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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
重なり合う思い

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第4話 にこにこ仮面の食わせ者、あらわる

夕飯を外で食べて来て、母屋に戻ってきたらお父さんとお母さんも丁度仕事を終えたようだった。


「大丈夫よ、飲もう?」


夕食の時、そうビールを勧めたんだけど、決してアルコールを口にしなかった直人さんは、今、居間でテーブルを挟んで、お父さんとお母さんと対峙して、硬直している。


私はテーブルの上に軽いおつまみを並べ終わって、直人さんの隣に座った。


「大丈夫? 直人さん」


凄まじいばかりの緊迫感を醸し出している彼が心配になって、そう囁くと、直人さんはびくりと私を見下ろし、そしてギクシャクとした動きで頷いた。


私が何かフォローの言葉をと思っていたら、ふと立ち上がり、冷えた瓶ビールを持ってきたお母さんが栓を抜き、そしてそれを直人さんの目の前のグラスに注ごうとしたら、


「あ、すみません。私は、後ほど頂きます」


と、グラスの上に手のひらを乗せた。


お母さんは不思議そうに首を傾げて、


「あらー? ナオちゃん、お酒飲めないの?」


な、何か力抜けるな、そのナオちゃんって……。


そう思っていた私の隣で、直人さんは真剣な表情のまま「いえ……」とただそれだけを呟いた。


お母さんはならばと、青いストライプの開襟シャツに着替えたお父さんにビールを注ぎ、その瓶を受け取ったお父さんが、今度は嬉しそうに自分のグラスを手にしたお母さんにお酌する。


前から見ていた光景だ。


仕事が終わって、二人はこうしていつも晩酌していた。そして何が楽しいんだか、にこにこ笑顔で二人だけしか分からない会話をする。


私はそれが始まると『ああ、大人の時間が始まったんだな』と察し、自分の部屋へと戻っていったんだった。


ボーッとそんな両親を見ていた私の隣で、直人さんが僅かに佇まいを直して、お父さんとお母さんに何かを言おうと唇を開いたら。


お父さんが、爽やかな笑みを浮かべたまま、軽く手を挙げた。


「ああ、ごめんね。ちょっと待って。それじゃ佳奈子、お疲れ様」


「はーい。リョーちゃん、今日もとっても美味しそうなお料理だったわぁ」


「佳奈子のドルチェも良かったよ」


「いやぁーん! それじゃ、かんぱーい!」


な、何でここで二人のラブラブっぷりを見せつけさせられるの。


口をぽかんと開いた私と直人さんの目の前で、お父さんとお母さんはグラスを重ね、そして二人一気に中身を飲み干した。


「くはーっ! やっぱ仕事の後のビールは美味いね!! あ、ごめんね、それで、何だっけ?」


お父さんのお気楽な言葉に、私は思わずガクッと身体を傾けてしまったけど、でも。ここでばしっと言わなくちゃ!


「ちょっと、お父さん!? 電話で言ったでしょ、彼氏を連れて行くって。結婚の約束したから、その報告に行くって言ったのに! 何でちゃんと聞いてくれないのよ!」


頭に来て、思わず強い調子で言ってしまうと、お父さんはにこにこ笑顔を崩さずに、何でもないことのようにうんうんと頷いた。


「覚えてるよ? まどかからは、ちゃんと聞いてる。さて、それじゃ彼氏の話を聞こうかね」


「まどか、怒りっぽくなっちゃった? あのね、怒るとね、シワが出るのが早いし、深くて消えなくなっちゃうのよ?」


ああー、もう! せっかくお父さんが聞く気になってくれたのに!


お母さんのトンチンカンな言葉で、場が一気に崩れ落ちていく。


そこを直人さんは、背筋を伸ばしてもう一度お父さんとお母さんに視線を向けることで修正してくれた。


それを継いで、私は改めて、両親に最愛の恋人を紹介しなおすことにした。


「さっき、お母さんには話したけど。お父さん、こちら、不破直人さん。私の会社の、企画室で働いているの」


「不破直人と申します。初めまして。まどかさんと、結婚を前提のお付き合いさせて頂いています。どうぞよろしくお願いいたします」


す……凄いわ、直人さん!!


一度もどもらずに、すらすらと私が感動に打ち震える言葉を発してくれた。


ふるふると私が感極まっていると、直人さんはお父さんの様子を伺っているように見える。言葉を待っている。


そしてそのお父さんは、笑みを浮かべたまま、枝豆に手を伸ばしてるし! ちょっと、何て失礼なの!


「ふーん。で?」


やっと発したのは、その言葉。信じられない!


