第5話 夢の続きを、君の体温で
好き。本当に、心から愛してる。
直人さんの胸に抱き締められて、彼から香る匂いを感じて、ますます思いが強くなる。
私、ここまで人を好きになったことって、今までない。
この気持ちに戸惑うけど。そして、直人さんに想い押し付けて、嫌われてしまうのが怖いけど。
でも、止まらないの。好きって気持ちが止まらない。
私を抱き締めた直人さんは、頬を髪に摺り寄せてくれているようで。私の頭頂部から、低い耳に心地よい声がした。
「まどかちゃん、俺、今までずっと、他人なんてどうでもいいって思ってたし、俺自身のことにも興味が沸かなかったんだ」
突然の言葉に驚いて、私は僅かに直人さんから身体を離した。
見上げると、直人さんは少しだけ紅潮させた頬を緩ませて、私をまっすぐ見つめてる。
その眼差しに、私は胸の高鳴りがますます強くなっていく。
そんな私の気持ちにきっと気付いていない直人さんは、手を伸ばして私の頬に触れた。
そっと、割れ物に触れるみたいに。
「だけど、まどかちゃんと付き合うようになって、考え方、変わった。まどかちゃん、凄く周りを見て、仕事してる。それに、『アフロディーテ』のことだって、他人を綺麗にしてあげたいって気持ちがあるからだよね?」
直人さんの口から、『アフロディーテ』って言葉を聞くと、途端に恥ずかしくなってしまう私。顔を隠してしまいたい。
だけど、直人さんの眼差しは柔らかいのに。どうしてなの。
目線を外すことが、出来ない。
直人さんは、ふんわりとした微笑を浮かべながら、私の頬を撫でつつ言葉を紡いでいった。
「正直、俺にはまどかちゃんの他人に施してあげる気持ちが分からなかった。自分の大切な時間を犠牲にしてまで、何で? って思ったんだ」
「それは、私がただ、メイクをするのが好きだから……」
私、そんないい人じゃないわ。
ただ、そう、私はメイクをして、女の子が喜んでくれる姿を見るのが嬉しい。
メイクをしてあげている間の話も、とても楽しい。
ただ、それだけなのに……。
「まどかちゃんを見てて、凄くいいなって思った。優しい気持ちに、俺もなれた。そんなまどかちゃんを、誰よりも大切に思える自分がいて、それに驚いているけど、でも」
直人さんは微笑を照れたような苦笑に変えて、一瞬私から眼差しを外して、宙を見上げた。
言葉、選んでる。
直人さんは真面目ね。思ったことをそのまま伝えるのが、とてもヘタ。
でもね、その分私の心に響く言葉を、たくさんくれる。
だから、待つわ。いつまでも、あなたのくれる言葉を待つ。
じっと直人さんを見上げていた私の眦に、そっと指を触れさせて……ああ、零れてしまった涙を、拭ってくれたのかな。
直人さんは、暖かい微笑を再び浮かべた。
「まどかちゃんを、とても大事に思ってる。そのまどかちゃんが、俺のために……こんな俺のために、心配して泣いてくれた。だから、俺も自分を大事にしなくちゃなって思ったんだ」
「な……おと、さん?」
どうしよう。
せっかく止まりかけた涙が、再び込み上げてきた。
だって、直人さんの言葉、胸に強く染み渡る。
そうよ、私、あなたが大事なの。何よりも……この世の中に存在する、ありとあらゆるもの全てのトップに君臨しているのよ?
