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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
ずっと傍にいたいから

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第5話 その笑顔を護りたい

言葉を、どうかけていいか分からない。だから、そっと手を伸ばし、美咲ちゃんの艶やかな長い黒髪を撫でた。


大丈夫よ、私、あなたのことが大好きだから。


その思いを込めて何度か撫でると、美咲ちゃんははっとして私を見上げた。


やっぱり兄妹ね。性格は全然違うけど、目元とか良く似てる。


私はにっこりと笑みを浮かべて、美咲ちゃんから手を離して直人さんの部屋の扉を閉めた。


その途端、少し大きな声のやりとりが聞こえる。


内容までは、分からない。分からなくていいんだろう。これは兄妹の会話。私が参加するべきじゃない。ちょっと寂しいけど、でもまだ今は、私は直人さんに言われたようにするのが一番いいと思った。


だってね、私、すぐに気付いたもの。


美咲ちゃんは、直人さんが大好き。彼氏が直人さんのこと、「オタク」って言ったら、速攻怒ってた。


私が言うのは構わないけど、他人が言うなって。


そしてそれは、直人さんだったら絶対気付いている。


それに分かるよ、ちょっと見ていれば。直人さんが、美咲ちゃんを可愛がっているの。


いいな、兄妹。私も、欲しかったな。今更もう無理だけど、せめて美咲ちゃんとそういう関係になれればいいな……。


ボーッとそんなことを考えながら、直人さんのパソコンデスクの前に座っていた。


三段ラックの一番上には、プリンター。真ん中に、デスクトップのディスプレイがあり、その周囲にお仕事関連の書物なのかな、本が何冊か散乱している。


一番下の、引き出し式のキーボードが置かれている小さな棚の下は何があるのかと、覗いてみると。


意外や意外。雑誌が綺麗に並べられていた。


「難しそうな雑誌何だろうな……」


何も考えずに、何となくそんなことを呟きながら、一冊を引き出してみた。そしてその表紙を見て、硬直する。


だ、だだだ、だって!!私、私がいた!


私が、高校と短大時代にアルバイト代わりにやっていた、雑誌モデル。その雑誌が今まさに、私の手の中にあった。


にこやかな顔で、両手を広げている私。嘘、信じられない。どうしてこれを、直人さんが!?


そしてはっとして、他の雑誌も見てみると、全部私が載っているファッション雑誌だった。


一挙に頭がパニックになる。だって、直人さんがどうして女性ファッション誌なんて。それにこれって、もう何年も前のものなのに。


それに、途中何枚もピラピラ付いている紙があるから、そのページを開いてみると、それは全て私が載っているページだった。


「嘘……」


ただ呆然として、そう呟いていると、ガチャリと扉が開いた。


「ごめん、お待たせ……あっ!」


直人さんは、私が雑誌を見ているのに気付き、慌てて駆け寄ってきた。


「ま、まどかちゃん、あの、それは、ええと……」


「直人さん……私が、雑誌モデルしてたこと、知ってたの?」


だって何より、それが一番驚きだった。私、会社に入ってから、誰にもこのこと言ってないもの。


面接では、経歴として履歴書には書いたけど。でも、何か自慢しているみたいに取られるのが嫌で、誰にも言っていなかった。もっとも、私と同世代の人で、この雑誌を買っていた女の子だったら分かってしまうことだと思うけど。


それでも、男の人に分かってしまうことなんて……ましてや、直人さんが絶対気付くことなんてないと思っていたのに。


私がじっと直人さんを見上げていると、彼は観念したように顔を赤らめて、ポスンと音を立ててベッドに腰掛けた。


「あの、あのな……ずっと前に……そうだな、まどかちゃんと一緒に合コンに行ったすぐ後くらいかな。石橋が興奮したように、この雑誌のどれかを持ってきたことがあって」


私と一緒に合コンって、アレよね。私が直人さんの唇を、強奪してしまったあの日よね?


っていうか。


石橋さん!? え、嘘でしょ。何で石橋さんが知ってるの!


