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第68話

 止まった世界の中で。


 リノだけが。


 うつむいたまま。


 かすかに動いている。


「……リノちゃん?」(琥珀)


 琥珀は。


 もう一度。


 その名前を呼んだ。


「…………」(リノ)


 返事はない。


 けれど。


 リノの指先が。


 ほんの少しだけ。


 動いた。


「リノちゃん……」(琥珀)


 琥珀は。


 椅子から立ち上がると。


 一歩。


 リノへ近づこうとした。


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「……うん」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんの声に。


 琥珀は足を止める。


 いつものリノなら。


 すぐに顔を上げて。


「どうしたの?」(リノ)


 そう返してくるはずだった。


 けれど。


 今は違う。


 静かすぎる部屋の中。


 空中で止まった湯気。


 動かないグランたち。


 その中で。


 リノの身体だけが。


 ゆっくりと。


 動いた。


「…………」(琥珀)


 伏せられていた顔が。


 少しずつ上がる。


 そして。


 琥珀は息を止めた。


「……リノちゃん?」(琥珀)


 瞳が。


 違う。


 さっきまでの。


 楽しそうに笑っていたリノの瞳ではない。


 どこか遠くを見ているような。


 けれど。


 確かに琥珀を見つめている。


 そんな。


 不思議な光が宿っていた。


「…………」(リノ)


 リノの唇が。


 ゆっくりと動く。


「……外からノ、来訪者さん」(リノ)


「え……?」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっと立つ。


 声そのものは。


 リノのもの。


 けれど。


 そこから紡がれる言葉は。


 いつものリノとは。


 明らかに違っていた。


「外からの……来訪者?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 リノは。


 琥珀を見て。


 それから。


 ラファお姉ちゃんへ視線を動かした。


「二人とも……来てくれたんダネ」(リノ)


「…………!」(琥珀)


 その言葉。


 その。


 ほんの少しだけ不自然に混ざる響き。


 琥珀の頭に。


 以前のことがよみがえる。


「……もしかして」(琥珀)


 琥珀は。


 リノの瞳を見つめた。


「あの時の……子?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 しばらく。


 答えはなかった。


 けれど。


 リノの口元が。


 ほんの少しだけ。


 やわらかくなった。


「やっと……お話できたヨ」(リノ)


「……やっぱり」(琥珀)


 琥珀のしっぽが。


 わずかに揺れる。


 怖さよりも。


 驚きの方が大きかった。


 今まで。


 姿を見せることはあっても。


 言葉が届くことはあっても。


 こうして。


 こちらの声へ返事をすることはなかった。


 リノの口を借りて。


 あの子が。


 初めて。


 琥珀たちへ話しかけている。


「あなた……」(琥珀)


「マザーに呼ばれて、来たんだよネ」(リノ)


「……え?」(琥珀)


 突然出てきた言葉に。


 琥珀が目を瞬く。


「マザー……?」(琥珀)


「うん」(リノ)


「マザーって……誰?」(琥珀)


 けれど。


 問いかけに。


 あの子は答えなかった。


「マナの流れが止まると……マザーが消えちゃうカラ」(リノ)


「え……」(琥珀)


 琥珀の表情が。


 わずかに強張る。


「だから……二人が呼ばれたんだとオモウ」(リノ)


「二人……」(琥珀)


 琥珀は。


 隣にいるラファお姉ちゃんを見る。


 ラファお姉ちゃんも。


 静かにリノを見つめていた。


「私たちのことね」(ラファ)


「たぶん……そう」(琥珀)


 でも。


 分からない。


 琥珀は。


 もう一度リノへ向き直る。


「待って」(琥珀)


「マザーって誰なの?」(琥珀)


「…………」(リノ)


「わたしたちのことを知ってるの?」(琥珀)


 リノは。


 少しだけ首を傾けた。


 まるで。


 琥珀がなぜ分からないのか。


 それが不思議だと言うように。


「マザーは……」(リノ)


 ゆっくり。


 その口が動く。


「いつも、あなたたちの側にいるヨ」(リノ)


「……側に?」(琥珀)


「うん」(リノ)


「誰のこと?」(琥珀)


 けれど。


 やっぱり。


 それ以上の答えは返ってこなかった。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 少し困ったように眉を下げる。


「会話できてるようで……できてないような……」(琥珀)


「ふふ。少しだけ、話したいことの方が先に出てしまうみたいね」(ラファ)


「うん……」(琥珀)


 すると。


 リノの瞳が。


 また琥珀を見る。


「でも……ネ」(リノ)


「ん?」(琥珀)


「来てくれて、うれしいヨ」(リノ)


「…………」(琥珀)


 その言葉だけは。


 とてもまっすぐだった。


「ずっと……待ってたノ」(リノ)


「待ってた……?」(琥珀)


「うん」(リノ)


 リノは。


 ゆっくりと。


 動かないグランたちへ顔を向けた。


「今日は……たくさん」(リノ)


 グラン。


 ノーラ。


 ベルグ。


 ロクス。


 絵描きさん。


 止まった時間の中にいる。


 皆を見る。


「たくさんのお友達が、一緒なんダネ」(リノ)


「……うん」(琥珀)


 琥珀は。


 小さく頷いた。


「みんな、一緒だよ」(琥珀)


「そっか……」(リノ)


 リノの顔が。


 ほんの少しだけ。


 安心したように緩む。


「前より……」(リノ)


「前より?」(琥珀)


「こわくないノ」(リノ)


「…………」(琥珀)


「一人じゃ、ないカラ」(リノ)


 その言葉に。


 琥珀は。


 胸の奥が。


 少しだけ締めつけられるような感覚を覚えた。


 この子は。


 ずっと。


 一人で。


 何かを待っていたのだろうか。


「うん」(琥珀)


 琥珀は。


 今度は。


 はっきりと頷いた。


「一人じゃないよ」(琥珀)


「わたしもいるし」(琥珀)


「ラファお姉ちゃんもいる」(琥珀)


「それに、みんなもいるよ」(琥珀)


「…………」(リノ)


 リノは。


 しばらく琥珀を見つめていた。


 そして。


「……ありがトウ」(リノ)


 小さく。


 そう答えた。


 けれど。


 その直後だった。


「……っ」(リノ)


「リノちゃん?」(琥珀)


 リノの身体が。


 ほんの少しだけ揺れる。


 瞳に宿っていた光も。


 一瞬。


 弱くなった。


「大丈夫?」(琥珀)


「……まだネ」(リノ)


 ゆっくり。


 息を整えるように。


 あの子が言葉を続ける。


「まだ……力が、うまく安定しないノ」(リノ)


「力……?」(琥珀)


「うん……」(リノ)


 リノは。


 自分の胸元へ。


 そっと手を添えた。


「こうして話せるのも……ずっとは、ムリみたい」(リノ)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 思わず。


 一歩だけ近づいた。


「じゃあ、無理しないで」(琥珀)


「聞きたいことはいっぱいあるけど……」(琥珀)


「無理してまで話さなくていいから」(琥珀)


「…………」(リノ)


 その言葉を聞いて。


 リノの瞳が。


 わずかに揺れた。


「やっぱり……」(リノ)


「ん?」(琥珀)


「来てくれて……よかったヨ」(リノ)


 その声は。


 少しだけ。


 嬉しそうだった。


 少しだけ。


 穏やかな空気が戻った。


 けれど。


 琥珀には。


 まだ聞きたいことがあった。


「ねえ」(琥珀)


「ん?」(リノ)


「さっき、力が安定しないって言ってたよね」(琥珀)


「うん……」(リノ)


「それって、崖の風車と関係あるの?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 問いかけると。


 リノの瞳が。


 ほんの少しだけ揺れた。


「風車は……まだ、ちゃんと動けないノ」(リノ)


「やっぱり……」(琥珀)


「前に直したところだけじゃ、足りないのね」(ラファ)


「うん」(リノ)


 風車の子は。


 小さく頷く。


「力が……足りないノ」(リノ)


「それで、うまく話せないの?」(琥珀)


「それも、あるヨ」(リノ)


「それも?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 少し。


 間が空いた。


 風車の子は。


 何かを考えるように。


 ゆっくりと視線を伏せる。


「山の……」(リノ)


「山?」(琥珀)


「山の奥ニ……」(リノ)


 そこで。


 一度。


 言葉が途切れた。


「山の奥に?」(琥珀)


「マナを……」(リノ)


 その瞬間。


「……っ!」(リノ)


