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3話7日目同志の夢

「ワタシが女になった暁には、同志の夢を叶えようではないですか! それこそがワタシの夢なのです!」


 突然始まった大釜蛙太(おおがまけいた)の演説であったがしかし、その声は教室内の雑音の中に溶けていった。教室はまだまだ混乱の最中。乙守楽人(おともりらくと)と大釜蛙太の会話に注目している生徒は綾野千里人(あやのせんり)以外にいない。


「なんだよ! 同志の夢って」


 乙守楽人のそのセリフを待っていた。……かどうかは定かではないが、蛙太はニヒルな笑みを浮かべ、大きな手で小さな手首をつかんだ。


「わっ!」


 乙守楽人の手首はぐいぐいと大釜蛙太の身体へと吸い寄せられていく。楽人は必死に抵抗しているのだが、大蛇に飲み込まれる草食動物のように大きな手から逃れられない!


 そして、ついに――


 ぷにゅっ。楽人の手は蛙太の胸に着地してしまった。


「これが同志の夢ですな」


 ぷにゅっとした感触の後に蛙太の汗がじわりと楽人の手の平へと浸食していく。


「ひっ――」

「ワタシは乙守氏の夢を叶える使者になりたい。ワタシが女になった暁には、いくらでも胸をもませてあげましょう! なぜなら、乙守氏の夢こそがワタシの夢なのですから」


 これは悪夢なんじゃないか? 


 楽人は必死に胸から手を放そうとするが、汗に接着剤でもついているんじゃないかと思うくらい手が動かない!


「くっ、その願い! 叶わないからな!」

「なんですと!?」

「手が触れたままだと叶わない」


 これはまったくのデタラメである。手が触れていようと触れていまいと、美少女化する人間は美少女化するものだ。

 だが、蛙太にはそれを判断する術がない。よって、楽人の手は解放された。

 こういう時、楽人は意外と頭の回転が速い。或いはずる賢いと言うべきか? 彼はすでに逃走へのシナリオも思い描いていた。


「ごほんっ、美少女になるにはね……こうして手を取り合って……」

「乙守……くん……?」


 乙守楽人の手は綾野千里の小さな手をそっと包みこんだ。千里はびくっと小さく驚いたものの、抵抗の素振りはない。蛙太は手と手をマジマジと見つめている。


「走る!」

「わっ!?」


 突然、楽人は千里の手を掴みながらダッシュで教室を出て行った。


「乙守氏!?」


 クラスで一番足の遅い蛙太は追ってくることはなかった。


 * * *


「大変だったね」

「ああ」


 小走りで正門を出たところで千里は楽人に話しかけてきた。ボブカット、ハスキーボイス、メガネっ子のこの少年とはいつもなら正門を出たところで別れる。帰り道が異なるためである。8月26日に早馬駿(はやましゅん)と3人で千里の家まで一緒に帰ったのはたまたま病院への道が一緒だったからである。


「?」


 千里は首を傾げた。正門前で楽人は立ち止まり顎に手を当て、考え事をしているためである。


「乙守くん?」

「ちょっといいかな」


 * * *


 綾野千里の部屋は6畳くらいの小綺麗な部屋であった。


 学習机にベッド、いくつかの学習参考書に丸テーブル。趣味や男性らしさ、或いは、女性らしさ? といった個性を示す装飾品が極端に少ない。中性的な部屋、悪く言えば無個性な部屋と言えよう。


 そんな部屋の様子を、胡坐をかきながら眺めていた楽人であったが、千里がオレンジジュースを持って部屋に入ってきたので自然と視線が千里へロックされた。


「碁石とか将棋盤とかないんだな。囲碁や将棋やってそうなのに」

「ぼ、僕は頭使うとテンパっちゃうから……ほら、今もテンパってちゃって、あわわわっ……」


 千里の手元でオレンジジュースが躍る。千里はこぼれそうになるジュースを慎重に丸テーブルに置き、ふぅーと息を整えた。


「それで、話ってなに?」


 と、次の瞬間――


「わっ!」


 楽人は両手を前に突き出し、驚かせようとポーズを取った。


「えっと……なに?」


 千里は3秒間首をかしげた後、楽人のポーズの意図をとまどいながら聞いてきた。


「ふっふっふっ、綾野のベッドの下は調べさせてもらった。ベッドの下にはえっちな――」

「なにもないけど?」


 綾野千里にはまったく動揺が見られない。彼は穢れなき天使のように楽人を見つめている。


「ねぇ、いったいなんの用?」


 どうも綾野千里に回りくどい方法は通用しないようだ。乙守楽人は「うーん」と唸ったのち、単刀直入に自分の考えをぶつけてみることにした。


「綾野って、『ふぁえ!?』らなくなったよな」

「うっ……」


 今回は手ごたえを感じた。目の前のボブカット眼鏡少年が楽人から目を逸らしたためだ。その変化に、目をキラリと輝かせ、楽人は少年を攻め始めた。


「おかしいんだよね。『ふぁえ!?』らなくなるって。俺は『ふぁえ!?』らなくなった人間がどういう人間なのか知ってるんだよ」

「……」


 綾野少年は俯いた。眼鏡の光が反射して彼の表情は読み取れない。


「何か身体に大きな変化がなかった?」

「……」


 綾野少年の頬が赤くなる。これはもう正解なのだろう。楽人は確信を抱いた。


「身体が女の子になった?」


 しばしの沈黙の後、綾野千里はこくりと小さく頷いた。軽く握った手で口元を隠し、目を潤ませている。


(なんだろう? この目の前のかわいい生き物は)


