王都壊滅計画
ビネッタの公開処罰から数日。
王都の不穏な空気は、一応の落ち着きを見せ始めていた。
そして、いよいよ本格的に『魔の森』へ向けた遠征準備が大詰めを迎えていたある日のこと。
私は神殿の庭で、ティエリーと打ち合わせをしながら、以前から感じていた拭い去れない『違和感』を相談する事にした。
「……ティエリー様。なんだか、おかしくないですか?」
「ほう……おかしい、とは?」
ティエリーが、魔導書を手にしながら聞き返す。
「瘴気の量です……少なすぎる気がします」
私は、王都の空気を嗅ぎながら言った。
「国中の若い女性が『ネマの呪い』の被害に遭い、一斉に若さと美しさを奪われ、絶望に瀕している状況……シルキーの時がそうだったように、彼女たちの悲嘆と絶望が放つ瘴気総量は膨大です。本来なら王都中が呼吸困難になるほどの、濃密な瘴気で覆い尽くされていてもおかしくないはずです」
「そうですね……私も当初は、最悪のパンデミックを想定していました」
「でも……呪いが発生した直後こそ瘴気が濃かったものの、今はどう考えても薄すぎるんです。もちろん、私とリンリルで手分けして『浄化』はしていますが、それにしても減るペースが異常に早い。……まるで、誰かが巨大な掃除機でも使って、街の瘴気を『回収』しているみたいに……」
私が感じていた『違和感』の正体を口にすると、ティエリーは眼鏡をスッと押し上げ、理知的な瞳に鋭い光を宿した。
「……流石ですね、ラフィナ殿。実は私も、以前からその違和感に気づいていました。しかし、その正体までは掴めていなかった。……ですが、ちょうど昨夜、王都の地下水路周辺で、不自然な『魔力の吸引痕』を感知していました」
「吸引痕?」
「ええ。まさに何者かが大規模な術式を構築し、掃除機のように街中に漂う瘴気を集めているようです。『浄化』ではなく『回収』をしている……。私の想像通りだとすると、かなり厄介な事態になりかねませんね」
深刻な表情のティエリーを見て、私の胸にも嫌な予感が渦巻いていた。
ただでさえ、『ネマの呪い』の脅威が去っていないというのに、この王都にはまだ私たちの知らない所で、ドロドロと蠢く悪意が潜んでいるようだった。
***
同時刻。
王宮の奥まった場所に位置する、第一王子の離宮。
『ガシャンッ!』という甲高い音と共に、高価な美しい陶器の壺が壁に叩きつけられ、粉々に砕け散った。
「あああああっ! 許せない、許せない許せないッ!!」
鏡も全て割られていて、床に散らばるガラスの破片をヒールで踏みつけながら、ヒステリックに叫んでいるのは、第一王子デルマーの正妃であるマリーゼだった。
かつて「完璧な良き妻」「王宮で最も美しく淑やかな女性」と讃えられていた彼女の顔は、今や痛々しい包帯でぐるぐると巻きにされ、その隙間からは醜くたるみきった老婆のような肌と、どす黒いシミが覗いている。
「どうして……どうして私がこんな目に……! あの忌々しい王妃は無傷で澄ました顔をしてるのに! 私を……この私を哀れむような目で見下しやがって……っ!」
マリーゼは狂乱し、手当たり次第に部屋の調度品を投げつけた。
彼女は、お人好しで無能で評判の夫・第一王子デルマーを完全に操り、いずれ彼が王座に就けば、自分が裏からこの国を支配出来るという野心を抱いていた。
第一王子デルマーは、彼女の「完璧な仮面」に騙され、完全に言いなりとなっていた。
だが、賢明な王妃だけは違った。
マリーゼの奥底にある強欲さと狡猾さを見抜き、あまつさえデルマーの王の器に見切りをつけて、有能な第二王子シルアレクを次期国王に推そうとしていたのだ。
(このままでは、王妃に私の本性を暴露され、シルアレクに王位を奪われる……!)