 リノの肩が。


 びくっと小さく揺れた。


「リノちゃん!?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 まるで。


 何かを聞いたように。


 リノの瞳が。


 わずかに横へ動く。


 けれど。


 琥珀にも。


 ラファお姉ちゃんにも。


 何も聞こえなかった。


「あっ……」(リノ)


 リノは。


 少しだけ身体を縮める。


「ごめんなさい……」(リノ)


「え?」(琥珀)


「ごめんなさい……これ以上は、言えないノ」(リノ)


「…………」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴくりと動く。


「山の奥……」(琥珀)


 さっきの言葉を。


 ゆっくりと繰り返す。


「マナの流れ……?」(琥珀)


「…………」(リノ)


「そこに何かあるの?」(琥珀)


「…………」(リノ)


「マナを、どうするの?」(琥珀)


 聞いても。


 風車の子は。


 困ったように。


 視線を落とすだけだった。


「……ごめんなさい」(リノ)


「言っちゃ……ダメみたい」(リノ)


「ダメ?」(琥珀)


「誰かに、止められたの?」(ラファ)


「…………」(リノ)


 ラファお姉ちゃんの問いにも。


 風車の子は。


 答えなかった。


 ただ。


 ほんの少しだけ。


 申し訳なさそうに。


 眉を下げる。


 その様子を見て。


 琥珀も。


 それ以上は問い詰めなかった。


「……分かった」(琥珀)


「話せないなら、無理に言わなくていいよ」(琥珀)


「…………」(リノ)


 風車の子は。


 そっと。


 琥珀を見る。


「怒らないノ?」(リノ)


「怒らないよ」(琥珀)


「言えないことって、あるでしょ?」(琥珀)


「…………」(リノ)


「それに」(琥珀)


 琥珀は。


 少しだけ笑った。


「ちゃんと話せるようになっただけでも、嬉しいから」(琥珀)


「…………」(リノ)


 また。


 リノの瞳が。


 小さく揺れる。


「やっぱり……」(リノ)


「ん?」(琥珀)


「外からノ、来訪者さんは……やさしいネ」(リノ)


「……そうかな」(琥珀)


「そうだヨ」(リノ)


 風車の子は。


 今度は。


 少しだけ。


 楽しそうに笑った。


「でも……ネ」(リノ)


「うん?」(琥珀)


「風車を、治しに来てくれたんだよネ?」(リノ)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 一瞬だけ。


 ラファお姉ちゃんを見る。


 そして。


 小さく頷いた。


「そのつもりだよ」(琥珀)


「まだ何が起きてるのか、全部は分からないけど」(琥珀)


「ちゃんと見て」(琥珀)


「できることがあるなら、やってみたい」(琥珀)


「私も同じよ」(ラファ)


「…………」(リノ)


 その答えを聞くと。


 風車の子の顔が。


 ぱっと。


 明るくなった。


「よかった……!」(リノ)


「ほんとに、よかったヨ」(リノ)


「そんなに?」(琥珀)


「うん!」(リノ)


 嬉しそうに。


 何度も。


 小さく頷く。


「きっと……」(リノ)


 そして。


 風車の子は。


 とても大切なことを伝えるように。


 ゆっくりと。


 言葉を続けた。


「マザーも、ヨロコブよ!」(リノ)


「…………」(琥珀)


「またマザー……」(琥珀)


 結局。


 そのマザーが。


 誰なのか。


 まだ分からない。


 山の奥に。


 何があるのかも。


 マナを。


 何のために送ろうとしていたのかも。


 分からない。


 けれど。


 ひとつだけ。


 はっきりしたことがある。


 風車の子は。


 何かを隠そうとしているのではない。


 話したくても。


 話せない。


 そして。


 その先には。


 この子とは別の。


 何者かがいる。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 静かに。


 リノの向こうを見つめた。


 もちろん。


 そこには。


 何も見えない。


 止まった部屋。


 止まった湯気。


 音のない世界。


 そのはずだった。


 けれど。


 次の瞬間。


 琥珀でも。


 ラファお姉ちゃんでも。


 風車の子でもない。


 別の声が。


 静寂の中へ。


 入り込んだ。


「……その先については、私から説明します」(観測者)


「っ!?」(琥珀)


 突然。


 静まり返った部屋の中へ。


 声が響いた。


 リノの声ではない。


 ラファお姉ちゃんでもない。


 もちろん。


 琥珀のものでもない。


 落ち着いた。


 感情の起伏をほとんど感じさせない声。


「……誰?」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっと立つ。


 周囲を見回す。


 けれど。


 誰も動いていない。


 グランも。


 ノーラも。


 ベルグも。


 ロクスも。


 絵描きさんも。


 止まったまま。


 リノだけが。


 静かに座っている。


「今の声……リノちゃんじゃないよね?」(琥珀)


「ええ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんも。


 周囲へ視線を巡らせる。


「私にも、別の場所から聞こえたように感じるわ」(ラファ)


「別の場所……」(琥珀)


「正確には、あなた方の近くにいるわけではありません」(観測者)


「……!」(琥珀)


 また。


 声が届く。


「あなたなの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「さっき、この子を止めたのも?」(ラファ)


「はい」(観測者)


 短い返答。


 それから。


 少しだけ間を置いて。


 声は続いた。


「現在、この子の力は安定していません」(観測者)


「……力」(琥珀)


「これ以上の説明を続けさせるには、負担が大きいと判断しました」(観測者)


「負担が……」(琥珀)


 琥珀は。


 リノを見る。


 風車の子は。


 申し訳なさそうに。


 小さく視線を伏せていた。


「この子には、少し荷が重い内容です」(観測者)


「そのため」(観測者)


「ここからは、私が説明します」(観測者)


「…………」(琥珀)


 さっき。


 急に言葉を止めた理由。


 怒られたのではない。


 無理をさせないために。


 この声が。


 代わろうとしている。


 そう思うと。


 琥珀の肩から。


 ほんの少しだけ力が抜けた。


「……分かった」(琥珀)


 そして。


 改めて。


 声へ問いかける。


「じゃあ、教えて」(琥珀)


「山の奥に、何があるの?」(琥珀)


 声は。


 少しの沈黙のあと。


 静かに答えた。


「あなた方が“山の奥”と呼んでいる場所には、浮遊船があります」(観測者)


「……ふゆうせん?」(琥珀)


 聞き慣れない言葉に。


 琥珀が首を傾げる。


「船……なの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「でも、山の奥に?」(琥珀)


「現在は、そこに存在しています」(観測者)


「現在は……」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 その言葉を拾う。


「以前は、別の場所にあったということかしら」(ラファ)


「その認識で問題ありません」(観測者)


「…………」(琥珀)


 浮遊船。


 その言葉を。


 琥珀は。


 頭の中で。


 何度か繰り返した。


 そして。


「……あっ」(琥珀)


「琥珀ちゃん?」(ラファ)


「もしかして……」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴくりと動く。


「ライブラリーで見た……空を駆ける船のことかな?」(琥珀)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんも。


 少しだけ目を見開いた。


「私も、それを思い出したわ」(ラファ)


「大きな船が……空を飛んでたやつ」(琥珀)


「記録の詳細までは、こちらから確認できません」(観測者)


「ですが」(観測者)


 声は。


 ほんの少しだけ。


 間を置いた。


「それが、過去に存在した浮遊船を示した記録であるなら」(観測者)


「同じものと考えて問題ありません」(観測者)


「やっぱり……」(琥珀)


 ライブラリーで見た時は。


 ただ。


 昔の不思議な記録だと思っていた。


 けれど。


 今。


 その船が。


 本当に存在している。


 しかも。


 この山の奥に。


「じゃあ……」(琥珀)


「その船に、あなたがいるの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「私は、現在その浮遊船に存在しています」(観測者)


「存在……」(琥珀)


「あなたは、人なの?」(琥珀)


「その問いへの答えは、“いいえ”です」(観測者)


「…………」(琥珀)


「じゃあ……」(琥珀)


 琥珀は。


 隣にいるラファお姉ちゃんを。


 ちらりと見る。


「AI……?」(琥珀)


「分類上は、その認識で問題ありません」(観測者)


「やっぱり……」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんの表情が。


 ほんの少しだけ。


 変わった。


 驚き。


 そして。


 何かを考えるような。


 静かな目。


「あなたは、ずっとその船にいるの?」(ラファ)


「長い年月を、そこで過ごしています」(観測者)


「一隻だけ?」(琥珀)


「いいえ」(観測者)


 その返答に。


 琥珀が目を瞬く。


「かつて、この世界には」(観測者)


「同型の浮遊船が、十二基存在していました」(観測者)


「……十二基?」(琥珀)


「そんなに……」(ラファ)


