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2話7日目自習

 2018年10月1日月曜日。


 その日は何のこともない、いつもの月曜日になるはずであった。

 空では鳥たちが歌い、通学路ではおしゃべりをしながら学校へ向かう生徒たちの姿が見られる。秋の心地良い風が吹く日である。


 乙守楽人(おともりらくと)が異変に気付いたのは学校の正門に着いた時であった。

 否、正確には今朝、メッセージアプリの通知を見た時から嫌な予感はしていた。


<佐藤が――>

<女の子>

<かわいい>

<本当に本人か?>


 次々と流れるメッセージ。その話題の中心にいた人物が男子校の正門前で立っていた。いや、目の前の"壁"の先に立っているはずである。


「佐藤? 本当に佐藤なのか?」

「こいつのパジャマ見たことある! 佐藤だよ」

「パジャマなんて証拠になるかよ」


 20人? いや、30人くらいだろうか? 多数の男子生徒たちが正門前で『佐藤』を囲っている。


 乙守楽人はぐいぐいと男子生徒たちの壁に潜り込んでいった。こういう時、彼は遠慮したりしないのだ。


 生徒たちのトンネルを抜けると、そこには青色のパジャマがあった。


 栗色の髪。男子生徒たちをキッと睨み返す瞳。背丈が微妙に合わず、はだけそうなパジャマ。


 ぬめるような視線から身を護るためか? 少女は胸と大事なところを手で隠している。

 

 この()が佐藤なのだろうか?


「佐藤だよ! 伊藤から550円借りてる! 加藤から300円借りてる! 佐藤だよ!」

「それじゃあわかんねぇよ!」

「武藤、おまえからは200円借りてる! 金曜におまえはアンパン食べて、俺はカレーパン食べた! おまえの金でな!」

「俺の金じゃねぇ! 貸しただけだ!」


 どんだけお金を借りているんだという話だが、第三者がなかなか知ることのできない情報、という意味では信憑性はある。


「おまえ、本当に佐藤なのか……?」

「信じてくれよ! わけもわからず家から追い出されて、どうすればいいかわかんねぇんだよ!」


 この状況、早馬駿(はやましゅん)の時とよく似ている。


魅化姫様(みげひめさま)、これって……」


 楽人はタブレットを取り出し、雨森雨音(あまもりあまね)神。もとい、魅化姫様を呼び出した。が、


「ら……ららくと……」


 タブレットの中の水髪美少女は微笑を浮かべたままバグったようにボイスを奏でている。


「魅化姫様! 魅化姫様!」

「わ、わららら……」

「まさかこれ……圏外ぃ~っ!?」


 そう、神力の弱まる場所では魅化姫様との会話は困難になるのだ。地下鉄では会話は困難になるという話であったが、『圏外』の範囲は想像以上に広いようだ。基地局ならぬ神力局でもほしいところである。


 * * *


 2018年10月1日8時50分。


 教室ではクラスメートたちが『佐藤』についてガヤガヤと話していた。


 黒板にデカデカと書かれた『自習』の文字。ホームルームの時間が過ぎても担任がやってこないところをみると、職員室で『佐藤』の聞き取りをしているのだろう。そう、正門前にいたパジャマ女子は教職員たちに連れられていったのである。


「佐藤って……佐藤健太だよな?」


 乙守楽人は前の席の少年に話しかけた。


「僕、見なかったから……」


 綾野千里(あやのせんり)は声変わり前の少年のようなハスキーボイスであった。千里が女性のような声に変わってしまったことを楽人は知っている。ただ、気がかりなのは、もし、クラスメートの佐藤健太が女の子になったとしたならば千里がいつ女の子になってもおかしくないことだ。


「綾野は大丈夫なの?」

「え!? う、うん……」


 ボブカットの少年は驚きながらも頷いた。たしかに千里は美少女化することなく、いつもと同じ綾野千里である。しかし――


「なにか変だ」

「なにが!?」


 楽人はじっと、綾野千里の目を見つめた。千里は目を泳がせ口を「への字」に曲げている。心なしか頬が赤い。


 ガラッ――。


 と、突然教室のドアが開いた。担任の小紫詩希(こむらさきしき)である。彼女は相も変わらず、薄藤色のカーディガンを着ている。


「先生! パジャマの子どうしたの!?」

「先生! あれ佐藤だったんですか!?」

「先生! 先生!」


 記者会見か何かかといった感じで老年の教師へ質問が集中する。


「こほんっ。静かに」


 教室は一瞬で静まり返った。否、生徒たちはヒソヒソ声で話し始めた。

 

 なぜ、教室が静まり返ったのか。


 小紫詩希が「静かに」と言ったからである。……と言いたいところだが実は少し違う。


 ネコ高の生徒たちは先生の言うことをなんでも素直に聞くような優等生という訳でもない。先週までの声変わり現象を経て、ついに佐藤健太を名乗るパジャマ女子が出てきたのだ。ここまで"普通"ではないことが起きているのだから"普通"は素直に静かになることはない。


 つまり、"普通ではない"ことが起きていたのである。


 老教師の声は思いの外高かった。その"普通ではない声"に生徒たちは反応しているのだ。ベテラン教師の小紫詩希は落ち着いたもので、この静かになったタイミングを逃さず口を開いた。


「本日は7名の生徒が欠席しています。職員会議の結果、1年B組は学級閉鎖になりました。詳しくは配布するプリントを見るように」


 ヒソヒソ声さえ聞こえない静寂が一瞬訪れる。


「風邪が流行っています。皆さん、今日はまっすぐに家へ帰りなさい。風邪とみられる症状があれば病院へ行くように」


 教室はにわかに色めき立った。


「佐藤はどうしたんだよ!?」

「先生声がおかしい」


 小紫は無言のままプリントを配り、静かに一礼して教室を去って行った。これが記者会見ならばカメラのフラッシュが煌びやかにたかれていたことだろう。配られたプリントには、学級閉鎖の連絡と宿題の内容以外には美少女の美の字も書かれていない。どうやら学校は、この状況を飽くまで風邪として押し通すつもりらしい。