「お父さん!! ちゃんと聞いてってば! どうして今の直人さんの話を聞いて、それで返答がそんな言葉なのよっ!」


私が憤慨して言うのに、お父さんは私をちっとも見やしない。枝豆を口に入れて、絶対崩さない笑みのまま、直人さんに目を向けた。


私は、お父さんが怒ったところを見たことが無い。いっつもにこにこ笑顔だった。


他人はお父さんのルックスとか、若作り(そういうとお母さんは怒るけど)なところとか、柔らかな口調とか、そんなのに騙されて、いつも素敵な笑顔の人とか言うけれど。


でも、違う。絶対違う。


お父さんのこのにこにこ笑顔は、私からしたら胡散臭いとしか見えないもの。


しかもその胡散臭さにレベルがあって、一番低いのは、お母さんと二人で話をしている時。その時のお父さんの笑みは、心から嬉しそうで楽しそうだから、胡散臭くない。


そして最高レベルの胡散臭い時は、お祖父ちゃんと話をする時。娘をデキちゃった結婚で奪われたお祖父ちゃんと、周囲の反対を押し切って、強引にお母さんをゲットしたお父さんはいわば天敵同士。


そんな関係だから、お母さんを挟んで会話をするだけで、お父さんから立ち上る不気味オーラと、お祖父ちゃんの眉間の皺がお互い比例して強くなっていく。


そしてその時に浮かべるお父さんの笑みは、にこにこという仮面を被った皮肉なまでの色になっていて……今、少しそれに近いような気がして、どきっとした。


「……え、ええと、それで、ですね。私の仕事の関係で、一年間アメリカに行かなくちゃならなくなりまして、それで……」


直人さんは、お父さんの視線を受けて、何とか頑張って言葉を紡ぐのに、お父さんは枝豆をポンポンと口に入れ、ビールでそれを喉に流し込むと、


「ふーん、大変だね。で?」


「あ、はい、それで、な、長い間離れてしまうので、それまでの間、まどかさんと一緒に生活をして、帰国した後に、籍を入れたいと思っていまして……」


「で?」


「そ、それで、そのきょ、許可をですね、頂きたく……」


ああ、直人さん、完全にお父さんのペースに飲まれちゃってる。


それはそうよ、仕方が無いわ。お父さんは、天下一品の食わせ者だもの。この笑顔に騙された人も、騙されたという事実に最後まで気付かないほどの恐ろしい人なんだもの。


でも、娘の私は知っているわ。お父さんの正体を。


そしてこの場で、絶体絶命大ピンチの直人さんを救えるのは、この私しかいない。


隣の直人さんを見上げると、想像と違う反応に困り果て、ヘンな汗をかいている。私はハンカチを取り出し、身体を伸ばして直人さんの額にそれを当てた。


「直人さん、ごめんね、大丈夫?」


「あ、まどかちゃん、……ありがとう」


直人さんは、ハンカチごと私の手を握り、そして私がお父さんに文句を言おうとしたのに気付いていたのか、目を一瞬細めて微笑んだ。


その微笑を見た瞬間、私はどうしてだろう。身体の頭からてっぺんまで、ぴりっと痺れるような感覚を覚えた。


痺れる……痺れちゃったのかしら、直人さんの素晴らしい微笑みに。


ゾクゾクして、思わず自分の身体を抱きしめようとした私の手を、それでもがっしりと直人さんが掴んで離さない。


ドキドキしている私の手を、下に降ろして……手を、繋いだまま。


直人さんは、そのまま、深々とお父さんとお母さんに向かって頭を下げた。


「どうか、まどかさんと結婚することをお許しください。まどかさんが幸せになるよう、力を尽くします」


直人さんの言葉に、私は口と目をぽかーんと開き、そして段々事実と感情が一緒になっていく。


直人さんが、両親に……私の両親に土下座して。そして結婚を許してくれるようにお願いをしてくれた。


そしてその言葉は、私もある程度想像していたけど、そしてその想像と大差なかったけど、でも。直人さんの口から、あの私の大好きな声で言ってくれると、全然違うわ。


私は感動して、感激して。空いている手を口に当て、直人さんに握られた手に、力を込めた。


すると、頭を下げたままの直人さんから、きゅっと握られた手の返事が来る。


大丈夫。頑張るから。


そうその手のひらが言っているような気がして、私は泣きたくなるのを必死で我慢した。


抱きつきたい。身体中で、直人さんを感じたい。


熱い想いが私の中を駆け巡っていく……。



「認めませーん」



私の想いが……って、はあ!?


