第60話
「おーい!」
聞き覚えのある声に、琥珀が振り向いた。
街道の少し先。
道端の木陰で荷物を下ろして休んでいたらしい男が、大きく片手を振っていた。
煤の跡が残る作業着。
頭の上には、ぴんと立った虎の耳。
「あっ」
帽子の耳穴から出ていた琥珀の耳も、つられるようにぴんと立つ。
「ラファお姉ちゃん、あの人!」
「うん。前に会った炭鉱夫さんだね」
ラファお姉ちゃんが、琥珀の肩越しに街道の先を見る。
虎族の炭鉱夫の少し後ろには、もう一人。
大きな荷物のそばに腰を下ろしていた猪族の炭鉱夫も立ち上がり、こちらを見ていた。
「見たことある顔だな」
前から、少し思い出すようなロクスの声が飛んでくる。
「うん! 前に風車の修繕を手伝ってくれた人たち!」
「ああ……そういやいたな。止めるぞ」
「うん」
返事をすると、琥珀は座席の縁へ置いていた手に少し力を入れた。
ロクスは、声をかけられたからといって足を急に止めなかった。
一歩。
もう一歩。
少しずつ歩幅を狭めていく。
肩紐の動きに合わせて、床下の駆動の子も働き方をゆっくりと弱めていった。
ころ、ころ、と続いていた車輪の音が、小さくなる。
最後にロクスが短く一歩を踏み――馬力車は街道の端で静かに止まった。
「よし」
ロクスが肩越しに後ろを確かめる。
ベルグもすぐには降りず、座席から車輪のあたりへ目を向けた。
「止まり方はどうじゃ?」
「急に引っ張られた感じはねえ。腰も大丈夫だ」
「ならよし。せっかくじゃ、ここで少し休むかの」
その声を聞いてから、琥珀はようやく肩の力を抜いた。
すると、街道の先から大きな笑い声が飛んでくる。
「ははは! やっぱりロクスじゃねえか!」
虎族の炭鉱夫が、こちらへ歩いてきた。
その視線は馬力車を見ていたはずなのに、なぜか真っ先にロクスへ向いている。
「見慣れねえ馬力車が来たと思ったが、お前が引いてりゃ遠くからでも分かるな!」
「なんで馬力車より先に俺で分かるんだよ」
「そりゃ、お前が目立つからだ!」
「うるせえ」
「がははは!」
ロクスの耳が、わずかに横へ向いた。
それでも本気で嫌がっているわけではないらしく、歩いてきた虎族の炭鉱夫を追い払おうとはしない。
少し遅れて、猪族の炭鉱夫もやってきた。
「しかしまあ……ずいぶん変わったもん引いてるじゃねえか」
「俺が作ったんじゃねえぞ」
「分かってる。お前にこんな細かいもん作れるとは思ってねえ」
「喧嘩売ってんのか?」
「がははは! 買うな買うな!」
琥珀は思わず、口元をゆるめた。
前に会った時と変わらない。
大きな声で笑って、ロクスには遠慮なく声をかける。
そんな二人の様子を見ていると、街道の途中で立ち止まっただけなのに、少しだけ懐かしい場所へ戻ってきたような気がした。
猪族の炭鉱夫が、馬力車の横へ回る。
車輪。
座席。
床下。
それから、ロクスの肩へ伸びる紐。
順番に眺めたあと、その視線が後ろの座席へ移った。
「で、こいつを作ったのは――」
ベルグと目が合う。
「……ああ」
「なんじゃ」
「爺さんがいるなら納得だ」
「どういう意味じゃ、それは」
「また面白そうなもん作ったなって意味だよ」
「まだ作っとる途中じゃ」
「途中?」
「道の上で見んと分からんこともあるからの。今日はその確認も兼ねとる」
「なるほどなあ」
虎族の炭鉱夫も馬力車へ近づき、興味深そうに覗き込む。
その時だった。
「あれ?」
視線がベルグから、その前の座席へ移る。
琥珀と目が合った。
「こんにちは!」
「こんにちは」
一拍遅れて、虎族の炭鉱夫の目が丸くなる。
「……って、嬢ちゃんたちも乗ってんのか!?」
大きな声に、琥珀の耳がぴくっと揺れた。
「うん!」
琥珀は、少しだけ胸を張った。
自分で作ったわけでもないのに、馬力車に乗っているところを見てもらえたことが、なんだか嬉しい。
「わたしたちも乗せてもらってるの」
「へえ……」
