第2話 ロンリーウルフに安らぎを
医務室へ運ばれた直人さんは、熱で辛いのを超えてしまっているのか、ボーッと天井の一点を眺めたまま動かない。
「それじゃ山岸さん、俺ら、仕事戻るから」
「悪いけど、後頼むわ。不破、早く治せよ! あんま山岸さんに心配かけんじゃねえぞ!」
そう言いながら、直人さんをここまで連れて来てくれた男性社員達は仕事に戻っていった。
「すみません、ありがとうございました!」
彼らを見送った私は、直人さんの寝ている簡易ベッドの傍に戻った。
今、駐在のお医者さんが診てくれているけど、ここで完璧な診療なんて望めない。どっちにしろ、ちゃんと病院で診てもらわないと。
「んー、多分風邪じゃないねえ」
直人さんの胸に聴診器を当てていたじっちゃん先生が、それを耳から外しながら言う。
か、風邪じゃない! ということは、何!? もっと重い病なの!?
私は一気にパニックになり、立ち上がって、じっちゃん先生の白衣をぎゅーぎゅーと掴み上げた。
「ど、どういうことなんですか! 直人さん、大丈夫なんですよね!? もう一度ちゃんと診てよ、誤診だったら承知しないんだから!」
叫んで首を締め上げていると、じっちゃん先生はふるふる震えながら、私の手を叩く。
それでもぐいぐいと手に力を込めてしまっていると、私の頭がポカリと叩かれた。
「いたっ!」
振り返ると、腕を組んで呆れたような里佳と、その隣にふて腐れた顔をした石橋さんが立っていた。
「何をやっているの、まどか」
「だ、だって先生が、直人さんがただの風邪じゃないって……」
「ワシはそんなことは言っとらん! 多分風邪じゃなく、過労による発熱だろうと。そう言おうとしたんじゃ!」
憤然としたじっちゃん先生が、自分の白衣から私の腕をもぎとり、フンと鼻を鳴らした。
え……私の早とちり!? またしても……やってしまった。
しかも一番苦しい思いをしている直人さんの前で。何てことをしてしまったんだろう。
一気にズーンと落ち込んだ私は、よたよたと直人さんの傍に近づいて、そっと布団からむき出しのままのはだかれた上半身にお布団を掛けた。
「ごめんね、直人さん……」
「……まどかちゃん、心配掛けてごめんな。何かボーッとするけど、でも大丈夫だから」
直人さんは、私にうつろな目を向けて、にっこりと微笑んだ。
具合の悪い直人さんに心配掛けさせ、挙句に慰められてしまった。
もう、私って本当にダメダメだわ……。
しょぼんとした私に向かって、直人さんから手が差し伸べられた。咄嗟にそれをぎゅっと握る。熱い。今、何度あるんだろう。心配で、胸が苦しくなる。
「直人さん……」
「まどかちゃん、タクシー呼んでくれる? 今日はこのまま早退して、病院に行って来る」
それじゃ私も付き添いで、と言おうとしたその瞬間。
「それには及ばないわ!」
里佳の声と共に、「マジかよ……」と呟きが続いた。
振り返ると、里佳がバーン! と石橋さんの背中を叩き、彼が咳き込んでいるのも無視し。
私と直人さんを見比べて、彼女はにやりと笑った。
「石橋さん、今日車で出社してんのよ。何てタイミングがいい人なんでしょうね! 病院まで連れて行って、その後不破さんの家まで送り届けてくれるから大丈夫よ!」
「ええ!? 不破んちまで!? やだよ、冗談じゃねえよ、なんで俺が……」
そこでこっそりと里佳が石橋さんに囁いた……というか、こっちにまで丸聞こえの声で。
「バカね、石橋さん。ここで不破さんに恩を売っとくのが上策じゃないの。この間の企画で不破さんに借りが出来てたんでしょ? それを返すチャンスでもあるじゃない」
ああ……サーバーダウンの日のことだ。
石橋さんのプレゼン資料を入れていたサーバーがダウンしてしまい、絶体絶命のピンチを直人さんが救ってくれたんだ。
借りにしたくない石橋さんは、結局その企画を直人さんと共同のものと勝手に発表してしまったんだけど。
でも石橋さんにしたら、借りっぱなしの出来事だったんだろうな。
「それに、まどかだって恩に着ると思うわよ? まどかにいいところを見せるチャンスじゃないの」
……里佳って絶対背中に羽が生えている。それも黒の、そう。真っ黒いヤツ。
そしてその悪魔の囁きに、まんまと乗る石橋さんは、途端に意気揚々と頷いた。
「おう、まどか、俺に任せておけ! きっちり不破を診察させて、家まで送り届けっからよ! 安心して全て俺に任せな!」
何て単純に出来ているんだ、石橋さんは。
私は直人さんを見下ろし、ハンカチを取り出して額に浮かんだ汗を拭ってあげた。
ああ、どんどこ汗が吹き出ている。一秒でも早く、病院に行ってお薬貰って、ゆっくりと休んでもらいたい。
「石橋さんが、連れて行ってくれるって。直人さん、そうして? 私も、一緒に着いて行くから」
「それはダメよ!」
里佳はそう言い、顎で出入口を指し示した。そちらを見ると、扉のところに顔の左半分だけを出した真菜が、ジーッとこちらを見ている。
こわっ!! 凄く心臓に来るほど怖い!!!
