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第66話

 家の中へ足を踏み入れると。


 琥珀は、まず抱えていた包みを卓の端へそっと置いた。


 それから、はっとして頭へ手を伸ばす。


「あっ」


 被っていた帽子を脱ぐ。


 帽子から外へ出ていた猫耳が。


 ぴこ。


 ぴこぴこ。


 何度か嬉しそうに動いた。


「ふふ。やっと帽子を脱げたわね」


「うん」


 琥珀は帽子を両手で抱えながら、改めて部屋の中を見回した。


「……懐かしい」


 壁も。


 窓も。


 並んでいる家具も。


 以前訪れた時と、大きくは変わっていない。


 けれど。


「あっ!」


 琥珀の猫耳が、ぴんっと立った。


 壁に、一枚の絵が飾られている。


 琥珀と。


 ラファお姉ちゃん。


 二人が描かれた、以前この家へ送った絵だった。


「飾ってくれてる!」


「もちろん!」


 リノが嬉しそうに胸を張る。


「ずっとここに飾ってるんだよ」


「えへへ……」


 琥珀は照れくさそうに笑いながら、もう一度その絵を見る。


 隣では、ラファお姉ちゃんもやわらかく微笑んでいた。


「大切にしてくれていたのね」


「うん!」


「おーい。いつまでも入口で立ってないで、こっちに来たらどうだ」


 家の奥から、大きな声が聞こえた。


「あっ、父ちゃん」


 奥から姿を見せたグランへ。


 琥珀の顔が、ぱっと明るくなる。


「グランさん!」


「おお、琥珀。久しぶりだな」


「お久しぶりです!」


「元気そうだな」


「はい!」


 ラファお姉ちゃんも、グランへ笑顔を向ける。


「お久しぶりです、グランさん」


「ラファも久しぶりだな」


「ええ。またお会いできて嬉しいです」


 そしてグランの視線が。


 後ろから入ってきたロクスたちへ移る。


「ロクスも、ベルグも。よく来たな」


「ああ。世話になる」


「久しぶりじゃのう」


 グランはさらに、絵描きさんへも目を向けた。


「絵描きさんも一緒だったか」


「はい。今回は私もご一緒させていただきました」


「ははっ。ずいぶん賑やかになったな」


「あなた。まずはみんなを座らせてあげたら?」


「ああ、そうだったな」


 ノーラに言われて。


 グランがみんなへ座るよう手で示す。


「まあ、ゆっくりしてくれ」


「ありがとうございます」


 それぞれが荷物を置き。


 ようやく腰を落ち着ける。


 琥珀も、両手で抱えていた帽子を壁の掛け具へそっと掛けた。


 けれど。


 琥珀だけは。


 卓に置いていた包みをもう一度手に取り。


 まだ、大事そうに抱えていた。


「琥珀お姉ちゃん」


「ん?」


「それ、さっき持ってきたやつだよね?」


「うん」


「もしかして……わたしの?」


「えへへ」


 琥珀の猫耳が、嬉しそうに動く。


「そうだよ」


「ほんと!?」


「まずね――」


 琥珀は抱えていた包みを近くの卓へ置いた。


 その中から、小さな袋を一つ手に取る。


「これは、リノちゃんに」


「わたしに?」


「うん。開けてみて」


 琥珀から受け取った小さな袋を。


 リノは嬉しそうに両手で持つ。


 そして。


 そっと、その口を開いた。


「……わぁ!」


 中から出てきたのは。


 街で見つけて。


 リノに似合いそうだと思い、琥珀が選んだリボンだった。


「かわいい!」


「リノちゃんに似合うかなって思って」


「琥珀お姉ちゃんが選んでくれたの?」


「うん!」


 リノは袋から取り出したリボンを嬉しそうに眺めて。


 大切そうに胸元へ抱えた。


「ありがとう!」


「どういたしまして」


「それとね」


 次に琥珀が取り出したのは。


 小さな包みだった。


 包みを開くと。


 中から、いくつもの猫の形をしたクッキーが顔をのぞかせる。


「わぁっ! 猫さん!」


「えへへ。わたしが作ったんだよ」


「琥珀お姉ちゃんが!?」


「うん。リノちゃんに持っていこうと思って」


 リノは一つひとつの猫型クッキーを、目を輝かせながら眺める。


「かわいい……」


「食べてね?」


「……ちょっともったいない」


「ええっ!?」


「でも食べる!」


「食べるんだ」


 そのやり取りに。


 部屋の中へ笑い声が広がる。


 そして。


 卓の上には、もう一つ。


 まだ開けられていない紙袋が残っていた。


「……これは?」


「あっ。これね」


