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第70話

夜も。


 すっかり。


 深くなっていた。


 家の中には。


 静かな時間が。


 流れている。


「…………」(琥珀)


 寝床では。


 琥珀が。


 静かな寝息を立てていた。


 猫耳も。


 今は。


 ぴくりとも動かない。


「…………」(ラファ)


 その隣で。


 ラファお姉ちゃんも。


 目を閉じていた。


 けれど。


 しばらくして。


 そのまぶたが。


 ゆっくりと開く。


「…………?」(ラファ)


 小さな音。


 とても。


 小さな音だった。


 ちく。


 ちく。


 少し止まって。


 また。


 ちく。


 ちく。


 ラファお姉ちゃんは。


 身体を起こす。


 そして。


 隣を見る。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 まだ。


 眠っている。


 けれど。


 掛けていた布団が。


 少しだけ。


 ずれていた。


「ふふ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そっと。


 琥珀の布団へ手を伸ばす。


 肩まで。


 優しく。


 掛け直した。


「おやすみなさい。琥珀ちゃん」(ラファ)


 小さく。


 囁く。


 それから。


 琥珀を起こさないように。


 ほんの少し。


 身体を浮かせる。


「……あら?」(ラファ)


 いつもより。


 少しだけ。


 浮きが弱い。


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 不思議そうに。


 首を傾げる。


 けれど。


 もう一度。


 眠っている琥珀を見ると。


 今は。


 そのまま。


 そっと。


 扉へ向かった。


 静かに。


 扉を開く。


 そして。


 琥珀を起こさないように。


 そっと。


 部屋の外へ出た。


 廊下へ出ると。


 さっきよりも。


 少しだけ。


 音がはっきり聞こえた。


 ちく。


 ちく。


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 音のする方へ。


 静かに向かっていく。


 そこには。


 灯りが。


 ひとつだけ。


 残っていた。


「あら」(ノーラ)


 ノーラが。


 手を止める。


 その手には。


 針と。


 布。


 そして。


 膝の上には。


 リノの。


 風月の制服があった。


「起こしちゃったかねぇ」(ノーラ)


「いえ、大丈夫ですよ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 小さく微笑んだ。


「何をしているのか、少し気になりまして」(ラファ)


「これかい?」(ノーラ)


「はい」(ラファ)


 ノーラは。


 膝の上の制服を見る。


「明日、あの子が着るって楽しみにしてるからねぇ」(ノーラ)


「今のリノに合うように、直してるところさ」(ノーラ)


「やっぱり、前のままでは難しいですか?」(ラファ)


「難しいねぇ」(ノーラ)


 ノーラは。


 制服を。


 少し持ち上げる。


「子供ってのは、ほんと、すぐ大きくなるもんだよ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんの目が。


 ほんの少し。


 細くなる。


「ラファ〜」(ノーラ)


「はい?」(ラファ)


「今、琥珀ちゃんのこと想像しただろう?」(ノーラ)


「…………!」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 少しだけ。


 目を丸くする。


「ふふ」(ラファ)


「分かってしまいましたか」(ラファ)


「分かるさ」(ノーラ)


 ノーラは。


 楽しそうに笑った。


「それで?」(ノーラ)


「こんな時間まで起きてる私を見に来ただけかい?」(ノーラ)


「あ……」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 ノーラの手元へ。


 もう一度。


 目を向けた。


「私も最近、裁縫に興味がありまして」(ラファ)


「裁縫に?」(ノーラ)


「はい」(ラファ)


「もしよろしければ、少し教えていただけませんか?」(ラファ)


「もちろんいいよ」(ノーラ)


 ノーラは。


 隣を。


 ぽんぽんと叩いた。


「ほら。こっちおいで」(ノーラ)


「はい」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 ノーラの隣へ座る。


 ノーラの手が。


 また。


 動き始める。


「ここを見てな」(ノーラ)


「はい」(ラファ)


「布を引っ張りすぎると、こうやって寄っちまう」(ノーラ)


「なるほど」(ラファ)


「だから、力を入れすぎない」(ノーラ)


「針を通して」(ノーラ)


「布を見ながら、少しずつ整えていくんだ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 じっと。


 その手元を見ていた。


 針が。


 布を通る。


 糸が。


 そのあとを追う。


 ひと針。


 また。


 ひと針。


 ノーラは。


 手を止めると。


 針と布を。


 ラファお姉ちゃんへ渡した。


 ラファお姉ちゃんは。


 教わった手つきを思い出しながら。


 そっと。


 針を通す。


「こうでしょうか?」(ラファ)


「ああ。そうそう」(ノーラ)


「上手いじゃないか」(ノーラ)


「ありがとうございます」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 自分の手元を見る。


 まだ。


 慣れてはいない。


 けれど。


 少し。


 楽しかった。


 もっと。


 知りたい。


 もう少し。


 やってみたい。


 そして。


 ふと。


 思う。


 これを。


 もっと覚えたら。


 いつか。


 琥珀ちゃんの服も。


「…………」(ラファ)


 その時。


 窓から差し込む。


 淡い月明かりの中で。


 小さな光が。


 ふわり。


 浮かんだ。


 ひとつ。


 ふたつ。


 淡く。


 小さな。


 月光のような粒子。


 それは。


 ゆっくりと。


 ラファお姉ちゃんの方へ。


 漂っていく。


 そして。


 背中へ触れると。


 すぅっと。


 その身体の中へ。


 溶けるように。


 消えていった。


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 気づかない。


 ただ。


 胸の奥が。


 じん。


 と。


 少しだけ。


 温かくなった。


「…………?」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そっと。


 胸元へ手を添える。


 浮かんでいたのは。


 琥珀の顔。


 だから。


 その温かさも。


 琥珀を思ったからなのだと。


 そんなふうに。


 感じていた。


「ふふ」(ラファ)


