魔の森の結界
王都を出発し、大街道を北へ進むこと数日。
私たちはついに、この国の北端に広がる禁忌の領域――『魔の森』の境界線へと辿り着いた。
「これが、魔の森の結界……」
私は思わず足を止め、見上げるほど巨大な半透明のドームに見入った。
空を覆い尽くすほどの広大な森全体を、淡く光る魔法の壁がすっぽりと包み込んでいる。
表面には複雑な術式が幾重にも流れ、中から漂ってくる禍々しい気配を完全に遮断していた。
「さあ、入ろうか。油断しないようにね」
シルアレク殿下が先頭に立ち、結界の壁へと足を踏み出す。
水面に波紋が広がるように、殿下の身体はすんなりと結界を通り抜けた。
続いて私、ティエリー、ヴィノンも、何かに引っかかる感覚もなくスムーズに壁の向こう側へと足を踏み入れる。
「よし、俺も行くぜ……っと!?」
私たちに続こうと勢いよく歩き出したヤンバラだったが、『ゴンッ!』と鈍い音を立てて見えない壁に弾き返され、鼻を押さえてたたらを踏んだ。
「痛っ! なんだこれ!? すげえ硬い壁があるぞ! 進めねえ!」
「ああ、申し訳ありませんヤンバラ殿。貴方にお渡しするのを忘れていました」
ティエリーが結界の内側から腕だけを伸ばし、懐から取り出した淡く光る石をヤンバラに手渡した。
「結界を通るための『魔石』です。この結界は、強力な魔物を外に出さないための牢獄であると同時に、中に満ちる猛毒の魔力から人々を守るための安全網でもあります。そのため、魔力(耐性)を持たない一般の人間は、危険防止のために弾かれる仕組みになっているのです」
「なるほどな。俺みたいに魔力がすっからかんの人間は、親切設計で通してもらえねえってわけか」
「ええ。ですが、その『魔石』を持っていれば、結界に一時的な魔力保有者として認識され、通り抜けることができます」
「すげえ仕組みだな」
ヤンバラは感心しながら魔石を握りしめて歩き出すと、今度は何の抵抗もなく、するりと結界の内側へと入ってきた。
「……それにしても、空気が重いですね。呼吸をするだけで肺が焼けるようだ」
ヴィノンが険しい顔で周囲を見渡す。
魔の森の内部は、外とは完全に別世界だった。
肌にまとわりつくような、濃密な魔力の匂い。
巨大な防壁が、どれほど外の平穏な世界を守ってくれていたのかが、肌で理解できる。
「やはり、結界の中は別世界ですね。……この強固な結界がなければ、この環境下で育った強力な魔物が国中に溢れ出すと思うと、結界のありがたみがよく分かります」
「ああ、本当にね」
私の言葉に、シルアレク殿下が目を細めて結界の壁を見上げた。
「この結界を生み出している巨大な『魔導器』は、僕の叔父であるディレイが開発したものなんだ。叔父上は、自らの命と時間を削ってその研究に没頭し……魔導器が完成してから間もなく、亡くなった」
国王の弟であり、類稀なる魔法技術の研究者であったディレイ大公。
その名前と偉業は、私やティエリーも知識として知っている。
「叔父上のおかげで、王国は永遠とも言える安全な防壁を手に入れた。……けど、魔導器が作られる以前のこの国が、どうやって魔の森の脅威から守られていたか、皆は知っているかい?」
殿下の問いに、ヴィノンとヤンバラは顔を見合わせて首を振った。
ティエリーが、静かに眼鏡を押し上げて解説を引き継ぐ。
「……当時の大聖女、ユリアリス様です。彼女がたった一人で、この広大な魔の森を封じる結界を張り、定期的に張り直して管理をされていました」
「た、たった一人で!? この規模の結界をか!?」
「信じられませんね……どれほどの聖魔力と、精神力があればそんな偉業が可能なのか……」
ヤンバラとヴィノンが、驚愕に目を見開く。
「はい。彼女は定期的にこの森を訪れ、自らの莫大な聖魔力を使って結界を張り直し、維持・管理し続けていたのです。そのおかげで、王国は魔物の被害から免れていた。魔導器が完成し、ようやくその重責をディレイ殿下に引き継ぐ形で、ユリアリス様は引退された。まさに大聖女という称号に相応しい、歴史に残る偉業でした」
ティエリーの言葉に、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
かつて、呪いに蝕まれていた私を、優しく温かい光で救い出してくれた大聖女ユリアリス様。
カルネア様が「私の誇り」と語っていた親友。
ユリアリス様は自分の身を削ってまで、この国を、そして人々を護り続けてくれていたのだ。
(本当に、すごい人……いつか、直接お会いしてきちんとお礼を言いたいな)
改めて、深い尊敬と感謝の念が込み上げてくる。
それと同時に、静かな怒りが胸の奥で燃え上がっていた。
大聖女ユリアリス様が長年守り抜き、王弟ディレイ様が命を懸けて平和を築いてきたこの国を、ネマという正体不明の魔女が、偽りの化粧品と呪いによって脅かしている。
絶対に、許しておけない。
「行きましょう。あの忌々しい魔女をぶっ飛ばして、罪を償わせます」
「ああ! 頼もしいよ、ラフィナ」
私が気合いを入れ直すと、シルアレク殿下も力強く頷き、ヴィノンとヤンバラも武器に手をかけた。
私たちは隊列を組み、禍々しい瘴気が渦巻く魔の森の深部へと、慎重に足を踏み出した。