私の中で、直人さんはダントツで一番大切な存在なの。
それを分かってくれた。凄く凄く嬉しかった。
そして、私を大事に思ってるって。そう言ってくれたのよ。
私の涙って、どこまで在庫があるのかしら。
ボロボロ泣く私を見て、困ったように微笑んだ直人さんは、私を再び胸に閉じ込めた。
「泣かないで。もう俺、大丈夫だから。来てくれて、ありがとう。びっくりしたけど、嬉しかったよ」
「ほ、本当?ウザくない?」
思わず聞いた私の言葉に、直人さんはくすりと笑って私の頭をそっと撫でた。
「ウザくなんか、ないよ。メチャクチャ嬉しかった。でも、ここまでよく分かったね。あの、その……まどかちゃんて、あんまり地理、得意じゃないだろ?」
優しい直人さん。はっきり方向音痴って言えばいいのに。
私は思わず笑ってしまって、直人さんから身体を離して彼のベッドに腰掛けた。
スプリングが利いてるベッド。布団から半身を起している彼の手を握りながら、もう片方の手で持ってきた紙袋を引き寄せた。
「駅前で、美咲ちゃんに会ったのよ。ここまで案内してくれたの。いい子ね、美咲ちゃん」
「えっ、美咲に会ったの!? あの、何か妙なこととか、言われなかった?」
ふふ、心配してる。
どうしようかな、メル友になっちゃったこととか言おうかな。
だけどそれは、また今度。直人さんをきっと驚かせることが出来るネタだから、元気になった時に明かしちゃおう。
「大丈夫よ、私の荷物、持ってくれたの。直人さんからも労ってあげてね。そうそ、これ、お見舞い。あのね……」
言いながら紙袋から出したのは、桃の缶詰。だって熱を出したときってこれでしょ?
それにミネラルウォーターとか、インスタントのおかゆとか。
「あとね、色々あってよく分からなかったんだけど、こういうの、直人さん好き?」
そう言って差し出した数冊の本。
いわゆる、エロ本。
買うの、勇気いったのよ? だけどベッドの上でゴロゴロしているのって、とってもつまらないと思うし。
直人さん、漫画とか読むイメージないし、男の人だったらこういうのって好きなのかなあと思って、頑張って買ってきたのよ。
私から本を受け取った直人さんは、目を見開いて、そしてプッと噴き出した。
「くっ……あはは! まどかちゃん、よくこれ、買えたね!」
珍しい、直人さんの爆笑。ていうか、初めて見たかも。
やだ、どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい。
私はドキドキしつつも、頬が緩んで止まらない。
「うん、恥ずかしかったけど、でも……あーっ、直人さん、元気になっても、この本をおかずにしちゃ嫌よ? ああ、そうか。やだ、私ったらバカね!」
しまった、直人さんの欲望を満たすネタを提供してしまったのかもしれない!
迂闊なことに、今この場で気付いた私は、一人頭を抱えてしまった。
うなる私を可笑しそうに見下ろしていた直人さんは、再びそっと私の頭部に手を当てて。ゆっくりと髪を撫で梳いた。
「しないよ、そんなこと」
「…………え?」
「俺は、まどかちゃんだけでいい。この先ずっと、まどかちゃんだけいれば、それで充分だよ」
直人さんはそう微笑みながら言い、私の顔を上げさせて。
そして、顔が段々近づいて。
後はもう、考えられない。
塞がる唇の甘さに必死に応えて、手を直人さんの首元に回して。
重なる唇が離れて、お互いの熱い吐息が漏れるのもわずか。すぐに再び私の唇は、直人さんの熱で一杯になる。
「……夢、みてた」
唇が離れた一瞬、直人さんが言った。
どんな夢?
聞く間もなく、またキスで唇が塞がれてしまう。
「まどかちゃんのことだけ。そればっかり夢に見てた」
こちんと私のおでこに額をつけて、直人さんは間近で目を細めて微笑みながら言う。
「ほんと……? 私のこと、夢で見てくれてたの?」
「うん、本当。ついさっきまでも、まどかちゃんとこうしてキスしてる夢みてた。それが叶って、何だか夢の続きみたいで……」
言うなり、照れてしまった直人さんの頬をそっと抑えて、私から唇を寄せた。
夢じゃないのよ。嬉しい。夢でも見てくれていたの? もっともっと。
あなたを満足させるまで、キスしていたい。
私だけじゃない。
好きって気持ちが溢れかえっているの、私一人で、ちょっと暴走しているかなって不安だったけど。
でも、直人さんもこんな気持ちを抱いてくれているのかって知って、とても安心した。
直人さんの胸に抱かれ、キスを何度も何度も繰り返し。
「もう俺は、大丈夫だよ」
って言葉を聞いて、凄く安心して凄く嬉しかった。
私も、毎日夢に見ているわ。
あなたと一緒にいる時間。あなたのその眼差し、あなたのその微笑。
それがあるから、会える時間を大切に思うのよ。
今日もまた、夢でも逢おう? その時、どんなキスをしてくれるのかな。
私は小さく笑って、直人さんにおねだりするように唇を差し出した。
それに応えてくれる、柔らかい感触に酔いながら、幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。