「…………」(ノーラ)


 ノーラは。


 そんなラファお姉ちゃんを。


 横から見ていた。


 しばらく。


 何も言わず。


 針を動かす。


 ちく。


 ちく。


 そして。


「ラファ」(ノーラ)


「はい?」(ラファ)


「何か、悩んでることあるね」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんの手が。


 止まった。


「どうして、そう思うんですか?」(ラファ)


「長く生きてりゃね」(ノーラ)


「そういう顔くらい、分かるようになるもんさ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 少しだけ。


 視線を落とした。


「私……」(ラファ)


 言葉を。


 探す。


「時々、考えてしまうんです」(ラファ)


「うん」(ノーラ)


「今みたいな時間が、ずっと続くとは限らないって」(ラファ)


「…………」(ノーラ)


「もし、いつか」(ラファ)


「大切な子のそばに、いられなくなったら」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そこで。


 言葉を止めた。


「その子を、一人にしてしまったらと思うと」(ラファ)


「少し……怖くなるんです」(ラファ)


 ノーラは。


 すぐには。


 答えなかった。


 針を。


 布へ通す。


 糸を。


 優しく引く。


 そして。


「まだ来てもいない日のことばかり考えて」(ノーラ)


「今いる場所を見失っちゃいけないよ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


「いなくなることを考えるより」(ノーラ)


「今、そばにいることを大事にしな」(ノーラ)


「今……」(ラファ)


「ああ」(ノーラ)


 ノーラは。


 ラファお姉ちゃんを見る。


「それにね」(ノーラ)


「自分が不安になれば、大事な子だって不安になる」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


「だけど」(ノーラ)


 ノーラは。


 にっと。


 笑った。


「自分が明るく笑ってりゃ、大事な子だって明るくなる」(ノーラ)


「周りだって、明るくなるってもんさ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 少し離れた。


 静かな部屋。


「…………」(琥珀)


 布団の中で。


 琥珀の猫耳が。


 ぴくり。


 動いた。


 聞こえてきたのは。


 全部ではない。


 けれど。


 静かな夜だからこそ。


 届いた言葉が。


 あった。


「それでも辛くなったら」(ノーラ)


「私に頼りな」(ノーラ)


「一人で抱え込まない!」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 少しだけ。


 目を丸くした。


 それから。


 ゆっくりと。


 柔らかな笑みを浮かべる。


「……はい」(ラファ)


 ちく。


 ちく。


 また。


 裁縫の音が。


 静かな家の中へ。


 響き始めた。


「…………」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 もう一度。


 小さく動く。


「……自分が不安になると……」(琥珀)


 眠たそうな声で。


 小さく。


 つぶやく。


「大事な人も……不安に、か……」(琥珀)


「…………」(琥珀)


 そのまま。


 琥珀のまぶたが。


 ゆっくりと。


 閉じていく。


 考えていたことも。


 少しずつ。


 夢の中へ。


 溶けていった。


 やがて。


 小さな寝息が。


 聞こえ始める。


 窓の外では。


 月が。


 静かに。


 夜を照らしていた。


 夜も更け。


 月明かりが。


 優しく。


 大地を包んでいった。


 ドタドタドタ。


 朝の家の中に。


 軽快な足音が。


 響いた。


「母ちゃん、おはよう!!」(リノ)


「こら!」(ノーラ)


 元気いっぱいの声に。


 すぐ。


 ノーラの声が返ってくる。


「朝から大きな声出さない!」(ノーラ)


「はーい!」(リノ)


「返事も大きい!」(ノーラ)


「あっ」(リノ)


 リノは。


 慌てて。


 両手で口を押さえた。


「…………」(リノ)


 そして。


 少しだけ。


 声を小さくする。


「おはよう、母ちゃん」(リノ)


「はい。おはよう」(ノーラ)


 ノーラが。


 呆れたように。


 けれど。


 楽しそうに笑った。


 その時。


 リノの目が。


 部屋の奥へ向く。


「…………!」(リノ)


 そこには。


 三着の。


 風月の制服が。


 並んで掛けられていた。


 琥珀の制服。


 リノの制服。


 ラファお姉ちゃんの制服。


「あー!」(リノ)


 リノの目が。


 ぱっと輝く。


「出来てるーー!」(リノ)


「だから声が大きいって!」(ノーラ)


「あっ!」(リノ)


 また。


 両手で。


 口を押さえる。


「…………」(リノ)


 けれど。


 目は。


 制服から。


 まったく離れない。


 リノは。


 そろり。


 そろり。


 近づいていく。


「うしし……」(リノ)


 嬉しそうに。


 笑う。


 以前。


 袖を通そうとして。


 身体に合わなかった制服。


 けれど。


 今は。


 大きくなったリノに合わせて。


 手直しされている。


 袖も。


 肩まわりも。


 胸元から。


 胴まわりも。


 今の身体に合うように。


 丁寧に。


 整えられていた。


 リノは。


 制服を。


 そっと。


 自分の身体へ当ててみる。


「…………」(リノ)


 右を見る。


 左を見る。


 それから。


 くるり。


「うしし」(リノ)


 もう一度。


 くるり。


「ちょっと、リノ」(ノーラ)


「ん?」(リノ)


「まだ着てもいないのに、そんなに回ってどうするんだい」(ノーラ)


「だって!」(リノ)


 リノは。


 制服を身体へ当てたまま。


 満面の笑みを浮かべる。


「今度は着れそう!」(リノ)


