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恋するアフロディーテ  作者: 沙莉
恋と好きの意味

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第5話 一歩踏み出した勇気のカタチ

「直人さん、ごめんね……?」


夕食を食べながら……居酒屋で、だけど。


そう何度も私、謝った。


焼き鳥を口に頬張りながら、直人さんは首を傾げる。本当に、私が謝る意味が分からないみたいな感じで。


私はそれでも、シュンとなりながら、何度も「ごめんなさい」を繰り返してしまった。だって、嫌われたくない。ずっと隣にいたいんだもの。


落ち込んでいる私に、直人さんはくすりと笑って、おしぼりで手を拭って、私を覗き込んだ。僅かに頬が赤らんでるのは、お酒のせい? それとも、照れているの?


二人きりになった時は、大分直人さんも緊張しないでいてくれるようになったみたいだけど、まだまだ全然照れ屋さんだから……。


「まどかちゃん」


「え?」


「あのさ、まどかちゃんはさ、その……笑ってる時のほうが、凄く可愛いと思うから、だから、その、ええと……」


一生懸命、言葉選んで。一生懸命私に伝えようとしてくれている。


それがとても嬉しくて、私は浮かびそうになった涙をぐいと指で拭って、直人さんの手をおもむろに掴んだ。


びくりと震えるけど、でも。今はあなたのその勇気を、私にちょうだい。


そして流れ込む、直人さんの暖かい気持ち。うん、私、大丈夫。


顔を上げて、にっこりと笑うと、目の前の直人さんはそれはもう茹でダコみたいに真っ赤になってしまった。


思わず笑ってしまった私。でもね、本当に嬉しかった。私の酷い言葉を、さらりと受け流してくれて、ありがとう。


この人を好きになってよかった。


この人と、お付き合いできるようになってよかった。


心から、思った。





次の日、私が出社したら、私の机……じゃなく。


私の机周辺に、人だかりが出来ていた。


眉を寄せた私が、


「なあに? 何事?」


そう言いながら、人ごみを掻き分けていくと、その中心にいたのは。


前だけ少し長くして、サイドと後ろをさっぱりとカットしたさらさらの髪。


眼鏡はいつもの黒縁瓶底眼鏡じゃなくて、細い銀の縁の薄い形の眼鏡を掛けた、端正な顔の男性が、それは気の毒なほどに真っ赤な顔をしてパソコンに向かったまま硬直していた。


「…………なっ……直人さん!?」


思わず、確認してしまった。だってそれほど別人のようで。


直人さんは、私に気付いて、ほっとしたように口元に淡い笑みを浮かべて私を見上げた。


「ま……じゃなく、山岸さん、おはよう」


その声は、限りなく優しく、柔らかく。


そして私を見上げる瞳の色は、まるで私に縋るように切なくて。


私はぽかーんとして、立ち尽くしてしまった。


その私の肩を、ゆっさゆっさと揺さぶるのは、里佳で。


「ちょっ、不破さん、すんごいカッコよく変貌しちゃったじゃないよっ! 何があったの、まどか、何か言ったの!?」


興奮気味の里佳と、直人さんを見比べて言葉にならない私。


私、何か言った、と言えば言ったけど、でも。


まさか直人さんが行動に起してくれるなんて、思いもしなかった。


脳内がフリーズしてしまった私の目の前に、ふいに立ち上がった直人さんがいて。そして、私の手を引いて歩き始めてしまった。


きゃーだかぎゃーだか何か聞こえるけど、直人さんは耳を真っ赤にしたまま、私を連れてずんずん歩く。


何が起きたんだろう……私は手を引かれるまま、呆然としてしまっていた。






この間の、第五会議室に連れてこられた私。


目の前に立つのは、それはもう素晴らしく爽やかな姿に変貌した直人さん。


改めてみると、本当に驚くほどいい男。


ずっしり重たかった髪を切っただけで、こんなにもさっぱりと見えるのね。眼鏡も細縁で、オーバル形が細面の直人さんに良く似合う。


スーツはいつもと変わらない地味な色合いだけど、でもいつの間に新調したのか、身体にぴったりフィットするサイズで、彼のスタイルの良さを誇示しているかのように素敵だった。


思わず見惚れてしまった私だけど、直人さんの目がウサギみたいに真っ赤になってしまっている。


手を伸ばし、直人さんの頬に触れた。


「どうしたの? 目、まるで泣き腫らした後みたいになってる」


直人さんは、目をぱちくりとさせて、そして苦笑して私の手を握った。


急にこんなことされちゃうと、どきんと心臓が跳ね上がっちゃう。


「この間の日曜日に、この眼鏡と一緒にコンタクトも作ったんだ。だけど、どうしてもコンタクト、入らなくて。早起きして格闘したんだけど、どうしても無理だった。ごめんな?」


何で……どうして謝るの。


それに、日曜日って……?


