電話番号が書いてあるらしいその箇所を破り、灰皿にぽいと入れてしまった。そして再び、火をつけた。


「あの、ええと、な、直人さん……?」


おどおどと声を掛けると、険しい顔でその灰皿を見ていた直人さんは、顔を上げ、深々と私に頭を下げた。


「本当にごめん。彼女にもう、そういう気持ちなんて全然無かったんだ。だけど、……こんなことをしていたのを知ったら、まどかちゃんは嫌だし辛いよね……。俺の事、嫌いになっちゃった……?」


ああ、言い訳ばっかりだ、と呟いた直人さんが、何だかとても愛おしく思えたのは、私が相当色ボケしているからなのかしら。


私は立ち上がり、ビクッとした直人さんの隣に腰を落として。そして直人さんの両手を掴んだ。


さっきまで辛かった思いが、今はすっかりと消えている。


彼女を抱いた手。


だけどこの手は、今は私のもの。そう、確信出来たから。


私は直人さんを見上げ、にこりと微笑んだ。


「直人さん、ぎゅってして?」


「え……?」


戸惑う直人さんの胸に身体を寄せると、大きな手がおずおずと私の背中に回った。


躊躇いがちのそれが、やがて力強くなり。


息をするのも苦しいくらい、私を強く抱きしめた。


「ごめん、ごめんな。泣かせてごめん。不安にさせて、ごめん……!」


「もう、いいの。私こそ、ごめんなさい。手紙、大切なことが書いてあったのかもしれないのに」


一時の感情で、永遠に中身を知ることを出来なくさせてしまった。


私ってどうしてこう、子供なのかしら。


悲しかった気持ちが怒りに変わった後に、後悔が私を襲ってくる。


その手紙、何て書いてあったの?


そう尋ねれば、直人さんはきっと私に見せてくれただろう。そんな大人な対応も出来ないなんて、私って本当にダメ女。


胸の中で何度も溜息をついていると、私の首筋をそっと撫でた直人さんは、私の頬に彼の頬を摺り寄せた。


「いいんだ。気にしないでいい。俺にとって、まどかちゃんよりも大切なことなんて無い。だから、全然気にしなくていい」




どっきゅーん。




……今日、色々心臓バクバクすることがあったけど。


その中でも、一番。最高にバクバクさせてくれた。




どうしよう。私、嬉しくてまた泣きそう。


だけど泣いちゃうと、直人さんが悲しい顔をするから。だから、私の顔を見せないように、直人さんの首筋に抱きついた。


「あのね……お夕飯、タラスパにするつもりだったの」


「……そうなんだ。じゃ、俺が作るよ」


「ううん。私が作るの。不味くても、今日だけは美味しいって言ってね?」


私のワガママな言葉に、直人さんはくすりと笑って頷き、「でも絶対美味しいよ」って言いながら。


顔の角度を微妙に変えて、私の唇の端に掠めるようなキスをして、そしてふわりと私の唇を彼で覆った。



これって喧嘩だったのかしら? だとしたら、初喧嘩ね。


そしてちゃんと、一件落着。


最後は甘い甘いキスで締めて。




きっとこれも、数年後に思い返せば、二人きりの秘密の思い出ね。



私は直人さんにしがみ付き、蕩けるようなキスに応えながら、心の中で呟いた。

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