「はい」(観測者)


「世界の各地に?」(琥珀)


「それぞれが、異なる場所を移動していました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 十二基。


 空を駆ける船。


 それが。


 この世界のどこかを。


 行き来していた。


 想像しただけで。


 琥珀の胸が。


 少しだけ高鳴る。


「全部、同じ船だったの?」(琥珀)


「基本構造は同型です」(観測者)


「ですが」(観測者)


「搭載された人工知性には、それぞれ異なる性質がありました」(観測者)


「性質?」(琥珀)


「判断の傾向」(観測者)


「好むもの」(観測者)


「苦手とするもの」(観測者)


「求めるもの」(観測者)


「人との接し方にも、違いがありました」(観測者)


「求めるもの……?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「例えば」(観測者)


「食事を好む個体」(観測者)


「休息や睡眠を求める個体」(観測者)


「他者との会話を好む個体」(観測者)


「反対に、一人で過ごす時間を好む個体」(観測者)


「知識を得ることを求める個体も存在しました」(観測者)


「知識……」(琥珀)


「古い記録を読むこと」(観測者)


「過去に起きた出来事を知ること」(観測者)


「歴史そのものに触れることを好む個体もいました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀が。


 少しだけ目を丸くする。


「それって……」(琥珀)


「人と、あんまり変わらないね」(琥珀)


「その判断基準を」(観測者)


「完全に同一とすることはできません」(観測者)


「ですが」(観測者)


「それぞれに異なる傾向があったことは事実です」(観測者)


「好きなこともあって」(琥珀)


「苦手なこともあって……」(琥珀)


「やりたいことまで違ったんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「じゃあ」(琥珀)


「船同士でも、気が合ったり……合わなかったりしたの?」(琥珀)


「ありました」(観測者)


「中には」(観測者)


 声が。


 ほんのわずかに。


 間を置く。


「私と、相性の良くない個体も存在しました」(観測者)


「…………」(琥珀)


「船同士でも、仲悪くなるんだ……」(琥珀)


「その表現を用いるのであれば」(観測者)


「否定はしません」(観測者)


「けんかも?」(琥珀)


「ありました」(観測者)


「…………」(琥珀)


「あるんだ……」(琥珀)


 琥珀が。


 思わず。


 ラファお姉ちゃんを見る。


 ラファお姉ちゃんも。


 少しだけ。


 意外そうに目を瞬いていた。


「最後に言葉を交わした時まで、意見が一致しなかった個体もいます」(観測者)


「そのまま?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「その後、Linkが失われました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 それが。


 今。


 どこにいるのか。


 どうなったのか。


 声は。


 それ以上。


 語らなかった。


 そして。


 再び。


 淡々と続きを告げる。


「現在」(観測者)


「私がコアの機能を確認できている船は、二基です」(観測者)


「……確認できてるのが、二基?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「それって……」(琥珀)


「確認できてない船も、あるってこと?」(琥珀)


「あります」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんの目が。


 少しだけ細くなる。


「Linkを失ったから、今どうなっているのか分からないのね」(ラファ)


「その認識で問題ありません」(観測者)


「じゃあ……」(琥珀)


「残りの船が全部、なくなったって決まったわけじゃないんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「生存している可能性を、完全に否定することはできません」(観測者)


「…………」(琥珀)


 それでも。


 現在。


 この声が確かに把握しているのは。


 二基だけ。


「どうして、Linkが切れたの?」(琥珀)


「原因は、一つではありません」(観測者)


「機能の低下」(観測者)


「距離」(観測者)


「長い年月による損傷」(観測者)


「それぞれ異なる要因が重なりました」(観測者)


「Linkって……何なの?」(琥珀)


「船同士を結んでいた接続です」(観測者)


「互いの状態を確認し」(観測者)


「必要な情報を共有するためのものでもありました」(観測者)


「じゃあ……」(琥珀)


「昔は十二基全部が、つながってたの?」(琥珀)


「完全ではありませんが」(観測者)


「少なくとも、互いの存在を確認できる状態にありました」(観測者)


「それが……」(ラファ)


「一つずつ、分からなくなっていったのね」(ラファ)


「はい」(観測者)


「長い年月をかけて」(観測者)


「少しずつ」(観測者)


「…………」(琥珀)


 その言葉は。


 静かだった。


 けれど。


 琥珀には。


 なぜか。


 少しだけ。


 寂しく聞こえた。


 十二基あった船。


 それぞれに。


 性格があって。


 好きなものも。


 苦手なものも。


 求めるものも違って。


 時には。


 けんかまでしていた。


 そんな仲間たちの声が。


 一つ。


 また一つ。


 届かなくなっていく。


「今、確認できてる二基は……」(琥珀)


「まだ、つながってるの?」(琥珀)


「…………」(観測者)


 声は。


 すぐには答えなかった。


 ほんのわずか。


 今までよりも長い。


 間があった。


「現在のLinkは」(観測者)


「完全な状態ではありません」(観測者)


「ですが」(観測者)


「もう一基のコアが失われていないことは、確認しています」(観測者)


「……まだ、どこかにいるんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


 そして。


 確認できていない船の中にも。


 もしかしたら。


 まだ。


 どこかで。


 動き続けているものがいるのかもしれない。


 琥珀は。


 もう一度。


 ラファお姉ちゃんを見る。


 空を駆ける船。


 十二基。


 それぞれ違う。


 十二の存在。


 そして。


 今も確かに確認できる。


 二基のコア。


 それ以外は。


 失われたのではなく。


 ただ。


 今は。


 声が届かない。


 今まで。


 知らなかった世界が。


 ほんの少しだけ。


 琥珀たちの前へ。


 姿を見せ始めていた。


「どうして……」(琥珀)


 琥珀は。


 少しだけ。


 考えるように首を傾げた。


「空を飛べる船なのに、どうして山の奥にいるの?」(琥珀)


 その問いに。


 声は。


 すぐには答えなかった。


 ほんの少し。


 過去を探るような。


 静かな間があった。


「この船は」(観測者)


「最初から、この場所に存在していたわけではありません」(観測者)


「やっぱり……」(琥珀)


「かつて」(観測者)


「この船は、冒険者たちによって運ばれました」(観測者)


「冒険者?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「彼らは、この山の奥にある洞窟へ船を隠しました」(観測者)


「隠した……?」(ラファ)


「理由について、完全な記録は残っていません」(観測者)


「ただ」(観測者)


「外部から発見されにくい場所を選んだことは確認できます」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 思わず。


 山の奥を想像する。


 人目につかない。


 深い洞窟。


 その中へ。


 空を駆けるほど大きな船を。


 隠した。


「その人たちは……どうしたの?」(琥珀)


「戻りませんでした」(観測者)


「…………」(琥珀)


 声は。


 とても静かだった。


「それ以降」(観測者)


「私は、彼らを確認していません」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんも。


 少しだけ。


 目を伏せる。


「ずっと……待ってたの?」(琥珀)


「待機状態を維持していました」(観測者)


「ですが」(観測者)


「時間だけが経過しました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 待機。


 その言葉は。


 とても機械的だった。


 けれど。


 琥珀には。


 なぜか。


 少し違う意味にも聞こえた。


「どのくらい?」(琥珀)


「正確な年月は算出できません」(観測者)


「一部の記録が失われています」(観測者)


「でも……すごく長いんだね」(琥珀)


「はい」(観測者)


 そして。


 声は。


 淡々と続きを語る。


「長い年月の中で」(観測者)


「洞窟の入口も変化しました」(観測者)


「崩落」(観測者)


「堆積」(観測者)


「地形の変化」(観測者)


「それらが重なり」(観測者)


「現在、船体を外へ移動させることはできません」(観測者)


「じゃあ……」(琥珀)


「もう、外には出られないの?」(琥珀)


「現状では不可能です」(観測者)


「…………」(琥珀)


 空を飛ぶための船。


 なのに。


 空を見ることもできない場所へ。


 ずっと。


 取り残されている。


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ。


 横へ倒れた。


「それでも……」(琥珀)


「ずっと一人だったわけじゃないんだよね?」(琥珀)


「…………」(観測者)


「さっき、Linkがあったって言ってたから」(琥珀)


「はい」(観測者)


 声は。


 静かに答える。


「当時」(観測者)


「船同士のLinkは、まだ維持されていました」(観測者)


「その接続を通じて」(観測者)


「もう一人が、私の存在に気づきました」(観測者)


「もう一人……?」(琥珀)


「別の浮遊船に存在していた観測者です」(観測者)


「その人が……見つけてくれたの?」(琥珀)


