第69話
「……ん?」(グラン)
グランが。
琥珀を見て。
少しだけ。
眉を上げた。
「どうした?」(グラン)
「え?」(琥珀)
「急に立って」(グラン)
グランは。
首を傾げる。
「さっきまで、そこに座ってなかったか?」(グラン)
「あ……」(琥珀)
琥珀は。
自分の足元を見る。
立っている。
しかも。
リノのすぐそばに。
琥珀は。
そっと。
ラファお姉ちゃんを見る。
ラファお姉ちゃんも。
何も言わず。
琥珀を見返した。
二人だけが。
知っている。
短い時間では。
なかったことを。
「……んぅ……」(リノ)
小さな声に。
琥珀が。
すぐ。
リノへ顔を向ける。
リノは。
椅子へ座ったまま。
眠たそうに。
目を細めていた。
「ああ」(グラン)
グランが。
そんなリノを見て。
納得したように笑った。
「なんだ。リノの様子を見に行ったのか」(グラン)
「えっ?」(琥珀)
「こいつ、この時間になると眠くなるからな」(グラン)
グランは。
がはは。
と。
笑った。
「心配してくれたんだな」(グラン)
「え、あ……」(琥珀)
琥珀は。
一瞬だけ。
返事に迷った。
けれど。
もう一度。
眠そうなリノを見る。
「……うん」(琥珀)
リノを。
心配していることだけは。
本当だった。
「リノちゃん」(琥珀)
「……んぅ……」(リノ)
「もう眠そうね」(ラファ)
「うん」(琥珀)
ラファお姉ちゃんが。
リノのそばへ寄る。
「お部屋まで連れていきましょうか」(ラファ)
「うん」(琥珀)
琥珀も。
リノを支えようと。
そっと手を伸ばした。
「リノちゃん。お部屋行こ?」(琥珀)
「……んー……」(リノ)
返事なのか。
寝言なのか。
もう。
よく分からない。
それでも。
リノは。
琥珀とラファお姉ちゃんに支えられながら。
ゆっくりと。
立ち上がった。
三人は。
食卓を離れる。
廊下へ出ると。
リノの歩幅は。
いつもより。
ずっと小さかった。
「……眠そうだね」(琥珀)
「ふふ。本当に」(ラファ)
しばらく歩き。
リノの部屋へ入る。
琥珀とラファお姉ちゃんは。
リノを。
そっと。
寝床へ横にした。
毛布を掛ける。
リノは。
枕へ頬を預けると。
すぐに。
身体の力を抜いた。
琥珀は。
その寝顔を。
しばらく見つめた。
「……うしし……」(リノ)
「え?」(琥珀)
眠ったまま。
リノの口元が。
少しだけ。
緩む。
「……むにゃむにゃ……」(リノ)
「ふふっ」(琥珀)
琥珀の表情も。
ようやく。
少しだけ。
緩んだ。
ラファお姉ちゃんも。
隣で。
優しく微笑んでいる。
琥珀は。
もう一度だけ。
リノの寝顔を見る。
「……おやすみ、リノちゃん」(琥珀)
小さく。
優しく。
つぶやいた。
それから。
ラファお姉ちゃんと一緒に。
静かに。
部屋を出る。
琥珀は。
扉へ手を添えた。
音を立てないように。
ゆっくりと。
そっと。
扉を閉めた。
琥珀は。
しばらく。
その場に立っていた。
隣では。
ラファお姉ちゃんも。
何も言わず。
閉じた扉を見ている。
「……戻ろっか」(琥珀)
「ええ」(ラファ)
二人は。
静かに。
食卓へ戻っていった。
部屋へ戻ると。
絵描きさんが奏でていた音楽は。
まだ。
やさしく。
流れていた。
けれど。
琥珀とラファお姉ちゃんが。
席へ戻るのを見て。
絵描きさんは。
少しずつ。
音を減らしていく。
ひとつ。
またひとつ。
ゆっくりと。
音が静かになっていく。
そして。
最後の音を。
そっと。
消した。
「…………」(絵描きさん)
絵描きさんは。
楽器から手を離す。
そのまま。
そばに置いていた。
板挟みと紙を手に取った。
さらさら。
さらさら。
今度は。
音の代わりに。
ペンが紙の上を走り始める。
描いているのは。
食卓。
そこにいる。
みんなの姿。
琥珀は。
そんな絵描きさんを。
少しだけ見たあと。
自分の席へ戻った。
「寝たか?」(グラン)
「うん。すぐ寝ちゃった」(琥珀)
「がはは」(グラン)
グランは。
楽しそうに。
笑った。
「やっぱり眠かったか」(グラン)
「うん」(琥珀)
琥珀も。
小さく笑う。
けれど。
その笑顔は。
ほどなく。
静かな表情へと変わった。
グランは。
そんな琥珀の顔を。
じっと見る。
「…………」(グラン)
そして。
少しだけ。
口元を緩めた。
「それで」(グラン)
