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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
メデューサの瞳

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第5話 ランチタイムの強襲と、不穏な悪寒

「ここ、座ってもいいですかぁ?」


そう間延びした、甘ったるい声の持ち主は、私の後任の企画室庶務担当の芹沢さんだった。


直人さんの隣に、私たちが返事をするまでもなく、もう腰掛けている。


思わずびっくりしてしまったのは、私だけじゃない。というか、一番びっくりしているのは、きっと直人さんだろう。


ご飯を口に運ぼうとして、そのまま硬直して。私と芹沢さんを見比べている。


「不破さん、まだ食事中だったんですね。昼休み入ってからも、お仕事頑張ってましたものね。ずっと見てたんですよ。凄いなって。こんな一生懸命お仕事している人、私初めて見て、感激しちゃった」


芹沢さんは、にこにこと笑顔を浮かべて直人さんの腕に触れた。


……腕に、腕に触れたのよ。有り得ない!


ピキンと私はこめかみに血管が浮き出そうになり、それを抑えるので必死だった。


いけない、いけない。ヤキモチ焼きは嫌われちゃうわ。ここは一発、大人の対応をしておこう。


そう思った私は、笑みを浮かべて僅かに身を乗り出した。


「芹沢さん、不破さんの食事の邪魔、しちゃいけないわ。どう? 企画室に慣れた? 困ったこととか無い?」


「全然無いです。ご心配ありがとうございます」


芹沢さんは、そっけなく私に応え……あれ? おかしいなと私が首を傾げ手いる間にも、芹沢さんは直人さんに話しかけ続ける。


「不破さんに、教えてもらいたいことたくさんあるんです。席近いから、ご相談しやすいんですけど、迷惑ですか?」


「め、迷惑と言うか……そういうの、俺はあんまり得意じゃないから。南條さんとかに聞いたほうが……」


直人さんは、困ったように目の前で頬杖をついていた里佳に振ると、里佳は面白そうに片方の唇を上げた。


な、何という悪い笑みを浮かべるんだろうな、この人は。


「いいわよ、ちゃんとした質問なら。馬鹿らしいことなら応える時間が惜しいけど」


「こわーい、南條さんって、美人ですけど近寄りがたい感じですねー」


芹沢さんはにこりと笑ってとんでもないことを口にする。一瞬で、この場を凍りつかせた。

何て……何て歯に衣着せぬ子なの!


私たちが硬直しているのに気付いているのか気付かないのか、芹沢さんはさらに直人さんにベタベタと触れていった。もう右腕に胸を押し付けるかのような勢いで。


「不破さんのそれ、美味しそう。ちょこっと味見させて欲しいなーなんて。ダメ?」


ダメに決まってるでしょっ!


思わず立ち上がり、叫びそうになった私を止めた直人さんの冷静な声。


深い溜息をつき、身を正して軽く腕を押して、彼女を引き離し。芹沢さんを見下ろした。


「昼飯、食べれないんだけど」


よく言った、直人さん!! 


私が心の中で大喝采を贈っていると、芹沢さんははっと目を見開き、そして手にしていたコーヒーを見下ろして、小さく呟いた。


「……ごめんなさい……。企画室の人たちと、早く仲良くなりたくて……」


ああ、そうか、そうなんだ。


分かるわ、私も異動先に早く馴染もうと、今まさに頑張っているもの。特に直人さんは、照れ屋さんだから。なかなか話も出来ないし、嫌われているのかと不安だったのね。


私は思わず立ち上がり、直人さんと芹沢さんの間に立ち塞がった。


直人さんに、「ごめんなさい、詰めてね」と言いながら、二人の間に割り込んで。


「芹沢さん、焦らなくていいのよ。ゆっくりと人間関係を作っていって大丈夫よ? 企画室の皆、忙しいから普段ピリピリしているけど、でもいい人ばかりだから」


私がにっこりと笑って言うと、芹沢さんは一瞬目を眇めて私を見た……ような気がする。


え? と思った瞬間には、彼女のベビーフェイスは極上の笑みを浮かべていた。私の気のせい、だったのかな……?


「ありがとうございます。優しいんですね、山岸さん」


「ええー? そんなことないわ。不安なのは、私も同じだから。頑張りましょうね?」


「はい!」


ほら、やっぱりいい子だ。私の思い過ごしなんだ。だって人にすぐ触れたがる子っているものね。過剰な反応は良くないよね。


私がにこにこと頷いた瞬間、ぞくりとして「ひゃあ!」と思わず変な声を出してしまった。


背筋に、悪寒が走って、体中が震えてしまった。だけどそれは、一瞬だけ。


「大丈夫!? どうしたの!」


直人さんが、慌てて私の背中に手を当ててくれた。それが嬉しくて、私は大きく首を振った。


「う、ううん、大丈夫よ。何か、ゾクッとしたの。でも、もう大丈夫よ」


「そうなんだ……この間も同じことあったね。風邪かな?」


そう言って、直人さんの大きな手が私の額に当てられた。ひゃあ、こんな人がいる前で!!


