第7話 アフロディーテに永遠の幸あれ
そしてご機嫌なお祖父ちゃんが部屋に帰ったところで、私たちも寝ることにした。
直人さんには、客間に布団を敷いて。私は困ったようにパジャマ姿の彼を見上げた。
「色々とごめんね? 本当にヘンな親で、直人さんに迷惑ばっかり掛けちゃったわ」
だけど直人さんは、くすりと笑って首を振り、手を伸ばして私の頬を撫でた。
「そんなこと、ないよ。認めて貰えるまで、頑張るから。だから、心配しないで」
「……大好きよ、直人さん」
思わず直人さんの胸に飛び込むと、彼は私を受け止めてくれて、そして柔らかなおやすみのキスをしてくれた。
ふふ、嬉しいな。手を繋いで眠りたいけど、でも我慢。
明日には、家に帰るもの。お父さんが認めようが認めまいが、もうお祖父ちゃんが直人さんを気に入ってくれたんだから、関係ないわ。
……本当は、ちゃんと直人さんを、認めて欲しいけど。でも、お父さんにまともに付き合ってたら、直人さんが壊れちゃう。そんなの、嫌だもの。
自分の部屋に戻った私は、小さく首を振り、気を取り直すかのようにドレッサーの前で丹念に髪を梳かしてベッドへと潜り込んだ。
ああ、今日は何だか長い一日だった。
全くお父さんとお母さんは、相変わらず何を考えているのか分からないわ。何、あの『勇者ナオト』って。ゲームのやりすぎじゃないの?
そう思った私は、別れ際にお母さんにそう言うと、ころころと口元に手を当てて笑い始めた。
「そうなのよー、実は最近、ひと昔前のRPGにハマっちゃってぇ。ドラクエとかFFとかメガテンとか~」
な、なにそれ! それがこのミッションとやらの理由!?
「意味分からない! 何がメガテンよ! こっちが目が点だわよっ!」
そう叫ぶと、お父さんは私に盛大な拍手をしてくれた。
「素晴らしい、まどか。座布団一枚だ」
……ダメ、本当に本気でまともに相手をしてはいけないわ。
私は怒りを通り越し、呆れ返るのすら通り越し。
深い深いため息をついて、布団を頭から被って目を閉じた。
そしてすぐにやってくる、深い睡眠の谷間。
すう、と入っていった、その瞬間。
ドンドンドンドン!!
盛大に、私の部屋の扉が叩かれる。
私は一挙に覚醒し、バッと身体を起こした。
「まどかちゃん、まどかちゃん!! ここを開けて!!」
直人さん!? 何で、こんな時間に! しかもどうして、そんなに緊迫した声で!?
私は慌ててベッドから降り立ち、扉に向かって走った。
部屋の鍵を開けて、扉を開けると。
そこにはパジャマの上着を半分脱がされたかのように乱れた直人さんが、必死で私に抱きついてきた。
「まどかちゃん! 助けて!」
た、助けて?
びっくりした私の目には、ぎゅーぎゅー私にしがみ付く直人さんの胸元しか見えないんだけど。
その向こうから、甘ったるい声が聞こえてきた。
「何で逃げるのよぉ、ナオちゃん。いいじゃない。ちょこっと見せてくれても、減るもんじゃないんだしぃ」
そ、その声は……お母さん!?
私は直人さんの腕を引いて、私の部屋へと引きずり込んだ。
すると目の前に現れたのは、ピンクのフリフリレースのネグリジェを着た、我が母の姿だった。
「……何をしているの」
自分の声ながら、かなり低く怒りに満ちているのを感じる。
だけどお母さんは、けろりとして口元に甘い微笑を浮かべた。
「あらー、だってまどかが一生を託す相手でしょ? お母さん、ちゃんとチェックしておかないといけないかなって思って」
チェックって、どこをチェックするのよっ! 何で直人さん、こんなに乱れているの!
「お母さん!?」
私が眦を上げて叫ぶと、ふと目の端っこに人影が見えて。そちらに目を向けると、お父さんが角のところで腕を組んで、壁に寄りかかっていた。
何、その余裕の笑みは。ぞくりとするほど怖いんですけど!?
私の視線に気付いたお父さんは、身体を起こして、手をゆっくりと叩きながらこちらへと歩み寄ってきた。
「見事だ、勇者ナオト。我が妻の色仕掛けにも動じず、また、妻を傷つける言葉を吐くこともなかった。まどかの下へ逃げる。うん、情けないけど、最良の方法だったね」
……はい?
お、お父さん、ずっと見てたの?
お母さんが、直人さんの眠る寝室に忍び込むのを。
……まあ、お母さんを溺愛しているお父さん、知らん顔しているはずもないけれど。けど、でも。
ラスボスって、お母さんー!? ていうか、お父さん!? もう、どっちでもいいけど、カンベンして!
