王子と宮廷魔法使いの出会い
「どうぞ。お水です」
「……痛み入ります」
冷たい石の床に座り込み、息を整えるティエリーに、私は水筒のカップを差し出した。
彼はそれを受け取り、喉を潤してから、ふうと長い息を吐いた。
「いやはや……私が血の滲むような思いで組み上げた論理と構造が、貴女の『奇跡』の前では、ただの塵芥に帰すしかない……魔法使いとしては絶望的であり……同時に、痛快ですらありました」
「そんな……『奇跡』なんて、大層なものじゃないですよ」
ティエリーの称賛を、私は静かに……けれど、明確な意思を持って否定した。
「私に出来る最高の『浄化』をしても、シルキーを元の姿に治すことはできなかった……。エリザ様の顔も、街の女性たちの奪われた若さもです。悔しいけれど、今の私では、ネマの呪いを完全に解くことはできない。だから……これは奇跡なんかじゃありません」
私の率直な言葉に、ティエリーは少しだけ驚いたように目を見張り、やがて優しく微笑んだ。
「……貴女は、本当に強いお人だ。それに、お優しい……『自分の為』『自分が快適に生活する為』と言いながら、他人を助ける事に躊躇いがない。さすが『聖女様』と言うべきお方だ」
彼は立ち上がり、服の埃を払いながら呟いた。
「私は基本的に、他人を信用していません。人間の本質は利己的であり、誰もが自分の為に他者を利用しようとするものだと思っていますから」
「……ティエリー様ほどの実力と、物事を冷徹に見極める目があれば、そう思ってしまうのも無理はないですね」
ティエリーは論理的な人なので、彼らしい考え方だと納得した。
私がそう言うと、彼は歩き出しながら言葉を継いだ。
「そうですね……思えば、学生時代から私を取り巻く環境は最悪でした。誰もが私という人間ではなく、私の『魔法の才能』だけを見て、自分の派閥に取り込もうと、薄い笑顔ですり寄ってくる……息が詰まるような虚飾の世界でした」
確か、ティエリーは学生時代から、シルアレク殿下と友人だったはず……。
「では……シルアレク殿下は、違ったんですか?」
「ええ。彼は、まったく警戒する必要がない人物ですからね。不思議と心から信用できるんですよ。あの頃から……」
ティエリーは、少しだけ懐かしむように目を細め、静かに昔話を語り始めた。
「……あれは魔法実技の授業でした。シルアレク殿下は、王族特有の派手で綺麗なだけの魔法を放ちました。その時、周囲の取り巻きの貴族たちは、こぞって『素晴らしい!』と中身のない過剰な称賛を浴びせました」
「はぁ……目に浮かびますね」
「ええ。そんな中で、殿下は酷く虚しそうな顔をしていました。その様子を端で見ていた私だけが、拍手もせず無関心でいると、彼の方から近づいて来たのです。『僕の魔法をどう思う?』と」
「それで、何とお返事したのですか?」
「もちろん、正直に告げました。『見た目は派手で美しいですが、魔力効率が最悪です。無駄な工程が3つもあり、実戦ではお話になりません』と」
あまりにも辛辣で、媚びの欠片もない評価だ。
「周囲の貴族たちは、私に対してこれ見よがしに激怒しました。ですが……当の殿下だけは違った。彼は目を輝かせた後、取り巻きたちに言い放ちました。『本当のことを言わないお前たちが一番くだらない』と、黙らせたのです」
「……殿下らしいですね」
「シルアレク殿下は、着飾った外見や、媚びる態度で作られた『仮面』を嫌悪しています。それは彼自身が、『王子』という記号だけを求められて、『自分自身』には価値がないのではないかという錯覚に陥るからだそうです。だからこそ彼は、相手の『上辺』には全く興味が無く、相手の『本質』を真っ直ぐ見て向き合ってくれるのですよ」
私たちは、薄暗い地下から、地上へと続く階段をゆっくりと上り始めた。
「ラフィナ殿。殿下がなぜ、あれほどまでに貴女に好意を示し、強く執着するのか……もうお分かりでしょう?」
「……私が、化粧……ティエリー様が言う『仮面』をしないからですか?」
「それだけではありません。貴女が、周囲の同調圧力や常識に決して流されず、自分という『本質』を剥き出しにして一人、凛と立ち続けていたからです。殿下にとって貴女は、この偽りに満ちた世界で見つけた、唯一の『真実』の女性なのですよ」
「そんな大袈裟な……」
そう思ったけど、シルアレク殿下はいつも私の前で、大袈裟な立ち振る舞いと言動をしてるなぁと思い返した。
あれは紛れもない、殿下の『飾らない本心』なんだなぁと、改めて認識されられる。
「まあ、単純にラフィナ殿の事が、好みなのもあるでしょうけどね」
ティエリーの軽口に、私は思わず苦笑してしまった。
殿下の好みが変わってるのは、私が一番よく知っている。
なにせ、初対面でいきなり私に求婚したくらいだ。
絶対に普通ではない。
「殿下の物好きには、呆れてしまいます」
私が愚痴をこぼすと、ティエリーは真面目な顔をして私の方を向く。
「いえ、殿下が貴女に惹かれるのは普通の事ですよ。ラフィナ殿は十分に魅力的です」
「ぶっ……!」
思わず吹いてしまった……ティエリーまで何を言い出すのか。
「かくいう私も、今日の手合せで俄然ラフィナ殿に興味が湧きました。聖魔法の研究と共に、ラフィナ殿の研究にも熱が入りそうです。これからが楽しみですよ」
ティエリーは綺麗な顔で微笑みながら、いつものトーンで語っている。
冗談で言ってるのか、本気で言ってるのか、よく分からない。
まあ……研究には同意したし、私にもメリットはあるので、出来る限りは協力していこうと思った。
階段を上りきり、神殿の重厚な扉を開けると、眩しい午後の日差しが差し込んできた。
「では今後とも、共同研究をよろしくお願いしますね」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」
私たちが今後の事を確認して、神殿の外へ足を踏み出した、その時だった。
「ラフィナ! 大丈夫かい!!」
広場の方から、血相を変えたシルアレク殿下が、近衛兵も引き連れずに、1人で猛烈な勢いで走ってくるのが見えた。
「で、殿下?」
「やっと公務を終えたら、ティエリーが一人で出かけたと聞いて、もしやと思って飛んできたんだ! まさか、僕の美しいラフィナに何か変な魔法の実験をしたりしていないだろうね!?」
「……あの、殿下。落ち着いてください」
肩で息をする殿下を見て、私とティエリーは顔を見合わせ、二人だけの秘密を共有するように密かに笑い合った。
まさかたった今、地下で本気の魔法戦をしてきたとは、この王子様には絶対に言えない。
「おやおや、私たちはただ今後の作戦方針について、立ち話をしていただけですよ」
「本当かい? ラフィナ」
「ええ、私の聖魔力をより効果的に使う方法を、ティエリー様に考えていただくことになりました」
「それは素晴らしい事だ……! けど、そういう作戦会議には僕も混ぜて欲しいものだね!」
直球でヤキモチを焼いているのが見て取れて、私たちは苦笑してしまった。
「わかりました。それでは今から3人で、お茶でも飲みながら話しましょうか」
私が提案すると、2人は嬉しそうに同意して、3人で再び神殿の中に戻ることになるのだった。