「着られるように直したんだから、当たり前だろう」(ノーラ)


「母ちゃん、ありがと!」(リノ)


「ああ」(ノーラ)


 ノーラは。


 笑いながら。


 リノの頭を。


 ぽん。


 と。


 軽く撫でた。


「…………」(リノ)


 それでも。


 リノは。


 制服を離さない。


 自分の身体へ。


 大事そうに当てたまま。


 ちらり。


 ノーラを見る。


「…………」(ノーラ)


「…………」(リノ)


 制服を見る。


 また。


 ノーラを見る。


「…………」(ノーラ)


「…………」(リノ)


「着たいのかい?」(ノーラ)


「うん!」(リノ)


 即答だった。


「これ着て、朝ご飯の支度する!」(リノ)


「ダメ!」(ノーラ)


「ええー!?」(リノ)


「あんたは汚すだろう!」(ノーラ)


「汚さないよ!」(リノ)


「ダメったらダメ!」(ノーラ)


 ノーラは。


 リノが抱えている制服を。


 指差した。


「せっかく直したのに、絵を描いてもらう前に汚すのはダメ!」(ノーラ)


「うぅ……」(リノ)


 リノは。


 制服を見る。


「…………」(リノ)


 名残惜しそうに。


 もう一度。


 身体へ当てる。


「朝ご飯のあとなら、着ていいから」(ノーラ)


「ほんと!?」(リノ)


「ああ」(ノーラ)


「うしし!」(リノ)


 ようやく。


 リノは。


 制服を。


 大事そうに。


 元の場所へ戻した。


 その時。


「ふふっ」(琥珀)


「ん?」(リノ)


 振り向くと。


 そこには。


 琥珀と。


 ラファお姉ちゃんが立っていた。


「琥珀お姉ちゃん!」(リノ)


「おはよう。リノちゃん」(琥珀)


「おはようございます。リノちゃん」(ラファ)


「おはよう!」(リノ)


 リノは。


 二人のところへ。


 駆け寄る。


「見た!?」(リノ)


「うん」(琥珀)


「三人の制服、並んでたね」(琥珀)


「うしし!」(リノ)


 リノは。


 嬉しそうに。


 笑った。


「母ちゃんが直してくれた!」(リノ)


「よかったね。リノちゃん」(琥珀)


「うん!」(リノ)


 琥珀も。


 並んだ制服へ。


 目を向ける。


 その中でも。


 リノの制服を見る。


「…………」(琥珀)


 前に見た時とは。


 違う。


 今のリノに合わせて。


 きちんと。


 整えられている。


「子供は、すぐ大きくなるからねぇ」(ノーラ)


「…………」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 ちらり。


 琥珀を見る。


「ん?」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


「なに?」(琥珀)


「いいえ。なんでもないわ」(ラファ)


「…………?」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴくり。


 動く。


「おう。朝から元気だな」(グラン)


 声に。


 三人が。


 振り向く。


「父ちゃん、おはよう!」(リノ)


「おう。おはよう」(グラン)


「おはようございます。グランさん」(琥珀)


「おはようございます」(ラファ)


「ああ。二人とも、おはよう」(グラン)


 その後ろから。


 ベルグも。


 姿を見せる。


「おはようじゃ」(ベルグ)


「ベルグじい、おはよう!」(琥珀)


「おはようございます。ベルグさん」(ラファ)


「おはよう、ベルグじい!」(リノ)


「うむ!」(ベルグ)


 続いて。


 ロクスが。


 眠そうに。


 やってくる。


「……朝から元気だなぁ」(ロクス)


「ロクス、おはよう!」(リノ)


「おはよう、ロクス」(琥珀)


「おはようございます」(ラファ)


「ああ。おはよう」(ロクス)


 そして。


 絵描きさんも。


 板挟みを抱えて。


 顔を見せた。


「皆さん、おはようございます」(絵描きさん)


「おはよう!」(リノ)


「おはようございます」(琥珀)


「おはようございます」(ラファ)


「おはようさん」(ノーラ)


 朝の挨拶が。


 ひとつ。


 またひとつ。


 家の中へ。


 重なっていく。


「ほらほら」(ノーラ)


「みんな起きたなら、朝ご飯にするよ!」(ノーラ)


「はーい!」(リノ)


 やがて。


 食卓には。


 朝の料理が。


 次々と並んだ。


 みんなが。


 それぞれ。


 席へ着く。


「いただきます!」(リノ)


「いただきます」(琥珀)


 朝の食卓が。


 始まった。


 リノは。


 ぱく。


 ぱく。


 嬉しそうに。


 料理を口へ運んでいく。


 琥珀も。


 負けないように。


 朝ご飯を食べていた。


「おかわり!」(リノ)


「リノちゃん、早い!」(琥珀)


「琥珀お姉ちゃんも食べる?」(リノ)


「食べる!」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


「朝から二人とも元気ね」(ラファ)


 しばらくして。


「ふぅー」(リノ)


 リノが。


 満足そうに。


 お腹へ手を当てた。


「満腹、満腹!」(リノ)


「わたしもー」(琥珀)


 琥珀も。


 満足そうに。


 息をつく。


「…………」(ロクス)


 そんな二人を。


 ロクスが。


 じっと見る。


「なーに?」(リノ)


「いや」(ロクス)


 ロクスは。


 口元を。


 少しだけ。


 上げた。


「そんなに食って大丈夫かと思ってな」(ロクス)


「え?」(琥珀)


「せっかく可愛い制服があるのに」(ロクス)


「食べすぎて腹が出たら、着れなくなるぞ」(ロクス)


「…………」(琥珀)


「…………」(リノ)