硬直した私と直人さんに、お父さんとお母さんは、二人で盛大なる拍手を送ってくれ、そしてにこにこ笑顔全開で、宣言してくれた。
「おめでとう、まどか、直人くん。二人は見事、ミッションをクリアした。勇者ナオトは、無事にマドカ姫をゲットだ。山岸家総出の祝福の元、幸せな結婚をすることが出来る。良かったね」
何で他人事のような言い草!? まだRPGゴッコは続いているの!?
憤然とした私の前に歩み寄ってきたお父さんは、私を通り過ぎ、直人さんの肩にぽんと手を掛けた。
「直人くん、まどかのこと、よろしく頼むね」
直人さんは、びくりと身体を震わせていたけれど、何度も瞬きをし、そして緊張と嬉しさのない混じった表情を浮かべて、大きく頷いた。
「はい、ありがとうございます!」
その返事に満足そうに微笑んだお父さんは、踵を返してさっさと部屋へと戻っていった。そしてそれに続くお母さんも、私ににんまりと笑い、「大丈夫よ、ナオちゃんは一生まどかだけのものでいてくれるわよ」と、心臓に来るような台詞を残していった。
私と直人さんは、急に静まり返ったこの空間で、お互いに深い深いため息をついたんだけど。
でも、でも。
やっと終わったの? お父さんとお母さんの、ヘンテコなゲームまがいの試練。終わったんだよね?
そして最後は、ちゃんと認めてくれた。嬉しい!
私は手を伸ばし、ぎゅっと直人さんの首筋に抱きついた。
それを受け止めてくれた直人さんも、私の首筋に顔を埋める。
「まどかちゃん、認めて、貰えたよ」
「うん、うん……!」
「俺、何とか頑張れたかな。最後はちょっとやっぱり情けなかったけど」
そう苦笑する直人さんだけど、でも。
お父さんの言うように、あれが最良の方法だったのよ。きっと、多分。ていうか、母親が襲ってくるだなんて、誰も想像だにしないわ。何て恐ろしい計画を立てるんだろう。全くうちの両親ときたら……。
そしてもし、万が一。直人さんがお母さんに手を出すなんてありえないけど、お母さんを傷つけるような言葉を吐いたりでもしたら。
お父さんはきっと、直人さんをただじゃ帰さないだろう。
思わず苦虫を潰したような表情を浮かべてしまった私を、直人さんは僅かに身体を離して覗き込んだ。
「あの、まどかちゃん、その……今晩、ここで寝てもいい?」
ふふ、そうね、そうよね。また誰かが襲ってきたらと考えると、おちおち寝てもいられないわね。
それにね、私も直人さんと一緒に眠りたい。
嬉しい私は、一緒にベッドに入った直人さんの腕の中にすっぽりと納まったんだけど、でも。何だかお父さんとお母さんの行動が腑に落ちず、唇を尖らせてしまった。
「本当に、ごめんね、直人さん。たくさん迷惑を掛けちゃった。疲れちゃったわよね?」
そう申し訳ない思いで一杯の私に、直人さんはしばらくの沈黙の後、優しく私の髪を撫でてくれた。
その暖かい手、気持ちいい。
目を閉じた私の耳に、流れてくる、心地いい声。
「そんなこと、ない。確かに、お父さんとお母さんの言うとおり、試練があったからこそ、結婚生活に張りが出てくるっていうのもあるかもしれないよ」
「うう、そうかな、けど、試練っていったって、くだらないことばっかりだったし……」
そう私はまだまだ面白くない気分で言うと、直人さんはくすりと笑って私をぎゅっと胸に閉じ込めた。
「お父さん、ちゃんと考えてくれていたと思うよ。お祖父さんに認めてもらえる場を作ってくれたりとか」
……それは、確かにそう、だけど。わざと私の帰郷をお祖父ちゃんに言わなかったのは、我が家の頂点に君臨するお祖父ちゃんを構えさせないためだと言われれば、そうなのかなとも思うけど、でも……。
「健太くんの思いを断ち切らせるために、わざわざあんなことをしたのかなと思えば、納得いくし」
……健ちゃんの、思い?
