第3話 噛みしめた覚悟、噛み倒したお呼び出し
少しばかり重たい扉を開くと、眩しい日差しが差し込んでいて、思わず目を細めてしまった。
中には、大きな会議用のテーブルがあり、周囲を取り囲むようにいくつもの椅子が並んである。
奥には真っ白なスクリーンボード。この会議室は、企画室の隣にある第五会議室とか、第七会議室とは違う。
総務部内のこの会議室は、社長を交えた大きな会議を行うことが多い。
なのに、部屋の大きさはさほどでもない。何だか不思議な場所だなあと、ずっと思っていた。
ぼんやりとそんなことを考えていた私は、はっと視線に気付いた。
中にいたのは、総務部長、尾崎主任、企画室長、人事部長、何人かの専務、そして社長。
私は慌てて身を正し、頭を下げた。
「失礼致します」
「山岸さん、こちらへお掛けなさい」
尾崎主任が、自分の隣を薦めてくれた。社長達に頭を下げながら、そこへ腰掛けると、尾崎主任が笑みをかみ殺したような声で囁いた。
「掲示を見て、驚いたでしょ?」
何だ、私に何も内示が無かったのって、やっぱり確信犯だったの!?
私は僅かに頬を膨らませて、尾崎主任を恨めしげに見上げた。
「驚きますよ、そりゃあ。どうして前もって教えて下さらなかったんです?」
「あら、だってそんなことをしたら、山岸さん、嫌だって言うんじゃないかと思って」
ギクッ! た、確かに。
来月から、あなたは主任に昇進です。
そんなことを言われたら、私はにっこりと笑って、「嫌です」って言っていたに違いない。
責任の重さもそうだけど、私自身そんな肩書きに見合うと思っていないし、何より直人さんと会える時間が短くなるなんて嫌だもの。
全て見越されていたのか、尾崎主任に。
少し悔しくて、何か一言言い返そうと思っていたら、企画室長が身を僅かに乗り出して、私を覗き込んだ。
企画室というのは、特殊な部署で。
総務や他の部署のように、部長、課長、係長、主任という役職がない。
企画室のトップは、もちろん室長。その他の社員は、全員肩書き無しだ。
といっても、無論エリート集団の企画室員、入社してすぐに主任クラスの待遇だし、優秀な直人さんに至っては、聞いたことないけど、恐らく課長レベルの待遇を受けているんじゃないかしら?
彼はあまり自分の昇進のこととか興味ないようで、一切私にそういったことを話したことないし、私もそんなことを聞くのは厭らしいと思って、何も聞いたことが無かった。
でも、直人さんはそれくらいの待遇を受けても当然よ。信じられないくらいの仕事量をこなしているんだから。そして数々のプロジェクトを成功させて、ソフトの商品化にどれだけ繋げてきたか。数え切れないくらい、うちの会社に貢献してきている。
ふふふ、さすが私の直人さん。素晴らしい。本当に素晴らしいわ。
直人さんの怒涛の仕事っぷりを思い出し、一人ニヤついてしまった私を、室長が心配そうに首をかしげて覗き込む。
いけない、またしても妄想の世界に突入してしまうところだった。
私は表情を引き締め、見慣れた室長の顔を見つめ返した。
五十台半ばの室長は、ことあるごとに私を気にかけてくれている。娘さんと、年が近いということだけじゃなく、どうも私は室長にとって頼りなく見えるようだ。うう、ある意味事実だけど……。
「山岸さん、大丈夫か? 本当は嫌なんじゃないか? 尾崎くん、この人事、無理矢理じゃあるまいな」
「あら、失礼ですわね。山岸さんの昇格は、私一人で決めたことじゃありませんよ?」
そう尾崎主任はにこやかに言うけど、室長、ビンゴ! 無理矢理よ、そうなのよ! 尾崎主任たら、強引ほかならない。
……この場で、言えはしないけど。
室長は、ぴしゃりと言われて口ごもった。
「い、いや、まあそうだが……」
「言ったはずです。山岸さんには私の右腕になってもらうと。そのために、総務へ来てもらったんです。それを室長だって、最初は反対されてましたけど、最後は納得なさったじゃありませんか」
「いや、でも、しかしだね、山岸さんは、その、何ていうか、肝心なところで危なっかしいっていうか……」
ええー!? やっぱり私、危なっかしいの?
もう社会人として四年なのに。私もそこそこ、しっかりしてきたと思うのに。
室長に抗議しようとした私を止めたのは、笑みを深めた尾崎主任。な、何か怖い笑み……静かにキレた時の直人さんと、同類の笑みを浮かべている。こわ……。
「室長、過保護にもほどがありましてよ? 山岸さんは、充分自分の成すべきことを果たしています。だからこそ、主任へと推挙したんです。室長も、山岸さんの頑張りを評価しておいででしたわね?」
凄いな、尾崎主任って。室長にも引けをとらず、理論整然と自分の意思を通してる。さすがだ……ここまで強気じゃないと、やっぱり上に立つものにはなれないんだろうなあ。
……私、大丈夫かしら……。
さっき、里佳と並んで堂々と仕事をするぞ! と気合が入った私の心は、すぐにしゅんと縮まっていく。
急に不安になってしまった私を挟み、それでも何だか粘っている室長と、それをばっさりと切り捨てる尾崎主任の小さな討論は、社長の手打ち一つで収まった。
「さあさあ、もうその辺にしたまえ。山岸くん」
「はっ、はいっ!」
社長とは初対面な訳じゃないけど。企画室の庶務の頃にも何度かお会いしたし、総務に異動になってからは、更に社長とお会いする機会も増えたけど。
でも、やっぱり何だか緊張しちゃう。思わず姿勢を正して、手のひらに妙な汗をかく私に、社長が一枚の書面を差し出した。
「来月一日付けの人事異動だ。よく読んで、サインをするように」
渡された紙には、細々とした字で、主任に昇格するに当たっての規格が色々書いてあるようだった……けど、目で追っても、脳にインプットされない。全部、目から素通りしていってしまうみたい。
駄目だ、私、かなりテンパっているらしい。
もうこれ以上、忙しい幹部の方々を拘束するわけにいかないし。私はエイヤッ! と、名前を書く欄にサインをした。
こうなってしまった以上は、覚悟を決めるのよ、まどか。
直人さんは、私が寂しすぎてどうにかなりそうだったら、何か策を考えてくれるって言ってくれたし。
総務の皆も、私のこと、受け入れてくれたし。
何より、尾崎主任が私を信頼してくれているし。
成せばなる。そして女は気合と度胸よ!