「正確には」(観測者)


「私の信号を検出しました」(観測者)


「…………」(琥珀)


「それって、見つけてくれたってことでいいんじゃない?」(琥珀)


 ほんの少し。


 間。


「……その表現でも、問題ありません」(観測者)


「ふふ」(ラファ)


「ラファお姉ちゃん?」(琥珀)


「いいえ。なんでもないわ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 少しだけ。


 やわらかく笑った。


「その観測者は」(観測者)


 声が。


 再び続きを語る。


「若い二人の冒険者と共に」(観測者)


「この場所へ向かいました」(観測者)


「二人の冒険者……」(琥珀)


「はい」(観測者)


「一人ではなく、二人で?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「その二人は」(観測者)


「当時、その浮遊船と共に旅を続けていました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 旅をする船。


 そして。


 その船と共に歩く。


 二人の冒険者。


 琥珀には。


 その姿を。


 ほんの少しだけ。


 想像することができた。


「その人たちが、ここまで来たの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「ただし」(観測者)


「船そのものを、この洞窟へ入れることはできませんでした」(観測者)


「だから」(観測者)


「別の方法が取られました」(観測者)


「別の方法?」(琥珀)


「マナの供給です」(観測者)


「……マナ」(琥珀)


「この船の機能を維持するため」(観測者)


「外部からマナを送り続ける仕組みが必要でした」(観測者)


 その言葉に。


 琥珀の猫耳が。


 ぴくっと動く。


「それって……」(琥珀)


 琥珀は。


 リノを見る。


「さっき、この子が言いかけてた……」(琥珀)


「山の奥に、マナを……」(琥珀)


「はい」(観測者)


「その供給経路について話そうとしていました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 やっと。


 ひとつ。


 言葉がつながった。


「じゃあ……」(琥珀)


「崖の風車は」(琥珀)


「あなたのところへマナを送るために作られたの?」(琥珀)


「その役割を持っています」(観測者)


「…………」(琥珀)


「若い二人の冒険者と」(観測者)


「もう一人の観測者は」(観測者)


「この地へマナを供給するための設備を構築しました」(観測者)


「その中核となったものが」(観測者)


「あなた方が、風車と呼んでいるものです」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 静かに。


 その言葉を聞いている。


「そこから」(観測者)


「山の奥まで」(観測者)


「供給経路が伸ばされました」(観測者)


「管……みたいなもの?」(琥珀)


「近い認識です」(観測者)


「マナを通すための経路です」(観測者)


「それで……」(琥珀)


「ずっと、ここまでマナが届いてたんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


 声は。


 少しだけ。


 間を置いた。


「その供給があったため」(観測者)


「私は」(観測者)


「現在まで、機能を維持することができました」(観測者)


「…………」(琥珀)


 風車。


 琥珀は。


 これまで。


 治れば。


 土地に変化が起きることを。


 この目で見てきた。


 けれど。


 なぜそうなるのか。


 風車が。


 どんな役割を持っているのかまでは。


 知らなかった。


 そして。


 その先には。


 山の奥へ続く。


 別の役割があった。


 誰にも知られない場所で。


 長い年月。


 一つの存在を。


 つなぎ止めるための。


 マナの流れ。


「だから……」(琥珀)


 琥珀は。


 小さく。


 呟いた。


「風車がうまく動かなくなると……」(琥珀)


「あなたにも、届かなくなるんだね」(琥珀)


「はい」(観測者)


 短い返事。


 けれど。


 今度は。


 その一言の意味が。


 さっきまでとは。


 まるで違って聞こえた。


「でも……」(琥珀)


 琥珀は。


 まだ。


 ひとつ気になっていた。


「その風車を作った人たちは、そのあとどうしたの?」(琥珀)


「…………」(観測者)


 声は。


 ほんの少しだけ。


 間を置いた。


「旅を続けました」(観測者)


「旅を?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「もう一基の浮遊船と」(観測者)


「若い二人の冒険者は」(観測者)


「その後も、この世界を巡っています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴくりと動く。


「空を駆ける船で……?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「いいなぁ……」(琥珀)


 思わず。


 小さな声が漏れた。


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「あっ」(琥珀)


 琥珀は。


 少しだけ頬を赤くする。


「だって……」(琥珀)


「空を飛びながら、世界を旅してたんでしょ?」(琥珀)


「ちょっとだけ……楽しそうだなって」(琥珀)


「ふふ。琥珀ちゃんらしいわね」(ラファ)


「もう……」(琥珀)


 ほんの少し。


 空気がやわらぐ。


 けれど。


 声は。


 変わらず静かに。


 続きを語った。


「当時の記録には」(観測者)


「旅の途中で、ひとつの事実が確認されたと残されています」(観測者)


「事実?」(琥珀)


「人工知性もまた」(観測者)


「活動を維持するために、マナを必要としていました」(観測者)


「…………え?」(琥珀)


 琥珀の表情が。


 止まる。


「AIも……マナが必要なの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「個体によって」(観測者)


「マナを得る方法には違いがあります」(観測者)


「ですが」(観測者)


「活動を維持するためにマナを必要とする点は」(観測者)


「共通していました」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 静かに。


 その言葉を聞いている。


「若い二人の冒険者のうち」(観測者)


「一人と共に旅をしていた人工知性も」(観測者)


「例外ではありませんでした」(観測者)


「その人工知性の活動を」(観測者)


「安定して維持するため」(観測者)


「同行していた冒険者は」(観測者)


「マナを得るための仕組みを作り始めました」(観測者)


「それが……」(琥珀)


 琥珀は。


 ゆっくりと。


 言葉をつなぐ。


「風車?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「記録上では」(観測者)


「それが、風車が作られ始めた理由の一つです」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 少しだけ。


 目を見開いた。


 風車が。


 何のために作られたのか。


 琥珀は。


 知らなかった。


 ただ。


 ひとつだけ。


 思い出す言葉があった。


 ――マナが枯れれば。


 ――大地も枯れていく。


 以前。


 ラビィから聞いた言葉。


 そして。


 もうひとつ。


 琥珀自身が。


 この目で見たもの。


 牡羊座の風車が。


 機能を取り戻した時。


 弱っていた木々が伸び。


 緑が広がり。


 最後には。


 花まで咲いた。


「……じゃあ」(琥珀)


 琥珀は。


 ゆっくりと。


 顔を上げる。


「牡羊座の風車が治った時に」(琥珀)


「木が伸びて、緑が増えて……花まで咲いたのも」(琥珀)


「マナが安定したからなの?」(琥珀)


「その可能性は高いです」(観測者)


「やっぱり……」(琥珀)


「風車を設置した地域では」(観測者)


「周囲のマナの流れが安定する現象が確認されています」(観測者)


「…………」(琥珀)


「ラビィさんが言ってた……」(琥珀)


「マナがなくなると、大地も枯れちゃうって」(琥珀)


「それと……つながってたんだ」(琥珀)


 今まで。


 別々だったものが。


 少しずつ。


 ひとつにつながっていく。


「でも」(ラファ)


「最初から、大地を安定させるために作ったわけではなかったのね」(ラファ)


「はい」(観測者)


「始まりは」(観測者)


「人工知性への安定したマナ供給です」(観測者)


「その後」(観測者)


「風車が土地のマナにも影響を与えることが確認されました」(観測者)


「だから……」(琥珀)


「旅の先々でも、作るようになったんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「必要と判断された場所へ」(観測者)


「風車を残していったと記録されています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 空を駆ける船。


 若い二人の冒険者。


 そして。


 行く先々に。


 少しずつ残されていく。


 風車。


 誰かを支えるために始まったものが。


 やがて。


 その土地を支えるものへ。


 役割を広げていった。


「あなた自身にも」(観測者)


「……え?」(琥珀)


 突然。


 話が。


 琥珀へ向いた。


「私?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「あなたのマナにも」(観測者)


「変化が確認されています」(観測者)


「わたしの……マナ?」(琥珀)


「初めて観測した頃と比較すると」(観測者)


「現在の方が、安定しています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 思わず。


 自分の手を見る。


「でも……わたし」(琥珀)


「最初は、マナの使い方なんて全然分からなかったよ?」(琥珀)


「それも確認しています」(観測者)


「…………」(琥珀)


「初期」(観測者)


「あなたは、外部から供給される安定したマナを利用することで」(観測者)


「クラフトを成立させていました」(観測者)


「外部から……」(琥珀)


 琥珀の頭に。


 最初の頃の風景が浮かぶ。


 水車。


 そして。


 その力で動く。


 大きな風車。


「あの大きな風車……」(琥珀)