「ん?」(琥珀)
「そっちが、気になってたんだろう?」(グラン)
「…………」(琥珀)
琥珀は。
少しだけ。
目を丸くした。
「やっぱり、分かってた?」(琥珀)
「まあな」(グラン)
グランは。
腕を組む。
「馬力車のことも、リノのことも、もちろん大事だろうが」(グラン)
そこで。
グランは。
琥珀をまっすぐ見る。
「それだけじゃねぇ顔してたからな」(グラン)
「…………」(琥珀)
琥珀は。
ほんの少し。
視線を落とした。
そして。
また。
顔を上げる。
「……うん」(琥珀)
ラファお姉ちゃんが。
隣で。
静かに。
琥珀を見ていた。
琥珀は。
一度。
小さく息を吸う。
「わたしね」(琥珀)
「もう一度、崖の風車を、見に行きたいの」(琥珀)
琥珀の言葉に。
グランは。
少しだけ。
目を細めた。
「崖の風車か」(グラン)
「うん」(琥珀)
琥珀は。
小さく頷く。
「前に行った時より、今なら、もう少し分かることがある気がして」(琥珀)
「それに、まだ、治せるところがあると思うの」(琥珀)
「なるほどな」(グラン)
グランは。
腕を組んだまま。
ゆっくりと頷いた。
琥珀は。
そのまま。
少しだけ考える。
「……あ」(琥珀)
「ん?」(グラン)
「そういえば」(琥珀)
琥珀の猫耳が。
ぴくっと動いた。
「前に行った時、途中に、祠があったよね?」(琥珀)
「祠?」(グラン)
グランは。
一度。
天井へ視線を向ける。
「…………」(グラン)
「あー……」(グラン)
少しだけ。
記憶を探すように。
眉を寄せたあと。
「なんか、あったな」(グラン)
「やっぱり!」(琥珀)
琥珀の猫耳が。
ぴんっと立つ。
「そこも、ちょっと気になってるの」(琥珀)
「祠が?」(グラン)
「うん」(琥珀)
琥珀は。
どう言えばいいのか。
少しだけ迷う。
「あそこだけ」(琥珀)
「なんていうか……」(琥珀)
「空間が、ちょっと違う感じがしたの」(琥珀)
「空間?」(グラン)
「うん」(琥珀)
「うまく言えないんだけど、周りと、少し違うっていうか」(琥珀)
「……ちょっと気になってて」(琥珀)
「ふーん……」(グラン)
グランは。
しばらく。
考えるように。
顎へ手を当てた。
「そう言われりゃ、俺も、あそこで休む時、なんか気持ちが楽になるんだよな」(グラン)
「え?」(琥珀)
「ほら、あの辺まで行くと、道もきついだろ?」(グラン)
「うん」(琥珀)
「だから、たまに祠の辺りで休むんだが」(グラン)
「なんつーか、座ってると、ほっとするっていうか」(グラン)
「疲れが少し抜ける感じがするんだよな」(グラン)
「…………」(琥珀)
琥珀は。
思わず。
ラファお姉ちゃんを見る。
ラファお姉ちゃんも。
静かに。
グランの話を聞いていた。
「それ……やっぱり、ちょっと気になる」(琥珀)
「がはは」(グラン)
グランは。
大きく笑う。
「まあ、行くなら、寄ってみりゃいいんじゃねぇか?」(グラン)
「うん!」(琥珀)
琥珀は。
嬉しそうに。
頷いた。
けれど。
すぐに。
その表情が。
少しだけ。
困ったものへ変わる。
「でも……」(琥珀)
「ん?」(グラン)
「崖の風車まで行くの、結構、大変だったよね」(琥珀)
「ああ」(グラン)
「途中から、道も、かなり険しかったし」(琥珀)
以前。
崖の風車へ向かった時の。
道を思い出す。
足元の悪い場所。
歩きにくい坂。
簡単には進めなかった。
あの道。
「馬力車でも、途中までかな……」(琥珀)
「…………」(グラン)
グランは。
何も言わない。
「そこから歩くなら、道具も持っていかないとだし」(琥珀)
「ベルグじいも、もう年だし……」(琥珀)
「わしを年寄りと言うな!」(ベルグ)
「えっ!?」(琥珀)
突然。
ベルグが。
むっと。
胸を張った。
「まだまだロクスにも負けん!!」(ベルグ)
「はぁ~~~~!?」(ロクス)
ロクスが。
目を見開く。
「なんでそこで俺が出てくるんだよ!」(ロクス)
「ぐふふ」(ベルグ)
ベルグは。
腕を組む。
「おぬしより先にへばるほど、わしは老いておらんわい!」(ベルグ)
「いやいやいや! そこ張り合うところじゃねぇだろ!」(ロクス)
「…………」(琥珀)
琥珀は。
ベルグを見る。
ロクスを見る。
もう一度。
ベルグを見る。
「……元気そうだね」(琥珀)
