三話
「――というわけでアスカ。本日はお前と城下町へ向かう」
翌朝。執務室で書類に目を通していたライネルが、真顔でそう宣言した。
「城下町? 急にどうしたんですか?」
「昨夜、お前の荷物を確認したのだが……衣類も日用品も、この世界の仕様に合っていないものが多すぎる。特にその『じーぱん』という青い服や『すにーかー』という靴は、この国の服飾文化から浮きすぎている」
「あー……まあ、たしかにジーパンとスニーカーで王城を歩く聖女はシュールですもんね」
自分の格好を見下ろす。私服のパーカーにデニムパンツ。異世界召喚された直後の「そのまんまの格好」だ。
「それに……街に出れば、お前の気晴らしにもなるだろう。ずっと城に閉じ込められていては息が詰まる」
ライネルはそう言うと、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
私の体を気遣ってくれているのが伝わってきて、少し胸がキュッとなる。
(うっ……最初にあんなにツンツンしてた癖に、いちいち優しくてずるい……)
「わかりました! 買い物、行きます!」
こうして私は、人生初の「異世界ショッピング」へ出かけることになったのだった。
◇
城下町は、活気に満ち溢れていた。
レンガ造りの建物の間を馬車が行き交い、露店からは焼きたてのパンや香辛料の美味しそうな匂いが漂っている。色とりどりのドレスを着た町娘や、鎧を着た冒険者たちが賑やかに飛び交う光景は、まるでテーマパークのようだ。
「すごい……! 本当にファンタジーの世界だ……!」
目を輝かせてキョロキョロ見回す私に、隣を歩く男がふっと鼻で笑う。
「……子供のように浮かれおって」
そこには、深めのフード付きマントを羽織り、地味目な服に着替えたライネルがいた。
王子の美貌と銀髪は目立ちすぎるため、変装しているのだ。……が、立ち振る舞いから漂うオーラが隠しきれておらず、すれ違う町娘たちが「あのイケメン誰!?」とソワソワ振り返っている。
「ライネル様だって、変装しても隠しきれてないですよ。顔が良すぎるのも大変ですね」
「……茶化すな。それより、はぐれないようにしろ。ここは人が多い」
ライネルはそう言うと、迷いのない動作で私の手をキュッと握りしめた。
「っ!?」
指と指が絡み合う、完璧な恋人繋ぎ。
力強く、でも決して痛くはない絶妙な強さで握られる。
「あ、あの……ライネル様? 手、繋がなくても……」
「ダメだ。お前はうっかりどこかへ行ってしまいそうだからな。……それに」
ライネルは顔を少し背け、フードの陰から覗く耳を真っ赤に染めながら呟いた。
「……私が、お前と手を繋ぎたいのだ」
(――っっっぐ!!! 直球ストレートすぎる!!!)
心臓が跳ね上がり、顔が一気に熱くなる。
昨日の冷徹王子はどこへ行ったのか。この男、デレてからの素直さが限界突破している。
「……勝手にしてくださいっ」
私が照れ隠しにそっぽを向くと、ライネルの手が嬉しそうにキュッと握り返してきた。
◇
高級仕立て屋に到着すると、そこはライネルの独壇場だった。
「このドレスと、あちらのブラウス、それからこの乗馬服もすべてアスカのサイズで仕立てろ。生地は最高のシルクを使え」
「えっ!? ちょっと待ってくださいライネル様! そんなにたくさん着ませんよ!?」
「着る。お前には毎日違う美しい服を着てほしい」
「お店の服ぜんぶ買い占める勢いじゃないですか!」
店主が「お買い上げありがとうございます、大旦那様!」と揉み手で深々と頭を下げている。完全に石油王の買い物である。
なんとかライネルの爆買いを制止し、街歩き用のシンプルなワンピースと靴を数点だけ選んで店を出た。
「ふぅ……買い出しだけで命が削られる……」
「何を言う。お前が服を選んでいる姿は、目の保養以外の何物でもなかったぞ」
真顔で恐ろしい殺し文句を吐く王子に目眩がしそうになっていると、ふと甘い香りが鼻をくすぐった。
街角の露店で、クレープに似た焼きたての生地に、赤や紫の果実とクリームがたっぷり乗ったスイーツが売られている。
「あ……美味しそう……」
「食べたいのか?」
「え? あ、いや、買い出しに来ただけだし……」
「待っていろ」
私が止める間もなく、ライネルは露店へ向かうと、すぐさま出来立てのスイーツを二つ買って戻ってきた。
「ほら、アスカ。冷めないうちに食べろ」
「……ありがとうございます」
ベンチに並んで座り、さっそく口へ運ぶ。
サクサクの生地と、甘酸っぱいベリー、濃厚なクリームが口の中で溶け合って絶品だった。
「ん〜〜っ! 美味しい……!」
思わず破顔すると、隣でライネルがじっと私を見つめていた。
「ライネル様も食べてみてください、すごく美味しいですよ!」
「……そうか。では、いただくとするか」
ライネルは自分の分を食べるのかと思いきや――
ひょい
「……ん」
私の手に持っていたスイーツに顔を近づけ、私がかじったばかりの場所を直接パクリと食べた。
「……ッ!?!?!?」
思考がフリーズする。
え? 間接キス? というか、自分の手に持ってるのに、なんで私の奴を食べたの!?
「む……たしかに甘くて美味しいな。だが……」
ライネルは唇に付いたクリームを指でぬぐい、それをゆっくりと舐め取ると、妖艶な笑みを浮かべて私を覗き込んだ。
「……お前の唇に付いているクリームの方が、美味そうだ」
「〜〜〜〜〜〜っっっ引き!!! チョロインだと思って油断してたら、急に肉食系男子になるのやめてくださいーーー!!!」
「ははっ、いい反応だ。アスカといると、本当に飽きないな」
真っ赤になって叫ぶ私を見て、ライネルは心底楽しそうに声を上げて笑った。
召喚された初日には絶対に見せてくれなかった、心からの、眩しいほどの笑顔。
(……ズルいなぁ)
こんなの、好きになってしまうじゃないか。
卒論を失ったショックはまだ癒えていないけれど、この強引で、過保護で、たまに意地悪な王子様との異世界生活も――悪くないかもしれないと、少しだけ思ってしまった。




