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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
重なり合う思い

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第6話 チェックメイトは、陥落の合図

居間へ突然入ってきたお祖父ちゃんは、不思議そうに背後を振り返っている。


「今、健太が半べそ掻きながら走っていったぞ。一体何があったんだ」


け、健ちゃん、半べそって……私が引きつった笑みを浮かべていると、お祖父ちゃんは私に気付いて、嬉しそうに破顔した。そして食卓のいつもの席……いわゆる上座に腰掛ける。


「おお、まどか。久し振りだな、どうした、突然……隣の男は、誰だ」


笑顔が急に訝しげなものに変わり、私は慌てて正座して、直人さんをお祖父ちゃんに紹介した。


直人さんも、神妙な顔で深々と頭を下げるのを見、お祖父ちゃんは眉を潜めて横目でお父さんを睨み付けた。


「何だと、まどかが結婚? そんなこと、わしは一言も聞いておらんぞ」


「おや、そうでしたか? 僕は確かに、ちゃんとご報告したようなしていないような」


どっちよ、お父さん! 私がイライラハラハラしていると、お祖父ちゃんは身体ごと直人さんに向き直った。


「直人と言ったか。お前、将棋は出来るか」


突然呼び捨てだし。ため息をつく私の隣で、直人さんは戸惑ったように首を傾げた。


「え、ええと、将棋は子供の頃に、数度父に教えてもらっただけなんですけれど」


「数度か。詰み将棋は出来んか」


囲碁とか将棋の類が好きなお祖父ちゃん。今日、こんなに遅くなったのも、ご近所の仲間と一局やってきたに違いない。


だけど、ここはチャンスかも! お祖父ちゃんにお付き合いすれば、きっとお祖父ちゃんは大喜びで直人さんを認めてくれるに違いないわ。


我が家で最高権力者のお祖父ちゃんを味方に付ければ、意地悪なお父さんとお母さんをすっ飛ばして、私たちの結婚を認めてもらうことが出来る。


そう思った私は、鼻息荒く直人さんの腕に掴まって囁いた。


「どう、直人さん、将棋のやり方、覚えてる?」


「うーん、どうかな。あの、駒の並べ方と進め方を、お教え願えませんか? そうしたら、何となく思い出すような気がするんですけど」


直人さんから下手に出て言われたら、お祖父ちゃんだって悪い気はしないようで。


いそいそと大きな将棋盤を取り出し、駒を盤上に並べ始めた。


「いいか、一番手前の列には、王をこう中央に置き、その周辺にはこの駒を左右対称に並べていく。次の列には、角と飛車をここに置き、三列目には歩を並べる」


お祖父ちゃんのレクチャーを、神妙な顔で聞いている直人さん。


ああ、その真剣な眼差し。なんて素敵なの。


胸がキュンキュンきちゃうけど、でも今はそれをぐっと抑えて、私は直人さんとお祖父ちゃんの間辺りに腰を下ろし、二人を見守ることにした。


ふとお父さんに目を向けると、飲み物をビールからワインに変えて、それをグビグビ飲みながら、にやついている。


……何を目論んでいるの、お父さん。


その考えが怖いけど、でも今は、お祖父ちゃんを味方につけるべく、直人さんには頑張って貰わなくちゃ。


というか、挨拶もそこそこに、将棋を一局だなんて。うう、ごめんね、直人さん。


そしてそれぞれの駒の動かし方を一通り聞いた彼は、にこりと笑って頷いた。


「分かりました。どうもありがとうございました」


ぺこりと頭を下げた直人さんを、僅かに眉を上げてお祖父ちゃんは見下ろしていた。


「……今の説明だけで、出来るのか」


「多分、大丈夫だと思います。お手柔らかに、お願いいたします」


そう言った直人さんの袖を、思わず引いてしまった私。だって、傍で聞いていた私には、全然チンプンカンプンだし。何、あの金と銀の動き。似たり寄ったりで、区別つかないわ。


「本当に平気? あ、途中で分からなくなったら、お祖父ちゃん、教えてあげてね」


そう言うと、鷹揚に頷いたお祖父ちゃんは、嬉しそうに駒を自分の前にも並べ始めた。……本当に、将棋が好きなのね。


「よろしくお願いします」と、お互いに挨拶を交わしてから始まる盤上の戦い。


どっちが優勢なのか、見ている私にはさっぱり分からないので、口出しせずにじっと見守ることに。


だけど、途中で眉を寄せたお祖父ちゃんが、


「まどか、酒」


「あ、はいはい」


お祖父ちゃんのために、日本酒を持ってこようとした私を、お祖父ちゃんがふと止めた。


「直人の分も、持って来い」


「あ、いえ、私は……」


そう固辞しようとした直人さんを、お祖父ちゃんはぎろりと睨んだ。


「お前も飲め」


「……はい、では、頂戴します」


直人さんが正座し、背筋を正したまま頷いたので(脅された感もあるけど……)、私は二人分のグラスと、一升瓶を手にして戻ってきた。


そして二人にお酒を注ぎながら、ちらりと盤上を見るけれど、うーん、やっぱりどっちが勝っているか分からない。相手の駒を取ったのは、お祖父ちゃんの方が多いから、お祖父ちゃんが勝っているのかな?