思わず顔を真っ赤にしてしまった私に気付き、直人さんも自分の行為に気付いたのか、「あ、ごめん!」と言いながら、手を引っ込めてしまった。


うう、もう少し触れて欲しかったなあ、なんてずうずうしいことを思った私と、


「えっと……熱、無いみたいだけど、気をつけてね……」


って言ってくれた直人さんを見比べて、深い溜息をついた里佳が立ち上がった。


「あーあ、それじゃ私は一足お先に」


そういって、さっさと立ち去ってしまった。私たちが無言で見送っていると、午後の勤務がスタートする5分前の合図のメロディーが放送された。


まずい! もう昼休憩終わりだ!


「まどか、時間よ。戻ろう」


真菜が、この時を待ってましたとばかりに私の手を引いた。あああ、まだお昼ご飯、半分も食べていないのに!!


名残惜しそうに私が立ち上がると、直人さんは苦笑して私を見上げた。


「夕飯、美味いの食おうな? だから、午後も頑張って」


く……くううううぅ!!


その一言! 全くどうして、直人さんは私のツボを抑えてくるんだろう。


そうね、夜。


二人きりの時間。その時間にたっぷりと美味しいものとあなたの微笑があれば、私はどんな過酷な業務にも……例え空腹を押さえてでも、耐えていけるわ!


うんうんと頷いた私は、真菜に引きずられながら、後ろ髪を引かれる思いで食堂を後にした。


だって、私が席を立った後に、芹沢さんが私の座っていた席に寄ったのを見てしまったから。


きっと……芹沢さんは、後ろの席の直人さんと仲良くなって、仕事をしやすくしたいだけなんだろう。


そう思いたい。あの甘ったるい声や雰囲気は、誰にでもだって思いたい。


少なくとも、私が彼女に仕事を引き継ぎしていたときには聞けなかった声だっただけに、不安が募るけど、でも。


きっと、私の直人さんを愛するがゆえの被害妄想よね……?


けど、でも大丈夫! 夕飯、美味しいの食べようって言ってくれた直人さんは、その言葉通りに定時後に美味しいお店を調べてくれて。


「まどかちゃんの好みの店、見つけたよ。気に入るといいな」


そうはにかんだように笑って、可愛らしい内装の、イタリアンレストランに連れて来てくれた。


「すごーい! 何か外国に来たみたいね!」


私が目をキラキラとさせていると、直人さんは嬉しそうに微笑んで、私と同じように店内を見渡した。


「本当だね。あのさ、あの……」


急に言葉を噤み、やたらおしぼりで手を拭く直人さんを、私が首を傾げて覗き込むと、直人さんは顔を真っ赤にして呟いた。


「一つの店に通うのもいいけど。でも、まどかちゃんの好みの店、探すの、凄く楽しいし嬉しいんだ。こうして、素直に喜んでくれるから……また、いい店探そうって思える。まどかちゃんの反応って、凄くえと、その、可愛いから……」



ずっきゅーん。



何て……何てことを言ってくれるの直人さん!!


可愛い。可愛いだって!! その言葉だけが私の中でリフレインされていく。


嬉しい。そう思ってくれているだけで、私は天国にでも一挙に上り詰めていくかのような気分を味わっていけるのよ。それが分かっているのかしら。


私は感動のあまり、直人さんの手をがっしりと掴み、驚いた直人さんに私の思いを伝えた。


「ありがとう。でもね、どこに行っても、あなたと一緒なら私、凄く楽しいし幸せなのよ?」


そう言ったら、直人さんは可哀想なくらい真っ赤になって、そして小さく頷いた。


「俺もだよ……」


呟いたその声。堪らない!!