 琥珀が紙袋を持ち上げる。


 その表には。


『リノさんへ』


 と書かれていた。


「マーレさんから預かってきたの」


「……マーレさん?」


 リノが、きょとんとする。


「誰?」


 すると。


「マーレから!?」


 少し離れたところにいたグランが、驚いた声を上げた。


「はい」


「まさか、マーレがリノにまで何か用意してくれたのか」


「父ちゃん、マーレさんのこと知ってるの?」


「ああ。風月にいた時に世話になったんだ」


「へえ……!」


 リノはもう一度、紙袋を見る。


「その人が、わたしに?」


「うん。『リノさんへ』って」


 琥珀は紙袋を、リノの前へそっと差し出した。


「わたしも中身は見てないんだ」


「開けてもいい?」


「もちろん!」


 リノは紙袋を受け取る。


 少し不思議そうに。


 それ以上に、わくわくした顔で。


 その口へ手をかけた。


 琥珀の猫耳も。


 何が入っているのだろうと気になるように。


 ぴこり。


 リノの手元へ向いた。


 リノは受け取った紙袋を、両手で持ち直した。


「……なんだろう」


 まずは袋越しに。


 そっと、中身へ触れてみる。


 やわらかい。


 けれど。


 思っていたよりも、ずっと厚みがあった。


「……やわらかい?」


「やわらかいの?」


「うん。でも……なんか、いっぱい入ってる」


「いっぱい?」


 琥珀の猫耳が、ぴくっと動いた。


「なにかな、なにかな〜」


 気になって仕方がないらしく。


 琥珀は紙袋の横から、そっと中を覗き込もうとする。


「まだ見ちゃだめ」


「ええ〜」


 リノは楽しそうに笑うと。


 紙袋の口を開いた。


 そして。


 ゆっくりと手を中へ入れていく。


「……ん?」


 指先に触れたものを。


 確かめるように、そっとなぞる。


 やわらかな布。


 何枚も重なっているような感触。


 さらに奥へ手を入れた、その時。


「……これは!」


「えっ!? なになに!?」


 リノの目が、大きく開いた。


 その横では。


 琥珀が一気に身を乗り出す。


 猫耳も、ぴんっ。


 しっぽまで、そわそわと揺れ始めた。


「リノちゃん、なに入ってるの?」


「ちょ、ちょっと待って!」


「気になる〜!」


 覗き込みたくて仕方がない琥珀を横に。


 リノは紙袋の中で、やわらかな布をしっかりと掴んだ。


 そして。


 ゆっくりと引っぱり出していく。


 最初に見えたのは。


 見覚えのある色合いの布。


 続いて。


 フリル。


 袖。


 そして。


 ふわりと広がるスカート。


「……わぁ〜!」


 その瞬間。


 リノの顔が、ぱあっと明るくなった。


 目をいっぱいに輝かせて。


 満面の笑顔になる。


「これ……!」


「えっ、えっ!?」


 琥珀も、ようやく紙袋から出てきたものを見る。


 そして。


 猫耳が、さらにぴんっと立った。


「風月の制服!?」


「わぁ〜! 琥珀お姉ちゃんたちとお揃いだ!」


 リノは嬉しそうに、制服を両手いっぱいに広げた。


「すごい……! かわいい!」


 それから。


 広げた制服を、そのまま自分の胸元へ当てる。


「どう? 琥珀お姉ちゃん!」


「うん! 絶対似合うよ!」


「ほんと!?」


「ほんとほんと!」


 その言葉を聞くと。


 リノはますます嬉しそうに笑った。


 そして。


 制服を胸元へ当てたまま。


 くるり。


 もう一度。


 くるくる。


 楽しそうに、その場で回り始める。


「わぁ〜!」


 まだ袖すら通していないのに。


 リノの動きに合わせて。


 制服のスカート部分が、ふわりと広がった。


 ひら。


 ふわっ。


 まるで。


 もう着て踊っているみたいに。


「ふふ。リノちゃん、本当に嬉しそうね」


「だって、琥珀お姉ちゃんとラファお姉様とお揃いなんだよ!」


「えへへ」


 琥珀のしっぽも。


 リノの動きにつられるように、楽しそうに揺れていた。


 リノはもう一度、自分の胸元へ当てた制服を見下ろす。


 そして。


 ぱっと顔を上げた。


「ちょっと着てくるから、待ってて~~~~~!」


「えっ、今から!?」


「うん!」


 返事をした次の瞬間。


 リノは制服を大事そうに抱えたまま。


 ぱたぱたと部屋の奥へ駆けていく。


「リノちゃん、急がなくて大丈夫だよー!」


「すぐ戻る~~~!」


 廊下の向こうから。


