第1話 同棲初夜、薬指に誓う愛
私の実家から帰ってきた次の日。
あらかた直人さんの服などを、私のアパートに運び入れ終わったので、百円ショップとかスーパーとかドラッグストア巡りを二人でして、直人さんのものを色々買い揃えた。
お箸だとか、お茶碗だとか、そういうこまごましたもの。
一緒に生活をするとなると、大掛かりになるのかなと思っていたんだけど、買い物が終わった後、直人さんは実家から大きなダンボールを車で運んできて、それを下ろしながらくすりと笑った。
「実家までそんなに遠いわけじゃないから。取り合えず普段着とかスーツを持ってきちゃえば、それでいいんだ」
「そうなの……ていうか、直人さん、車運転出来たのね、知らなかった」
そう、知らなかったわ。確かに直人さんのお宅には、軽の車が停まっていたけれど。
私とデートをするとき、直人さんの運転で、なんて一度も無かったもの。
私が驚いていると、直人さんは瞬きをし、そして私から視線を外した。その頬が、みるみる赤くなっていくのは、どうして?
「あの、だって、まどかちゃんと出掛けると、俺、……」
「なあに? 直人さん」
ダンボールを床に下ろした直人さんの腕に掴まり、限りなく彼の顔に近づくように背伸びをした。
だって、もっと近くで見たいもの。直人さんのいろんな表情、見るの嬉しい。
私のにこにこ笑顔を見下ろし、直人さんは降参したように、顔を赤らめたまま苦笑した。
「二人で出掛けると、夕飯食べて帰るだろ?」
「うん、そうね」
頷いた私は、だけどまだ分からなくて。首を傾げると、直人さんは私が背伸びをしているのに気付き、突然すとんとその場に座り込んだ。
引き摺られて、私も腰砕けになってしまうと、それをさっと受け止めた優しい手。
よろめいた私は、直人さんの腕の中にすっぽりと収まってしまった。胡坐をかいた彼の膝の上に、横向きに抱かれる。
「あ、ごめんなさい……!」
慌てて膝から降りようとしたのに、直人さんは私をぎゅっと抱きしめて離してくれなかった。
でも、けど。こんな格好、恥ずかしいわ。
私が直人さんに負けず劣らず顔を赤くしてしまうと、間近で直人さんは小さく囁いた。
「まどかちゃんの、酔った姿を見たいから。だって、本当に可愛いんだ。誰にも、見せたくない。俺だけに見せて欲しい姿。だけど、きっとまどかちゃんは、俺が酒を飲まなかったら、絶対飲まないよね?」
きゃー、可愛いって、可愛いだって!!
興奮しちゃった私は、その感情の処理に困り、直人さんの胸に顔を強く押し当てた。
あったかい。
……そうね、私はきっと、直人さんの運転でのデートで、そしてお夕飯を食べるとなったら、きっとアルコールは飲まないわ。私一人で飲んでも、楽しくないもの。
あなたと二人だから、飲みたいの。
私が小さく頷くと、直人さんはくすくすと笑って、私の髪を何度も撫でた。
「やっぱり。そっか。だけどこれからは、毎晩まどかちゃんの可愛い姿が見られる。嬉しいな」
「毎晩、飲むの?」
「うん、毎晩。大丈夫だよ、アメリカに行ったら、仕事で飲む必要がない限りは禁酒する」
「どうして?」
何でそんな頑なに。
不思議に思う私から身体を僅かに離した直人さん。その手は、髪から頬、そして顎を伝い、くいと顔を上げさせられた。
眼鏡越しの切れ長の目が、これ以上はないというほど、柔らかく細められていて。
それを見た私の胸は、キュンキュン止まらない。
