第5話 魔法が解けた朝
段々打ち解けて話をしてくれるのが分かる。
それが、こんなに嬉しいなんて。
私は今、人生で最高潮の興奮状態と幸せな感情で包まれていた。
「凄いよね、不破さん。あのサンフランシスコからのお客様を相手に討論して、論破してたでしょ? 何を言っているのか分からなかったけど、雰囲気ビリビリしてた」
「そうか、あの時、コーヒー運んでくれてたもんな。あの客、山岸さんを見てびっくりしていたよ」
「え? 何で、私失礼なことしたかな」
「いや、『What a beautiful and refined woman!』って言ってた」
不破さんの英語、早くて聞き取れない。それに私、あまり英語って得意じゃなかったし……基本的に、あまり頭も良くない。
不破さんは、きょとんとした私にくすりと笑って…………ああああああ!! 笑ってくれた!
それだけでもう、今日はいい。大満足。
なのに彼は、その笑みを口元に湛えたまま、
「『何と美しく、洗練された女性なんだろう』って。そう言ってたよ」
そんな……全然、私なんか。美しくも、洗練されてもいないのに。
何か逆に恥ずかしくなる。
私なんて、ただ顔が人よりもちょっと派手なだけ。心は全然未熟だし、好きな相手に告白する度胸すらない。
こんなにも、好きなのに。
どうしよう、不破さん。そんな笑みを見せられたら、私の想い、もう止めることなんて出来ない。
でも……行動に移せない。たった一言告げるだけなのに。もう、情けないったらない。
何が『アフロディーテ』よ。何が恋が成就するメイクよ。
私がやってもらいたいよ。そのジンクスに、一番あやかりたいのは私だ。
「じゃ、そろそろ始めるかー、王様ゲームだー!」
突然声を張り上げた、石橋さん。この人、いつも突然で驚かされる。
だけど、まあ仕方ない。私と不破さんも、唇を閉ざして、割り箸を手にした石橋さんに目を向けた。
そして始まる王様ゲーム。全く何が楽しいんだか。
1番と6番抱き合って~とか、9番下着脱いできて~とか。くっだらない。私、こういうの大嫌い。
かろうじて、逃れた私と不破さんが、また会話を始められそうになった時。
「よっし、じゃあ俺が王様だ。…………んじゃ、15番、王様にキスして」
何それ、何その傍若無人な王様っぷり。
私が呆れて、自分の割り箸を眺めると……嘘でしょ。15番て書いてある。
そしてニヤニヤ笑う、酔っ払い王様は、石橋さん。
間違いなく、私がこの番号を引くって分かって言った顔つき。信じられない!
「山岸さん、無理しないで」
そう折角不破さんが囁いてくれたのに、石橋さんはそれを聞きとがめて目を吊り上げた。
「無理してもらわなくちゃ、王様ゲームにならねえじゃんかよー! ほら、まどか。さっさと来いよ!」
偉そうに両手を広げる石橋さん。ムカムカずっとしていたのが、限界を超えた。
ブッチーンと私の中で何かが弾けたのを感じた。もう止められない。止まらないわよ。
女は、気合いと度胸だ!
「15番、好きな人に唇を捧げます!」
立ち上がった私は、高らかに宣言し、自分のグラスのビールを一気に煽り、更に呆然としている不破さんのグラスを奪い取った。
そして中身を空っぽにすると、……うん、度胸据わった。
腰をもう一度落とし、手を伸ばして不破さんの眼鏡に触れる。
あまりに驚きすぎているのだろうか。抵抗しない不破さんから、眼鏡をそっと外すと、女子から、
「え、不破さん、え、ちょっと待って、めちゃくちゃカッコよくない!?」
そんな声が聞こえるけど、遅いんだって。私はそれに、四年も前から気付いていたもんね。
口元が、緩んで仕方ない。お酒の力って偉大だ。これだけの人の前で、私は余裕シャクシャクだった。
「不破さん、いただきます」
「え……?」
そして顔を寄せ、柔らかい唇を頂いてしまった。
ギャーだかキャーだか悲鳴とかなんか聞こえるけど、知ったことか。
私は硬直している不破さんの唇をたっぷりと満喫し、そしてその後、記憶が一切無くなっていた。
「……眩し……」
うっすらと瞼に日を感じて、瞼を明けた。
ああ、夕べ飲みすぎた。最後のビール一気飲みが効いたのかも……。
頭痛や吐き気はないけど、頭がボンヤリしている。
ぽわーんとした頭で、天井を見上げると、何だかおかしい。私の部屋の天井の色じゃない。あれ? ここ、どこだ?
