第4話 二つの笑顔の温度差
「取り合えず、部屋に戻ろうか」
そう直人さんは苦笑を浮かべて、私を促した。
直人さん作の、とても美味しそうなしょうが焼きを、あっという間に平らげた直人さんのお母様は、もう私たちに振り返ることは無い。
怒涛のごとく、直人さん以上のスピードでキーを叩いていく。す、凄すぎる……。
唖然として、お母様の後姿を見つめていた私を、もう一度促してくれた直人さんについて、お母様の仕事部屋を後にした。
認めて、くれたのかな。私たちのお付き合い。
きっとそうだよね。反対しなかったもの。それどころか、
「良かったじゃん、直人!」
って言ってくれたものね。
現金なもので、さっきから泣いてばかりいた私はもう、にこにこ笑顔全開で、直人さんの後を付いていく。
階段を上りきったところで、「あっ」と直人さんが小さな声を上げて突然立ち止まった。
私は思わず、直人さんの背中に顔面をぶつけてしまい、ふらついたところを大きな手が支えてくれた。
「危ない! ご、ごめん、まどかちゃん、大丈夫!?」
慌て、うろたえたような直人さんの声。
私は間一髪、階段から転げ落ちそうになるのを何とか免れた。
片手を階段の手すりに、そして腰全体を直人さんに支えられ、余りに驚きすぎて返事も出来ず、瞬きを繰り返していると。
「美咲! 何でこんなところに突っ立っているんだ。危ないだろう!」
ひぇ! な、直人さんが怒った!
私はびっくりしすぎて、呼吸するのも忘れてしまった。だって、あの穏やかで照れ屋さんな直人さんが、怒鳴るなんて。全然想像もしていなかった。
しかも、しかも。結構怖い……。
私はビクビクしながら、直人さん越しに前を盗み見ると、そこに仁王立ちした美咲ちゃんが、頬を膨らませていた。
全然驚いてもビクついている様子もない。さすが兄妹……。
「何よっ! 兄貴が私に気付かなかったのがいけないんでしょっ! ていうか、いつまで待たせんのよ! 私、ずっとまどかちゃんが来るの、待ってたんだからねっ!」
美咲ちゃんが、直人さんに負けじと大きな声を上げる。
あ、しまった。そうだ、美咲ちゃんの新しく買った洋服を見てあげる約束をしたんだった。
直人さんのお母様に会って、私テンション上がりっぱなしで。美咲ちゃんのこと、すっかりと忘れていた。
「ご、ごめんね? 美咲ちゃん、お待たせ。見せて? 新しく買った洋服」
私がそう、場を取り成すように言ったら、直人さんはくるりと振り返り、私ににこりと笑顔を浮かべた。
な、何その笑顔。見たことないような、ちょっと怖い笑顔なんですけど?
口元は笑みを作っているけど、目が全然笑ってない。直人さんのこんな笑みを初めて見て、私は美咲ちゃんに向けた微笑を凍りつかせてしまった。
「まどかちゃん、俺の部屋に先に行っていて?」
「え、でも……」
「何でよぉ!! ずるい、私の約束はどうなるの!? 何で兄貴ばっかり、まどかちゃんを……」
言いかけた美咲ちゃんに、直人さんは振り向いただけで黙らせた。美咲ちゃんは、口を開けたまま硬直している。
今、直人さんはどんな表情をしているんだろう。私からは、背中しか見えないからわからないけど……分からない方がいいのかな……。
ビクビク絶頂の私の耳に入ってきた、至極冷静な声。
「まどかちゃんは、俺の彼女だ。美咲のものじゃない」
直人さん……? その言葉の意味が分からないけど、でも、俺の彼女だって!!
そこだけで、私のビクビクは解除される。我ながら単純に出来ている。今やもう、私は頬が緩んで仕方が無い。
「わ、分かってるもん。兄貴の彼女だってことくらい。だけど少しくらい……」
「いいか、美咲……ああ、まどかちゃん、ごめんね。先に行っていて? すぐに俺も部屋に戻るから」
直人さんはそう言って、体を少しずらして、私が階段を上れるスペースを作った。
ここは……素直に直人さんの部屋に戻った方がいいのかな。何でか分からないけど、またしても私を巡ってのバトルが始まってしまっている。
さっきは美咲ちゃんと彼氏。今度は美咲ちゃんと直人さん。一体どうなってるの。
私は別に、美咲ちゃんの部屋で過ごしても構わない。それはそれで楽しいと思うし、そういう時間も過ごしたい。
直人さんが怒ったのは、私が危ない目に合ったからだ。それは分かる。だけど、その意味じゃなく、兄として、美咲ちゃんを叱ろうとしている直人さんが私の目の前にいるような気がした。
その意味、よく分からないけど。何を叱るのか、さっぱり分かってないけど。
でも、それを邪魔してはいけないと思った私は、直人さんの隣を通り過ぎ、階段の一番上に到着したら、そこにふて腐れた顔の美咲ちゃんがいた。




