30話6日目晴れの日4
カーテンが舞う。日の光が差し込む。乙守楽人の部屋は北側にあり、柔らかい光が彼を照らしている。楽人は薄手のセーターとベージュのズボンに着替えていた。
「神社へお参りに行くとは良い心がけじゃ」
「魅化姫様がここにいるのに、神社に行くって不思議な感じだなぁ」
「神社は神力が強まる場所だからのう。神社で祈ったほうが想力がたまりやすいのじゃ」
「ジンリキ?」
「神の力と書いて神力じゃ」
「その……神力が弱まる場所もあるの?」
「自然物が少ない場所、人々の信仰心が薄い場所。そのような場所では神力は弱まる。たとえば、地下鉄じゃな。地下鉄の中では神力が弱まり、わらわとの会話もできなくなるじゃろう」
「電波みたいなものか」
「で、電波じゃと?」
珍しく魅化姫様は動揺した。神様に畏れ多い指摘をすることになるのだが、たしかに魅化姫様は電波キャラっぽい。
「わらわを電波呼ばわりするとは」
「待って!」
動揺する魅化姫様はレアだ。楽人はタブレットの写真を撮ろうとしたが、その時には画面の中の雨森雨音は無表情になっていた。
「くっ、いい表情だったのにぃ!」
楽人はシャッターチャンスを逃し歯ぎしりをし、画面の中の水髪少女はほのかな笑みを浮かべた。魅化姫様の笑みも十分にレアなのだが、彼はそのことに気づかず「電波」のフォローをした。
「……魅化姫様が電波って意味じゃないよ? 神力が電波みたいだなぁ、って。神社だと神力が3本立って、地下鉄だと神力が圏外になるんでしょ?」
「ふむ、不本意じゃがそれで意味が伝わるのならば良い」
* * *
ガチャッ。乙守楽人が出かける準備をし廊下へ出ると――
「いってきま――」
ちょうど妹の乙守風凛がリビングへ向かって元気に「いってきます」と言うところであった。白系のTシャツの上にスタジャン、下はチェックのスカート、そして、ベレー帽を浅くかぶっている。ボーイッシュな彼女らしい恰好である。
ちなみに彼女が「いってきます」と言い切ることはなかった。
兄の顔を見たためだ。
風凛は口を半開きにしたまま2秒程フリーズした後、俯き、兄の傍を通り過ぎて行く。楽人の部屋は玄関から入ってすぐのところにあるため、風凛が玄関へ向かうには必ず、兄の部屋を通り過ぎなければならないのだ。
「待っ……」
乙守楽人は妹を引き留めようとしたが、引き留める言葉が見つからない。風凛は兄の方を見向きもせず、靴を履いてドアノブを握り外へ出ようとしている。
これは異常事態である。
なぜなら、これまで妹の怒りが1日以上続いたことはないためだ。もう、妹が怒りを覚えたであろう出来事が起きてから20時間ほど経過している。
この空気は耐え難い。妹からは怒りを通り越し冷たい空気が流れているように思える。夏から秋へ、秋から冬へ……このままでは楽人のハートは凍えてしまうかもしれない。
「良いのか? 早馬駿だけではなく、乙守風凛にも嫌われ、一生声をかけてくれなくなるかもしれぬぞ?」
乙守風凛はドアノブを握ったまま、兄の方をゆっくり向いた。
「なに? それ」
「え? あっ、え? これは……」
妹は一時的に鎖国を解いた。タブレットから自分の名前が聞こえ、さらに楽人に忠告をしていたので気になったのだろう。楽人はタブレットを妹の方へ向け、どう説明しようかとまどっている。
「わらわはアイドル……『ばーちゃるあいどる』雨森雨音じゃ」
「いや、だから雨森タンはバーチャルアイドルじゃないぞ?」
そのツッコミは必要なのだろうか?