大好きな、とてもとても大好きな直人さんの顔が、段々近づいてくる。
吐息がもう、私に届くほどの距離。
そこで、耳に心地いい声が流れてきた。
小さく、呟くように。
「日本に戻ってきたときの、楽しみにしたいから……」
そうか、……そうね。
私も、そうしよう。
直人さんが戻ってきたときに、美味しいお酒を飲めるように。
二人きりで、次また会える日までの分を補うくらい、いっぱいイチャイチャしよう? その潤滑剤として飲むお酒は、きっと最高に美味しいだろう。
こうやって、直人さんは私の寂しい心を補う言葉をたくさんくれる。
優しいあなたを、待つ喜びも少し感じるようになってきたわ。
私の元へと、戻ってきてくれる。他の誰でもない、私のところに帰ってきてくれる。
それがとても嬉しいし、誇らしいのよ、直人さん。
甘いキスを受け取りながら、私は直人さんから流れてくる暖かい感情を少しでも零さないように、強く強く抱きついた。
荷物をあらかた片付け終わって、私も台所で直人さん専用の食器を洗い終わって。
部屋を振り返り、見渡した。
ほとんど、今までと変わりはない。ただ、部屋の端っこに、直人さんのスーツがハンガーに掛けられて、テーブルにノートPCが置いてあるのが増えただけ。
なのに、どうしてだろう。私一人が住んでいた部屋とは、全然違うような気がした。
何となく、部屋の空気が数度上がったような気さえする。
そして私は、頬が緩んで仕方がない。
だって、嬉しい。これから朝目覚める瞬間から、直人さんを独り占め出来るのよ。こんな喜びって無いわ。
今までよりも、十分早く起きることにしよう。そしてその十分間は、熟睡している直人さんウォッチングに費やすのよ。
ふふ、今からもう、楽しみで仕方が無い。目を閉じ、長い睫が時折震えて。
呼吸のために、口を半開きにして寝ている姿を想像したら、「きゃーっ!」と一人身悶えしてしまった。
私の声に気付いた直人さんが、タオルで頭を拭きながら、慌てて脱衣所から飛び出てきた。もちろん、もうパジャマに着替え終わっている。
「ど、どうしたの、まどかちゃん!?」
「あ、いや、その、……うふふ、何でもない。もう、寝ましょう? 今日お仕事した後にお買い物と荷物運びいれだもの。疲れたでしょ?」
私がそう言いながら直人さんの手を引くと、しっとりとした肌のそれが、私の手を握り返す。
「うん、でも、もう少し俺に時間をくれないか?」
どういうことだろう。私は直人さんに手を引かれるまま、ソファに戻っていった。
隣り合わせて座った私をじっと見下ろしていた直人さんは、傍にあった小さな鞄をごそごそと漁り始めた。
「あの、うちの親もまどかちゃんのご両親も、結納はいらないって言ってたけど……」
そう、せっかく実家に帰ったというのに、肝心の結納の件を相談するのを忘れていた私は、帰宅してから実家に電話をしたんだった。
「お父さん、私たち、婚約したんだから結納ってした方がいいの? 孝ちゃんの時ってどうしたんだっけ」
孝ちゃんというのは、私の結婚している方の従兄。彼の例を参考にしようと思っていたんだけど、お父さんからの返答は。
『結納ー? うーん、孝太はそんな形式ばったこと、してないんじゃなったかな。うちもいいよ、面倒くさいし』
めっ、面倒くさいって! 娘の一生に一度の決意を表明する儀式を、面倒くさいの一言で片付けるか、この父親は!