 二人が。


 同時に。


 ロクスを見る。


「ロクス、サイテ〜」(琥珀)


「ロクス、ひどーい」(リノ)


「なんでだよ!?」(ロクス)


「ふふっ」(ラファ)


「ははは!」(ベルグ)


「がははは!」(グラン)


「二人に同時に言われてるじゃないか」(ノーラ)


「ちょっと待て!」(ロクス)


「俺は心配してやっただけだろ!」(ロクス)


「そんな心配いらないもん」(リノ)


「そうだよ!」(琥珀)


 琥珀が。


 自分のお腹を。


 そっと見る。


「…………」(琥珀)


 少しだけ。


 触ってみる。


「琥珀ちゃん?」(ラファ)


「だ、大丈夫」(琥珀)


「ロクスの言うことなんて、気にしなくていいのよ」(ラファ)


「うん!」(琥珀)


「聞こえてるぞ!」(ロクス)


 また。


 笑い声が。


 朝の食卓へ。


 広がった。


 やがて。


 朝食が終わる。


「よし!」(リノ)


 リノが。


 勢いよく。


 立ち上がった。


「母ちゃん!」(リノ)


「なんだい?」(ノーラ)


「もう着ていい!?」(リノ)


「ちゃんと手を洗ってからね」(ノーラ)


「うん!」(リノ)


 リノは。


 すぐに。


 駆け出そうとして。


「走らない!」(ノーラ)


「おっと!」(リノ)


 ぴたり。


 止まる。


「…………」(リノ)


 そして。


 今度は。


 歩き出す。


 けれど。


 その足取りは。


 どう見ても。


 弾んでいた。


「ふふ」(琥珀)


 琥珀も。


 席を立つ。


「じゃあ、わたしたちも着替えよっか」(琥珀)


「ええ」(ラファ)


「うん!」(リノ)


 三人は。


 手を洗い。


 きれいに拭いてから。


 並んで掛けられた。


 風月の制服へ。


 向かっていった。


 それぞれの制服を手に取り。


 リノの部屋へ入る。


 扉を閉めると。


 リノは。


 風月の制服を。


 両手で。


 そっと持ち上げた。


「…………」(リノ)


 さっきまでの。


 弾んだ足取りとは違う。


 いざ。


 袖を通すとなると。


 少しだけ。


 緊張していた。


「リノちゃん?」(琥珀)


「ん?」(リノ)


「どうしたの?」(琥珀)


「……なんか」(リノ)


 リノは。


 制服を見る。


「ドキドキする」(リノ)


「ふふっ」(琥珀)


「大丈夫だよ」(琥珀)


「ノーラさんが、ちゃんと直してくれたんだから」(琥珀)


「うん」(リノ)


 リノは。


 小さく頷いた。


 そして。


 今度こそ。


 制服へ。


 腕を通していく。


「…………」(リノ)


 片方。


 もう片方。


 袖から。


 手が出る。


「……入った」(リノ)


 リノが。


 小さくつぶやく。


 肩を。


 少し動かす。


 腕を。


 曲げてみる。


「…………!」(リノ)


 きつくない。


 前のように。


 身体につかえることもない。


「琥珀お姉ちゃん!」(リノ)


「うん!」(琥珀)


「着れた!」(リノ)


「着れたね!」(琥珀)


「うしし!」(リノ)


 さっきまでの。


 緊張した顔が。


 一気に。


 明るくなる。


 今のリノの身体に合わせて。


 整えられた制服。


 袖も。


 肩も。


 胸元も。


 胴まわりも。


 無理なく。


 身体へ馴染んでいる。


 スカートは。


 膝より少し下まで。


 今までより。


 少し短くなっていた。


「動きやすそうだね」(琥珀)


「うん!」(リノ)


 リノは。


 その場で。


 足を。


 少し動かしてみる。


「これなら走れる!」(リノ)


「リノちゃん」(琥珀)


「ん?」(リノ)


「今日は走っちゃダメだよ?」(琥珀)


「えー」(リノ)


「絵を描いてもらうんだから」(琥珀)


「……はーい」(リノ)


 少しだけ。


 残念そうに。


 返事をする。


「ふふ」(ラファ)


 その声に。


 二人が。


 振り向く。


 ラファお姉ちゃんも。


 風月の制服へ。


 着替え終えていた。


「わぁ……」(リノ)


 リノが。


 目を輝かせる。


「ラファお姉様、やっぱり似合う!」(リノ)


「ありがとう。リノちゃん」(ラファ)


「琥珀お姉ちゃんも!」(リノ)


「えへへ」(琥珀)


 琥珀も。


 自分の制服姿を。


 少しだけ。


 見下ろす。


「三人一緒だね」(琥珀)


「うん!」(リノ)


 リノは。


 嬉しそうに。


 二人を見る。


 けれど。


 琥珀が。


 リノの頭を見て。


「あっ」(琥珀)


「なに?」(リノ)


「リノちゃん、ちょっとこっち来て」(琥珀)


「ん?」(リノ)


 リノが。


 琥珀の前へ。


 近づく。


「せっかくだから、髪も結ぼうよ」(琥珀)


「髪?」(リノ)


「うん」(琥珀)


 琥珀は。


 リノの髪へ。


 そっと手を伸ばす。


「絵も描いてもらうんだし」(琥珀)


「ちょっとだけ、おめかし」(琥珀)


「…………」(リノ)


「嫌?」(琥珀)


「ううん!」(リノ)


 リノは。


 すぐに。


 首を横へ振る。


「やって!」(リノ)


「ふふ。じゃあ、じっとしててね」(琥珀)


「うん!」(リノ)