「あんたの仕事、山ほど残っているんでしょ。そのために、暇な石橋さんを狩り出したんだから」
「暇!? 暇って今言った!? 南條、お前果てしなく失礼なヤツだな、俺だってなあ!」
……そうだよね。私がここで抜けたら、真菜や他の総務の人、引いては他の部署の人たちに迷惑が掛かってしまう。
でも、直人さんに着いていきたいよ。心配だもの。ちゃんとお家まで見送りたいのに。
「まどかちゃん、俺は大丈夫だから」
「え……?」
「大丈夫だよ、寝ればすぐに良くなるから。ここんとこ、無理しすぎてたのは自覚してるんだ。寝れば治るから、まどかちゃんは仕事して? 石橋、悪いな。よろしく頼む」
そう言って、直人さんは力なく上半身をゆっくり起こし、石橋さんに頭を下げた。
ここまで言われて、私もワガママなんて言えない。だから、せめて。
直人さんの身体を支えながら、零れそうな涙を堪えながら、石橋さんに頭を下げた。
「私からも、よろしくお願いします、石橋さん」
「お、おう! 任せとけ!」
そう頼もしく言ってくれた石橋さんに連れて行かれた直人さんは、多分彼の会社人生で初めての早退をしてしまった。
私は里佳に押し付けられた彼女の企画書を手に、真菜に引きづられるように総務部へ戻っていった。
「直人さん、大変な病気だったらどうしよう、私、直人さんがいなくなったら、この先、生きていけない。どうしよう、どうしたらいいの」
心の中で呟いていたつもりの私の思い。
全部口にしてしまっていたようで。
「あのねー、不破さんの忙しさを見ていれば、いつかこうなることくらい読めるでしょ」
真菜は私の前の書類に、何枚もの書類を引っ張り出して来て並べた。
四枚……いや、五枚以上あった。
その書類の作成者は、全部直人さん。彼が抱えている企画の一部だ。
「不破さん、これ全部同時進行でこなしているのよ。過労でぶっ倒れるのも当たり前よ」
そ、そうか。そうだよね……有り得ない量だもの。
今度室長に文句を言わなきゃ。直人さんを過労死させるつもりかって。
心の底で決意した私に、真菜がふう、と溜息をついて腰を落として私を覗き込んだ。
「それに、彼女は甘えん坊だしねえ。不破さんも休まる暇なんてありゃしないわ」
「え、それって……」
「まどかさ、もう少し不破さんを自由にさせてあげたら? 彼、一人で休む時間持ててる? 平日は仕事終わってあんたと付き合って。休日になれば、あんたとべったり一緒でしょ? それじゃ疲れ果てるのも無理ないんじゃない?」
……里佳が、真菜に降臨したかと思った。
そしてグサリと心に突き刺さった。
私、直人さんを疲れ果てさせてしまっているの? 私の存在が、直人さんを過労死へと導いているの……いやいや、直人さんは過労死なんてしないってば。
しないけど、でも……休む暇って……そうか、無いのか……。
「まあ、たまにはさ。不破さんの羽を伸ばす時間をあげてもいいんじゃない? ロンリーウルフくんなんだし、彼。そういう時間欲しいんじゃないかって思うよ?」
どうしてだろう。
ショックを受ける以前に、凄く真菜の言葉が理解できた。
確かに、直人さんは今まで一人きりでいる時間がとても多かった。その間、私は彼に視線が釘付けだったんだけど。
だけど今は、仕事が終わった瞬間から、私が常に一緒にいる。私に気を遣ってくれる直人さん、仕事でも疲れ、私に気を遣って疲れ……確かにそりゃ倒れちゃうよね。
「うん、納得した」
「そ。良かった良かった。それじゃ、仕事再開……」
「納得したわ、私、手の掛からない彼女になる!」
私は突然立ち上がり、高らかに宣言をした。
そうよ、そうだわ!
私は今まで、直人さんに依存しすぎていたのよ。優しくしてくれるから、それに甘えっぱなしになっていた。
これからは、私が直人さんを甘えさせてあげる、そして癒してあげられる存在にならなくちゃいけない。
どうして今まで気付かなかったのかしら。直人さんの忙しさを知っていたのに。私のおバカ。
突然叫び出した私に、ぎょっとした総務の面々。だけどそんな目線、気にせずに、私は拳を振り上げた。
「癒し系の彼女を目指して、頑張るぞー!」
「……無理。あんたには絶対無理」
うるさい、真菜。
恋する女が決意したのよ。頑張るから。直人さんの心の羽を伸ばせる場所でいられるように、頑張る。そして空気を読んで、一人になりたそうな時にはぐっと我慢をするわ。
とにかく今日はゆっくりと寝かせてあげて、明日辺り直人さんの家にお見舞いに行こうと、一人決意した。
直人さんへの、たくさんの心配と、ちょこっとのドキドキを胸に秘めながら。