 乙守楽人は目の前の少年……いや、少女? を見ているうちにヘンな感覚に捉われてきた。


「綾野千里……」

「? なに?」


 ボブカットの少年は、首を傾げている。おっと、訂正。ボブカットの少女であった。

 彼が女の子になったと言うのだから、女の子なのだろう。だが、これは……?


「本当についてないの?」

「なにが?」

「ちんちん」


 なんともストレートな質問であるが、仕方あるまい。外見はこれまでと同じ綾野千里そのものなのだから。

 千里は頬を赤く染め、目を閉じ、こくりと頷く。早馬駿だったら「ななな、なに言ってんだよぉ!」とか「うっさいなー」とか言うだろうか? 無言でこくりと頷くこの少年の反応も奥ゆかしくて良い。おっと、訂正。少年ではなく、少女である。


「う~ん……同志の……夢……か」

「――っ!?」


 同志の夢……学校で蛙太が語っていた言葉である。彼……否、彼女は声にならない声を上げ、胸元を隠した。顔を赤らめ呼吸が速くなる。


「……かわいい」


 ピコン♪ ピコン♪ ピコン♪


 穢れなき天使の写真を容赦なく写真に収める穢れだらけの乙守楽人である。

 妹に「おにぃの鬼!」と言われる所以である。


(いや、いやいやいや、でもこれってどういうこと……?)


 目の前の少年は少女である。


 ……いや、何を言っているのだ? 地の文まで混乱しているが、ここで一つある問いが出来上がる。


「俺、今の綾野なら胸を触れるしキスもできる」

「な、なに言ってんの?」

「綾野とキスしていい。ううん、綾野とキスしたい……けど、それは綾野が美少女だから?」


 そして、問いは哲学へと昇華される。


「美少女とはなんだろう?」


 奇しくも魅化姫(みげひめ)様が楽人に投げかけた問いと同じだが、その問いの意味は異なる。


「目の前にいるのが美少女の綾野だからキスできる。でも、綾野は綾野だ。姿がまったく変わってない! ……とすれば、綾野が男でもキス……できる!?」

「う――っ!」


 綾野千里は耳まで赤くして丸くなっている。子ウサギがゲージの隅っこで丸くなるかのようだ。楽人はそんな綾野の姿を見つつ、考える。


「もし、もしも、綾野千里が男だったらどうなるか?」

「男だよぉ~……」


 か細い声で千里は主張したが、それは男として産まれ男として育った、という意味に他ならない。楽人もそれがわかっているからこそ彼女の訴えをスルーし独り言を続ける。


「例えば1週間前、おはよう! キスしよう! ってしたら……げぇ! ないな」

「うん……うん!」


 子ウサギは顔を伏せながら強く頷いた。


「でも、もしも、綾野千里が女だったらどうなるか? たとえば今、こんにちは! キスしよう! ……としたら」


 楽人の目の前には耳を赤くし肩を震わせている小動物がいる。


「悪く……ないかも」

「ううん!」

「綾野。……綾野!」


 楽人の問いかけに千里はプルプル首を横に振っていたが、楽人は彼女の腕をつかみそっと抱き寄せる。


「イヤ……」


 千里は若干の抵抗をみせたが、その力は小動物のように弱かった。


「ひどいよ、乙守くん……」


 半ば泣きそうに、半ば抗議の意味で千里は楽人を責めた。


「これは同志の夢なんだ」


 ドキドキドキドキドキドキドキドキ……


 この鼓動の音は楽人のものなのか、或いは千里のものなのか。胸と胸とが触れあいそうな距離まで2人は近づいている。そして、今、唇と唇とが近づき――


「千里、学級閉鎖なんでしょ? お友達と遊んでたらダメなんじゃ――」


 千里の母親はドアを開けたまま、そして、口を開けたまま停止している。

 時が止まったかのように、千里の母親が、千里が、楽人が同時にフリーズした。


「ちょ、ちょっとあんた何やってんの!?」


 一番初めに再起動したのは千里の母親であった。


「ごごごごごごめんなさい!」


 脱トムソンガゼルの如く……という表現があるか定かではないが、脱兎の如く楽人は部屋から出て行き、同志の夢は儚く散ったのであった。

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