だけど直人さんは、全然焦った様子も無く、時折顎に手を掛け、考え込みながらも慎重に駒を進めていった。


そして数分が過ぎた辺りで、お父さんが軽く口笛を吹いた。


「凄いね、勇者ナオト。あと数手で、詰んじゃうな」


「うるさい、黙っておれ!」


お祖父ちゃんがイライラしたように声を上げると、直人さんはビクリとしたように身体を硬直させ、そしてちらりと私を見た。


あ、何となく直人さんの気持ち、伝わってきた。


わざと負けた方がいいのかな? そう言っている。


だけど勝負は勝負だもの。きっと情けを掛けられて勝ったとしても、お祖父ちゃんは喜ばないわ。ましてや、初心者相手にして。怒りを買うだけのような気がする。


だから、全力で勝利を物にしたほうがいい。そう思った私は、小さく首を振った。


その私を見て、直人さんはほっとしたように微笑んで、指先で「と」と書いてある駒を摘み、ぎこちない動きでぱちんとそれを動かし、置いた。


「チェックメイトです」


直人さんの声に、お祖父ちゃんは歯軋りをし、そして唸り……呟いた言葉は。


「王手と言うのだ。バカ者。ああ、くそ、何だお前のその動かし方は! 将棋の常識とかけ離れておるぞ!?」


お祖父ちゃんは、正座を胡坐に変え、がしがしと首筋を掻いて言った。


それを見て、直人さんは困ったように身を正し、軽く頭を下げた。


「あの、すみません。やっぱり将棋のこと、あまりよく覚えていなくて。でも、チェスと似ていたので、チェスのつもりでやってしまいました。ご不快な思いをさせてしまったのなら、本当に申し訳ありませんでした」


そう、しょんぼりとした直人さんを見て、私は彼の優しさがとても嬉しかった。


だって、全然知らないゲームなんて、やっても楽しくないじゃない。それでも、お祖父ちゃんの相手をしてあげたくて、きっと色々考えてたどり着いた結果だったのね。


そんなあなたに、怒るはずなんてないわ。きっと、お祖父ちゃんも嬉しいはず。


そしてお祖父ちゃんは、一つまた唸ると、ぐいと自分のグラスを煽って空にし、自ら日本酒をそこに注いで、直人さんのグラスにも注いで。


そして自分のグラスを、私に差し出した。


「え?」


きょとんとする私に、無理矢理グラスを握らせたお祖父ちゃんは、着流しの袖を巻くって片足を立てた。


「そんなノラリクラリとした駒の運び方があるか、バカ者! お前には、徹底的に正式な将棋を叩き込んでやる。覚悟しておけ!」


え、何で将棋講座?


話の流れが分からない私だったけど、直人さんはとっても嬉しそうに頷いて、お祖父ちゃんの話を聞いていた。


周りがもう見えないかのように、二人の世界に入ってしまったお祖父ちゃんと直人さんをにこにこしながら見ていたお父さんは、軽く肩を竦めた。


「なーんだ、思ったよりも案外カンタンに陥落しちゃったなあ。やっぱ娘と孫では感情が違うのか。これは計算外だった」


え、それって、どういう……?


お父さんの言葉の意味が判らず、首を傾げていると、お祖父ちゃんが直人さんに身体を寄せてレクチャーしながら言った一言。


「直人、いいか。お前が来るたび、腕が上がったか試すぞ、いいな。山岸家の男児たるもの、将棋の一つくらい出来ずにどうする」


お祖父ちゃん、直人さんを認めてくれた……!


私は嬉しくて、涙で滲む視界で二人を必死で見つめていた。


直人さんもその言葉の意味が分かったようで、はっとして顔を上げ、お祖父ちゃんをじっと見つめて、頬を緩めて何度も頷いていた。


嬉しい、嬉しい……! これでもう私たちの結婚に、何も障害はないわ。


どうよ、お父さん。お祖父ちゃんが認めてくれたのよ。これ以上、お父さんの出る幕はないわ!


そう思って、勝ち誇ったようにお父さんに目を向けたけど。全然堪えた様子も無い私の両親。


お父さんは真っ赤なワインをグイグイと飲みながら、楽しそうに笑ってるし。


「さーて、勇者ナオトは第二のボスキャラを退治しましたー。次はラスボスです。果たして勇者ナオトはどう立ち向かうのでしょうかー」


「乞うご期待ー」


お父さんのお気楽な言葉に受けた、お母さんの気の抜けた相槌。


それを聞き、私はがっくりと肩を落とした。


……まだ、続けるつもりなのね……カンベンして……。

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