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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
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第2話 鏡の中の決意、揺れる恋心

尾崎主任のメイクを落とし、彼女から借りたファンデーションを塗ろうとしたけど。


白い肌の尾崎主任、とても綺麗だけど、でも気になってしまった場所があり、目を閉じた彼女を覗き込んだ。


「主任、他の色のファンデお持ちじゃないですか?」


「え? あ、確か試供品をいくつか貰ったのがあるわ」


「それ、お試しになりました?」


「ええ、一度ずつね。面倒だから、結局いつものメーカーに戻ってしまったけど」


「その時、お肌荒れませんでしたか?」


「大丈夫よ。私、肌は強いのよ」


使ったことのある試供品なら、安心。よかった。私はそれを全て借りて、しばらく眺めた。


結構色々な種類の色合いが揃ってる。よし、これなら。ふふふ、私のメイク魂に火がつき、腕が鳴って仕方ないわ。


私はまず、ファンデーションの中で彼女の肌よりも一段階明るい色をチョイスして、それを顔の全体に塗り、Tゾーンにはそれよりも明るい色を足していく。


そして、私が気になったのは、主任の下瞼。お疲れなのかしら、隈が出ている上に少しくぼみ気味になっていた。


まずは隈を隠すために、イエローのカラーファンデをトントンと馴染ませる。これで結構、隈は押さえられる。その後、ファンデーションを塗っていくんだけど。


私が選んだ色は、尾崎主任がお持ちのファンデの中で一番明るい色。逆に瞼の方は、アイホールに添って暗いファンデを足していった。瞼の中央辺りだけは、明るい色をぼかして。そして鼻筋の直線辺りに、その暗い色合いのファンデを繋げて行くと、大分メリハリのある顔立ちに仕上がってきた。


和風な顔立ちの尾崎主任。お年を気にしてか、地味目なメイクをいつもなさっているけど、綺麗なキリッとした一重瞼、もったいない。


それを引き立たせるように、ブルー系のアイシャドーをアイライナーと共に施していくと、ふいに主任が唇を開いた。


「……山岸さん、まだ、総務に異動する気にはならない?」


来た。


これが、今日、私に会いに来てくれた目的?


私は少しドキドキしながら、小さく頷いた。手は、そのままメイクを続けていく。


「ええ、有り難いお申し出なんですけど、私の力ではご迷惑をお掛けするばかりかと……」


「そんなことは無いわ。絶対にない」


意外に思うほど、尾崎主任の言葉が強くて、私は驚いてしまった。それに気付いたのか、彼女はくすりと笑って、


「ああ、ごめんなさいね。ここのところ、カリカリしちゃっていて。うちの子達って、どうしてかしらね。皆自己主張ばかりで、そのくせ責任感が無くて。嫌になっちゃってるの」


そうなんだ……総務の女の子って、皆お洒落に敏感で、綺麗に着飾っているなあとは思っていた。仕事が遅いとも思っていたけど、それはそれで大変だからかなあ、なんて呑気に考えていたりしてた。


「そうですか、主任も大変なんですね」


まるっきり人事のように言いながら、目元の仕上げをしていると、くすりと尾崎主任が笑った。


「怒らないの? うちの子に、あなた迷惑掛けられたじゃない」


あ……あの、サーバーダウンのこと、言ってるんだ。




あの日、騒動があった日。連絡を受けて、血相を変えてきたのは、総務部で主任一人だった。そして、気の毒なほど低頭して謝ってくれた。


しかも、メールを送信するのを忘れられたのは、うちだけじゃなかったらしい。だけど、サーバーの電源を、前日切らなかったのは企画室だけ。だから、他の部署は被害はそんなに無かったらしいんだけど……。ますます掲示板を見なかった自分に腹が立つ。


「メール配信するのを忘れるなんて、有り得ないミスよ。それなのに、謝罪一つ出来ないなんて。『メールでお詫びしておきますのでー』なんて言っているのよ、信じられないわ!」


怒り心頭の尾崎主任に、私は苦笑して手を振った。


「あの時、企画室の皆の前で、主任が頭を下げて下さったじゃありませんか。もう、それで私は充分です。サーバーも、その後ちゃんと復旧しましたし」


そう。あの後、情報セキュリティ部と直人さんが頑張って、サーバー相手に奮闘していたんだけど、どうしてもラチがあかないところがあったらしく。


結局、サーバー復旧のプロを呼び(そういう会社があるのを初めて知った)、丸一日掛けて何とか全てのデータを取り戻したのだった。70%の確率だったって聞いて、背筋がゾゾッとした。私ですらそうなんだもの。


「復旧しましたー!」


そう叫ぶ情報セキュリティ部の人の声に、企画室の皆がスタンディングオベレーション。


皆、心配で心配で仕事が手につかなかったんだろうな。実際に、データがないことには仕事にならない人もいたかもしれない。心が、その時一つになったような気がして、私も凄く嬉しかった。


でも、誰よりも、直人さんが一番の功労者よね。だって自分の仕事を全て中断して、お昼休憩すら取らずにサーバー復旧に取り掛かってくれていたんだもの。


それに、あのバックアップ。あれが無ければ、石橋さんの会議は最悪の事態になってた。




それを思い出し、ちょこっとニヤニヤしてしまいながら、私はメイクを再開した。


「もう本当に、いいんです。私もいい教訓になりました。でも、本当に大変ですねえ、尾崎主任」


「だから、あなたに来て貰いたいんじゃないの」


「えっ!?」


凄くびっくりした。だってここで、その言葉が出るなんて。


私なんて、ただただ言われるがままに庶務の仕事を毎日こなすだけ。特別なことなんて、一つもしていないのに。


思わず沈黙してしまった私を、いつの間にか閉じていた目を開いた主任が見上げていた。


「あなたのこと、いつも室長が褒めてらしてるわよ」


「室長って、うちの、ですか?」


「ええ、そうよ。室員の仕事をしやすいような環境を作るために、色々頑張って気を回してくれて助かってるって。そう自慢げにいつも言うわ。……ねえ、あなた、入社当初は総務希望だったわよね? それが、企画室の庶務にどうしてなったか分かる?」


