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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
恋と好きの意味

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第1話 バラ色の朝、灰色のオフィス

まるで夢を見ているみたい。


いつも出社するのが嫌で嫌で仕方なかった月曜日の朝が、こんなにも楽しいなんて。


早く、直人さんに会いたい。


土曜日、一日ずっと一緒にいて、ますます彼に惹かれてしまった。照れ屋な彼はあまり話をしてくれなかったけど……何だか私が一人で喋っていたような気がするけど。


でも、ちゃんと最初から最後まで、時折あの微笑を浮かべながらちゃんと私の話を聞いてくれていた。


そして私を呼ぶときに、それはもう恥ずかしそうに、「まどかちゃん」って。そう呼んだ。


今思い出しても、何だか嬉しくて、興奮してくる。


「ふ……ふふ…………」


長い間、ずっと片思いだったんだもの。少しくらい、幸せ気分を満喫してもいいよね?


しかも、直人さんも、ずっと私のことが好きだったなんて……


「ふふ…………」


他人が見たら、不気味に思えるだろう笑みを浮かべて、私は元気にオフィスに入っていった。


混雑しているエレベーターの入り口付近に立っていると、背中をチョンチョンと突かれた。振り返りたくても、振り返れない。


私が困っていると、私の耳元で囁かれた。


「アフロディーテに、メイクの依頼をしたいのですが……」


依頼!? こんなところで!?


びっくりしたけど、でも周りの人たちはイヤホンを耳につけているから、私たちの会話が聞こえていないみたいだ。


でも……。


「あの、メールでも全然構わないので。その方が、あなたもいいでしょうから……」


そうおずおずと聞いてみると、背後の彼女はくくっと喉の奥で笑い、


「相手は、不破直人さんなんですが」


えええ!! 直人さん!? そんなまさか!


嫌だ。絶対嫌!


「それはダメッ!!」


思わず大声を上げてしまったら、エレベーターの人たちが一斉に私を見た。そして驚いたように身体を引いたので、私はその隙間に沿って慌てて背後を振り返る。


するとそこには、悪戯っぽい顔をした里佳がいた。


「おはよう、恋に墜ちたアフロディーテ」


…………全くもう。


一気に疲れきってしまった私と、可笑しそうに笑う里佳は5階で降りた。そして更衣室に向かいながら里佳は私を覗き込む。


「まさかねえー、誰に告白されても墜ちなかったまどかに好きな人がいたなんてねえ。それが更にまさか、その相手があのジミーくんだなんてねえ」


何よ、ジミーくんだなんて失礼な。直人さんは、そりゃあちょっとは地味かも知れない。


いつも控えめな色合いのスーツだし、カラーシャツなんて絶対着ない。


長めの髪は、顔を暗く覆っているし、黒縁の分厚い眼鏡を掛けてる。


人間関係をわざと避けているような風に見えるから、無口で地味な男性として見られても仕方ないかもしれない。だけど、私は知ってるもの。


直人さんは、極度の恥ずかしがりで照れ屋さんなだけ。それに、あの重たい前髪と瓶底眼鏡の奥には、切れ長で綺麗な目が隠されているんだもの。まるで、彼の心を映しているかのような、それはそれは綺麗な瞳で……。


でも、それはあの飲み会の席で、皆にバレてしまったようだ。まあ、私のせいなんだけど。


「驚いたわあ、不破さん、髪上げて眼鏡外したら、結構いい男じゃない。さすがまどか、見る目があるわ」


「……見た目で直人さんを好きになったわけじゃないわ」


里佳の言い方に、ちょっとムッとしながら応えると、彼女は全くそれに気付かなかったようで、ニヤニヤ笑いながら更衣室の扉を開いた。


「あの後、まどかは不破さんに抱きついて離れないし、不破さんは硬直して動かないし、営業部の男連中は静まり返るし、石橋さんは暴れるし。大変だったのよ?」


「ええ!! 私、直人さんに抱きついたの!?」


恥ずかしい! 有り得ない! 酔った勢いで唇を奪った挙句、抱きついて離れないなんて!


直人さん、そんなこと一言も言わなかったから、全然知らなかった。


それに、石橋さんが暴れたって……本当に?


「さあーて、居室はどうなってるのかしらねえ。まどか、責任もって頑張りなさいよ」


あくまでも他人事のような(まあ他人事なんだろうけど……)そんな里佳を力なく見上げ、私は小さく溜息をついた。




室長室の端っこにある郵便受けに、金曜日の定時後に配達された郵便物を手にした私は、いつものように挨拶をしながら社員達にそれを配っていった。


何か、企画室の雰囲気がいつもと違うような気がする。何ていうか……ピリピリしてる感じ。


私と直人さんのことが広まっているのかしら。そりゃそうよね、合コンで無理矢理キスしたなんて……本当に私は何て恥ずかしいことをしでかしてしまったのだろう。


直人さんにも迷惑を掛けてしまった。朝の浮かれた気分が、一気に飛んでいくような気がした。


でも、元気出さなくちゃ。それはそれ、仕事は仕事。


だってほら、もう出社していた直人さんは、早速パソコンに向かってキーボードをカチャカチャ叩いてる。この微妙な空気を一切感じないような……というか、周りをシャットダウンしているかのようなその姿。


さすが。惚れ惚れするような仕事っぷり。うん、私も見習わなくちゃ。


気を取り直した私は、にっこり笑顔を振りまいて、郵便配達の仕事を再開した。




そして最後に残ったのは、私のデスク周辺……私自身の郵便物と、直人さんとそして石橋さん。


珍しく誰かとお喋りすることもなく、パソコンの前に座っている石橋さんの表情が、何だか強張っている。それに纏う雰囲気もとても重たい。ていうか、怖い。


怒っているっていうのが、ありありと分かる様子で、企画室の異様な緊張感の原因が分かった。


良くも悪くもお祭り男の石橋さん。彼一人で、室内の雰囲気を変えてしまうなんて、ある意味凄いけど……何だか今は、いつものように挨拶をするのをためらってしまった。

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