「バーチャルアイドル? 誰かいるの?」
「中の人などおらぬ」
妹は訝し気な顔でタブレットを覗いている。「むむむぅ~……」という心の声でも聞こえてきそうな表情だ。
「むむむぅ~……おにぃ、風凛と仲直り……したいの?」
風凛は心の声と思われた「むむむぅ~」を口に出しつつ、唐突に仲直りをしたいか聞いてきた。
「え!? そりゃもちろんしたい! したいよ!」
少々卑猥な言葉に聞こえるかもしれないが、仲直りしたいのは楽人の本心である。
「あのね、それならね、そんなアプリ作ってないで、おにぃの言葉を聞きたいの」
どういうことだろう? どうも風凛は言葉足らずな嫌いがある。
「これ? 作ってないよ?」
「『これ』とはなんじゃ。神に向かって」
「『これ』作って、風凛の気をひく作戦なんでしょ?」
兄妹に『これ』呼ばわりされて不本意な表情を浮かべた魅化姫様だが妹の言いたいことはわかった。
「違うよ。『これ』は魅化姫様が勝手にとりついて……」
楽人は言い淀んでしまった。風凛が今にも泣きだしそうな顔をしたためである。兄の態度が不誠実なものに見えたのだろう。
「ごめん! ごめんなさい! 昨日は本当何も覚えてないんだ」
「本当?」
「ああ、本当だよ! 思い出せるなら思い出したい! 思い出させてください!」
土下座しつつどさくさに紛れて、妹にヘンな懇願をしているように思えるが、それは想力100000ポイント使用しても叶わぬ願いだろう。風凛は「むぅ~」とでも言いそうなジト目で兄を見ている。
「むぅ~……ミケモリ屋のジャンボパフェ……」
風凛は心の声と思われた「むぅ~」を口に出しつつ、謎の言葉を紡ぎだした。
「え? あのせん……1800円の?」
妹はこくっと頷く。どうやらそれが和解の条件のようだ。楽人は妹の顔をマジマジと見る。今はジト目でこちらを見ている妹だが、ミケモリ屋で兄と二人っきりでパフェを食べる時の姿を想像するとご褒美にも思えてくる。きっとパフェを食べるときはとびっきりの笑顔を見せてくれるのであろう。
「えへっ」
「ミケモリ屋の特大ジャンボストロベリーパフェを風凛とあっちゃんに」
「え? えっと……」
「6048円じゃな」
なにか条件が増えた気がするが、風凛とその友達に2800円の特大ジャンボストロベリーパフェをおごる、それが和解の条件である。
「それごちそうしたら、思い出させてくれるの!?」
おっと、楽人は和解の条件と思ってなかったようだ。
「あのね、おにぃ、グーで殴るよ」
「ありがとうございます!」
「い゛っ」
ネコ科の動物は逃げる獲物を狩るのが本能だ。しかし、獲物が「ありがとうございます!」と満面の笑みを浮かべて近づいてきたらどうだろう? 気持ち悪い笑みを浮かべて近づいてくるトムソンガゼルにヒョウは思わずのけぞった。
「じゃあ、今すぐ行こう! ミケモリ屋へ!」
「神社へ行くのではなかったのか?」
邪悪なオーラを放ちつつ爽やかに妹をミケモリ屋へ連れていこうとする楽人であったが、
「あのね、今日風凛ね、撮影に行くの、雑誌の」
風凛にあっさり断られた。彼女は少々兄に気持ち悪さを感じているのか、軽く汗を出しつつドアを開けようとしている。
「じゃあ、いついくの? ミケモリ屋」
ゆっくり、ゆっくりと妹に黒い影が近づいてくる。ミケモリ屋で特大ジャンボストロベリーパフェを頬張る風凛と、その友達のあっちゃん。兄にとってはその笑顔を見られるだけでご褒美なのだ。
「えへっ、楽しみだなぁ、ミケモリ屋」
ヘンなスイッチが入ってしまったのか、トムソンガゼルは気持ち悪い笑みを浮かべたまま、ヨダレを垂らし小さな雌ヒョウに近づいてくる。
「あ、あとで、ね?」
妹はドアノブをガチャガチャ回すがドアが開かない!
ただ単に鍵がかかっているだけなのだが、焦っているためそこまで気が回ってない!
「おにぃ……? あのね? あのね?」
風凛は半泣きになりながら、ついに――
「ごめんなさい!」
土下座した。
玄関で土下座した。
兄が土下座したのではない。風凛が土下座したのである。
「特大ジャンボストロベリーパフェはいらないから! 許してー!!」
「あ、あれ?」
妹の怒りが24時間以上続くことはない。今回もまた、なんだかよくわからない展開で妹の怒りは吹き飛び、消え去ったのであった。