「ふふ。そうね」(ラファ)
「当たり前じゃ!」(ベルグ)
「だから俺を基準にすんなって!」(ロクス)
グランが。
肩を揺らす。
「がははは!」(グラン)
琥珀も。
つられるように。
小さく笑った。
けれど。
少しして。
もう一度。
崖の風車までの道を思い浮かべる。
「でも、無理しない方がいいよね」(琥珀)
「…………」(グラン)
グランは。
また。
何も言わなかった。
「グランさん?」(琥珀)
琥珀が。
不思議そうに。
顔を上げる。
すると。
グランの口元が。
ゆっくりと。
持ち上がった。
「……ん?」(琥珀)
にやり。
グランが。
笑う。
「な、なに?」(琥珀)
「いや、なんでもねぇ」(グラン)
「絶対なんかある顔してる!」(琥珀)
「がははは!」(グラン)
グランの笑い声が。
部屋の中へ。
大きく響いた。
ひとしきり笑ったあと。
グランは。
腕を組んだまま。
琥珀を見る。
「まあ、道のことは、そこまで心配しなくていい」(グラン)
「え?」(琥珀)
「行けば分かる」(グラン)
「またそれ!」(琥珀)
琥珀の猫耳が。
ぴんっと立つ。
「なんで教えてくれないの?」(琥珀)
「がはは」(グラン)
「楽しみは、取っといた方がいいだろ?」(グラン)
「むぅ……」(琥珀)
琥珀は。
少しだけ。
頬を膨らませた。
そんな琥珀を見て。
グランは。
また。
楽しそうに笑う。
「とにかくだ」(グラン)
「崖の風車も、途中の祠も、気になるなら、見に行けばいい」(グラン)
「うん」(琥珀)
「時間が取れたら、みんなで行こうじゃないか」(グラン)
「ほんと?」(琥珀)
「ああ」(グラン)
「やった!」(琥珀)
琥珀の猫耳が。
嬉しそうに。
ぴこぴこと動く。
「わしはいつでも構わんぞ」(ベルグ)
「俺もだ」(ロクス)
ベルグと。
ロクスも。
それぞれ頷いた。
「ふふ。また、みんなでお出かけね」(ラファ)
「うん!」(琥珀)
「…………コホン」(ノーラ)
「…………」(琥珀)
「…………」(グラン)
「…………」(ベルグ)
「…………」(ロクス)
みんなの視線が。
一斉に。
ノーラへ向いた。
ノーラは。
腰へ手を当てる。
「話がまとまったなら、今日は、ここまで!」(ノーラ)
「えっ」(琥珀)
「明日は、リノの風月の制服も、ちゃんと整えたいんだからね」(ノーラ)
「あっ」(琥珀)
琥珀の猫耳が。
また。
ぴんっと立つ。
「そうだった!」(琥珀)
「まったく」(ノーラ)
ノーラは。
呆れたように。
けれど。
どこか楽しそうに笑った。
「だから、そろそろ寝るよ!」(ノーラ)
「はーい」(琥珀)
「ふふ。分かったわ」(ラファ)
「おう」(グラン)
「仕方ないのう」(ベルグ)
「俺は最初からそのつもりだったけどな」(ロクス)
「ほんとかの?」(ベルグ)
「なんだよ、その顔!」(ロクス)
「ぐふふ」(ベルグ)
また。
小さな笑い声が。
食卓へ広がった。
その時。
「そうだ」(絵描きさん)
「ん?」(琥珀)
絵描きさんが。
紙から。
顔を上げた。
「琥珀さんから頼まれていた、三人の絵なんですが」(絵描きさん)
「あっ!」(琥珀)
琥珀が。
ぱっと。
絵描きさんを見る。
「リノちゃんの風月の制服が出来た時に、描かせてもらいますね」(絵描きさん)
「ほんと?」(琥珀)
「はい」(絵描きさん)
「せっかくなら、三人そろって、風月の姿を残したいですから」(絵描きさん)
「…………」(琥珀)
琥珀は。
一瞬。
目を丸くしたあと。
嬉しそうに。
笑った。
「うん! お願い!」(琥珀)
「ふふ。楽しみね。琥珀ちゃん」(ラファ)
「うん!」(琥珀)
明日は。
リノの。
風月の制服を整える。
そして。
三人の姿を。
一枚の絵に残してもらう。
その先には。
崖の風車。
少し気になる。
あの祠。
琥珀は。
これから待っているものを。
ひとつずつ。
思い浮かべる。
けれど。
今は。
まず。
休む時間。
「じゃあ、おやすみなさい」(琥珀)
「おやすみなさい。琥珀ちゃん」(ラファ)
その声に。
琥珀は。
隣のラファお姉ちゃんへ。
そっと目を向けた。
さっき聞いた話は。
まだ。
胸の奥に残っている。
けれど。
目が合うと。
ラファお姉ちゃんは。
いつものように微笑んだ。
琥珀も。
小さく。
笑みを返す。
夜は。
ゆっくりと。
静かな時間へ。
戻っていった。