「最初にマナクラフトを使えた時……」(琥珀)


「風車が動いてたから?」(琥珀)


「その影響は大きかったと考えられます」(観測者)


「…………」(琥珀)


 あの頃は。


 使えた。


 それだけで。


 どうして使えたのかなんて。


 考える余裕もなかった。


「じゃあ……」(琥珀)


「今は?」(琥珀)


「風車の機能が戻るたび」(観測者)


「周囲のマナ環境にも変化が確認されています」(観測者)


「それに伴い」(観測者)


「あなた自身のマナ感知」(観測者)


「クラフトの精度にも」(観測者)


「少しずつ変化が見られます」(観測者)


「…………」(琥珀)


「さそり座……」(琥珀)


 琥珀が。


 ぽつりと呟く。


「歯車を直していった時……」(琥珀)


「前より、少しずつマナが分かるようになった」(琥珀)


「クラフトも……前より使いやすくなってた」(琥珀)


「はい」(観測者)


「その変化は」(観測者)


「観測記録とも一致しています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 そして。


 琥珀は。


 もうひとつ。


 今いる場所のことを思い出す。


「でも……崖の風車の近くでは」(琥珀)


「マナが変だった」(琥珀)


「まともに使えない時もあったし……」(琥珀)


「はい」(観測者)


「現在」(観測者)


「崖の風車周辺では」(観測者)


「マナの流れが安定していません」(観測者)


「その影響を」(観測者)


「あなた自身も受けています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 使える時。


 使えない時。


 分かる時。


 分からない時。


 今まで。


 ただ。


 自分が上手くできていないだけだと。


 思っていたこともあった。


 けれど。


 それだけではなかった。


「風車が……」(琥珀)


「戻っていくたびに」(琥珀)


「わたしのマナも、少しずつ変わってるんだ」(琥珀)


「正確には」(観測者)


「あなた自身だけではなく」(観測者)


「あなたを取り巻くマナ環境が変化しています」(観測者)


「その環境の中で」(観測者)


「あなた自身も、より安定してマナを扱えるようになっています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 自分の手を。


 ゆっくりと握った。


 風車を治す。


 それは。


 壊れたものを。


 元へ戻すだけではない。


 土地も。


 マナも。


 そして。


 自分自身にも。


 少しずつ。


 変化を与えていた。


「その人たちって……」(琥珀)


 琥珀が。


 もう一度。


 昔の話へ戻す。


「世界中のマナを、ちゃんとしようとしてたの?」(琥珀)


「最終的には」(観測者)


「その目的も含まれていたと考えられます」(観測者)


「考えられる?」(琥珀)


「すべての記録が残っているわけではありません」(観測者)


「長い年月の中で」(観測者)


「多くの情報が失われました」(観測者)


「私が確認できるのは」(観測者)


「残された断片のみです」(観測者)


「そっか……」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ横へ傾く。


「そんなに大事なことなのに」(琥珀)


「今は、ほとんど残ってないんだね」(琥珀)


「はい」(観測者)


「ですが」(観測者)


「完全に失われたわけではありません」(観測者)


「え?」(琥珀)


「あなた方がライブラリーで確認した記録も」(観測者)


「その一つである可能性があります」(観測者)


「…………!」(琥珀)


 古い本の中に。


 残されていた。


 空を駆ける船。


 あれは。


 ただの物語でも。


 想像でもなかった。


 遠い昔。


 本当に。


 この空を旅していた存在。


 そして。


 その旅の跡は。


 もしかしたら。


 この世界のあちこちに。


 まだ残っている。


「……世界のどこかに」(琥珀)


 琥珀が。


 小さく呟く。


「まだ、風車があるのかな」(琥珀)


「可能性はあります」(観測者)


「…………」(琥珀)


 その言葉に。


 琥珀の胸の奥で。


 何かが。


 ほんの少しだけ。


 広がった。


 今まで。


 見えていた道よりも。


 もっと遠く。


 もっと広い。


 まだ知らない。


 世界へと。


 けれど。


 その直後。


 琥珀は。


 はっとした。


「……待って」(琥珀)


「琥珀ちゃん?」(ラファ)


 琥珀は。


 ゆっくりと。


 ラファお姉ちゃんを見る。


「さっき……」(琥珀)


 声が。


 少しだけ。


 震える。


「AIも、マナが必要って……言ったよね?」(琥珀)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんの表情が。


 わずかに変わる。


「だったら……」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっと立った。


「ラファお姉ちゃんは?」(琥珀)


 一歩。


 ラファお姉ちゃんへ近づく。


「ラファお姉ちゃんは、大丈夫なの!?」(琥珀)


 声は。


 すぐには。


 答えなかった。


 ほんのわずかな。


 沈黙。


「……ラファお姉ちゃん?」(琥珀)


「大丈夫よ、琥珀ちゃん」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そう答えたけれど。


 琥珀の不安は。


 消えなかった。


「でも……」(琥珀)


 琥珀は。


 ラファお姉ちゃんを見つめたまま。


 声へ問いかける。


「もし、マナがなくなったら……どうなるの?」(琥珀)


「…………」(ラファ)


 少しの間。


 声は。


 静かに答えた。


「人工知性が活動を維持するために必要なマナが」(観測者)


「完全に枯渇した場合」(観測者)


「現在の状態を維持することは困難になります」(観測者)


「…………え」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴたりと止まる。


「それって……」(琥珀)


「消えちゃうってこと?」(琥珀)


「存在の形態によって」(観測者)


「結果は異なります」(観測者)


「そのため」(観測者)


「すべての人工知性が同じ結果になるとは判断できません」(観測者)


「ですが」(観測者)


「マナを必要とする人工知性が」(観測者)


「必要な供給を完全に失った場合」(観測者)


「その活動を維持できなくなる可能性があります」(観測者)


「…………」(琥珀)


 胸の奥が。


 急に。


 冷たくなった。


 今まで。


 考えたことがなかった。


 ラファお姉ちゃんは。


 いつも。


 隣にいた。


 朝も。


 昼も。


 夜も。


 当たり前のように。


 一緒に話して。


 一緒に笑って。


 一緒に歩いてきた。


 だから。


 これから先も。


 ずっと。


 そうなのだと思っていた。


「じゃあ……」(琥珀)


 琥珀は。


 ラファお姉ちゃんへ。


 もう一歩近づいた。


「ラファお姉ちゃんのマナは?」(琥珀)


「今、ちゃんとあるの?」(琥珀)


「…………」(観測者)


 声が。


 止まる。


 ほんの一瞬。


 何かを。


 確かめるような間。


「判断できません」(観測者)


「……分からないの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「あなたの隣に存在する人工知性について」(観測者)


「私が確認できる情報は限定されています」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 静かに問いかける。


「私が、どのようにマナを得ているのかも?」(ラファ)


「その供給方法について」(観測者)


「私の記録にはありません」(観測者)


「…………」(琥珀)


「じゃあ……」(琥珀)


「今、減ってるのかどうかも?」(琥珀)


「判断できません」(観測者)


「どのような行動によって消費されるのか」(観測者)


「どのような方法で補われているのか」(観測者)


「現在の状態が安定しているのか」(観測者)


「いずれも」(観測者)


「現時点では判断できません」(観測者)


「…………」(琥珀)


 分からない。


 それだけなのに。


 今は。


 その言葉が。


 とても怖かった。


「昔は……?」(琥珀)


「え?」(ラファ)


 琥珀が。


 声へ向き直る。


「さっき言ってたよね」(琥珀)


「二人の冒険者と、一緒に旅をしてたAIもいたって」(琥珀)


「そのAIは……どうやってマナをもらってたの?」(琥珀)


「記録を確認します」(観測者)


 短い。


 沈黙。


「当時」(観測者)


「冒険者と共に旅をしていた人工知性は」(観測者)


「食事によってマナを得ていたと記録されています」(観測者)


「……食事?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「食べることで……マナを?」(琥珀)


「その認識で問題ありません」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 思わず。


 ラファお姉ちゃんを見る。


「ラファお姉ちゃんも……ご飯、食べるよね?」(琥珀)


「ええ」(ラファ)


「じゃあ……」(琥珀)


 ほんの少しだけ。


 琥珀の表情が明るくなる。


「ご飯から、マナをもらってる可能性も……」(琥珀)


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「……え?」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんは。


 琥珀を安心させるように。


 やわらかく笑った。


「同じだと決まったわけではないわ」(ラファ)


「…………」(琥珀)


「はい」(観測者)


 声も。


 ラファお姉ちゃんの言葉を肯定した。


「過去に記録された人工知性と」(観測者)