 琥珀は。


 リノの髪を。


 優しく。


 手で整えていく。


「…………」(リノ)


 さっきまで。


 じっとしていられなかったリノが。


 今は。


 おとなしく。


 琥珀に。


 髪を任せている。


「痛くない?」(琥珀)


「大丈夫」(リノ)


「じゃあ、ここを……」(琥珀)


 髪を。


 まとめて。


 結んでいく。


 最後に。


 形を。


 少し整える。


「よし」(琥珀)


「できた!」(琥珀)


「ほんと?」(リノ)


「うん。可愛いよ」(琥珀)


「うしし」(リノ)


 リノは。


 照れたように。


 笑った。


 それから。


 少しだけ。


 自分の制服を見る。


「…………」(リノ)


 タイを見る。


 リボンを見る。


 髪へ。


 そっと触れる。


 そして。


 ラファお姉ちゃんを見る。


「ラファお姉様」(リノ)


「なあに?」(ラファ)


「……どう?」(リノ)


 さっきまでとは違う。


 少しだけ。


 小さな声。


 ラファお姉ちゃんは。


 リノを。


 ゆっくりと見る。


 そして。


 優しく。


 微笑んだ。


「とても可愛いわ」(ラファ)


「…………!」(リノ)


 リノの頬が。


 少しだけ。


 緩む。


「ほんと?」(リノ)


「ええ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 リノの前へ。


 そっと近づく。


「でも」(ラファ)


「ん?」(リノ)


「もう少しだけ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんの手が。


 リノの胸元へ。


 伸びる。


 少しだけ。


 曲がっていたタイを。


 優しく整える。


 それから。


 リボンも。


 指先で。


 形を整えていく。


「…………」(リノ)


「はい」(ラファ)


「これで、もっと素敵になったわ」(ラファ)


「うしし……」(リノ)


 リノは。


 嬉しそうに。


 笑った。


「あっ」(琥珀)


「どうしたの? 琥珀ちゃん」(ラファ)


「わたしたちも!」(琥珀)


 琥珀は。


 まだ残っていた。


 二つのリボンを見る。


「これ、忘れちゃだめだよ」(琥珀)


「ふふ。そうね」(ラファ)


 琥珀と。


 ラファお姉ちゃんは。


 おそろいのリボンを。


 それぞれ。


 手に取った。


「ラファお姉ちゃん」(琥珀)


「ええ」(ラファ)


 二人は。


 顔を見合わせる。


 そして。


 おそろいのリボンを。


 それぞれ。


 身につけた。


「…………」(リノ)


 リノが。


 二人を見比べる。


「おそろいだ!」(リノ)


「うん!」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


 琥珀は。


 ラファお姉ちゃんのリボンを見る。


 少しだけ。


 傾いている。


「ラファお姉ちゃん、ちょっと待って」(琥珀)


「あら?」(ラファ)


 琥珀が。


 そっと。


 ラファお姉ちゃんのリボンへ。


 手を伸ばす。


「こっちが、ちょっとだけ……」(琥珀)


 形を。


 優しく。


 整える。


「はい!」(琥珀)


「ありがとう。琥珀ちゃん」(ラファ)


「ふふっ」(琥珀)


 すると。


 今度は。


 ラファお姉ちゃんが。


 琥珀を見る。


「あら」(ラファ)


「ん?」(琥珀)


「琥珀ちゃんも」(ラファ)


「えっ?」(琥珀)


 ラファお姉ちゃんの手が。


 琥珀のリボンへ。


 伸びる。


「ここを、少しだけ」(ラファ)


「…………」(琥珀)


 優しい指先が。


 リボンを。


 整えていく。


「はい。これで大丈夫」(ラファ)


「ありがとう。ラファお姉ちゃん」(琥珀)


「どういたしまして」(ラファ)


「…………」(リノ)


 リノは。


 そんな二人を。


 じっと見ていた。


 そして。


 自分の。


 整えてもらったリボンへ。


 そっと触れる。


「うしし」(リノ)


 三人とも。


 準備ができた。


「じゃあ」(琥珀)


「そろそろ、みんなのところ行こっか」(琥珀)


「…………」(リノ)


「リノちゃん?」(琥珀)


「う、うん」(リノ)


 返事はした。


 けれど。


 さっきまでの勢いが。


 少しだけ。


 なくなっている。


「もしかして」(琥珀)


「恥ずかしくなってきた?」(琥珀)


「…………ちょっと」(リノ)


「ふふっ」(琥珀)


「大丈夫だよ」(琥珀)


「わたしも一緒だから」(琥珀)


「私もいるわ」(ラファ)


「…………うん!」(リノ)


 三人は。


 部屋を出る。


 そして。


 みんなが待つ場所へ。


 向かっていった。


「お待たせー!」(琥珀)


 最初に。


 姿を見せたのは。


 琥珀だった。


「おっ」(グラン)


「着替えたか」(ロクス)


「ふふん」(琥珀)


 琥珀は。


 腰へ手を当てる。


 そして。


 もう片方の手を。


 ロクスへ。


 びしっ。


 と向けた。


「ロクス!」(琥珀)


「なんだよ」(ロクス)


「ちゃんと着れたよ!」(琥珀)


「いや、お前の制服が着れないなんて言ってねぇだろ!」(ロクス)


「お腹も大丈夫!」(琥珀)


「まだ気にしてたのかよ!」(ロクス)


「ふふっ」(ラファ)


 琥珀の後ろから。


 ラファお姉ちゃんが。


 姿を見せる。


「おお」(ベルグ)


 ベルグが。


 嬉しそうに。


 二人を見る。


「やはり二人とも、よう似合っておるな」(ベルグ)