 元気な声だけが返ってきた。


 やがて。


 ぱたん。


 部屋の扉が閉まる音がする。


 琥珀は、その方向を見つめながら。


 猫耳をぴこりと動かした。


「……すごく喜んでくれたね」


「ええ」


 ラファお姉ちゃんも。


 嬉しそうに微笑んでいた。


「マーレさんも、あの顔を見たらきっと喜ぶでしょうね」


「……あ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 琥珀の頭の中に。


 マーレの顔が、はっきりと浮かんだ。


 きらーん。


 そんな音まで聞こえてきそうなくらいに目を輝かせ。


 制服姿のリノを上から下まで眺めて。


 きっと、あれこれ言いながら興奮するに違いない。


「……あはははっ」


「琥珀ちゃん?」


「だ、だって……マーレさん、絶対すごい顔するよ……」


 想像してしまうと。


 もう駄目だった。


「あはははっ……!」


 琥珀は少し苦笑しながら。


 目尻に浮かんだ笑い涙を、指先でそっと拭った。


「ふふ。私も想像できるわ」


「でしょ?」


 まだ少し笑いを残したまま。


 琥珀は、リノが着替えに向かった部屋の方を見る。


 そんな二人の様子を見ていたグランが。


 ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば」


「はい?」


「また、どうして急にこっちへ来たんだ?」


 グランは琥珀たちを見回した。


「何かあったのか?」


「……えっ」


 その問いに。


 琥珀の猫耳が、ほんの少しだけ動いた。


 夢の中で見た。


 塞ぎ込んでいた、あの子。


 そして。


 リノから届いた手紙に書かれていたこと。


 山の方から来る、少し冷たい風。


 それらが。


 琥珀の胸の奥へ、静かに浮かんでくる。


 けれど。


 今はまだ。


 そのことを口には出さなかった。


「えっとね」


 琥珀は少しだけ考えてから。


 いつものように笑った。


「馬力車ができたから、その確認もしたかったんです」


「確認?」


「はい。まだ長い距離を、ちゃんと走ったことがなかったから」


 琥珀は窓の外へ。


 停めてある馬力車の方をちらりと見る。


「リノちゃんのところまでなら、道を走りながらいろいろ確認できるかなって」


「なるほどな」


「それに……」


 琥珀の表情が。


 少しだけやわらかくなる。


「リノちゃんに会いたかったから」


 猫耳が、ほんの少し照れたように動いた。


「ずっと会いたかったし。手紙ももらってたから」


「それで、みんなで来たのか」


「はい!」


 琥珀は元気よく頷いた。


「馬力車のテストもできて、リノちゃんにも会えるなら、一緒に行こうってなったんです」


「そうか」


 グランは納得したように頷く。


「まあ、リノもずっと会いたがってたからな」


「ほんとですか?」


「ああ」


 グランが少し楽しそうに笑った。


「手紙が届いてからは、ずっと『会いたいな〜』『かわいいな〜』って言ってたんだぞ」


「えっ!?」


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっと立った。


「そ、そんなに!?」


「ははっ。本人には言うなよ」


「えへへ……」


 琥珀は少し照れたように笑う。


 しっぽも。


 嬉しさを隠せないように、ゆらゆらと揺れていた。


 その一方で。


 琥珀の胸の奥には。


 まだ誰にも話していないことが残っていた。


 夢の中の、あの子。


 リノから届いた手紙。


 そして。


 山の方から来る。


 少し冷たい風。


 琥珀はそれを。


 今はまだ。


 静かに胸の内へしまっていた。


 しばらくして。


 部屋の奥から。


「こはくおねえちゃ〜ん……」


 今にも泣きそうな声が聞こえてきた。


「えっ!?」


 琥珀の猫耳が、ぴんっと立つ。


 みんなが声のした方へ目を向けると。


 壁の向こうから。


 ぴょこん。


 リノの顔だけが、そっと覗いた。


 頬を赤らめて。


 なんとも困ったような。


 今にも泣き出しそうな顔をしている。


「リ、リノちゃん?」


「うぅ……」


 リノは何も言わず。


 ちらり。


 部屋の中へ視線を向けた。


 ロクス。


 ベルグ。


 グラン。


 そして、絵描きさん。


 その瞬間。


 琥珀が、はっとする。


 猫耳が。


 ぴーーーーんっ!