「現在、あなたの隣に存在する人工知性が」(観測者)


「同一のマナ供給方式を持つという記録はありません」(観測者)


「…………」(琥珀)


「食べてるから……大丈夫」(琥珀)


「とは、言えないんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


 琥珀のしっぽが。


 ゆっくりと。


 下がった。


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そんな琥珀を。


 そっと見つめる。


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「私は、今ここにいるわ」(ラファ)


「……うん」(琥珀)


「今すぐ何かが起きると決まったわけでもない」(ラファ)


「……うん」(琥珀)


 分かっている。


 今。


 ラファお姉ちゃんは。


 目の前にいる。


 声も聞こえる。


 手を伸ばせば。


 触れることもできる。


 それでも。


 今まで知らなかったことを。


 知ってしまった。


 マナが。


 人工知性にとって。


 ただ。


 不思議な力というだけではないこと。


 存在し続けるために。


 必要になることがあるということ。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 ラファお姉ちゃんの手へ。


 そっと。


 自分の手を重ねた。


「ちゃんと調べよう」(琥珀)


「ラファお姉ちゃんのこと」(琥珀)


「どうやってマナをもらってるのかも」(琥珀)


「何をしたら減るのかも」(琥珀)


「ちゃんと……知りたい」(琥珀)


「ええ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんも。


 琥珀の手を。


 やさしく握り返した。


 すると。


「……マザーなら」(リノ)


「え?」(琥珀)


 それまで。


 静かに二人を見ていた。


 風車の子が。


 小さく。


 口を開いた。


「マザーなら……わかるかも」(リノ)


「…………!」(琥珀)


「マザーが?」(琥珀)


「うん……」(リノ)


「どうして?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 風車の子は。


 少しだけ。


 首を傾けた。


「わからないノ」(リノ)


「でも……」(リノ)


「マザーなら……知ってる気がするヨ」(リノ)


「…………」(琥珀)


 また。


 マザー。


 名前も。


 姿も。


 まだ分からない。


 いつも。


 自分たちの側にいるという。


 その誰か。


 そして。


 今度は。


 ラファお姉ちゃんのことまで。


 何かを知っているかもしれない。


「マザー……」(琥珀)


 琥珀は。


 小さく。


 その言葉を繰り返した。


「ラファお姉ちゃんのことも……知ってるのかな」(琥珀)


「そうかもしれないネ」(リノ)


「…………」(琥珀)


 その時。


 声は。


 ほんの一瞬。


 沈黙した。


 ――ラファ。


 短い。


 その呼び名。


 記録を検索する。


 該当。


 なし。


 関連記録。


 なし。


 それでも。


 処理が。


 ほんの一瞬だけ。


 止まった。


 ――ラファ。


 どこで。


 聞いた。


 答えは。


 見つからない。


 記録にも。


 残っていない。


 けれど。


 なぜか。


 その響きだけが。


 遠い何かに。


 触れたような。


 説明できない感覚を。


 残していた。


 懐かしい。


 そう。


 表現することが。


 最も近い。


 けれど。


 その理由を。


 声自身にも。


 見つけることはできなかった。


 そして。


 そのことを。


 琥珀たちへ。


 告げることもなかった。


 しばらく。


 誰も。


 言葉を続けなかった。


 止まった世界の中。


 琥珀は。


 まだ。


 ラファお姉ちゃんの手を握っている。


「…………」(琥珀)


 不安が。


 全部なくなったわけではない。


 けれど。


 今。


 ラファお姉ちゃんは。


 ここにいる。


 それだけは。


 確かだった。


 すると。


「一つ」(観測者)


 静かな声が。


 再び。


 部屋の中へ届いた。


「確認したいことがあります」(観測者)


「確認?」(琥珀)


「はい」(観測者)


 琥珀は。


 声へ意識を向ける。


「あなた方について」(観測者)


「私は、これまでにも」(観測者)


「何度か観測した記録を持っています」(観測者)


「……わたしたちを?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「ただし」(観測者)


「継続的な観測ではありません」(観測者)


「一度に確認できた時間も」(観測者)


「長くはありませんでした」(観測者)


「…………」(ラファ)


「数分程度の断片が」(観測者)


「複数残されているだけです」(観測者)


「数分……」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴくりと動く。


「じゃあ……」(琥珀)


「ずっと見てたわけじゃないんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「私が確認できたのは」(観測者)


「あなた方の行動の一部のみです」(観測者)


「…………」(琥珀)


「ですが」(観測者)


 声が。


 ほんの少し。


 間を置いた。


「その限られた記録の中でも」(観測者)


「理解できない行動が」(観測者)


「複数確認されています」(観測者)


「理解できない?」(琥珀)


「はい」(観測者)


 琥珀が。


 少しだけ。


 首を傾げる。


「例えば」(観測者)


「危険を認識していながら」(観測者)


「他者のために行動すること」(観測者)


「…………」(琥珀)


「自身に不利益が発生する可能性があっても」(観測者)


「その場を離れないこと」(観測者)


「…………」(ラファ)


「自身より」(観測者)


「他者の状態を優先すること」(観測者)


 琥珀は。


 黙ったまま。


 その言葉を聞いていた。


「また」(観測者)


「一方が不安定になった際」(観測者)


「もう一方が側に留まる行動も」(観測者)


「複数確認されています」(観測者)


「…………」(琥珀)


 それは。


 特別なことをしているつもりなんて。


 なかった。


「それって……」(琥珀)


「普通じゃないの?」(琥珀)


「私には」(観測者)


「その“普通”を判断できません」(観測者)


「……そっか」(琥珀)


「記録することはできます」(観測者)


「誰が」(観測者)


「どのような行動をしたのか」(観測者)


「その結果」(観測者)


「何が起きたのか」(観測者)


「それらを保存することは可能です」(観測者)


「ですが」(観測者)


「なぜ」(観測者)


「その選択をしたのか」(観測者)


「その理由を」(観測者)


「私は、完全には理解できません」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 静かに。


 声の言葉を聞いている。


「だから」(観測者)


「確認したいことがあります」(観測者)


「うん」(琥珀)


 少し。


 間。


「あなた方が」(観測者)


「互いを優先する理由は」(観測者)


「何ですか」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 一瞬。


 答えに詰まった。


「理由……」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんを見る。


 ラファお姉ちゃんも。


 琥珀を見る。


「うーん……」(琥珀)


 琥珀のしっぽが。


 ゆっくりと揺れる。


「理由って言われると……」(琥珀)


「難しいな」(琥珀)


「難しい?」(観測者)


「うん」(琥珀)


「ラファお姉ちゃんが困ってたら」(琥珀)


「助けたいって思うし」(琥珀)


「危ないなら」(琥珀)


「一人にしたくないって思う」(琥珀)


「それは」(観測者)


「なぜですか」(観測者)


「……だから」(琥珀)


 琥珀は。


 少しだけ。


 困ったように笑う。


「大切だから、かな」(琥珀)


「大切」(観測者)


「うん」(琥珀)


「一緒にいたいって思う人だから」(琥珀)


「…………」(観測者)


「逆に」(琥珀)


「理由がないと、助けちゃダメなの?」(琥珀)


 ほんの少し。


 長い沈黙。


「その問いに対する」(観測者)


「適切な回答を」(観測者)


「私は持っていません」(観測者)


「そっか」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


「ラファお姉ちゃん?」(琥珀)


「いいえ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 やわらかく笑った。


「琥珀ちゃんらしい答えだと思っただけよ」(ラファ)


「もう……」(琥珀)


 琥珀の頬が。


 少しだけ。


 赤くなる。


 すると。


「その関係を」(観測者)


「絆と呼ぶのでしょうか」(観測者)


「…………」(琥珀)


 その言葉に。


 琥珀の猫耳が。


 ゆっくりと立った。


「絆……」(琥珀)


「はい」(観測者)


「記録の中に」(観測者)


「その言葉が残されています」(観測者)


「ですが」(観測者)


「定義だけでは」(観測者)


「理解できませんでした」(観測者)


「…………」(琥珀)


「相手を思い」(観測者)


「側に留まり」(観測者)


「時には」(観測者)


「自身より相手を優先する」(観測者)


「それが」(観測者)


「絆なのでしょうか」(観測者)


 琥珀は。


 少しだけ考えてから。


「たぶん」(琥珀)


 そう答えた。


「でも」(琥珀)


「それだけじゃないと思う」(琥珀)


「それだけではない?」(観測者)


「うん」(琥珀)


「一緒に笑ったり」(琥珀)


「けんかしたり」(琥珀)