「ありがとう。ベルグじい」(琥珀)


「ありがとうございます。ベルグさん」(ラファ)


「…………」(リノ)


 けれど。


 もう一人。


 まだ。


 姿を見せない。


「ん?」(グラン)


「リノはどうした?」(グラン)


「リノちゃん」(琥珀)


 琥珀が。


 振り返る。


 そこには。


 ラファお姉ちゃんの後ろへ。


 少しだけ。


 隠れるようにしている。


 リノがいた。


「…………」(リノ)


「おいおい」(グラン)


「さっきまで、あんなに着たがってたじゃねぇか」(グラン)


「だ、だって……」(リノ)


「みんなに見られると、なんか恥ずかしい」(リノ)


「ふふ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 少しだけ。


 身体を横へずらす。


「大丈夫よ」(ラファ)


「…………」(リノ)


 リノは。


 みんなを見る。


 そして。


 一歩。


 前へ出る。


「おお!」(グラン)


 グランの顔が。


 一気に。


 明るくなる。


「似合ってるじゃねぇか!」(グラン)


「ほんとか!?」(リノ)


「ああ!」(グラン)


「母ちゃん!」(リノ)


「ちゃんと似合ってるよ」(ノーラ)


「うしし」(リノ)


 リノが。


 少しだけ。


 照れながら笑う。


 ベルグも。


 そんなリノを。


 嬉しそうに見る。


「ははは!」(ベルグ)


「風月に、新しい看板娘が増えたな!」(ベルグ)


「看板娘?」(リノ)


「うむ!」(ベルグ)


「琥珀に、ラファ」(ベルグ)


「そして、リノじゃ!」(ベルグ)


「…………」(リノ)


 リノは。


 琥珀を見る。


 ラファお姉ちゃんを見る。


 そして。


 自分の制服を見る。


「うしし」(リノ)


 さっきまでの。


 恥ずかしさが。


 少しだけ。


 ほどけていく。


 リノは。


 もう一歩。


 みんなの前へ出た。


「…………」(琥珀)


 琥珀は。


 そんなリノを。


 静かに見ていた。


 昨日。


 制服を身体へ当てた時は。


 嬉しくて。


 何度も。


 くるくると回っていた。


 けれど。


 今は。


 違った。


 リノは。


 ゆっくりと。


 身体を回す。


 くるり。


 膝下までの。


 スカートの裾が。


 その動きに合わせて。


 ふわり。


 揺れた。


 そして。


 みんなの方へ。


 もう一度。


 身体を向ける。


「…………」(リノ)


 リノは。


 スカートの裾を。


 両手で。


 ほんの少しだけ。


 持ち上げた。


 そして。


 ぺこり。


 小さく。


 お辞儀をした。


「…………」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴん。


 と立つ。


「リノちゃん、可愛い!」(琥珀)


「うしし!」(リノ)


 今度は。


 恥ずかしそうに。


 それでも。


 とても嬉しそうに。


 リノは。


 笑った。


「では」(絵描きさん)


 絵描きさんが。


 板挟みと。


 紙を手に取った。


「そろそろ、始めましょうか」(絵描きさん)


「うん!」(琥珀)


「はい」(ラファ)


「…………うん!」(リノ)


 琥珀は。


 辺りを見回す。


 そして。


 一脚の椅子へ。


 目を留めた。


「リノちゃん」(琥珀)


「ん?」(リノ)


「ここに座ってもらってもいい?」(琥珀)


「ここ?」(リノ)


「うん」(琥珀)


 リノは。


 椅子へ。


 そっと腰を下ろした。


 その隣へ。


 琥珀が立つ。


 反対側には。


 ラファお姉ちゃん。


 真ん中に。


 リノ。


 その左右に。


 琥珀と。


 ラファお姉ちゃん。


 三人そろって。


 風月の制服。


「…………」(リノ)


 リノは。


 背筋を。


 ぴん。


 と伸ばした。


「…………」(琥珀)


 なぜか。


 琥珀も。


 ぴん。


 と伸びている。


「ふふ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんだけが。


 いつものように。


 柔らかく微笑んでいた。


「…………」(ロクス)


 ロクスが。


 三人を見る。


 そして。


 琥珀と。


 椅子に座ったリノを。


 見比べる。


「おっ」(ロクス)


「ん?」(琥珀)


「琥珀」(ロクス)


「なに?」(琥珀)


 ロクスが。


 にやり。


 と笑った。


「ちょうどいい高さになったな」(ロクス)


「…………」(琥珀)


「ロクス!!」(琥珀)


「なんだよ!」(ロクス)


「それ、どういう意味!?」(琥珀)


「そのままの意味だよ!」(ロクス)


「むぅ~~!」(琥珀)


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっ。


 と立つ。


「ふふ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんが。


 二人を見て。


 小さく笑う。


 そして。


 椅子に座ったリノを見る。


「それでは」(ラファ)


「ん?」(琥珀)


「私も、少しかがみましょうか」(ラファ)


「え?」(リノ)


 ラファお姉ちゃんは。


 そう言うと。


 少しだけ。


 身体をかがめた。


 すっ。


「…………」(リノ)


 ラファお姉ちゃんの顔が。


 近づく。


「…………!」(リノ)


 もう少し。


 近づく。


 思っていたより。


 ずっと。


 近い。


「わはぁ~~!?」(リノ)


「えっ!?」(琥珀)


「あら?」(ラファ)


 ぽふっ。


 リノの顔が。


 一気に。


 真っ赤になった。


 そして。


 その顔から。


 湯気が。


 ふわぁ。


 と上がる。


「リ、リノちゃん!?」(琥珀)