早く二人きりになりたい。


私を抱き締めて。そして耳元で囁いて? たくさん、あなたの言葉を。そして、あなたからキスして欲しいの。


優しく、柔らかいあなたのキスが大好きだから。




総務の仕事って、思った以上に大変だったけど、でも。


こうして二人の時間があるから、絶対に頑張っていけると思った。誰よりも、私を応援してくれる直人さんがいるから。仕事を早く覚えて、少しでもグチを言わなくなるように頑張ろうって思った。



そしてそれから数日過ぎたある日。


里佳が、えらく不機嫌そうに総務にやってきた。書類を手にして、指名したのは私。


「ど、どうしたの。顔が怖いんだけど」


思わずそう言うと、里佳は盛大に舌打ちをして、私に書類を押し付けた。


「全くどうなってんのよ! あの芹沢って女! あんたの色ボケにも参ってたけど、あの女よりは遥かにマシだったわ。全く総務は何を思ってあの女をうちに寄越したのかしらね!」


色ボケ!!  ひ、ひどい。


確かに、私は直人さんにラブ光線を送りまくってたけど、でも、色ボケなんてひどい!


というか、それよりも酷い芹沢さんて………まさか企画室の誰かと恋に堕ちて、仕事中もラブラブモード?


ぽわわーんとそんなことを考えていた私に、里佳は忌々しげな眼差しを私に向けて、


「あの女、私たち女子社員からコピーを取る依頼をされると渋るくせに、男子社員から頼まれたら缶コーヒーですら買いに行くのよ! 信じられないわ!」


「え? コピー、取ってくれないの?」


思わず問い直した私に、里佳は憤然として頷いた。


「それどころじゃないわよ。手続き頼んでも、『忙しいので、ご自分でお願いしますぅー』って。で、その忙しいのは男子社員のゴマをすることよ!? 信じられない、もう、あいつには何一つ頼まないわ!! クソの役にも立たない馬鹿女!! 何でよまどかー!!」


ギューギューと怒り狂った里佳に、胸元を締め上げられながら私はその腕を叩いてギブを宣言しながらも、疑問が心に浮かんで仕方が無かった。


にこにこと、可愛らしい笑顔で私の説明を聞いていた彼女が。そんな、男の人に媚を売るようになんて見えなかったのに。


「ゆ、優先順位が芹沢さんの中で間違っているんじゃないの?」


そう最後の抵抗じゃないけど、何とかフォローを試みてみるけど。里佳は今にも地団駄を踏みそうな勢いで私を睨みつけてくる。こ、怖い!


「そんなわけないでしょ! 全くあんたはどこまでおめでたく出来ているのかしらねっ! もう嫌、もうムカついた。今晩はあんたのゴチだからねっ! どうせ不破さんがいそいそと夕食のための店、探してるんでしょ。今晩はあんたのゴチで私も連れて行くのよ、いいわね!!」


えええ!? 折角の直人さんと二人きりの甘い時間に、寄りによって今、怒り心頭の里佳が一緒なの!?


「り、里佳、それはまた別の機会に……」


「嫌よっ! 今日がいいのよっ! あんたにたっぷりと聞いてもらうわよ、どんだけ私たち女子社員が迷惑をこうむっているのかをね! 男子は情けないわ、ほとんどあの女に陥落させられて、鼻の下伸ばしやがって……覚えているがいいわ!」


ほとんど、陥落?


陥落って……ええええ? 直人さんも!?


目を見開いた私を見向きもせずに、里佳は深い溜息をまた一つ吐いて、額に手を当てた。


「あの女に陥落させられなかった男がまさか、我が部署のワースト2だとは思わなかったわ。ある意味、まどか、あんた強いわ。感心した。そうね、見直したわ」


「え、ちょ、ちょっと待って、全然理解出来ない。里佳、暴走してる!!」


「やめてよ。あんたよりは冷静よ。あのね、いまや企画室の男は、芹沢茜の言いなりなの。その魔の手に堕ちていないのは、石橋さんと不破さん。ただ二人だけよ」




全然、知らなかった。


だって、直人さん、何も言わなかった。


毎晩会って、毎晩二人で時間を過ごしていたのに。芹沢さんのことなんて、一言も言わなかった。


私が彼女のことを聞けば、困ったように笑って、


「うーん、彼女なりに、頑張っているんじゃない?」


と、それだけ。ただ、それだけだった。




私を不安がらせないための直人さんの優しさだったのかな。そうだとしたら、凄く凄く嬉しい。


だけど、あの日の芹沢さんの積極的な態度が、あの後も直人さんに向けられていたんだとしたら、凄く嫌。嫌だよ。直人さんは、私の直人さんなんだもの。


けど、他の人にも同じ態度をしているの? 何がしたいの、芹沢さんは……。




企画室の女性陣を、完全に敵に回してしまったらしい芹沢さん。彼女の本意が分からずに、私は困り果てつつも、彼女の魔の手に堕ちていないと言う直人さんに今すぐ会いたくて。抱きついて、その胸の中で、安心したい気持ちでいっぱいだった。

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