第4話 代わりにはなれない
私を片手に抱きかかえたまま、まっすぐに芹沢さんを見つめた直人さんは、静かに唇を開いた。
「芹沢さん。庶務担当としてのきみに、いくつか言っておきたいことがある」
その声に、私や当事者の芹沢さんだけじゃない。この場にいる、企画室員全員が息を飲んでしまった。
だって、信じられない。
あの直人さんが、恥ずかしがることも無く、芹沢さんに意見を言おうとしている。
「な……何よ、私、悪いことなんて何もしていないわよ! 本当のことを言ったまでじゃないの! 何で私一人が責められなくちゃならないのよ!」
土屋さんに抑えられている腕を激しく動かしてもがきながら、芹沢さんが喚きたてる。だけど、そんなことを気にも留めず、直人さんは私を離して一歩進み、芹沢さんの目の前に立った。
「失敗は、誰にでもある。それを責めるつもりなんてない。だけど、同じことを何度も繰り返しているのは、わざととしか思えない」
そう言って、手を伸ばして自分の机からいくつかの書類を取った直人さんは、付箋の貼ったそれを芹沢さんに差し出した。
「見て、同じ箇所。なのに言い訳したのは、山岸さんに教わってなかったからだって言ってたね。二度も三度も間違えても、全部山岸さんのせいなの? 山岸さんは、総務に異動しても、ずっと芹沢さんの仕事を見ていなくちゃならないの?」
言いながら、直人さんは芹沢さんから真っ直ぐ目線を外さない。
「書類決済のことだけじゃない。ありとあらゆる庶務の仕事を、きみは放棄しているようにしか見えない行動に出ていた。分からないことがあれば、もちろん聞けばいい。だけどそれを山岸さんの悪口にすり替えるのは違うんじゃないかな? 自分自身で覚えようとしないから、失敗を繰り返すんだ。それが分かっていてやっているのなら、やっぱり故意になんだろう。もしそうだったら、それは庶務として一番やってはいけない行為だと思うけど」
直人さんの、穏やかな静かな声が、しんと静まり返った企画室に響き渡る。
「うちのサーバーがダウンしたのを、もちろん芹沢さんは知っているよね?」
え、何で突然、サーバーの話になるの?
私が動揺したのと同じように、周囲がざわめく。
あの時は、本当に大変だった。企画室でとっていたデータを全て保存していたサーバーが、停電によるクラッシュをしてしまって。
データが全部消えてしまったのかと、企画室がパニックに陥った。
でもそんな時に、冷静に対処してくれたのが直人さんだったんだ。
私は本当に、その時に救われた。だって私の確認ミスだったんだもの。メールで連絡は来なかったものの、ちゃんと社内掲示板にはその連絡が書いてあった。
だから、直人さんに私は救われたようなものだった。
その直人さんが、睨みつける芹沢さんを静かに見据えて言葉を続けた。
「あの後、きみが総務から企画室に望んで異動したのは、謝罪のつもりもあったのかと思っていた。だから、何も言わなかったけど。あの時、メール配信をしなかったのは、わざとだったんだね?」
ええええ!?
た、確かにあの時、尾崎主任が私に謝ってくれた。うちの子が、連絡メールを配信するのを忘れていたと。
それってわざとなの!? 私に対する嫌がらせで!?