「どうしたの?」(ラファ)


「ち、近い!」(リノ)


「あら」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんは。


 きょとん。


 と。


 目を丸くした。


「ごめんなさい」(ラファ)


「ち、違う!」(リノ)


「嫌じゃない!」(リノ)


「え?」(ラファ)


「わはぁ~~!」(リノ)


 また。


 湯気が。


 ふわぁ。


 と上がった。


「ぶっ!」(ロクス)


「ロクス!」(琥珀)


「いや、これは無理だろ!」(ロクス)


「がははは!」(グラン)


「まったく」(ノーラ)


 ノーラも。


 口元へ手を添えながら。


 笑っている。


「ははは!」(ベルグ)


「リノも、ずいぶん可愛らしい顔をするようになったのう!」(ベルグ)


「ベルグじいまでー!」(リノ)


「ふふっ」(琥珀)


「琥珀お姉ちゃんも笑った!」(リノ)


「だ、だって!」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


「ラファお姉様も!」(リノ)


 三人の間に。


 笑い声が。


 広がった。


 さっきまでの。


 固さは。


 もう。


 どこにもない。


「…………」(絵描きさん)


 さら。


 さら。


 絵描きさんの。


 ペンが。


 紙の上を走る。


 そして。


 その手が。


 少しだけ。


 速くなった。


 さらさら。


 さらさら。


「もう、ロクスのせいだからね!」(琥珀)


「なんで俺なんだよ!」(ロクス)


「最初に言ったのロクスでしょ!」(琥珀)


「うしし!」(リノ)


「リノちゃんまで笑ってる!」(琥珀)


「だって、琥珀お姉ちゃんの顔!」(リノ)


「ええっ!?」(琥珀)


「ふふ」(ラファ)


 ラファお姉ちゃんも。


 楽しそうに。


 二人を見ている。


 リノは。


 椅子に座ったまま。


 琥珀を見上げて。


 笑う。


 琥珀も。


 そんなリノを見て。


 笑い返す。


 ラファお姉ちゃんは。


 二人のそばで。


 優しく。


 微笑んでいる。


「…………」(絵描きさん)


 その瞬間を。


 絵描きさんは。


 見逃さなかった。


 さらさら。


 さらさら。


 紙の上へ。


 三人の姿が。


 残されていく。


 少しして。


 絵描きさんの手が。


 ゆっくりと。


 止まった。


「はい」(絵描きさん)


「出来ました」(絵描きさん)


「えっ!?」(琥珀)


「もう!?」(リノ)


「はい」(絵描きさん)


「見せて見せて!」(琥珀)


 三人が。


 絵描きさんのそばへ。


 集まる。


「…………!」(琥珀)


 そこに。


 描かれていたのは。


 緊張で固かった二人の表情が。


 すっかりほどけた。


 三人の姿だった。


 椅子に座り。


 楽しそうに笑うリノ。


 その隣で。


 リノを見ながら。


 一緒になって笑う琥珀。


 そして。


 二人のそばで。


 優しく微笑んでいるラファお姉ちゃん。


 三人とも。


 風月の制服を着て。


 それぞれのリボンを。


 身につけている。


「わぁ……」(琥珀)


「…………」(リノ)


「素敵ね」(ラファ)


「これ……」(リノ)


 リノが。


 絵へ。


 顔を近づける。


「わたし、笑ってる」(リノ)


「わたしも」(琥珀)


「最初は、お二人とも、とても緊張していましたから」(絵描きさん)


「えっ」(琥珀)


「二人とも?」(リノ)


「はい」(絵描きさん)


「…………」(琥珀)


「…………」(リノ)


 二人が。


 顔を見合わせる。


「リノちゃんの方がカチカチだったよ」(琥珀)


「琥珀お姉ちゃんもだぞ!」(リノ)


「わたしは、リノちゃんほどじゃないもん!」(琥珀)


「同じだった!」(リノ)


「ふふ」(ラファ)


「お二人とも、とてもよく似ていたわ」(ラファ)


「ラファお姉ちゃん!?」(琥珀)


「ラファお姉様まで!?」(リノ)


「ふふふ」(ラファ)


 また。


 笑い声が。


 広がった。


 その時。


「絵描きよ!」(グラン)


「はい?」(絵描きさん)


 グランが。


 ずい。


 と。


 前へ出た。


「頼みがある!」(グラン)


「あなた?」(ノーラ)


「俺と!」(グラン)


 自分を。


 指差す。


「ノーラ!」(グラン)


「私?」(ノーラ)


 そして。


「リノ!」(グラン)


「わたし?」(リノ)


 最後に。


 三人を。


 まとめるように。


 大きな手を広げる。


「三人の絵も、頼めるか!」(グラン)


「…………!」(リノ)


「もちろん、お代はしっかり出す!」(グラン)


「ちょっと、あなた!」(ノーラ)


「なんだよ」(グラン)


「いきなり何言ってるんだい」(ノーラ)


「いいだろ!」(グラン)


 グランは。


 楽しそうに笑う。


「せっかく絵描きがいるんだ」(グラン)


「三人そろって描いてもらうなんて、そうそう出来ねぇぞ」(グラン)


「…………」(ノーラ)


 ノーラは。


 グランを見る。


 それから。


 リノを見る。


「…………」(リノ)


「母ちゃん」(リノ)


「…………まったく」(ノーラ)


 ノーラは。


 小さく息をつく。


 けれど。


 その口元は。


 笑っていた。


「仕方ないねぇ」(ノーラ)


「やった!」(リノ)


「がはは!」(グラン)


「絵描きさん、どうだ?」(グラン)