無機質なこの部屋……もしかして、ラブホテル?
「起きた? 大丈夫、二日酔いじゃない?」
澄んだ声が聞こえてくる。
え、待って、ちょっと待った。
慌てて首を横に向けると、何ということ!
窓際に設置してある椅子に腰掛けた、不破さんがいた。
ネクタイは外しているけれど、ワイシャツ姿で、文庫本を片手に足を組んで。
うそ、でしょ?
「嘘ー!?」
思わず悲鳴を上げた私に、不破さんはくすくすと笑って私に近づいた。
そして、ベッドの縁に腰掛ける。
「どこまで、覚えてる?」
「え……ええと……」
不破さんの、唇を強引に奪ってしまったところまでは、かろうじて。ああああ、恥ずかしい! 私、酔った勢いとはいえ、何て恐ろしいことを!!
「ごめんなさい、本当に本気でごめんなさい!!」
そう謝ると、不破さんは笑みを湛えたまま、ゆっくりと首を振った。そして、私に手を伸ばし……ああ、ずっと待ち望んでいたその手のひら。
まだ、私、夢を見ているのかな。
「夕べのこと…………酔った勢いなら、そう言って」
「え……?」
「俺、凄く嬉しかったから。本気に取っちゃってるから、だから……」
不破さんの眼差しが、切なげに変わる。
堪らなく、胸が締め付けられた。
まさか、不破さん。もしかして。
私は身体を起こし、その胸に抱きついた。
「好き、好きなの! 初めて会った時から、ずっと好きだった……!」
私を抱きとめた不破さんは、強く腕に力を込めて。そして私の首筋に顔を埋めた。吐息が掛かって、もう今すぐにでも心臓が止まりそうになる。
「俺も……絶対俺の手には届かないって思ってた。ずっと好きだった」
その言葉に、私は驚いて……あまりにも驚いて、呼吸が止まってしまった。
「その、初めて会った時……不安そうなきみを見て、何て綺麗な子なんだろうって思って、でも……。絶対俺になんて興味持ってくれないだろうなって……同じ部署に配属されて、凄く嬉しかったのに、声も掛けられないで……」
不破さんは、視線を彷徨わせながら、ぽつりぽつりと話してくれた。それを、私は感動の面持ちで見つめている。
嘘でしょ。不破さん、私のこと、ずっと……? 信じられない。
全然気付かなかった。分からなかった。想いって、言葉にしないと分からないのね。
そして行動に出ないと手に入れられないものが、確かにある。
「でも、きみは毎朝、俺に挨拶してくれた。皆に向けるのと、同じ笑顔で。凄く、凄く嬉しかった」
不破さんは、はにかんだ笑みを私に向け、そしてすぐに俯いてしまった。
全く、本当に照れ屋さん。その仕草が、私の心を掴んで離さないってことに、気付いていないのね。
「不破さん、直人さんって呼んでいい?」
そう囁くと、不破さん……ううん、直人さんはくすりと笑って頷いた。
「うん、嬉しい。あの……キス、してもいい? ……まどかちゃん」
ふふ、顔、きっと真っ赤になってる。
私はにこりと笑みを浮かべて、そして顔を上げた。目を、もちろんそっと閉じて。
塞がれる唇の甘さに、酔いしれながら。
『恋に恋するアフロディーテ』の異名は、返上よ。
私は、恋するただの女の子。
そして、最愛のぬくもりを手に入れた。もう、絶対この場所は手離さない。
恋する女の子は、強くて貪欲で…………
どこまでも、暴走していく。
だから止めてね? あなたの手だけなの、私を止められるのは。
そして止めるときには、優しくキスして。
直人さんの照れたような、だけど優しい腕の中で、私は心で呟いた。
『アフロディーテ』は、まだまだ続けよう。もっとこの幸せを他の人にも感じてもらいたいから。
私のメイクで、一人でも多くの女の子に、幸福を。
恋せよ乙女。
そして私は囁いた。
「もう一度、キスして? 熱いの、ちょうだい」
恋する女の子は、貪欲なの。覚悟してね?
きょとんとした後、真っ赤になってしまった直人さんに、私は笑って抱きついた。