それは……面接の時に、室長が同席していて、私の少しばかり派手な外見と、学生時代に読者モデルをやっていたという、少し変わった経歴が目に留まったからだと。


そう言われたから、今までずっとそう信じてたし、今もそう思っている。女としては、少し情けないような理由だったけど、それでも私自身を認めてくれたようなものだから。


曲解かもしれないけど、そう思うようにして頑張ってきた。


それを告げると、主任はくすくすと笑って首を振った。


「違うのよ。室長はね、一目あなたを見て、『何て弱々しい子なんだろう』って思ったんだって」


「ええー!?」


今晩は、一体どういう日なんだろう。全く驚くことばっかり。


あの室長が、私を弱々しいなんて思ってたの!? だって今まで一度も、そんな素振り見せなかったくせに。


「それでね、この子が総務なんて行ったら、絶対潰される。もったいないって思ったから、自分の職場に引き抜いたのよ」


「潰されるって……」


「まあ、あながち間違いじゃないわね。分かるでしょ? うちの子達は、仕事も満足に出来ないくせに気が強い子が多いの。あのメール未送信だなんて、いい例じゃないの。もちろん、全員じゃないわ。ちゃんとしっかり頑張っている子もいる。だけど、往々にして、そういう子達は辞めていき、自我が強くて始末に困る子が残るケースが多いのよ。そしてそれを諌め、まとめる役割が、私ってわけ」


なるほど……入社当初の私は、室長にしてみれば、そんなギャルの荒波に勝ち抜いていけるほど強くないって思われたのね。


でも、それは正しいかも。だって入社式の日に、迷子になって泣きそうになってしまったんだもの。うう、情けない……。だけど、そのお陰で直人さんに会えたんだしね。


あれ、私ってポジティブ思考なのかしら。何でも自分の都合のいい方向へ考えを持っていってしまう。かといえば、ズーンと落ち込むときは、どん底まで落ち込むくせに。


ううーん、自分で自分がよく分からないなあ……。


モヤモヤと考えてしまった私を、じっと見上げていた尾崎主任は、ふと笑みを柔らかいものにして、私に促されるままに顔を動かした。


淡い色のチークを入れる私に、言った尾崎主任の言葉は。


「私ね、今度係長になることが内定したの」


「本当に!? 凄い、おめでとうございます!!」


うちの会社で、女性が係長になるケースは少ない。既婚者なら、なおさら。子供を産めば、産休や育児休暇を取らなくてはならないし、それだけ出世には不利。


旦那様が、きっとたくさん協力してくれたんだろうな。そのお陰で、頑張ってこれたんだろうな。


何だか私まで嬉しくなって、にこにこ笑顔で仕上げのリップを施した。グロスを重ねて、ぷっくり可愛い唇になるようにして、完成。


「出来ました。確認いただけますか? お気に召すといいんですけど」


そう言って、手鏡を渡すと、尾崎主任は自分の顔を鏡で眺め、僅かに頬を赤らめた。


「あら……あらあら……嫌だ、何だか恥ずかしいわ。でも、凄く嬉しい」


「どうですか? ちょっと濃すぎましたか?」


心配になって聞くと、主任は綺麗な笑顔で首を振ってくれた。


「いいえ、コレくらいの方が、主人も驚いてくれるでしょう」


「旦那様に、お見せしたかったんですか?」


「ふふ、今日はね、結婚記念日と、私の昇進内定を兼ねて、主人とデートなの。子供を母に預けてね。だから、恥ずかしいけど、『アフロディーテ』って噂されるあなたにメイクをお願いしてみたかったのよ」


尾崎主任の言葉に、私はぎゅっと胸が掴まれる思いだった。


嬉しいっていうのか……感動してっていうのか……。


結婚して、子供を産んで。それでも、ここまで仕事に一直線でいられて。なのに、素敵に女心を忘れないでいることって出来るんだ。


そう思ったら、凄く凄く、……何て言えばいいのか。

思い当たる言葉が見当たらない私は、何故か浮かんでしまった涙をこっそりと指先でぬぐって、にこりと笑顔を浮かべた。


「そうなんですか、何重にもおめでとうございます! そんな日に、お手伝い出来て嬉しいです!!」


「……ありがとう」


尾崎主任は、ふいに私の手を握った。両手で、ぎゅっと。


「ありがとう。そういうあなただから、来てもらいたいの。私の右腕に、なって欲しいのよ。もう一度、考えてみて?」




総務への、異動。


今までは、絶対に嫌だった。だって、直人さんと離れたくない。


傍で、彼の仕事を見守っていたい。




だけど、私の中で芽生え始めた想い。




仕事に、一途に打ち込む直人さんに、恥ずかしくないように頑張って行きたい。




それが、この人の下でなら出来るのかな……でも、今までのままでも、いいんじゃないのかな…………。




相反する感情が、私の中で交差する。どうしよう。どうすればいいの?


望まれて、嬉しい。だけど……。




直人さんに、会いたい。今すぐに、会いたい。

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