「男ども!! 玄関の方に向いて!!!!」


「お、おう!?」


「な、なんじゃ!?」


「俺もか!?」


 突然の声に。


 男たちは慌てて玄関の方へ身体を向ける。


 けれど。


「何があったんだ?」


 ロクスが。


 ほんの少しだけ振り返りかけた。


 その瞬間。


「男たちは、あっち向きな!」


「はいっ!」


 ぴしゃり。


 さっきまで。


「あらあら」と笑いながら、みんなを見守っていたノーラの声が。


 一瞬で変わった。


 場を仕切る。


 有無を言わせない、女将の声。


 ロクスの馬耳が。


 びくんっと跳ねる。


 身体もそのまま。


 くるっ。


 玄関の方へ戻った。


 ベルグも。


 グランも。


 絵描きさんも。


 誰一人として振り返らない。


「……あっ」


 琥珀の猫耳が、またぴんっと立つ。


 その声。


 その立ち姿。


 覚えている。


 風月で初めて会った時の。


 あのノーラだった。


「初めて会った時のノーラさんだ……」


「何か言ったかい?」


「い、いえっ!」


 琥珀は、ぶんぶんと首を振る。


 けれど。


 その顔は、どこか安心していた。


「ノーラさん、お願いしますっ!」


「はいはい。任せな」


「こ、琥珀お姉ちゃぁん……」


 また。


 奥から半泣きの声が飛んでくる。


「今行くからね!」


 琥珀とラファお姉ちゃんが、急いでリノのところへ向かう。


 ノーラも、そのあとへ続いた。


 部屋へ入ると。


 ノーラが扉を閉める。


 そこでようやく。


 琥珀たちは、リノの姿をきちんと見ることができた。


「うえ〜ん……」


 制服の袖には。


 どうにか両腕を通している。


 けれど。


 そこから先が、うまくいっていなかった。


 手首まで届くはずだった袖は。


 今のリノが着ると。


 肘と手首の間あたりまでしか届いていない。


 肩まわりも。


 胸元から胴まわりも。


 以前のリノを思って作られた制服では。


 今の身体には少し小さい。


「入らないよぉ……」


 リノは今にも泣きそうな顔で。


 袖を通した制服を見下ろした。


「せっかく……お揃いなのに……」


「だ、大丈夫だからね!」


 琥珀の猫耳が。


 心配そうに、ぺたっと傾く。


「無理に引っぱらなかった?」


「うん……怖かったから、途中でやめた……」


「それならよかったわ」


 ラファお姉ちゃんが。


 ほっとしたように微笑む。


「リノ。一度そのまま見せてごらん」


「うん……」


 リノが。


 おそるおそる身体の向きを変える。


 琥珀も改めて、その姿を見る。


「……あ」


 玄関先でも。


 自分より背が高くなったことには驚いた。


 けれど。


 こうして近くで見ると。


 それだけではなかった。


 肩も。


 腕も。


 身体全体が。


 あの頃より、ちゃんと成長している。


「リノちゃん……ほんとに大きくなったんだね」


「え?」


「だって、前はわたしより小さかったのに……」


 琥珀は。


 リノを上から下まで、もう一度見る。


「大きく……」


 そこで。


 ふと。


 視線が止まった。


「…………」


 リノを見る。


 それから。


 自分を見る。


 もう一度。


 リノを見る。


「……大きく……」


 猫耳が。


 ゆっくりと横へ倒れていった。


「琥珀ちゃん?」


「……なんでもない」


 琥珀は、そっと視線を逸らす。


 頬が。


 ほんの少しだけ赤かった。


「?」


 リノは。


 何のことなのか分からないように首を傾げている。


 その横で。


 ラファお姉ちゃんだけが。


 琥珀の様子を見て、少しだけ笑った。


「ほらほら。比べるのはあとにしな」


「えっ!? べ、別に比べてないですよ!?」