至極呑気な声が上がり、そちらを見ると、お父さんがビールを飲みながら、にっこりと笑った。


「あれ、聞こえなかった? 認めませんって、言ったんだよ」


その表情、その声。全てが憎たらしく感じ、私はカーッと自分の中で血潮が上半身に集中していくのが分かった。


ブチッと、頭のどこかで音がしたような気がした。でも、それが私の理性を保っていた最後の瞬間。


次の瞬間には、あんなに愛おしく思っていた直人さんの手を振り払い、私は立ち上がり、震える指をお父さんに突きつけていた。


「ちょ、ちょっと! お父さんが認める、認めないなんて言える分際なの!? 私のことを放置しっぱなしで、いっつもお母さんのことばかりじゃないの! 私が本当に本気で好きになった人なのよ! 少しは真面目に考えてよ!!」


弾丸のごとく言い放つと、お父さんは私を見上げ、そしてふと笑みの色を変えた。うっ、ヤバイ。胡散臭さ最高レベルに達した時と同じ笑み!?


「まどか、お前が何を言おうと、僕は認めない」


「どうしてよっ! お父さん、直人さんのこと、何も知らないじゃない! ちゃんと直人さんの話、聞いて? そうしたらきっと、お父さんだって……」


「聞く必要なんて無いでしょ。認めないと決めた以上は、聞いてもしょうがないじゃない?」


きーっ!! お父さんじゃなければ、殴り飛ばすところだわ。何て失礼極まりない言葉を吐くんだろう。信じられない!


私が怒りのあまり、ふるふると打ち震えていると、直人さんは必死な顔でテーブルに身を寄せて言った。


「私をお気に召さない理由をお教え下さい、直すよう、努力しますから……!」


ああ、直人さん。私のために、こんなアホ父にそんな言葉を……ごめんね、ごめんなさい。


私が心の底で、直人さんに謝っているというのに、お父さんはふと宙を見上げ、隣で甘い微笑を浮かべるお母さんに目を向けた。


「あれ? この質問の答えってどう言えばいいんだっけ?」


……はい?


一瞬にして真っ白になった私の目の前で、お母さんは何が楽しく嬉しいんだか、蕩けるような笑顔を浮かべている。


「ええと、何だっけ? 忘れちゃった。いいのよ、親が反対するというシュチュエーション。それさえあれば」


「ああ、そう。ま、佳奈子がそう言うならそれでいいや。だって、まどか」


お父さんはにこにことそう言うけど、全然意味、分かりません。


ぽかーんとした私と、多分同じようにぽかーんとしている直人さんを見比べて、お母さんはころころと笑った。


どうしてこの状況で笑えるのか……その答えが、聞きたくない答えが流れてくる。


「まどかが結婚するって聞いた時、凄く凄く嬉しかったけどぉ、でもね。すんなりゴールイン! ってなったら、結婚生活に張りがないと思うのね? すぐにお互い飽きちゃって、浮気とかしたら、大変じゃない。だから、二人には結婚するための試練が必要なのよ!」


「そうそう、試練は必要だ。僕たちも、それは大変な思いをしたから、今こうしてラブラブなんだもんなー?」


「ふふ、そうよねー?」


……待て、ちょっと待て!


それじゃ何? 別に本当は反対じゃないけど、反対しているぞっていうのを今、作っているわけ?


……意味、更に分からない……。もうやだ。もうこの二人、本気でやだ。


ていうか、お父さん、お母さん。あなた達二人、全然結婚する時、苦労していないじゃない。


完全に力の抜けた私の隣で、戸惑うばかりの直人さんに、お母さんが笑みを深めて人差し指を立てた。


「ナオちゃんに、ボスキャラと戦い、勝利してもらいまーす。それが出来たら、結婚を許しまーす」


「ちょ、お母さん!? ゲームじゃないんだから!」


私が憤然として言うと、私の隣の気配が変わる。


え……嘘でしょ。直人さんの眼差しが熱くなり、頬が紅潮し、唇を真一文字に引き締めて。


素晴らしくりりしい顔で、直人さんは、


「それをクリアすれば、結婚を認めて下さるんですか?」


「認めるよ? 僕と佳奈子は、基本的には嘘はつかないから」


お父さんが飄々としてそう言うと、直人さんは頷き、私ににこりと笑みを浮かべた。


「ちゃんと、認めてもらいたいから。だから、俺、頑張るよ」


直人さんー!? うちの親の口車に乗らなくてもいいのに……


その後、何度も私は直人さんに考え直すように言ったのに、彼は頑固に私の言うことを聞いてくれなかった。



ああ、もう……どうして私の結婚の話から、ボスキャラ退治の話になるの!


私は全身の空気が無くなるほどの、大きなため息をついた。

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