 教室には生徒たちだけが取り残された。


 しつこいようだが、ネコ高の生徒たちは優等生という訳ではない。学級閉鎖と決まれば、席を移動し生徒と話すし、職員室へ佐藤を探しにいく者などもいる。たとえ授業が開始される時間でも、である。


「乙守氏、早馬氏のこと何か知ってますかな?」


 大釜蛙太(おおがまけいた)も例外ではなく、酢イカを取り出しクチャクチャ音を立てながら楽人に声をかけてきた。


「早馬は……早馬とはずっと連絡が取れてない……」


 もっとも肝心な説明が抜けているが、これは事実である。楽人は『未読』とついたメッセージを蛙太に見せた。


「おや、おやおや……乙守氏、それだけだと言うのですかな? まったく御冗談を。早馬氏が雨森タンのモノマネをしていたのはたしか~……そうそう『ビショビショ』の翌日ですから、水曜日ですよね?」


 蛙太はゲヘゲヘと笑みを浮かべながら未読の表示を見ている。


「そ、そうだったっけ?」


 楽人は大ガエルに頬をなめられたような身震いをした。大釜蛙太はなぜこのタイミングで早馬駿の話をしてくるのか。警戒心を抱かずにはいられない。


「綾野氏も覚えていますよね?」


 そんな楽人の警戒心に気付いているのか、気づいていないのか、蛙太は千里に同意を求める。


「う、うん」

「おかしいんですよ、これ」


 大釜蛙太はスマホの画面を見せた。そこには様々な人々の様々なつぶやきが表示されていた。全世界の人々が「思ったこと」を自由につぶやくSNS――ソーシャル・ネットワーキング・サービス――『ツイドンブック』である。


「これは水曜日の検索結果。『美少女』『声』で検索すると『ビショビショ』のコメントが見られます。まぁ、当り前ですな」


 たしかに『ツイドンブック』では<届いて! 私の声! #美少女&美少女 #ビショビショ>といったコメントが多数流れている。

 そういえば、先週の『美少女&美少女』は雨森タンが大雨の中『届いて! 私の声!』と叫ぶシーンが注目されていた。


「実はこれが厄介な話でしてね。SNSで拡散される話題は『ビショビショ』の話ばかり。なのでワタシも見つけるのに苦労したのですよ。ふへへっ、おまけに見つけたいコメントも『美少女』ではなく『女』『女性』『女の子』……ひいては『お姉ちゃん』『妹』『娘』と揺らぎがあるから厄介なものです」


 楽人……ばかりか千里までもごくりと唾を飲んだようだ。蛙太の『見つけたいコメント』というのは見当がつく。しかし、蛙太はわざと遠回しに話をして、この状況を楽しんでいるかのように見えるから性質が悪い。


「注目すべきは木曜日以降。『ビショビショ』の影に隠れてしまい、なかなか注目の話題(トレンド)にあがらないのですが、少しずつコメントが増えていっているのです。ほら、ほらほら。そして、極めつけは日曜朝の郡山(こおりやま)氏! ワタシ、後から動画を観たんですがね、比較すると明らかに声がおかしい」


 蛙太は素早く指で画面をスクロールして『検証!郡山氏の声比較動画』というタイトルの動画を再生した。動画は声変わり前の郡山氏と声変わり後の郡山氏を、丁寧に、音声波形付きで解説していた。


「これ、声紋はまったく別人の声になっています。ただ、ですね、注目すべきはアクセントやイントネーションは限りなく本人のものなのですよ。ふへへへっ」

「すごいな、これ」

「いったいどんな人がこの動画作ったんだろう」


 楽人と千里は素直に動画の感想を述べた。


「まぁ、作ったのはワタシなんですけどね」

「「えっ!?」」


 驚いている2人の反応に関心を持たず、彼は話を続ける。


「あまりにもありえない話。そんなありえない話なんですけれども、先週、乙守氏もありえない話をしていましたよね?」


 女医といい蛙太といい、どうも嫌~な話の詰め方をしてくる。乙守楽人が一番苦手とする話の詰め方なのか、彼の頬に汗が流れる。


「ぐ、偶然でしょ。ほら! だって、天気予報のおっさんが美少女になったところで誰も得しないでしょ」

「あれ? あれれれ? 損得の話なんですか?」

「うっ」

「それとワタシ、声の話をしているのに、なぜ乙守氏は美少女の話をしているのですかな?」

「うぅっ」

「まぁ、気持ちはわかりますとも、乙守氏。『みんな美少女になればいい』と神様に願った、そう話していましたからね。このおっさんは美少女に含まれますか?」


 バナナはおやつに含まれますか? みたいな話である。……否、大分違うか。


「で、でも、証拠はどこにあるんだよ! どこにもないだろ? 俺、もう帰るから」


 『犯人』と言われたわけでもないのに『証拠』などと言う。あたかも追い詰められた犯人のようなセリフを吐き、乙守楽人は立ちあがり、その場から立ち去ろうとした。


「待ってほしい! 乙守氏! 違う。そうじゃない! ワタシは乙守氏が必要なのです!」


 しかし、思いの外素早い動きで大釜蛙太は彼の行く手を遮った。


「ワタシを女にしてほしい!」


 「俺を男にしてくれ」というセリフはよく聞くものだが、楽人の前に立ちはだかる大男は真剣な眼差しで彼を見つめた。

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