二話
「アスカ、口を開けてくれ。『あーん』だ」
「……ライネル様、私は手も足も無傷です」
召喚から一夜明け、王城の豪華な応接室。
目の前に座るライネルは、銀のフォークで一口大に切った極上の熟成肉を私に向けていた。
昨日のあの冷徹な態度はどこへ行ったのか。
朝から私に付きっきりで、食事の世話まで焼こうとしてくる。
「何を言う。異世界の文化に慣れぬお前が、精神的な疲労を感じているのは明白だ。聖女たるお前の体を労わるのは、護衛であり婚約者(仮)である私の義務だ」
「婚約者(仮)なんて承諾した覚えはありません!」
「(仮)がついているから問題ないだろう」
ドヤ顔で言い放つ王子の顔面があまりにも良すぎて、反論の言葉が詰まる。ずるい。顔が良い男のドヤ顔は破壊力が強すぎる。
私は諦めて自らフォークを握り、お肉を口に運んだ。
ジューシーで柔らかい肉汁が口いっぱいに広がる。
「……おいしい」
「そうか。お前の口に合ったのなら良かった」
私が漏らした一言に、ライネルの顔がパッと華やぐ。
アイスブルーの瞳を細め、本当に嬉しそうに微笑む姿は、まるで大好きな飼い主に褒められた大型犬のようだ。
(な、なにこの可愛さ……! ギャップ萌えで殺す気か!?)
昨日は「頼りなさそうな娘だ」とか「覚悟がない」とか散々言っていた癖に、落ちてからのスピード感が異常である。
「ときに、アスカ。昨日の『そつろん』についてだが」
ライネルがふと表情を引き締め、真剣な眼差しで私を見つめた。
「調べさせたところ、お前の世界では人生を左右する試練の儀式のようなものらしいな。お前がそれほどまでに執着していた理由が分かった」
「あ、いや……まあ、論文なんですけどね。提出しないと大学を卒業できないんです」
「なるほど……。お前が元の世界で修めていた学問を修了するための大偉業というわけか。それを私の召喚が邪魔をしてしまったのだな」
ライネルは深々と溜め息をつくと、私の手をそっと包み込んだ。
「すまない、アスカ。お前の大切な試練を奪ってしまった。だが安心してほしい。この国にあるすべての叡智を集め、お前の『そつろん』とやらに匹敵する……いや、それ以上の栄誉を我が国がお前に与えてみせる」
「いや、栄誉とかじゃなくて単位が欲しいんです……」
「タンイ? それはどのような宝玉だ? 国中の宝物庫を探させよう」
「違います、概念です」
かみ合っているようで全くかみ合っていない会話。
けれど、真剣に私の言葉に耳を傾け、申し訳なさそうに私の手を握りしめるライネルの手からは、確かな温もりが伝わってきていた。
その時――
バァン!!
「ライネル兄上! 異世界から召喚された聖女様というのは本当ですか!?」
応接室の扉が激しく開かれ、一人の少年が飛び込んできた。
赤髪を短く刈り込んだ、元気いっぱいの美少年だ。背中には大きな大剣を背負っている。
「失礼だぞ、ルーク。アスカとの歓談の最中だ」
ライネルが露骨に不機嫌な顔をして、ルークと呼ばれた少年を睨みつける。
「だって気になるじゃないか! 兄上が『一目で心を奪われた』なんて言うから、どんなお淑やかな女神様かと思ったら――え、このフツーの女の子?」
ルークは私をジロジロと見回すと、不満そうに口を尖らせた。
「おいおい、本当にこんな華奢な子があの庭園を一瞬で花畑にしたのかよ? 嘘だろ? おいお姉さん、ちょっと僕と手合せしてよ! 力試しだ!」
「えっ、手合せ!? 私は運動神経ゼロの文系大学生ですよ!?」
ルークが大剣の柄に手をかけた瞬間――
ズドオンッ!!!
けたたましい音とともに、ルークの足元の絨毯が凍りついた。
「ひゃっ!?」
「ルーク……それ以上アスカに近づいてみろ。お前をこの城ごと永久凍土に閉じ込めるぞ」
振り返ると、ライネルの周囲に凄まじい冷気が渦巻いていた。
その瞳は、昨日私に向けられたもの以上に冷たく、殺気に満ちている。
「あ、兄上……本気……!?」
「アスカは戦うためにここへ来たのではない。私の、そしてこの国の宝だ。無礼な真似をすれば、弟といえど容赦はせん」
「わ、わかったよ! 悪かったってば!」
ルークは凍りついた足元に引きつつ、脱兎のごとく部屋から逃げ出していった。
静けさが戻った部屋で、ライネルは一瞬で殺気を消し、くるりと私に向き直る。
「すまない、アスカ。恐ろしい思いをさせたな。怪我はないか?」
「け、怪我はないですけど……ライネル様、今のはちょっと過保護すぎでは……」
「過保護? 当然だ」
ライネルは私の隣に座り直すと、当然のように私の腰に手を回し、距離を詰めてきた。
「私は決めたのだ。お前を二度と不安にさせないと。お前がこの世界で笑って過ごせるなら、私は何だってする」
近すぎる顔。甘く囁かれる声。
昨日の「ツン」はどこへ消えたのか、完全に重度のシスコーン……ではなく、過保護な執着男に変貌を遂げていた。
(この王子、落ちた後の加速力がバグってる……!!)
「……アスカ、顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「だ、誰のせいだと思ってるんですか! 一回離れてください!」
「断る。お前が私を受け入れてくれるまで、絶対に離さん」
顔を真っ赤にして暴れる私と、それを嬉しそうに抱きしめ返す過保護な激甘王子。
卒論提出の締め切りは過ぎてしまったけれど、私の異世界での毎日は、どうやら単位を取るよりずっと忙しくなりそうだった。