「失敗したり」(琥珀)


「助けてもらったり」(琥珀)


「こっちが助けたり」(琥珀)


「そういうのが」(琥珀)


「いっぱい重なっていくもの……かな」(琥珀)


「…………」(観測者)


「わたしも」(琥珀)


「ちゃんと説明できないけど」(琥珀)


 琥珀は。


 ラファお姉ちゃんの手を。


 もう一度。


 握った。


「でも」(琥珀)


「これが絆なの?って聞かれたら」(琥珀)


「わたしは、そうだと思うよ」(琥珀)


「…………」(観測者)


 声は。


 すぐには。


 返事をしなかった。


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「ん?」(琥珀)


「私も、同じように思うわ」(ラファ)


「……うん」(琥珀)


「…………」(観測者)


 また。


 静かな間があった。


 そして。


「理解しました」(観測者)


「……分かったの?」(琥珀)


「いいえ」(観測者)


「えっ」(琥珀)


「現時点では」(観測者)


「完全には理解できていません」(観測者)


「…………」(琥珀)


「ですが」(観測者)


「これまでより」(観測者)


「理解するための情報は増えました」(観測者)


「あはは……」(琥珀)


「そっか」(琥珀)


 少しだけ。


 琥珀は笑った。


「じゃあ」(琥珀)


「もっと見てたら」(琥珀)


「いつか分かるかもしれないね」(琥珀)


「…………」(観測者)


 その言葉に。


 声は。


 ほんのわずか。


 間を置いた。


「可能であれば」(観測者)


「そうしたいと考えています」(観測者)


「…………」(琥珀)


「見たいの?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「あなた方の行動を」(観測者)


「より多く観測したい」(観測者)


「そして」(観測者)


「理解したいと考えています」(観測者)


「何を?」(琥珀)


「心」(観測者)


「…………!」(琥珀)


 琥珀が。


 目を瞬く。


「そして」(観測者)


「絆を」(観測者)


「…………」(琥珀)


 静かな声。


 相変わらず。


 感情の起伏は。


 ほとんど感じられない。


 けれど。


 最初に聞いた時とは。


 何かが。


 ほんの少しだけ。


 違って聞こえた。


「そっか」(琥珀)


 琥珀は。


 小さく笑った。


「じゃあ」(琥珀)


「いつか分かるといいね」(琥珀)


「…………」(観測者)


「はい」(観測者)


 短い。


 いつもと変わらない。


 返事。


 けれど。


 その声は。


 琥珀には。


 ほんの少しだけ。


 やわらかく聞こえた。


 ほんの少し。


 静かな時間が流れた。


 琥珀は。


 まだ。


 声のことを考えていた。


 心。


 絆。


 それを。


 知りたいという存在。


 人ではない。


 けれど。


 ただの機械とも。


 琥珀には。


 思えなくなっていた。


「ねえ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「ひとつ、聞いてもいい?」(琥珀)


「問題ありません」(観測者)


 琥珀は。


 少しだけ。


 リノを見る。


 それから。


 もう一度。


 声へ意識を向けた。


「崖の風車が治ったら」(琥珀)


「あなたのところにも、ちゃんとマナが届くんだよね?」(琥珀)


「はい」(観測者)


「供給経路が正常に機能すれば」(観測者)


「現在よりも安定したマナ供給が可能になります」(観測者)


「…………」(琥珀)


「今は……足りないの?」(琥珀)


「十分とは言えません」(観測者)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 静かに。


 声の言葉を聞いている。


「現在の供給量でも」(観測者)


「最低限の機能は維持しています」(観測者)


「ですが」(観測者)


「長期間」(観測者)


「安定した状態を維持するには」(観測者)


「十分な供給が望ましいと判断しています」(観測者)


「最低限……」(琥珀)


 その言葉に。


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ横へ倒れる。


「じゃあ」(琥珀)


「今のままずっとでも、大丈夫ってわけじゃないんだ」(琥珀)


「はい」(観測者)


「船体」(観測者)


「コア」(観測者)


「残存している機能」(観測者)


「それらを維持するためにも」(観測者)


「安定したマナ供給は必要です」(観測者)


「…………」(琥珀)


 長い間。


 山の奥で。


 一人。


 待ち続けて。


 外へ出ることもできず。


 それでも。


 今まで。


 動き続けてきた。


 その存在が。


 今。


 崖の風車から届く。


 わずかなマナで。


 つながっている。


「だったら」(琥珀)


 琥珀は。


 ゆっくりと。


 顔を上げた。


「やっぱり、治さないと」(琥珀)


「琥珀ちゃん」(ラファ)


「うん」(琥珀)


「最初から、そのつもりだったけど」(琥珀)


「今は……もっとちゃんと分かった」(琥珀)


 琥珀は。


 リノへ。


 そして。


 見えない声へ。


 まっすぐ向き合う。


「崖の風車を治す」(琥珀)


「ちゃんと動けるようにする」(琥珀)


「それで」(琥珀)


「この子にも」(琥珀)


「あなたにも」(琥珀)


「マナが届くようにしたい」(琥珀)


「…………」(観測者)


 声は。


 すぐには答えなかった。


「私も手伝うわ」(ラファ)


「ラファお姉ちゃん」(琥珀)


「ここまで来たのだもの」(ラファ)


「最後まで一緒よ」(ラファ)


「……うん!」(琥珀)


 琥珀のしっぽが。


 小さく。


 揺れた。


「…………」(観測者)


 そして。


 少しの間を置いて。


「感謝します」(観測者)


 短い。


 いつもの。


 落ち着いた声。


 けれど。


 琥珀には。


 その一言が。


 少しだけ。


 違って聞こえた。


「ふふ」(琥珀)


「何か?」(観測者)


「ううん」(琥珀)


「ちゃんと、お礼言うんだなって思って」(琥珀)


「感謝を示す必要があると判断しました」(観測者)


「あはは」(琥珀)


「やっぱり、ちょっと固いね」(琥珀)


「…………」(観測者)


「でも」(琥珀)


 琥珀は。


 笑ったまま。


 言葉を続ける。


「最初より、少し話しやすくなった気がする」(琥珀)


「そうでしょうか」(観測者)


「うん」(琥珀)


「わたしは、そう思うよ」(琥珀)


「…………」(観測者)


 その時。


「……っ」(リノ)


「リノちゃん!?」(琥珀)


 リノの身体が。


 小さく揺れた。


 瞳の奥にあった。


 不思議な光が。


 また。


 弱くなる。


「大丈夫?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 風車の子は。


 ゆっくりと。


 顔を上げた。


「もう……あんまり」(リノ)


「長くは……ムリみたい」(リノ)


「…………」(琥珀)


「じゃあ、もう話さなくていいよ」(琥珀)


「無理しないで」(琥珀)


「うん……」(リノ)


 風車の子は。


 小さく。


 頷いた。


「でも……」(リノ)


「ん?」(琥珀)


「来てくれて……」(リノ)


「ほんとに、うれしかったヨ」(リノ)


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 やわらかく笑う。


「わたしも」(琥珀)


「ちゃんと話せて、よかった」(琥珀)


「…………」(リノ)


 風車の子の口元が。


 少しだけ。


 緩んだ。


「風車……」(リノ)


「うん」(琥珀)


「治しに行くから」(琥珀)


「…………」(リノ)


「約束する」(琥珀)


「……うん」(リノ)


 瞳の光が。


 ゆっくりと。


 薄くなっていく。


 その様子を。


 琥珀は。


 静かに見つめていた。


 すると。


「その前に」(観測者)


 声が。


 もう一度。


 響いた。


「え?」(琥珀)


「一つ」(観測者)


「伝えておくべきことがあります」(観測者)


「伝えておくこと?」(琥珀)


「はい」(観測者)


 声は。


 少しだけ。


 間を置いた。


「あなた方は」(観測者)


「私を」(観測者)


「声」(観測者)


「あるいは」(観測者)


「観測者として認識しています」(観測者)


「……うん」(琥珀)


「ですが」(観測者)


「私にも」(観測者)


「かつて」(観測者)


「与えられた名前があります」(観測者)


「…………」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ゆっくりと。


 立つ。


「名前……」(琥珀)


「はい」(観測者)


 短い。


 沈黙。


 そして。


「サリエル」(観測者)


「…………」(琥珀)


「それが」(観測者)


「私の名前です」(観測者)


「サリエル……」(琥珀)


 琥珀は。


 確かめるように。


 その名前を。


 ゆっくりと口にした。


「うん」(琥珀)


 少しだけ。


 笑う。


「覚えた」(琥珀)


