第1話 遠い空の下、誓った笑顔
私の話を、時折微笑みを浮かべて聞いてくれた直人さん。
私だけに見せてくれる、その優しい微笑みが大好きで、嬉しくて。私は我慢できなくて、ビールをテーブルに置いて、直人さんの膝に跨った。
正面から間近で見つめると、直人さんは少し照れたように頬を染めて、私の腰に手を回した。
「どうしたの、まどかちゃん?」
「……ん、何でもない。ぎゅってして?」
そう言いながら抱きつくと、直人さんの腕の力が増し、強く私を腕の中に包み込んでくれた。
好き。大好き。
ずっとこうしていて欲しいな。こうしているとね、私と直人さんがまるで一つになったように感じる。
直人さんの首筋に、顔を埋めていた私を、ただ抱きしめてくれていた直人さんが、私の髪をゆっくりと撫でた。
「まどかちゃん、話があるんだ」
ドキッとした。
こんな夜遅くに来てくれたのには、何か訳があるのかなって思ってた。
だけど、それを口にしなかったのは、怖かったから。
どうしてかしら、今までこんなこと無かった。だけど、何だか直人さんからの言葉、聞くのが怖くて怯えている。
不安が、私の中で芽生えている……。
私はゆっくりと身体を起こし、再び間近で直人さんの目を見つめた。
直人さんは、まだ私の髪を、ゆっくりゆっくりと撫でていて、その手を少しずつ下ろし、私の頬にそっと触れた。
まるで、壊れ物に触れるかのように、そっと。
「まどかちゃん、今日、社内放送で俺のこと、呼んでくれたね」
「う、うん。でも、名前呼ぶとき、噛んじゃった。凄く恥ずかしかったの」
「はは、照れたまどかちゃんが、目に浮かんだよ。……俺は、凄く嬉しかった。初めてだったね、社内放送で、俺を呼んでくれたの」
嬉しかった? そう、思ってくれたの?
直人さんがそう思ってくれたなら、私も嬉しい。
直人さんの、頬に当ててくれた手のぬくもりを感じながら、私は目を閉じ微笑んだ。
「それで……会議室に呼ばれて、行ったんだけど。そこに、社長とか室長とかいて、辞令を言い渡された」
「そ、そう……」
心臓が、バクバクうるさい。
まるで、耳元に心臓があるみたい。
怖くて、目を開けられない。
そんな私を見つめている視線、目を閉じていても感じる。
まっすぐ、私を見つめてくれている……。
「まどかちゃん、俺……」
「ま、待って!」
言いかけた直人さんを、私はクワッと目を開き、止めてしまった。
ああ、まどかの根性無し。
だけど、待って、もう少し、心の準備をさせて欲しい。
私は軽く深呼吸をして、直人さんの胸に手を当てた。直人さんも、ドキドキしている。
とても早い鼓動。
それが何を意味しているのか、やっぱり知るのが怖い。
「あの……直人さん? 先に教えて。いい話? 悪い話?」
情けない私は、そう直人さんに尋ねると、彼は一瞬目を彷徨わせ、困ったように微笑んだ。
「そうだな、長い目で見れば、決して悪い話じゃない。だけど、今の俺にとってはあまりいい話じゃないな」
「そうなの……」
一つの予感が、私の脳裏に浮かんだ。
軽く頭を振り、私は精一杯微笑んだ。そうすることがいいと思った。
どんなことでも、ちゃんと聞かなくちゃ。直人さんが、私に伝えたいと思って言ってくれるんだろうから。
「聞くわ。話して?」
「うん……。二ヶ月先の話なんだけど」
「うん」
「俺、海外出向が決まった。サンフランシスコに、一年間行くことになった」
「……へ?」
サンフランシスコ?
一年間?
私は頭が一瞬にして真っ白になり、馬鹿みたいに目を見開き、口をぽかんと開けて。
ただ、直人さんを眺めてしまった。
「あの、大丈夫? まどかちゃん」
「え、あ、ええ……えええええ!?」
呆然から脱出した私は、思わず大声を上げ、直人さんを驚かせてしまった。
ごめんなさい、だけど。
一年ー!?