そう焦ったマリーゼは、旧知の仲だった当時の宮廷魔法使いミルティスと結託し、王妃の暗殺を企てた。
王妃が愛好していた花に『皮膚を腐らせる遅効性の毒花粉』を仕込み、病死に見せかけて美貌と命を奪うという計画だった。
……しかし、その計画は、偶然居合わせたあの小娘――『聖女ラフィナ』の解毒魔法によって、あっさりと潰されてしまったのだ。
「あの時、あの小娘が余計な真似さえしなければ……! 王妃は死んで、ミルティスが宮廷魔法使いの座を追われることもなく、私の天下だったというのに……っ!」
計画は失敗したうえ、その後のネマブーム時に「流行に乗り遅れては、完璧な妃を演じられない」「化粧した方が夫のデルマーが悦ぶので、ご機嫌取りに都合が良い」という理由から、マリーゼもネマの化粧品に手を出していた。
結果……呪いに罹り、この無様な化け物の姿に成り果てていた。
すべてが狂ってしまったのだ。
「……相変わらず、素晴らしい絶望ですね、マリーゼ様」
ふいに、薄暗い部屋の隅から、ねっとりとした女の声が響いた。
マリーゼが顔を上げると、そこに立っていたのは、深い紫色のローブを纏った女――聖女ラフィナのせいで宮廷魔法使いの座を追われた、ミルティスだった。
「ミルティス……! 貴女、今までどこに隠れていたの!?」
「ふふっ。王都の地下水路ですよ。……あの生意気な聖女と、私の座を奪ったあの小賢しいティエリーに復讐するための、極上の『仕込み』をしておりました」
ミルティスは、マリーゼの醜く崩れた顔を見て、うっとりと恍惚の溜息をついた。
「ああ、本当に素晴らしい。貴女のその怒り、嫉妬、そして絶望……それらが放つ『瘴気』のなんと芳醇で、力強いことか。魔の森に漂う天然の魔力など目じゃありません。やはり、人間のドロドロとした絶望から生まれる瘴気の方が、扱いやすくて最高に美味しいわ」
「……何を言っているの?」
「ネマという魔女が、最高の環境とチャンスを作ってくれたのですよ」
ミルティスは両手を広げ、狂気を孕んだ瞳で高らかに笑った。
「私は魔法使いとして、人間の『瘴気』を『魔力』に変換する術式を研究してきました。人間は絶望すべきなのです。不幸にもがき苦しむ姿こそが、人を最も輝かせ、至高の魔力を生み出す……! 私は今、王都の地下に魔法陣を展開し、街中の女たちが撒き散らす極上の瘴気を集めて、溜め込んでいる最中なのです」
ティエリーとは全く違うベクトルの、狂気に魅入られた『魔法オタク』の姿がそこにあった。
「美魔女ネマ……何者か知りませんが、最高の存在です。これほど濃厚な瘴気を生み出す呪いを、大々的に展開してくれたのですから……!」
ミルティスの顔も、老婆のように皺とシミが広がっていた……ネマの化粧品を使った証だ。
なのに、ネマに感謝するように笑みを浮かべている。
「そんなに瘴気を集めて、どうする気なの?」
「決まっているでしょう」
ミルティスは、さらに獰猛な笑みを浮かべ、手に持った杖の先で床をコツンと叩いた。
「瘴気を王都の地下水路から、近郊の森潜む魔物たちに送るのです。魔物の体内に、限界まで圧縮した瘴気の魔力を直接注ぎ込む……そうすれば、魔物たちは異常なまでに巨大化・凶暴化し……飢えた獣の群れとなって、この王都を蹂躙する『スタンピード(大暴走)』を引き起こす」
「なっ……! 魔物を王都に放つというの!?」
その恐ろしい計画に、マリーゼは息を呑んだ。
「ええ。王都は血の海になり、若い女だけでなく、老若男女すべての人間が恐怖と絶望に叩き落とされる。……その時に生まれる『上質な絶望の瘴気』を回収すれば、私は歴史上最高の魔法使いに至ることができる」
「……!」
「それに、これは復讐でもあります。私を宮廷から追いやったシルアレク王子と、後釜のティエリー。そして、希望の象徴などと持て囃されている忌々しい聖女ラフィナ。……奴らを、狂暴化した魔物の群れで引き裂いてやるのです」
狂気に染まった笑顔で、ミルティスはマリーゼに手を差し出す。
「どうです、マリーゼ様。貴女も、憎き王妃やあの聖女が、魔物に無様に蹂躙される姿を見たくはありませんか?」
ミルティスの悪魔の囁きに、マリーゼの濁った瞳に昏い歓喜の火が灯った。
もはや、国を支配するという野望すらどうでもよかった。
自分がこんな醜い姿になったのに、王妃とあの聖女だけが綺麗なまま生きていることなど、絶対に許せなかった。
「……ええ、ええ! やりなさい、ミルティス! この忌まわしい王都ごと、あいつらをを八つ裂きにして頂戴!」
「ふふふ……御意のままに。さあ、絶望の宴を始めましょう」
二人の悪女の狂気を含んだ笑い声が、王宮の離れに不気味に響き渡る。
人間の瘴気によって、凶暴化した無数の魔物たちが、血に飢えた咆哮を上げる時が迫っていた。