どこで一番驚けばいいの。パニックに陥っている私がいた。どうしよ、言葉が全然出てこない。


私が眼を見開いていると、直人さんが事の真相を明かしてくれた。


「合コンで一緒だった女の子が、『企画室の庶務やってる子って、この子でしょ?』って、この雑誌を石橋に見せたらしい。やつ、その子から雑誌をもらって、凄く嬉しそうに俺に見せたんだ。『見ろ、まどかはこんな輝いた世界にいたんだぞ。お前みたいな地味な男、遊びに決まってんだろ』って。そう言って」


何ー!? 遊びだと!? 有り得ないから! てか、石橋さんの中で、私はそんなに軽い女!? 許すまじ!


そもそも、私が輝いた世界にいたなんて、そんなことない。雑誌モデルはそれは見た目は煌びやかだけど、裏は怖いんだから。蹴落とし合い炸裂で、どうして私がそんな世界に就職するまでいられたか、よく分からない。でも、昨日の友は、今日の敵。それは身にしみて感じた。


「そ、それで……雑誌の名前、暗記したから、バックナンバーあるかなって調べたら、あったから、ええと、通販で取り寄せて……」


直人さんは、可哀想なくらいに顔を真っ赤にして、顔を俯かせてしまった。まるで、悪事を働いた子供みたいに。


私は胸が、きゅーんとなってしまって、その直人さんを見つめることしか出来なくて。だって続きの言葉、聞きたい。


「まどかちゃんが、雑誌に載ってて、最初は凄く嬉しくて、何だか俺も誇らしくて。この子が俺の彼女なんだって思ったら、凄く自慢して回りたかったけど、でも。あ、今も、そういう気持ちあるし、こんな綺麗に写真を撮ってもらえるまどかちゃんが、俺なんかの彼女でいいのかって思うけど、でも……」


ほら、直人さんだ。言葉、選んでる。


私はくすりと笑って、雑誌を手にしたまま、直人さんの隣に腰掛けた。そして数年前の私の写真が写ってるページを広げて、直人さんの肩に頭をもたらせた。


「私、随分老けちゃったね。この頃に、直人さんに出会ってれば良かったな」


「そんなことない!」


速攻の否定に、私は凄く驚いて、直人さんをまじまじと見上げてしまった。その本人もまた、自分の口から出た言葉に驚いているようだ。


「え、ええと。何ていうかな、その、俺にとってはいつ出会っても、まどかちゃんはまどかちゃんな訳だから、絶対好きになってると思うし……」


私は直人さんの言葉に、胸がドキドキして止まらなくなっていってしまっていた。


だって、気付いているのかな、直人さん。照れながらも、凄い発言しているのよ?


潤んだ目で見上げている私に目を向けた直人さんは、頭を軽く振って、困ったような笑みを浮かべた。


「もう、白状する。俺にとっては、雑誌に載ってるモデルのまどかちゃんっていうよりも、会えない時間を補ってくれる大切な雑誌なんだ」


「え……?」


「まどかちゃんに恋しくなったら、この雑誌見てた。在宅で仕事していて、疲れたら、まどかちゃんの笑顔の写真を見てた。……だから、まどかちゃんが折角持ってきてくれたあの本は、俺には必要ないよ」


きょとんとしていた私だけど、段々言葉の意味が分かって。そして、私が持ってきた本って……エロ本じゃないの!


必要ないって……えええ!?