「そうかい?」


「そうですっ!」


 猫耳が。


 今度はぴんっと立つ。


 ノーラは小さく笑うと。


 改めてリノの制服へ視線を戻した。


「さて……」


 上から。


 下まで。


 じっくり見る。


 そして。


 制服の裾を軽く持ち上げた。


「スカートの丈は……これは、このままでいいね」


「このまま?」


「ああ。もともとの予定より短くはなったけど、変じゃないよ」


 今度は。


 胸元へ視線を移す。


「ここは元から開いた作りだから……少し位置を調整してやれば……」


「……?」


 ノーラの声が。


 少しずつ独り言のようになっていく。


「背中は……全部閉じようとしなくてもいいか」


 指先が。


 背中側を確かめる。


「閉じないところは、ここにリボンを足して……結べるようにすれば……」


「おお……」


 琥珀の猫耳が。


 ノーラの指の動きを追うように、ぴこぴこと動く。


「うん。それなら余裕も作れるね」


 続いて。


 短くなった袖へ目を向ける。


「袖は……あえてこのままでも悪くないけど……」


 少し摘まんで。


 位置を確かめる。


「ここを少し調整してやれば、もう少し自然にできそうだね」


「ほんと!?」


 半分泣きそうだったリノの顔が。


 ぱっと明るくなる。


「ほんとほんと」


 けれど。


 ノーラはもう。


 リノの返事よりも。


 制服の仕立て方へ意識が向いているようだった。


「ここを少し逃がして……背中はリボン……胸元は位置を……袖は……うん……」


 ぶつぶつ。


 ぶつぶつ。


 制服を見ながら。


 頭の中で。


 今のリノに合わせた形を組み立てていく。


 そんな母の姿を見ながら。


 リノの表情も。


 少しずつ笑顔へ戻っていった。


 琥珀とラファお姉ちゃんも。


 顔を見合わせて。


 ほっとしたように笑った。


「……そうだ」


 ノーラは、何かを思い出したように顔を上げた。


「少し待ってな」


 そう言って、ノーラは一度部屋を出る。


 扉を開けると、玄関の方を向いたままの男たちが、まだ少し緊張した空気で立っていた。


「大丈夫か?」


 グランが、振り返らないまま尋ねる。


「ああ、大丈夫だよ。ちょいと成長しすぎて、入らなかっただけさ」


 ノーラは、いつもの調子でそう答えた。


「お客様方も、すまないね。もうこっちは大丈夫だから、楽にしておくれ」


「お、おう……」


「う、うむ……」


「ありがとうございます……」


 ロクスたちが、ようやく肩の力を抜く。


 ノーラはその横を通り、先ほどの卓に置かれていた紙袋を手に取った。


「服を出したにしては、まだ袋に厚みがあったからね」


 そう言って、ノーラは紙袋を持って部屋へ戻ってきた。


「母ちゃん?」


「ちょっと待ちな」


 ノーラは紙袋の中を、もう一度確かめた。


 袋の奥から出てきたのは。


 きれいに畳まれた、何枚かの布だった。


「布……?」


「ああ」


 さらに。


 その下から、小さく折り畳まれた手紙が出てくる。


「あら。手紙も入ってるね」


「マーレさんから?」


「そうみたいだね」


 ノーラが手紙を開く。


 そこには。


『子どもの成長は早いからね。


 もし何かあった時に使えるように、余りの布も一緒に入れておきます。


 グランから、ノーラは裁縫が得意だと聞いているので、何かあったらお願いするよ』


 そう書かれていた。


「……ふふ」


「なんて書いてあったの?」


 ノーラは手紙を畳みながら。


 半分泣きそうだったリノへ笑いかける。


「リノ。大丈夫だよ、安心しな」


「……ほんと?」


「ああ」


 ノーラは。


 一緒に入っていた余り布を広げてみせた。


「マーレが、こういう時のためにちゃんと余りの布まで入れてくれてる」


「わたしが大きくなってても大丈夫なように……?」