訳が分からない私の手を引き、直人さんは椅子の一つに私を座らせた。


そしてその隣に、彼自身も座り込み、照れたような、困ったような表情で話し始めた。


「まどかちゃんに、俺の気持ちを伝えてから、色々考えてたんだ。今まで、俺ってあんまり自分のことに興味もなくて。人と喋るのも得意じゃないし。面倒臭くてどうでも良かったんだけど、でも……俺と一緒にいたら、まどかちゃんが恥をかいちゃうかなって思って。そんなことで振られるの、嫌だって思って、それで……」


直人さんの言葉を聞きながら、私は胸が痛いほど強く締め付けられた。


私のために?


一生懸命、努力してくれたのね。


何だか嬉しいのと申し訳ないのと、それでもやっぱり嬉しいのが一番で。


私は我慢出来ずに、直人さんに抱きついた。


「まっ、まどかちゃん……!?」


驚いて私を受け止めた直人さんの腕の中、暖かい。もう絶対離れたくないよ。手離したくない。


「ありがと、直人さん。とっても素敵よ。かっこいい」


「え、ほんと? まどかちゃん、俺と歩いても恥ずかしくない?」


何でそんなこと。思うわけないのに。直人さん、自分に興味が無いからといって、自分自身を知らなすぎるわ。


くすりと笑った私だけど、やっぱりあの一言が気になっているのかと思い返して、私はそっと直人さんから身体を離した。


「昨日、本当にごめんなさい。直人さんの見た目なんて、私全然気にしないわ。本当よ。余計なことを言って、あなたを傷つけてしまって……ごめんなさい」


改めて、きちんと謝ることが出来た。


なのに、直人さんはきょとんとして私を見上げている。


「何のこと? 昨日もたくさん『ごめんなさい』って言ってたけど」


本当に分からないの? 返って驚いた私が説明すると、直人さんはやっと納得したという顔で頷いた。


「何だ、そんなことを気にしてたんだ」


「だって……」


「あれはね、確認したんだ。一応スーツと眼鏡は用意したけど、どうしても恥ずかしくて勇気が出なくて。で、昨日まどかちゃんが言ってくれたから、俺、昨夜に髪の毛カットして、今日こんな格好で来ることが出来た。まどかちゃんの一押しがあったから、俺も一歩踏み出せたんだよ」


直人さんは、暖かい笑みを浮かべて、私の頬に手を這わせて。


そして顔をゆっくりと寄せた。熱い、囁きと共に。


「まどかちゃん、俺、こんなんだけど。でも、まどかちゃんとずっと一緒にいたい」


うん……私も。私も、こんなんだけどね。でも、ずっと直人さんと離れたくない。


言葉にならない思いを、閉じた瞳に込めて。


唇に、そっと暖かいものが触れた。


直人さんの唇って、柔らかくて甘い。もっともっと触れていたい。


手を伸ばして、さっぱりとした頭部に回すと、直人さんも強く私を抱き締めた。


重なる唇の狭間で零れる吐息。もう、どっちのものだか分からない。


二人、溶け合い一つになる。この瞬間に、直人さんとまた少し近づいていったような気がして、とても嬉しかった。




私は直人さんの気持ちがとても嬉しくて、幸せで。




昨日の落ちていった気分をすっかりと忘れ、一日ご機嫌で仕事をこなした。


時折、直人さんに目を向けると、彼もパソコンから目を離してにこりと笑ってくれる。それだけで、天国へと上り詰めるように私は幸福な興奮状態に陥ってしまった。




夜、一人の男がバーで酒を傾けていた。


「くそっ、何でだよ……」


時折漏れる、小さな叫び。カウンターの向こうのバーテンダーが、眉を潜める。


何度目かの呟きと共に、グラスを激しくコースターに叩きつけていると、彼の横にスーツ姿の女がスツールに腰を落とした。


「あらあら、荒れているわね」


「……うるせえな、ほっとけよ」


男は低く舌打ちして、女から身体を避けるように横に向いた。女はくすくすと笑い、バーテンダーにバーボンのロックを注文した。


「情けないわねえ、こんなところで自棄酒なんて」


「……何だと、てめえ」


男が憤慨しそうになった瞬間、バーテンダーが女へ酒を差し出す。


それを受け取り、女は一気に琥珀色の液体を煽った。


ふう、と軽く息を吐き、男に囁いた。


「奪い取ればいい」


「え……?」


女の声が良く聞こえなかったのか、男が問い直した。


女は、真紅のルージュを弓形に形作り、再び唇を開いた。


「欲しいのなら、奪い取ればいい。力ずくで、ものにすればいい。四年間も思い続けて、あっさりと横からかっさらわれて。悔しいと思うのなら、その手で掴み取ればいいのよ」


女の言葉は、まるで魔術のように酔った男の脳裏に響き渡った。




欲しいのなら、奪い取ればいい。




男は喉の奥から笑みを零した。




そうだな。待つには時が経ち過ぎた。あんな男に取られるくらいなら。いっそ。




クックッと笑みを零す男を横目でみやり、女も微笑んだ。


グラスの底にある液体に、指を浸らせ、テーブルに濡れた手で文字を象った。




まどか




そう書いて、手のひらをそこに叩き付けた。


勢いで、グラスが傾き、倒れる。四散したガラスの欠片を眺めながら、女の目は闇の色のように深かった。

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