眼を見開いた私に、直人さんは慌てて手を振って、


「ち、違う! そんな意味じゃない。俺はそんな目で、この雑誌見てないから、違うから!」


必死で言い訳してる。


私、何も言ってないのに。だけど、おろおろしている直人さんが、とても愛おしく思えて。


私は両手を広げ、直人さんに抱きついた。


突然の私の行動に、戸惑いながらも受け止めてくれた直人さんの胸に、顔を摺り寄せて、私は笑みを止められなかった。だって嬉しい。凄く、嬉しいんだもの。


「うん、分かってる。集めてくれて、ありがと」


「い、いや……なんか、とても悔しくて。俺の知らないまどかちゃんのことを、石橋が先に知って、その上石橋が持っていて、俺が持っていないのって、凄く嫌だった」


「……え?」


「この雑誌。石橋よりも先に、俺が見つけたかったな。でも、もういい。まどかちゃんが載ってるの、全部手に入れたから。だからいい」


そう言って、直人さんは私を抱いた手を軽く揺らした。


私はその言葉を聞いて、思わず噴出しそうになってしまった。だって。


直人さん、ヤキモチ? 嘘でしょ、凄く嬉しい。


だから私は、直人さんの首筋に抱きついて囁いた。


「ねえ、直人さん。美咲ちゃんと、どんな話したの?」


私の質問に、なかなか返事が来ない。


しばらくぎゅっと抱きついて待っていたんだけど。痺れをきかせて顔を上げると、直人さんが口を結んで顔を紅潮させたまま、目を彷徨わせている。


「な、直人さん?」


「ええと……美咲に、今日はまどかちゃんは、俺に会いに来たんだから、今日のまどかちゃんは俺が独り占めして何が悪いって……そう言ったら、美咲のやつ、次は私がまどかちゃんと約束してやるって、そう息巻いて……どうしよう、ごめん、強気な妹で。もしかしたら、まどかちゃんの連絡先とか教えろって言ってくるかも」


困惑している直人さんに、そろそろ教えてあげようか。


もうすでに、美咲ちゃんと私は、メル友になったのよって。そうしたら、安心するかな。それとも、困ったような顔をするかしら。


私はくすくすと笑いながら、直人さんの膝に乗り、そっと彼の眼鏡を外した。


目を見開く彼の切れ長の綺麗な眼差しを真っ直ぐ見つめながら、どうしても今、欲しいものをねだるために囁いた。


「直人さん、この雑誌に載ってる私よりも、今の私を見て?」


「……ま、まどかちゃん?」


「この頃は、直人さんを知らなかった。だから、今の私の方がずっと幸せなの。その幸せな私を見て、お願い」


過去の栄光よりも、現在の幸福の方がずっと大きい。


だって今は、あなたがいる。私を抱き締めてくれる、この手がある。


実の妹と、ムキになって私を取り合ってくれるあなたが……私はとても堪らなく好きなのよ。


そっと塞がれた唇の感触。いつまでも、ずっと触れていたい。私の直人さんの頭部を抱く力が強まるたび、直人さんが私を望むのも強まっていく。


息も絶え絶えなくらい、深いキスを繰り返し、私は心の中で呟いた。




過去の全ては、あなたと出会うためにあったこと。そして現在、あなたとこうしていられる幸せ。未来は、共に築いていこう。築いていける。だって、こんなにも好きなんだもの。




唇を離した瞬間、直人さんが切なそうな顔をしたのを見て、くすりと笑った私は彼の鼻先にキスをした。


「早くうちにお泊りに来てね。あ、でもその前に、一度美咲ちゃんとデートをしたいな」


「……俺よりも先に?」


「うん、それが嫌なら、もう無理しないって、約束して?」


私の意地悪な約束に、直人さんは苦笑して乗ってくれた。


良かった。この約束は、きっと守ってくれるかな?


ご褒美に、直人さんがうちにお泊りした後に、美咲ちゃんとデートしなくちゃ。




満たされた、幸せな時間。




休日が過ぎ、ウキウキ気分で浮かれた私は、とんでもないものを見るハメになる。


会社で、人ごみの中、失神寸前の私を見つけた直人さんは、血相を変えて飛んできた。


何も答えられない私は、指をただ、壁に張られた人事異動の紙を指差すことしか出来ない。


それを辿って見た、直人さんの目も見開かれる。




人事異動


<総務部>


尾崎京子   現:主任   新:係長


山岸まどか  現       新:主任






嘘でしょ……事前報告、一切無しですか。




残業三昧の毎日が、目に浮かぶようで……直人さんとのめくるめく定時後の幸せな時間が、全て風と共に去っていくようで……




「山岸さん! ま、まどかちゃん!?」




直人さんの声も、遠くに感じる。


アデュー、私の連日定時帰宅の、平穏な日常……。

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