23話5日目土砂降り4
障子に突き刺さった赤いハイヒールは今はない。美見未海は掃除の支度をするということで赤いハイヒールと共に社の裏に回り、準備をしているようだ。
乙守楽人と早馬駿は社の前で待つことになった。ナップザックを背負ったままでは疲れるため、駿は静かにナップザックを社の屋根の下に置いた。そして、
「な、なぁ、ひょっとしてもう……」
駿は耳元で囁いた。楽人の耳は近距離で女の子の声を聞くことができ、幸せでいっぱいなはずだが、彼の気分はすぐれない。
駿が言わんとすることは楽人にもわかる。「ひょっとしてもうバレている?」だ。手が滑ったのでなかったのなら、血相を変えてハイヒールを投げつけた理由は二つくらいしか思いつかない。
一つは未海を置いて二人で神社へ走ったことに対しての抗議のため。そして、もう一つは楽人と駿のキスを阻止したかったため。
もし、キスを阻止したかったという理由であれば、バレているという結論で良いだろう。もっとも、バレていない可能性もそこそこ高い。本当に手が滑った可能性さえある。……いや、それはないか。
「バレてますか?」と未海に聞くわけにはいかないし、バレていないとしても「バレているかも?」と思いながら未海と過ごさなければならない。一度でも「バレているかも?」と思ってしまったら、挙動が不自然になってしまい、挙動が不自然になってしまえば、バレる確率は上がってしまう。
このモヤモヤ感……
「いや、考えたって無駄だよ」
楽人は「バレてしまうかも」という暗示にかかりたくなかったがために、突き放すような言い方をした。
「う、うん……」
駿はしゅんとなってしまった。彼女は黒い帽子をかぶっているため、俯いてしまうと目元が見えない。彼女は泣いているのだろうか? こういう時まったくデリカシーのない楽人は駿の目元を覗こうとする。
「な、なんだよぉ!」
駿は慌てて後ろを向いた。
「えへっ、早馬ってどんどん女の子っぽくなっていくよな」
「うっさいなー」
駿は楽人に背を向けたまま、帽子を深くかぶり直した。
「ニャン♪」
「うわっ!」
と、突然、駿の前に猫メイドが現れた! 否、美見未海である。未海は今、黒いワンピースの上に、白いフリフリのエプロンを装備している。さらに赤いハイヒールではなく、黒いハイヒールを履いている。ポシェットにわざわざ黒いハイヒールを入れていたのであろうか? 掃除をするのには無駄なこだわりである。
ちなみにポシェットは社の裏に置いてきたようだ。
なるほど。猫耳魔女っ娘と猫メイドは互換性があるのか。今まで生きてきた人生の中で初めてそのことに気づかされた。そんなことを地の文で感心していても仕方がなく、美見未海は地の文の感想など気にせず意味ありげに笑みを浮かべた。
「う~ん、誰が女の子っぽくなったニャン?」
未海は両手を後ろに回し、前かがみになり、メトロノームみたいに駿を左右から覗き込んできた。
「ニャーン? ニャーン? ニャーン?」
メトロノームが左右にふれながらゆっくりと駿――未海にとっては駿の姉、秋晴だが――に近づいてくる!
「う、うぅ、うわっと」
未海が近づくのと同時に駿もじりじりと後退していく。
「え? え? ちょっと!」
駿の背中がどんどん近づいてきて、楽人がのけ反る!
ここで改めて説明するが、彼はドジっ子である。楽人は――
「うわぁぁ~」
と、説明する前にかかとが小石に当たり、体勢を崩してしまった。
「うわっ!? なに!?」
倒れる際、楽人は駿の右腕をつかんだため、駿は後ろから引っ張られる形になった。
「駿! ――のお姉さま!」
未海は倒れる駿の左腕を掴んだ! ……が、ハイヒールでは分が悪く、そのまま駿の胸に飛び込む体勢になってしまった。
「ぃったぁー!」
楽人のお尻が果敢にも地面へのダイブを試み、空しく地面に跳ね返された。次いで、彼の背中も地面に跳ね返される。お尻と背中へ激痛が走る!
走馬燈……ではないが、空中に黒い帽子がクルクルと回転しているのが見えた。と、同時に楽人の胸元に駿の後頭部が落ちきた。さらに、駿の胸元に未海の顔がうずくまる。
今一度状況を整理すると――
楽人の後頭部は地面と接触し、駿の後頭部は楽人の胸元と接触し、未海の顔面は駿の胸元と接触している状況だ。
「うぅ……」
駿は気絶から目覚めるかのように、閉じていた目を薄っすらとあけた。
「うっ、ひゃっ!?」
駿の胸元でユサユサと未海の頭が動いている。
「ふん……ふん……むはぁ~」
鼻息のような吐息のような謎の音をあげ、未海は顔を持ち上げた。やや興奮気味の表情が一瞬現れた気がしたが、彼女はトロンとした眼差しで駿を見つめた。
「お姉さま……」
「えっ、えっ、な、なに……」
お姉さまこと駿は、苦笑いのような恐怖でひきつったような表情を浮かべ、猫メイドこと未海は小悪魔的に舌なめずりをした。と次の瞬間、猫メイドは獲物に食らいついた!
「お姉さま! むはっ! ぅむむっ」
「いや! あ、あ、あぁ……っ! な、なにこれ、やめてぇ…っ!」
「むふっ、ふんっ、お姉さま、薄い桜色のブラジャーしてますニャン♪」
「はぁ、はぁ……」
胸をもみくちゃにされて、はじめは駿も抵抗していたが、足のつま先まで、すっかりと力が抜けてしまった。駿の名誉のために胸元の描写は控えるが、美見未海のセリフによれば、駿が着ている紺のシャツの、その奥には乙女チックな桜色のブラジャーが隠されていたことになる。
駿もいつまでも、少年らしくノーブラ、という訳にはいかなかったようだ。
「程よいサイズのぷっくりしたお胸は指でつつくと跳ね返されるくらい弾力があって天然って感じがしますニャン♪」
猫耳少女は気が高まっているのか、読点「、」を挟まず早口で駿のお胸の感想を言い切った。
「はぁ、はぁ、やめ……て……」
乙女の秘密を探られてしまい、駿は右腕で両目を隠し、疲れ切ったように息をしている。
「やめますニャン♪」
未海は満足げな表情で起き上がり、汗っぽくなっている駿の髪の毛を優しく撫でる。
「もう、よくわかったニャン」
そう言うと彼女は、愁いを帯びた瞳で微笑み、帽子をそっと駿に被せた。
駿はもふもふのジェットコースターに乗って振り回されてきたかのようにぐったりしてしまった。
楽人はというと着ぐるみから抜け出すように、駿から抜け出した。
美見未海が赤いハイヒールを二人の間に投げつけた理由に、第四の可能性が現れた瞬間である。
第一の可能性は、手が滑った可能性。
第二の可能性は、置き去りにされたのを怒っていた可能性。
第三の可能性は、未海が駿の正体に気づいていた可能性。
第四の可能性は、未海が雌ヒョウを狩る雌ヒョウであった可能性。
早馬秋晴に一目ぼれしてしまったため二人のキスを阻止したかった。
……先ほどまでの美見未海の反応を見るとこの第四の可能性はありえなくない。が、もし、美見未海が秋晴のことを好きだとしたらそれはそれで、秋晴は――中身は駿であるが――ピンチである。
2018年9月29日の魅化神社では、複雑な男女関係が入り乱れようとしていたのであった。