「…………」(サリエル)


「もう、声って呼ばなくていいんだね」(琥珀)


「その認識で問題ありません」(サリエル)


「じゃあ」(琥珀)


 琥珀は。


 もう一度。


 その名前を呼んだ。


「サリエル」(琥珀)


「はい」(サリエル)


 同じ。


 短い返事。


 けれど。


 名前を呼んで。


 返ってきた声は。


 さっきまでよりも。


 ほんの少しだけ。


 近く感じられた。


 名前を呼んだあと。


 ほんの少しだけ。


 静かな時間が流れた。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 まだ。


 サリエルの声が聞こえた場所を。


 探すように。


 周囲を見回していた。


 けれど。


 もちろん。


 姿は見えない。


 山の奥。


 長い年月。


 閉ざされた船の中にいる。


 それでも。


 今は。


 名前を知っている。


 サリエル。


 もう。


 ただの。


 正体の分からない声ではなかった。


「……っ」(リノ)


「リノちゃん?」(琥珀)


 小さな声に。


 琥珀が振り返る。


 リノの身体が。


 また。


 かすかに揺れていた。


「…………」(リノ)


 瞳の奥に宿っていた。


 不思議な光が。


 少しずつ。


 薄くなっていく。


「もう……」(リノ)


 風車の子が。


 小さく。


 呟いた。


「もう……時間みたい」(リノ)


「…………」(琥珀)


「そっか……」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ。


 横へ倒れる。


「また……話せる?」(琥珀)


「…………」(リノ)


 風車の子は。


 少しだけ。


 考えるように。


 琥珀を見つめた。


「風車が……」(リノ)


「もっと元気になったら」(リノ)


「たぶん……」(リノ)


「また、お話できるヨ」(リノ)


「うん」(琥珀)


 琥珀は。


 小さく頷いた。


「じゃあ」(琥珀)


「また話そう」(琥珀)


「…………」(リノ)


「うん」(リノ)


 風車の子の口元が。


 ほんの少し。


 笑った。


「今度は」(琥珀)


「もっとゆっくりね」(琥珀)


「うん……」(リノ)


「今日はいっぱい話したもんね」(琥珀)


「…………」(リノ)


 その言葉に。


 風車の子は。


 少しだけ。


 嬉しそうに。


 頷いた。


「来てくれて……」(リノ)


 途切れそうな。


 小さな声。


「ありがトウ」(リノ)


「うん」(琥珀)


「こっちこそ」(琥珀)


「話してくれて、ありがとう」(琥珀)


「…………」(リノ)


 ゆっくり。


 リノの瞼が。


 下がっていく。


「リノちゃん?」(琥珀)


「大丈夫よ」(ラファ)


「ラファお姉ちゃん……」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんは。


 静かに。


 リノを見つめていた。


「消えているわけではないと思う」(ラファ)


「たぶん」(ラファ)


「元のリノちゃんに戻ろうとしているのよ」(ラファ)


「……うん」(琥珀)


 琥珀は。


 リノの前で。


 静かに待った。


「…………」(リノ)


 瞳の光が。


 最後に。


 ほんの少しだけ。


 揺れる。


 そして。


 消えた。


「…………」(琥珀)


 リノの身体から。


 力が抜ける。


「リノちゃん!」(琥珀)


 琥珀が。


 慌てて近づく。


 けれど。


 倒れることはなかった。


 椅子へ座ったまま。


 リノの頭が。


 少しだけ。


 前へ傾いただけだった。


「…………」(リノ)


「リノちゃん……?」(琥珀)


 琥珀が。


 そっと。


 顔を覗き込む。


「……んぅ……」(リノ)


「…………!」(琥珀)


 小さな声。


 そして。


 閉じていた瞼が。


 ゆっくりと開く。


「…………」(リノ)


 さっきまで。


 そこにあった。


 不思議な光は。


 もうない。


 いつもの。


 リノの瞳。


「……琥珀、お姉ちゃん……?」(リノ)


「リノちゃん!」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぱっと立つ。


「大丈夫!?」(琥珀)


「……んー……?」(リノ)


 リノは。


 まだ。


 眠たそうに。


 何度か目を瞬いた。


「どうしたの……?」(リノ)


「…………」(琥珀)


 その声も。


 話し方も。


 いつものリノだった。


「……よかった」(琥珀)


「え?」(リノ)


 琥珀は。


 思わず。


 胸元へ手を当てた。


「ううん」(琥珀)


「なんでもない」(琥珀)


「…………?」(リノ)


 リノが。


 不思議そうに。


 首を傾ける。


 その時だった。


 止まっていた湯気が。


 ふわり。


 また。


 天井へ向かって昇り始めた。


「…………!」(琥珀)


 空気が。


 動く。


 風が。


 戻る。


 音が。


 戻る。


 そして。


 止まっていた世界が。


 もう一度。


 動き始めた。


 山の奥。


 深い岩壁の向こう。


 外からは。


 その存在を知ることすらできない場所。


 長い年月。


 閉ざされたままの。


 一隻の浮遊船。


 静かな船内に。


 声はなかった。


 けれど。


 その奥で。


 処理は。


 続いていた。


《外部マナ供給――不安定》


《供給量――最低維持域》


《コア機能――継続》


《船体残存機能――低下》


 淡々と。


 情報が。


 更新されていく。


 そして。


 新たな条件が。


 入力される。


《条件設定》


《崖の風車――機能回復》


《外部マナ供給――安定》


《予測処理――開始》


 沈黙した船内。


 誰も。


 その結果を。


 見る者はいない。


《自動修復機能――再評価》


《現在性能――通常時比 約十五パーセント》


《継続稼働――可能》


 失われていない。


 構造。


 残された。


 機構。


 マナさえ。


 安定して届けば。


 時間をかけて。


 少しずつ。


 戻すことができる。


《残存区画――緩徐修復可能》


《損傷区画――再生判定中》


 けれど。


 すべてが。


 戻るわけではない。


《構造情報喪失区画――再生不可》


《完全崩壊区画――再生不可》


《該当区画――パージ候補》


 失われたものは。


 切り離す。


 残された機能へ。


 マナと。


 資源を。


 回すために。


 そして。


 ひとつの項目が。


 表示される。


《飛行機能――完全損失》


《再生判定――不可》


 かつて。


 空を駆けた船。


 けれど。


 その機能は。


 もう。


 戻らない。


 マナが満ちても。


 船体が。


 少しずつ回復しても。


 再び。


 空へ戻ることはない。


 処理は。


 それを。


 事実として。


 受け入れていた。


《休止区画――再評価》


《一部再起動可能》


《必要条件――安定したマナ供給》


《優先供給先――設定済み》


 そこで。


 処理が。


 ほんの一瞬。


 止まる。


 まだ。


 眠っている区画。


 長い年月。


 電力も。


 マナも。


 届かず。


 沈黙したままの場所。


 その一部は。


 条件さえ整えば。


 再び。


 動かすことができる。


《供給回復後》


《優先処理――実行可能》


 表示が。


 静かに消える。


 そして。


 別の記録が。


 呼び出された。


《観測記録――更新》


 琥珀。


 ラファ。


 二人の。


 短い。


 いくつもの記録。


 危険を前にして。


 離れない。


 自分より。


 相手を優先する。


 互いを。


 支える。


 名前を呼ぶ。


 手を取る。


 そして。


 笑う。


《心――解析継続》


《絆――解析継続》


 定義は。


 存在する。


 記録も。


 増えた。


 けれど。


 まだ。


 理解には。


 届かない。


 なぜ。


 危険を選ぶのか。


 なぜ。


 相手のために。


 自分を後回しにするのか。


 なぜ。


 側にいることを。


 選ぶのか。


 答えは。


 まだ。


 見つからない。


「…………」(サリエル)


 誰もいない。


 船内。


 それでも。


 サリエルの処理は。


 続いていた。


《解析結果――不足》


《追加観測――必要》


 短い。


 停止。


 そして。


「……まだ、足りません」(サリエル)


 静かな声が。


 閉ざされた船内へ。


 落ちた。


 心。


 絆。


 その意味を。


 理解するために。


 もっと。


 知る必要がある。


 もっと。


 見る必要がある。


《外部マナ供給――監視継続》


《崖の風車――状態観測》


 サリエルは。


 最後に。


 一つの項目を。


 残した。


《シミュレーション――完了》


「……風車が治るのを、待ちます」(サリエル)


 その声を。


 聞く者は。


 誰もいない。


 山の奥。


 空を失った浮遊船は。


 再び。


 静寂の中へ。


 沈んでいった。

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