「そういうことだね」


「……!」


 リノの顔が。


 ぱあっと明るくなる。


「それに」


 ノーラは手紙を、もう一度ちらりと見る。


「まったく。グランのやつ、私が裁縫できることまで話してたんだね」


 少し呆れたように言いながらも。


 その口元は笑っていた。


「これだけ布があれば、さっき考えてた直し方もできるよ」


「ほんと!?」


「ああ。だからもう、そんな泣きそうな顔しなさんな」


「よかったぁ……」


 リノは。


 今度こそ安心したように、大きく息を吐いた。


 そんな姿を見ながら。


 琥珀の猫耳も。


 ほっとしたように、ふわりと力を抜いた。


「それじゃあ」


 ノーラは、余り布と手紙を紙袋へ戻すと。


 リノの制服を、もう一度じっと見た。


「服を直すのもそうだけど、ご飯の前にお風呂へ入ってきな」


「お風呂?」


「ああ」


 ノーラは当然のように頷く。


「そのあとで、ちょっと手伝ってもらうからね」


「は、はい」


「仕立て直しは少し時間がかかるよ」


 そして。


 琥珀とラファお姉ちゃんへ視線を向ける。


「琥珀たちもしばらくはいるんだろ?」


「は、はいっ」


「ええ。そのつもりです」


「なら大丈夫だね」


 ぱん。


 ノーラが軽く手を叩いた。


「じゃあ三人とも。ご飯ができるまでに、お風呂へ入っておいで」


「はーい!」


「は、はい!」


 返事をしながら。


 琥珀は、そっとラファお姉ちゃんを見る。


 ラファお姉ちゃんも。


 少しだけ目を丸くしていた。


「……ラファお姉ちゃん」


「なあに、琥珀ちゃん」


「さっきまでの、あらあらって笑ってたノーラさん……どこに行ったの?」


「ふふ……」


 ラファお姉ちゃんは。


 答える代わりに、小さく笑った。


 リノも。


 そんな二人を見ながら、少し困ったように笑っている。


「母ちゃん、昔からああだから……」


「そうなんだ……」


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ横へ倒れた。


「じゃあ、私は先に戻ってるからね」


「はーい」


 ノーラが部屋を出る。


 ぱたん。


 扉が閉まった。


 そして。


 ほんの少しして。


「あ〜な〜た〜」


 扉の向こうから。


 よく通る声が聞こえた。


 部屋の中の三人が。


 ぴたりと止まる。


「……グランさん?」


「たぶん」


「三人がお風呂に入ってる間に、お手伝いしてくださる〜?」


 少し間があって。


「は、はいっ!!」


 びくっ。


 そんな音まで聞こえてきそうな返事だった。


「……」


「……」


「……」


 三人の間に。


 なんとも言えない沈黙が落ちる。


 一方。


 部屋の外では。


 グランが、さっきよりさらに背筋を伸ばしていた。


 ロクス。


 ベルグ。


 絵描きさん。


 三人も、何となく姿勢を正している。


「あらあら」


 そんな三人に気づくと。


 ノーラの声が。


 ころりと変わった。


「すみませんね。お客様は、どうぞゆっくりしていてください」


「お、おう……」


「う、うむ……」


「ありがとうございます……」


 さっきまでの女将の声は。


 どこへ行ったのか。


 そこにいるのは。


 また、いつものようにやわらかく笑うノーラだった。


 部屋の中でその声を聞いた琥珀が。


 猫耳をぴこりと動かす。


「……戻った」


「戻ったわね」


「母ちゃんだもん」


 三人は。


 顔を見合わせると。


 とうとう、くすくすと笑い始めた。


 三人は。


 ノーラに言われたとおり。


 そのまま、お風呂へ向かうことになった。


「こっちこっち!」


「うん!」


 先を歩くリノのあとを。


 琥珀とラファお姉ちゃんがついていく。