私が絶句していると、お父さんは、
『うちの意見としてはさー、やらないって方向で。でも直人くんの親御さんに聞いてみたら? どうしてもやりたいっていうんなら、仕方ないからまどかのために協力するよ」
あくまでも他人事のようなお父さんは、忙しいからと、ブッツリと電話を勝手に切ってしまった。
怒りのあまり、震えながら直人さんに報告すると、苦笑を浮かべた彼も実家に電話をしてくれて。
「あ、母さん? あのさ、突然なんだけど、結納ってやったほうがいいと思う?」
そう尋ねた直人さんに、漏れ聞こえたお母様の返事は少しイライラしているようだった。
『結納!? そんなもの、どっちでもいいわよっ! まどかさんのご両親は、なんて仰ってるの!』
「え? あ、えーっと、母さんに任せる、みたいな感じで……」
直人さんが私を見下ろすので、私もうんうんと頷いた。すると、
『あ、そ。それじゃ、やらないってことで! もう切るわよ、直人。納期、明日なのよっ! ヤバい、落としそう! それじゃねっ!!』
そう言って、直人さんもまた、電話を一方的に切られてしまった。
……キャラは違えど、似たような親を持ってしまったのかしらね、私たち……。
そんな訳で、結局私たちは結納は無し、ということになったんだけど。
そのことをポワーンと思い出していた私に、直人さんは少し表情を改めて、私にもう一度向き直った。
「あの、あのね、まどかちゃん。俺たちの、その、同棲っていうか、同居っていうか、ええと、二人で生活をスタートする今日が、何ていうか、うんーっと……」
恥ずかしそうに言葉を選ぶ直人さんに、私はくすりと笑って、
「そうね、今日からスタートね。同棲記念日ね」
そう言うと、直人さんはほっとしたように表情を僅かに和らげ、何度も頷いた。
「そう、それ。せっかくの記念日だから、こういう日に渡したらいいのかな。俺、よく分からないんだけど……」
直人さんは、私の左手を取り、もう片手で小さな箱をパカリと開けた。
中には、小さなダイヤが輝く、可愛らしいファッションリングが入っていた。
直人さん、まさか、これってまさか……!
感激のあまり、声が出ない私の薬指に、それをするりとはめてくれた。信じられない。サイズ、ピッタリ!
「店員の人に、婚約指輪って言ったら、立て爪が主流ですよって言われたんだけど、でも」
直人さんは、感極まって泣きそうな私に、それはそれは恥ずかしそうに小さく微笑んで言った。
「こういう指輪だったら、いつも嵌めていてくれるかなって思ったんだ。大切な日だけじゃなく、ずっとずっとしていて欲しいから」
私はもう我慢出来ずに、直人さんの首筋に激突するばかりの勢いで抱きついた。
「ありがとう! 直人さん、凄く嬉しいわ。私、大事にする。ずっとこの指輪、外さないわ!」
「本当? 気に入ってくれた?」
「うん!」
直人さん越しに、改めて指輪を眺めてみる。
プラチナの台に、小さなダイヤが埋め込まれた指輪。仕事で作業するのも邪魔にならないサイズのものを選んでくれたのが、見てとれる。
本当に、嬉しい。これ、早速明日みんなに見せびらかして自慢しちゃおう。ふふ、婚約しちゃった、同棲始めちゃったって言ったら、どんな反応をするのかしら?
にやける私を抱きしめて、直人さんは耳元に唇を寄せて、熱い吐息混じりで突然囁いた。
「まどかちゃん」
「ひゃい……!」
やだ、ぞくりとして、思わずヘンな返事しちゃった。恥ずかしいー!
だけど直人さんは、そんなことを意に介せずに、囁き続ける。
「一生、大事に大切にするからね」
「……うん」
主語、無いけど。でもそれ、私のことを言ってくれるのが分かる。涙でぼんやりとした視界の中、私は小さく頷いた。
そして更に、直人さんの囁きは続く。
「俺にはまどかちゃんだけしか、いないから」
「うん……!」
私も。私もよ、直人さん。
私の中には、あなたしかいない。他の男性は皆そろってカボチャだけど、あなただけは高級黒毛和牛のごとく、常に別格で存在しているのよ。
……どうして私って、例えが変なんだろう。
だけどこの感動を伝えたくて、必死で言葉を考えていると、直人さんは私を抱いたまま、ひょいと立ち上がった。
私は、お姫様抱っこ状態。こんなこと、してもらったの初めてで、思わず強く直人さんにしがみ付いてしまった。
「あ、あの、直人さん!?」
「寝よう、まどかちゃん。……明日、睡眠不足になったらごめんな」
そう悪戯っぽく笑い、直人さんは私の頬に唇を落とすと。ベッドに二人、潜り込んだ。
じゃれあうキスが、深くなるのはじきで。
直人さんは、幸せそうに微笑んで、そっと電気を消した。
幸せなのは、私一人じゃない。同じ思いを、あなたもしてくれている。
それが、とても嬉しかった。