でも、それ、リスク高すぎる。だってサーバーを抱えているのはうちだけじゃないもの。他の部署だって……。
「なーるほどね。だからか、納得した」
突然、石橋さんが呑気な声を上げた。彼は隅の方で、この一連の騒動を見ていたらしいけど。
ギシッと音を立てて自分の席に着き、芹沢さんを見上げた。
「おかしいなあとは思ってたんだよ。開発部の庶務担は、ちゃんと直接総務の子が来て、連絡くれたって言ってたし。サーバーダウンしたの、結局うちだけじゃん。そんなことってあんのかなーって思ってたんだよね。なるほど、あんたが一人で仕組んだわけだ、まどかを追い詰めるために」
石橋さんは、私に目を移してにんまりと笑った。
「相当嫌われてんなあ、まどか。でもま、俺は愛してっから」
「石橋、まどかちゃんは俺の彼女だぞ!」
思わず咄嗟に直人さんはそう声を上げ、そしてはっとして私に目を向け、ボッと顔を赤くして、俯いてしまった。
私は直人さんに抱きついて喜びを表現したいのは山々なんだけど、でも何だか頭が全然働かないの。
意味、分からない……そこまでして……企画室の人たちが困ると分かっていてまで、やることなの?
呆然としている私の前に立つ直人さんが軽く咳払いをすると、芹沢さんを抱きすくめていた土屋さんが、戸惑ったように割って入った。
「けど、そんな証拠もないことで、芹沢さんを責めたら可哀想だろ。こんな、寄ってたかって。不破も言ってたけど、失敗は誰にでもあることだし。不安だからこそ、山岸さんのせいにしちゃったところもあるのかもしれないし……」
「あらあら、一晩寝るとそこそこの愛情も沸くみたいねえ、土屋さん?」
土屋さんのフォローを遮ったのは、腕を組んで微笑を浮かべた里佳だった。その途端、ぎくりと土屋さんが表情を強張らせる。芹沢さんは、俯いたままだからどんな顔をしているのか分からない。
だけど、直人さんと石橋さん以外の男性社員がどよめきだしたのは、どうしてだろう……?
彼女は、ツカツカと音を鳴らして直人さんの隣に立ち、芹沢さんをおもむろに見下ろした。その眼差しは、私に向けるものとは全く異なり、何か凄く冷え切っていて怖かった。
「ねえ、芹沢さん。ホテルの場所は男によって変えた方がいいわよ?」
「は?」
「あなた、いつも同じホテル利用してるじゃない。うちねえ、そこの傍なのよ。旦那と何度もあなたが違う男と入っていくのを見たわ。旦那から、あなたの総務部時代からの噂を聞いたんだけど。痛いわねえ、まどかに負けないために、まどかに関わる男を誘惑して回っているんだそうね」
うそ……信じられない。
そんなことって……できるの? 愛情がなくて、ただ私の周りにいるというだけの男性を誘惑して、寝るなんて。
信じられない……そして胸が、ズキズキと痛くなってきた。
「私、あんたみたいな女、大嫌い。仕事も満足に出来ずに、男に媚売るばっかり。まどかはね、そりゃトロいし色ボケだしバカだけど。でも、あんたよりは遥かにマシだわ」
「何が……何が言いたいのよ! いいじゃない、私と寝た男は、その後山岸さんの名前を私の前では言わなくなったわ。それだけで私は満足なんだから! 他の誰にも迷惑かけてないじゃないよ!」
ああ、芹沢さん。あなた、今自分が何を言ったのか分かっているのかしら。
ベッドを共にした男性と、愛が無かったと。それを宣言してしまったのよ。
興奮した芹沢さんは、気付かない。土屋さんが、あなたからそっと手を離したのを。他の男性社員が、彼女を見る目が冷ややかになっていることを。
もっとも男性社員たちは、彼女を責めることなんて出来ないはずよ。そんなこと、許さない。
私は何だかとても悲しくなってしまって、手のひらにぐっと力を込めた。
もういい。もう、終わりにしたい。
なのに芹沢さんは、言い募る。
「ムカつくのよ、山岸さん! ただニコニコして仕事しているだけのくせに! どうしてそんなに男に求められるのよ! 私……私、最初にこの会社に入って、好きになった人に言われたのよ!!」
やっぱ、多少可愛くても、山岸さんの代わりにはなんねーな。
そう、初めての夜に言われたと。そう言った芹沢さんは涙を零しながら叫ぶように言った。
私はそれを聞いて、背筋が凍るような思いだった。