虎族の炭鉱夫は、琥珀とラファお姉ちゃんを見てから、改めて馬力車へ目を向けた。
「前に会った時は、嬢ちゃんたち歩いてただろ?」
「歩いてたよ」
「それが今じゃ、こんなもんに乗ってるんだからなあ」
「まだ、これで大丈夫って決まったわけじゃないんです」
ラファお姉ちゃんが、座席の端へ手を添えた。
「今日は、実際に道を進みながら確かめています」
「なるほどな」
猪族の炭鉱夫が、今度はロクスへ目を向ける。
「引いてる方はどうだ?」
「腰に返ってくる感じは、まだ少しある」
ロクスは肩紐の位置を確かめるように、片手で軽く触れた。
「だが、前の馬力車よりはましだ」
「なら、無理に距離を稼がねえ方がいいな」
「そのつもりだ」
ロクスは前を向いたまま、短く息を吐いた。
「急がねえ。ちゃんと着きゃいい」
その言葉に、琥珀は小さく頷いた。
リノちゃんには、早く会いたい。
けれど、急いで途中で止まってしまったら意味がない。
馬力車を作ってきた間にも、何度もそんな話をしてきた。
「うん。ちゃんと着くのが一番だもんね」
「ああ」
虎族の炭鉱夫が、そんな二人を見てから街道の先へ視線を向けた。
「じゃあ、これから村の方へ行くのか?」
「うん。リノちゃんのところへ」
「ああ、グランの嬢ちゃんか」
「うん!」
「そうか」
虎族の炭鉱夫は、それ以上は聞かなかった。
代わりに空を見上げる。
高いところに薄い雲が少し浮かんでいるだけで、街道にはまだ明るい日差しが落ちていた。
「今日なら進みやすい方だな」
「地面も乾いてるしな」
「それなら、予定どおり無理せず進めそうですね」
「じゃな」
ベルグも空を一度見てから頷いた。
猪族の炭鉱夫が、自分たちの荷物を置いている木陰を顎で示した。
「せっかく止まったんだ。少し休んでけよ」
「水も飲んどいた方がいいぞ」
琥珀はラファお姉ちゃんを見る。
「休憩する?」
「うん。ちょうどいいと思うよ、琥珀ちゃん」
「俺も少し肩を休ませる」
「なら決まりじゃな」
虎族の炭鉱夫は、木陰へ戻ろうとして――ふと足を止めた。
「そういや、今夜はどこで休むつもりなんだ?」
琥珀が首をかしげる。
「今夜?」
「ああ。この先まで行くなら、ちょうどいい場所があるぞ」
その一言に、琥珀の耳がぴんと前を向いた。
「どんなところ?」
「ここからもう少し先だ」
虎族の炭鉱夫は街道の向こうへ腕を伸ばし、その先を指した。
「ずっと街道を行って、少しだけ脇へ外れるところがある。旅人が休んだり、俺たちが帰りに一晩寝たりする場所だ」
「街道から外れるの?」
「ほんの少しだけだ。山ん中へ入るような道じゃねえよ」
琥珀は、ほっとするように肩の力を抜いた。
ラファお姉ちゃんは虎族の炭鉱夫が指した方向を見ながら、静かに頷く。
「馬力車でも入れそうですか?」
「入り口までは問題ねえと思う。ただ、街道みたいに真っ平らじゃないぞ」
「それなら、着いてから一度見た方がよさそうですね」
「そうじゃな」
ベルグも同じ方向を眺める。
「無理そうなら、手前で止めればよい。まず見てからじゃ」
「それでいい」
短く答えたロクスは、肩紐を外して少し肩を回した。
急いで先へ進む様子はない。
その姿を見て、虎族の炭鉱夫が満足そうに頷いた。
「それならちょうどいい。今日は空もいいからな」
「空?」
琥珀が顔を上げる。
木の枝の隙間から見える空は青く、高いところを薄い雲がゆっくり流れていた。
「今夜、晴れたままなら星がきれいだぞ」
「星……」
その一言で、琥珀のしっぽの動きが少しだけ止まった。
夜。
静かな空。
隣にいたラファお姉ちゃん。
ずっと前のことではないはずなのに、あの時見上げた星空だけは、今でも胸の奥に残っていた。
琥珀は隣を見る。
「ラファお姉ちゃん」
「うん」
ラファお姉ちゃんも、すぐに意味が分かったように琥珀を見る。
「覚えてるよ」
「わたしも」
それだけで十分だった。