 そして。


 風呂場の扉を開けた瞬間。


「わぁ〜!」


 琥珀の猫耳が。


 ぴんっと立った。


「ここのお風呂も懐かしい〜!」


「覚えてる?」


「もちろん!」


 琥珀は。


 きょろきょろと風呂場の中を見回す。


 以前来た時と。


 大きくは変わっていない。


 それだけで。


 なんだか、ほっとする。


「ふふ。琥珀ちゃん、嬉しそうね」


「だって、ほんとに懐かしいんだもん」


「うしし。じゃあ今日はゆっくり入ろう!」


「うん!」


 三人は。


 それぞれ準備を済ませると。


 湯船へ入っていく。


「はぁ〜……」


 肩まで湯に浸かった琥珀が。


 気持ちよさそうに息を吐く。


 猫耳も。


 力が抜けたように、ふわりと横へ傾いていた。


「気持ちいい〜……」


「ふふ。旅のあとだものね」


「うん」


 湯船の真ん中には琥珀。


 その片側には、リノ。


 反対側には、ラファお姉ちゃん。


 三人並んで。


 のんびりと湯に浸かる。


 しばらくして。


 琥珀は、何気なく隣へ顔を向けた。


 そこには。


 リノ。


「……あ」


「どうしたの?」


「ううん……」


 さっき。


 制服を合わせている時にも思った。


 リノは。


 本当に大きくなった。


 背も。


 腕も。


 身体つきも。


 以前とは。


 もう全然違う。


「リノちゃん……ほんとに大きくなったね」


「えへへ」


「前は、わたしより小さかったのに……」


「今は、わたしの方が大きいね」


「……うん」


 琥珀の猫耳が。


 少しだけ横へ倒れる。


 そして。


 もう一度。


 リノを見る。


 次に。


 反対側へ顔を向ける。


 ラファお姉ちゃん。


「……?」


「…………」


 右を見る。


 リノ。


 左を見る。


 ラファお姉ちゃん。


 そして。


 自分を見る。


「…………」


「琥珀ちゃん?」


「……なんでもない」


 猫耳が。


 ゆっくりと横へ倒れていく。


「琥珀お姉ちゃん?」


「……年下なのに」


「え?」


「なんでもないもん……」


 琥珀は。


 すうっと。


 湯の中へ沈んでいった。


 口元が。


 水面のすぐ近くまで下がる。


 ぶくぶくぶく……。


「こ、琥珀お姉ちゃん?」


「琥珀ちゃん?」


 ぶくぶく……。


 琥珀は。


 湯の中から。


 じーっとリノを見る。


 それから。


 ラファお姉ちゃんを見る。


 最後に。


 自分を見る。


 ぶくぶくぶく……。


「どうしたの?」


 リノが。


 本当に分からないように首を傾げる。


 すると。


 ラファお姉ちゃんが。


 なんとなく察したように、小さく笑った。


「琥珀ちゃん」


「……なに」


 少しくぐもった声が返る。


「成長の仕方は、人それぞれよ」


「……わかってるもん」


 ぶくぶく。


「でも……」


 琥珀は。


 ほんの少しだけ顔を上げた。


「わたしも、もうちょっと大きくなりたいなぁ……」


「身長?」


「……それも」


「それも?」


「…………」


 琥珀の頬が。


 少しずつ赤くなる。


 右を見る。


 リノ。


 左を見る。


 ラファお姉ちゃん。


 そして。


 もう一度、自分を見る。


「……いろいろ」


「?」


 リノは。


 やっぱり分からないように。


 首を傾げた。


「でも」


「ん?」


「琥珀お姉ちゃん、かわいいよ?」


「…………」


 一瞬。


 琥珀が固まった。


 そして。


 すうっ。


 今度は鼻の近くまで。


 湯の中へ沈んでいく。


 ぶくぶくぶく……。

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