小鼻を膨らませながら、気合のサインを入れた紙を受け取った社長は、私の字を眺めておかしそうに口元を綻ばせ、その書類を尾崎主任に手渡した。
「緊張していると、字にも現れるものだな」
え!? 私、緊張しているのは間違いないけど。字まで緊張感溢れてしまった!?
なんて私って分かりやすいの。
凄く恥ずかしくて、顔を赤くしてしまった私に、尾崎主任もくすくすと笑いながら、私の肩をぽんと叩いた。
「はい、お疲れ様。これで辞令はお終いよ」
「あ、そうなんですか?」
何だかあっけないな。これで終わりなんだ。でも、ほっとした。
立ち上がった私は、頭を下げてそそくさと会議室を後にしようとしたんだけど。
「あ、待って、山岸さん。今日は英検の日よ、社内放送を忘れずにね」
ああ、そうだった、そうだった。
うちの会社は、海外の企業と提携を組んでいる。だから、開発関係に携わる者には、英語は必須。
なので、一年に数度、社内での英語検定が催される。
これは、総務部主催なので、社内放送も総務部が流すことになっていた。
ちなみに、他社を招いての発表会とか、研究討論会とかは、企画室主催。こちらの社内放は、私が企画室の庶務をやっていた頃に担当をしていた。
総務に来てから、総務部主催のイベントの放送は、今まで尾崎主任がやってくれていたんだけど。この仕事も、私が引き継ぐことになるんだ……。
少しドキドキしてきた胸を押さえていると、ふと室長が私を見上げて言った。
「放送掛けるのか。じゃあついでに、不破をここに呼んでくれ」
「はっ……!? ふ、不破さんを!?」
ボンッと顔を赤くしてしまい、思わず問い返した私と室長を見比べた社長は、軽い調子で頷いた。
「ああ、そうだな。あいつもなあ、何だかいつも会議会議で、どこにいるのかさっぱり分からん。社内にいるなら、メールよりも放送のほうが早いな。山岸くん、よろしく頼むよ」
しゃ、社長命令……私は両手両足の関節が硬直してしまい、まるでロボットのような動きで、かろうじて頭を下げて会議室を後にした。
社内放送で、直人さんを呼び出すの? 私が? マジデスカ。
やばい、緊張してきた。どうしよ、噛む。絶対噛む。
会議室のすぐ傍にある、社内放送用のマイクがセットしている机に腰掛け、私は深い溜息を深呼吸に変えて。それだけじゃ足りずに、立ち上がって屈伸などを始めたりして。
だって、恥ずかしいよ。直人さんの名前を、マイクで社内全域に流すなんて!! 声、裏返ったらどうしよう。
そ、そうだ。練習、練習しよう。ぶっつけ本番よりも、ずっといい。
私は慌てて自分の机に戻り、ノートを手にしてマイクの前に戻った。
そしてノートに、今から言うセリフを書き出していく。
「ええと、まずは英検のお知らせを言って、それを二度繰り返して、そんでもって、直人さんを呼び出せばいいのよね……」
一人ブチブチ言いながら、何とか草案を書き上げ、何度もそれを読み返し。
覚悟を決めて、マイクの横にあるボタンをポチッと押した。
ぴんぽんぱんぽーん。
『総務部より、お知らせいたします。本日午後五時より、本館四階第二会議室におきまして、社内英語検定を実施いたします。受験対象者の方は、時間に遅れないようにご参集くださいませ。繰り返し、総務部よりお知らせいたします……』
か、噛まなかったわっ! 何とか言えた。後は問題の、直人さん……。
『引き続き、お呼び出しを申し上げます。企画室の、不破な……直人さん、企画室の不破、なお、直人さん、総務部内会議室に至急お越しくださいませっ!』
ぴんぽんぱんぽーん。
言えた、言えたと思う……あ。
ああああ! 二度繰り返さなくちゃいけないのに、一度言っただけで、放送切っちゃった!
しかも後から真菜に、爆笑されてしまった。
「何でその前は冷静に言ってるのに、『直人さん』ってところだけ噛み噛みなのよー!」
えっ、私、噛んでた!? やだー、恥ずかしい!! それを直人さん、聞いたのよね!? ひい、穴があったら入りたい!
赤面して、頭を抱えた私は、机にうつ伏せていたんだけど。
ふと、気がついた。
室長、直人さんと会議がしたいのなら、企画室のそばの会議室でやればいいのに。
それに、社長も会議に参加する感じだった……?だから、ここの会議室に、直人さんを呼んだの?
一体、何の話をするのかしら……。
胸によぎった不安が、少しずつ大きくなっていくような気がした。