首を傾げる私を、僅かに身体を離した直人さんがじっと見つめる。
何? その眼差し。妙に真剣で、凄くバクバクしてきちゃうよ……。
「あの、まどかちゃん、健太くんとの間に、何もないよね?」
「え? 私と、健ちゃん? 何もって、どういう意味……?」
戸惑う私がやっとそれだけを答えると、直人さんはもう一度私を胸に閉じ込め、深く息を吐いた。
「……いや、何でもない。いいんだ。やっぱり俺、ダメだな」
「ええ!? ダメって、そんなこと……!」
「俺ね、まどかちゃん。健太くんを見た瞬間、分かったんだ。だから、凄く、凄く、その、ええと、何ていえばいいか……」
直人さん、言葉の意味、分からない。
私がどう相槌を打てばいいのか迷っている間に、直人さんは自分の中で整理できたようで。
私を強く抱きしめたまま、身体をずらして耳元に囁いた。
「まどかちゃんは、誰にも渡さない。そう、今までで一番強く思えて、それを口にすることが出来た」
私はその瞬間、多分顔が真っ赤になっていただろう。
けど、嬉しくて、泣きたくなるほど嬉しくて。
これほど、独占欲丸出しにしてくれたことなんて、無かったから。
「ありがとう、直人さん。頑張ってくれて……私を好きになってくれて、ありがとう……!」
それしか、言えなかったけど。
でも、直人さんは何度も頷き、私の頬や瞼に、何度もキスを落としてくれた。
それから、私と直人さんは、くすくすと笑いながら、じゃれ合う様にキスをしながら。
時折、「大好きよ」「俺も、愛してる」って囁きながら。
直人さんの腕枕で、幸せな眠りにつくことができた。
そしてね。眠りに落ちる瞬間、直人さんが小さく私に囁いてくれた言葉。
「ねえ、まどかちゃん。きみは、ご両親に愛されていないと思っていたかもしれないけど、でも。それは違うと思うよ。ご両親の名前を教えてもらって、すぐに気付いたんだ。お父さんとお母さんの二人の間に、きみはいつもいるんだよ」
お父さんと、お母さんの間に、私……?
どういう、意味?
名前?
お父さんの名前、涼真。お母さんの名前、佳奈子。
りょうま……まどか……かなこ……。
その事実を、今の今まで、全然気付かなかった。
それを教えてくれた直人さんの優しさに、そして気付かなかったお父さんとお母さんの愛情に。
涙が、ぽろりと一つ、零れ落ちた。
次の日。お父さんとお母さんに見送られ、私と直人さんはラブホテルまがいの店の前に立っていた。
もうすぐ、タクシーが来る。それに乗れば、またしばらくこの両親ともお別れ。
変人だけど、でも。それなりに私をたくさん愛してくれているんだと思うと、寂しさも募ってくる。
「それじゃ、また連絡するね」
私がそう言うと、お父さんは相変わらずにこにこ笑顔のまま、私に一冊の雑誌を差し出した。
「新幹線の中で、暇つぶしにでも読むといいよ。あ、それと直人くん、これ、昼食に二人で食べて」
私には雑誌。直人さんにはお手製のお弁当をくれたお父さん。
お母さんは、直人さんにどさくさに紛れて抱きつき、私が文句を言おうとしたその瞬間、直人さんは真っ赤な顔から真っ青な顔に変わった。
やがてタクシーが来て、私たち二人が乗り込み、お父さんとお母さんに手を振って、駅へと向かう道すがら。
まだ顔色の悪い直人さんに、私は心配になって尋ねると、
「え、ええと……まどかを泣かしたら、ぶっ殺すって、そう言われた……」
ひいぃ! 嘘でしょ、マジですか!
お母さん、いつの間に、そんなキャラ!?
私と直人さんは、二人揃って真っ青な顔のまま、新幹線に乗り込んで。
そして何となく言葉数が少なくなってしまっていたので、気を取り直すかのように私は雑誌を広げた。
「そ、そうそう! お父さんのくれた雑誌。これにね、うちの店の紹介が載ってるらしいの」
そう言いながら、パラパラとページをめくっていく。
すると、あ、あったあった。あのど派手な店舗とともに、お父さんご自慢のコース料理が。
「ええと、なになに? ここの料理の名物は、何と言っても恋に効くという噂のコースメニュー、『恋するアフロディーテ』……っ!?」
私が声の出ない悲鳴を上げていると、直人さんが私の手から雑誌を受け取り、ざっと記事を目にし、苦笑を浮かべた。
「お父さん、商魂逞しいな。娘の噂も利用しているんだ」
わ、私、私……利用されてるの……っ!? ていうか、どうして私のその異名、知ってるのよっ!
夕べ、お父さんとお母さんの愛情を確認して泣いちゃったのに!! その涙、返してよっ!!
私の心の叫びは、むなしく胸の中だけに響き渡っていた。
とにもかくにも、直人さんを、認めてもらえた。それだけで、よしとしなくちゃ、なのかな?
私と直人さんは、お父さんのお弁当を広げながら、顔を見合わせてくすりと笑い合った。
お弁当の中に入っていたメッセージカード。
それにこう、書いてあったから。
アフロディーテに、永遠の幸あれ。
……お父さんとお母さんには、一生敵わないわ。