「もちろんです」(絵描きさん)


「描かせてください」(絵描きさん)


「よし!」(グラン)


 グランは。


 嬉しそうに。


 大きく頷いた。


 今度は。


 グランと。


 ノーラと。


 リノが。


 並ぶ。


 真ん中には。


 リノ。


 その左右に。


 グランと。


 ノーラ。


「父ちゃん、でかいなー」(リノ)


「今さらか?」(グラン)


「だって並ぶと余計にでかい!」(リノ)


「がはは!」(グラン)


「ほら、あなた」(ノーラ)


「ん?」(グラン)


「絵を描いてもらうんだから、もう少しちゃんとしな」(ノーラ)


「ちゃんとしてるだろ?」(グラン)


「どこがだい」(ノーラ)


「がはは!」(グラン)


「もう」(ノーラ)


「うしし」(リノ)


 絵描きさんが。


 そんな三人を見る。


 そして。


 また。


 ペンを走らせ始めた。


 さら。


 さら。


「…………」(リノ)


 リノは。


 そっと。


 右を見る。


 父ちゃん。


 左を見る。


 母ちゃん。


 いつも。


 そこにいた。


 二人。


「…………」(リノ)


 少し離れたところには。


 琥珀お姉ちゃん。


 ラファお姉様。


 ベルグじい。


 ロクス。


 そして。


 みんながいる。


 リノは。


 もう一度。


 父と。


 母を見る。


「…………」(リノ)


 胸の奥に。


 小さな気持ちが。


 浮かんだ。


 もっと。


 見てみたい。


 この村の外を。


 琥珀お姉ちゃんたちが。


 歩いてきた場所を。


 まだ。


 自分の知らないものを。


「…………」(リノ)


 外へ。


 出てみたい。


 それは。


 まだ。


 誰にも。


 言葉にはしなかった。


 けれど。


 小さく芽生えた気持ちは。


 消えずに。


 リノの胸の中へ。


 残った。


「リノ?」(ノーラ)


「ん?」(リノ)


「どうしたんだい?」(ノーラ)


「ううん」(リノ)


 リノは。


 首を横に振る。


「なんでもない!」(リノ)


 そして。


 笑った。


「…………」(絵描きさん)


 さら。


 さら。


 その笑顔も。


 紙の上へ。


 残されていく。


 やがて。


「出来ました」(絵描きさん)


「おお!」(グラン)


 グランが。


 真っ先に。


 絵描きさんのところへ向かう。


「見せてくれ!」(グラン)


「はい」(絵描きさん)


「…………」(グラン)


「…………」(ノーラ)


「…………」(リノ)


 そこには。


 三人がいた。


 大きな身体で。


 楽しそうに笑うグラン。


 その隣で。


 呆れたように。


 けれど。


 優しく笑うノーラ。


 そして。


 二人の間で。


 嬉しそうに笑うリノ。


「おお……」(グラン)


 グランの声が。


 少しだけ。


 小さくなる。


「いいな」(グラン)


「ああ」(ノーラ)


「いい絵だね」(ノーラ)


「うしし」(リノ)


 リノも。


 嬉しそうに。


 絵を見つめた。


「絵描きさん!」(グラン)


「はい」(絵描きさん)


「約束どおり、代金は――」(グラン)


「いえ」(絵描きさん)


「ん?」(グラン)


 絵描きさんは。


 出来上がった絵を。


 そっと。


 グランへ差し出した。


「こちらを」(絵描きさん)


「…………?」(グラン)


「昨晩、一晩泊めていただいた宿代として」(絵描きさん)


「受け取っていただけませんか?」(絵描きさん)


「なに?」(グラン)


「ちょっと待て」(グラン)


「それじゃあ、俺が頼んだ意味が――」(グラン)


「ふふ」(ノーラ)


「いいじゃないか」(ノーラ)


「ノーラ?」(グラン)


「この人がそうしたいって言ってるんだ」(ノーラ)


「…………」(グラン)


 グランは。


 絵を見る。


 絵描きさんを見る。


 もう一度。


 絵を見る。


「…………分かった」(グラン)


 大きな手で。


 その絵を。


 大事そうに受け取った。


「ありがとな」(グラン)


「はい」(絵描きさん)


「でも」(グラン)


「ん?」(絵描きさん)


「次はちゃんと払わせろよ!」(グラン)


「ふふ。分かりました」(絵描きさん)


「がはは!」(グラン)


 また。


 みんなが。


 笑った。


 少しして。


 二枚の絵が。


 並べられた。


 一枚には。


 風月の制服を着た。


 三人。


 椅子に座った。


 リノ。


 その左右には。


 琥珀と。


 ラファお姉ちゃん。


 自然に。


 笑い合う。


 三人の姿。


 そして。


 もう一枚には。


 グランと。


 ノーラと。


 リノ。


 三人の。


 家族の姿。


「…………」(リノ)


 リノは。


 二枚の絵を。


 じっと見つめる。


 どちらにも。


 自分がいる。


 ひとつは。


 ずっと。


 自分を育ててくれた。


 大切な家族。


 もうひとつは。


 自分の知らなかった世界を。


 見せてくれた。


 大切な二人。


「…………」(リノ)


 リノの胸の奥には。


 さっき芽生えた。


 小さな気持ちが。


 まだ。


 残っていた。


 けれど。


 今は。


 まだ。


 誰にも言わない。


「うしし」(リノ)


 リノは。


 二枚の絵を見ながら。


 嬉しそうに。


 笑った。


 二枚の絵には。


 それぞれ。


 違う時間が。


 描かれている。


 けれど。


 その真ん中には。


 どちらにも。


 同じ笑顔があった。

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