嘘でしょ、何でそんなに長い間!
出張かな、っていう予感はあった。こんなに直人さんに依存しちゃっている私、二、三日逢えないだけでも辛くて、それだけでもとても嫌なのに。
なのに、海外に、それもしかも一年間!? 嘘でしょう!?
なんてことを決定したの、社長と室長!! 私を意気消沈させるための作戦!?
そんなことを伝える呼び出しに私を使っただなんて、更に酷い!!
室長ー! 社長ー! 酷すぎるわー!!
頭の中で、大暴走中の私だけど、表情は固まってしまっていたらしい。
直人さんは、私の肩に手を掛け、心配そうに私を覗き込んだ。
「まどかちゃん、まどかちゃん、しっかりして」
「あ……ごめんなさい。あまりのことで、びっくりしちゃって……でも、どうして直人さんが……」
やっとの思いでそう言った私を、直人さんはまだ心配そうに見ていたけど。
ぽつりぽつりと話をしてくれた。
「うちの会社と提携しているサンフランシスコの企業と、共同開発を進めることになったんだ。新しいソフトウェアの開発なんだけど、それを企画したのが俺で。相手方の会社も乗り気になってくれて、始動することになったんだけど」
「凄いじゃない、おめでとう、直人さん!」
凄い凄い! 海外の企業と提携して、開発を進めるだなんて。
直人さんの企画がまた一つ、軌道に乗ったのね。とても凄い!
しかもサンフランシスコなんて! あっ、私がコーヒーぶちまけてしまったジョージかしら!!
よ、良かった、直人さんの足を引っ張ることにならずに……。もっともあの時だって、フォローしてくれたのは直人さんだったんだけど。
さっきまで意気消沈していた私は、急浮上して興奮し、直人さんの肩を強く揺らした。
直人さんは、ガクガク頭を揺らしながらも、
「あ、ありがとう。で、企画した俺と、開発部の何人かで、現地に行くことになったんだ。多分、一年あれば向こうでの仕事は済ませることが出来ると思う」
「そ、そうなんだ……」
「これが成功すれば、うちの会社のブランドイメージも上がるし、俺にとってもチャンスだから……でも……まどかちゃんとしばらく離れるのは、辛いな……」
直人さんは、目を落としてしゅんとしてしまっている。
それを見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
そうね……そうよ、辛いわ。
私、耐えられるのかしら。
正直、付いて行きたい。離れるなんて、嫌よ。しかも、一年……長すぎる。
だけど……。
直人さん、きっとこのプロジェクトを成功させたら、今よりももっと地位や立場が上がる。スキルもアップして、更に直人さんは、会社にとって必要な人材となるだろう。
それを私が阻止するわけにはいかない。
気持ちよく、仕事に専念してもらうために、私が出来ること……。
私はきゅっと唇をかみ締め、一瞬目を閉じ、深く息を吐き。
そしてにっこりと、笑みを浮かべた。
「頑張って、直人さん。私、応援しているわ」
「まどかちゃん……」
戸惑う直人さんの頬に両手を添えて、そっと顔を寄せた。
触れ合う唇。私からのキスを、顔を真っ赤にして受けた直人さんに、私はくすりと笑い、そして首筋にぎゅっと抱きついた。
「待ってる。私、帰ってくるのを待ってるわ。だから、頑張ってきてね」
「まどかちゃん……!」
直人さんは、強く私を抱きしめた。
顔、上げられない。身動き、出来ない。でも、それでよかった。
今、顔を上げたら私が泣いているの、バレてしまう。
出立のその日まで、私は直人さんには笑顔だけを見せていこうと、こっそりと心の中で誓った。
直人さんに、私の泣き顔を思い出してもらいたくないから……。
だからこうして、抱きしめてくれる間だけ。直人さんのぬくもりを感じながら、直人さんに気づかれないように、そっと涙を零してしまうのは仕方ないよね?
大好きだから……直人さんの未来のために、我慢するわ……。
我慢……どれだけ出来るだろうかと、早くも自信を失っている私がいた。




