野営で添い寝
魔の森の夜は、文字通り『漆黒』だった。
月明かりすら届かないほどの濃密な闇に包まれ、得体の知れない魔物の唸り声や、不気味な蠢きが絶え間なく響いている。
そんな地獄のような闇の底で、野営のために確保できたのは、私の『浄化の結界』が届く半径1.5メートルほどの、ごく僅かな半円形の空間だけだった。
「いやはや、外の景色を見ているだけで発狂しそうですが、この結界の中だけは王宮の寝室よりも空気が美味いですね」
ティエリーが、魔導コンロで沸かしたお茶を優雅に啜りながら感嘆の息を吐いた。
携帯食料での簡素な夕食を終え、私たちは狭い結界内に毛布を敷き詰めて、就寝の準備に入っていた。何しろ大の大人四人と私一人がこの狭い空間で寝るのだ。
必然的に、肩が触れ合うほど身を寄せ合って横にならざるを得ない。
「さて……それじゃあ僕は当然、ラフィナの隣をもらおうか」
シルアレク殿下が、さも当たり前のような顔で私のすぐ隣に毛布を敷き、陣取った。
その瞬間、向かい側に座っていた二人の前衛から、非難がましい視線が突き刺さった。
「ズルいぞ殿下! 俺だってお嬢ちゃんの隣で、その清らかな空気をたっぷり吸いながら寝てえのに!」
「……不敬は承知の上ですが、殿下だけがその特等席を独占されるのは、騎士として少々納得がいきません。本来であれば、最強の盾である私がラフィナ様の傍に控えるべきでは?」
ヤンバラが身を乗り出し、ヴィノンが真面目な顔で抗議の声を上げる。
吊り橋効果で、私にときめいてしまっているらしい彼らは、どうやら本気で殿下のポジションを羨ましがっているようだった。
極限状態の中を共に過ごし、彼らの消耗を私が『回復』で助けたことが、余程私への感情を揺さぶってしまったようだ。
あとは単純に、男だらけの中で唯一の女が私だから特別に見えるだけなのかもしれない。
「おや、血気盛んなことで。私は一番端で、結界と外の瘴気の境界線の観測をさせてもらいますよ」
ティエリーが面白そうに眼鏡を光らせて傍観を決め込む中、私は深くため息をつき、毛布にくるまりながら淡々と告げた。
「別に誰がどこで寝ようと構いませんけど、殿下は私の隣で固定ですよ」
「えっ……」
「おおっ!?」
私の言葉に、ヴィノンとヤンバラが目を見開き、殿下がパァッと顔を輝かせた。
「やっぱり、君も僕の隣が良いんだね、ラフィナ……!」
「違いますよ。ただ、殿下の安全が最優先なだけです」
私は容赦なく言葉を切り捨て、三人の男たちを交互に見据えた。
「こんな危険な森のど真ん中で、もし殿下の身に何かあったら、私は王妃様や国王様に顔向けできません。だから、私に一番くっついて、結界の加護と回復の恩恵を最大に受けてもらわないと困るんです。……実務的な理由です」
私のドライすぎる身も蓋もない返答に、殿下は少しだけ肩を落としたものの、すぐに気を取り直して満面の笑みを浮かべた。
「ふふっ、理由はどうあれ、君が僕の命を第一に考え、一番に求めてくれるのは事実だ。やっぱり、君の隣は最高だね」
「殿下……すげえポジティブだな……」
「くっ、やはり殿下には敵わない……」
ヤンバラとヴィノンが、悔しそうにぼやいている。
この人たち、昼間はあんなに頼もしく魔物を切り伏せていたのに、結界の中で気を抜くと途端に騒がしい。
「はいはい、寝言は寝てから言ってください。明日はもっと深部へ潜るんですから、さっさと寝て体力を回復させますよ」
私がランタンの灯りを落とし、狭い結界の中でそれぞれが横になった。
すぐに、不満を漏らしていたヴィノンとヤンバラの規則正しい寝息が、そして端の方からはティエリーの静かな呼吸がすぐに聞こえ始めた。
歴戦の猛者たちだけあって、休息への切り替えが早い。
だが、私の隣にピタリとくっついて寝転がっている人物だけは、いつまで経っても寝付く気配がなかった。
触れ合っている身体から、微かな緊張と、ドクドクという異様に速い心音が伝わってくる。
「……殿下、眠れないんですか?」
「えっ!?」
私が小声で尋ねると、殿下はビクッと肩を揺らした。
「なんだか、体温も上がってますよ。熱でもありますか?」
「い、いや、違うんだラフィナ。これはその……明日の魔物退治のシミュレーションをしていて、少し武者震いをしているというか、決して君との距離が近すぎてどうにかなりそうとか、そういうわけでは……っ」
暗闇の中でも、殿下が顔を真っ赤にして余裕ぶっているのが伝わってくる。
今は、国の命運を懸けた危険な任務中だ。
早く寝て。体力を回復させなければならないと頭では分かっているだろう。
でも、いざ本当に私と添い寝することになった結果、変に意識しすぎて目が冴えてしまったらしい。
本当に、口では甘いことを言うくせに、根本的なところは純情で不器用な人だ。
「……しょうがないですね。少し、力を抜いてください」
私は呆れながらも、毛布の下で殿下の大きな手にそっと自分の手を重ねた。
そして、淡く温かい『癒し』の聖魔力を、じんわりと彼の体内へと流し込んだ。
浄化の力に包まれた殿下の身体から、ふっと余計な力みが抜けていく。
「ラフィナ……あたたかいね」
「いいから、寝てください」
私の魔力がもたらす安らぎに抗えなくなったのか、やがて殿下の呼吸は穏やかなものへと変わっていった。
完全に安眠に入ったシルアレク殿下の寝顔を、私は至近距離で静かに見つめた。
……本当に、綺麗な顔だ。
ただ造形が美しいというだけではない。
王宮での息苦しい『王子の仮面』を外し、無防備なまでに私に身を預け、完全に信頼しきっている。
そのありのままの素顔が、どうしようもなく綺麗だった。
(……私も、同じだな)
私はふと、自分の心の内に目を向けた。
結界のすぐ外側には、絶望と死の気配が濃密に張り付いている。
数時間で人間を発狂させるほどの危険な森のど真ん中にいるというのに、私の心には、恐怖も不安も微塵もなかった。
それは結界があるからじゃない。
彼が……シルアレク殿下が、私のすぐ隣にいてくれるからだ。
(こんな風に、誰かを心から信頼して、安心できる日が来るなんて)
今まで感じたことのない、胸の奥がくすぐったくなるような温かい感覚。
私は、繋いだままの彼の手のぬくもりと、耳元で聞こえる穏やかな寝息を子守唄のように感じながら、静かにまぶたを閉じた。