虎族の炭鉱夫は、二人のやり取りを不思議そうに見るでもなく、そのまま話を続ける。
「街道の灯りがあるところでも星は見えるがな。少し離れると、空の暗さが変わるんだ」
「暗くなるのに、見えやすくなるの?」
「ああ。周りが暗い分、上の光がよく見える」
「へえ……」
琥珀はもう一度、昼の空を見上げた。
今はまだ太陽の光しか見えない。
けれど、同じ空が夜になったらどう変わるのか。
そう思うだけで、耳が少し前へ向く。
「行ってみたいな」
「琥珀ちゃんがそうしたいなら、今夜の休憩候補にしてみようか」
「うん!」
ぱた、としっぽが座席の横で揺れた。
リノちゃんに会いに行くこと。
馬力車を確かめながら進むこと。
それだけでも、今日の道にはちゃんと意味がある。
でも、その途中で星を見る時間まで増えるのなら。
旅の道は、目的地へ向かうためだけにあるわけではないのかもしれない。
そんなことを思っていると、すぐ近くで紙を擦る音がした。
琥珀が見ると、絵描きさんが小さな紙へ鉛筆を走らせていた。
「何を描いてるんですか?」
「今の空と、皆さんです」
「まだ星は出てないよ?」
「だからこそです。今は、これから見に行く時の顔ですから」
琥珀は少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「それも描くんですね」
「はい。こういうところも、覚えておきたいので」
その横で、猪族の炭鉱夫が腕を組んだ。
「星もいいがな」
どこか得意そうな声だった。
「俺なら、あそこの楽しみはもう一つあると思うぞ」
琥珀の耳が、今度は猪族の炭鉱夫へ向いた。
「もう一つ?」
「ああ」
猪族の炭鉱夫は、にやりと笑う。
「あそこには小川がある」
「小川?」
「キャンプする場所のすぐそばだ。大きい川じゃねえが、水はきれいだぞ」
「へえ……」
琥珀のしっぽが、また小さく揺れ始める。
「前に通った時にな」
猪族の炭鉱夫は、何かを思い出したように片手を上げた。
「水面が、ぴしゃっと跳ねたんだ」
「跳ねた?」
「魚だよ」
「魚!」
今度は耳までぴんと立った。
「そうだ。小さいやつだったが、ぴょんと跳ねやがってな」
猪族の炭鉱夫が、両手で魚が飛び出すような真似をする。
「それ見ちまったらよ」
少し間を置いて、胸を張った。
「釣りたくなるだろ?」
琥珀は目をぱちぱちさせた。
「……なるの?」
「なる!」
即答だった。
虎族の炭鉱夫が、横から吹き出す。
「お前だけだろ」
「なんだと。魚が跳ねてるの見て、何も思わねえのか?」
「腹は減るな」
「なら同じだ!」
「どこがだよ」
琥珀は、二人のやり取りを見ながらくすっと笑った。
猪族の炭鉱夫は気にした様子もなく、自分たちの荷物の方へ戻る。
「それでな」
置いてあった荷物の横から、細長いものを一本引っ張り出した。
「次に通る時は絶対やってやろうと思って、こいつを用意した」
「それって……」
「釣竿だ」
立派な飾りが付いているわけではない。
細い木を整え、手に馴染むよう削っただけの簡素な竿。
ところどころに使い込んだ跡があり、猪族の炭鉱夫が実際に何度か使ったことが分かる。
「もう釣ったことあるの?」
「あるぞ」
「釣れた?」
「……まあな」
少しだけ返事が遅れた。
虎族の炭鉱夫が横から口を挟む。
「小せえの一匹な」
「言うな!」
「しかも、ずいぶん粘ったよな」
「時間の話はしてねえだろ!」
琥珀の口元が、また緩んだ。
猪族の炭鉱夫は少しむっとした顔をしていたが、すぐに笑う。
「まあ、いい」
そう言って、釣竿を琥珀の方へ差し出した。
「ほら、嬢ちゃん。これやるよ」
「えっ?」
琥珀は、自分を指差した。
「わたしに?」
「ああ」
「でも、これ……使ってるんでしょ?」
「俺はまた作りゃいい」
猪族の炭鉱夫は、なんでもないことのように笑った。
「せっかくあそこまで行くんだ。魚がいたら試してみな」
琥珀は釣竿と猪族の炭鉱夫を交互に見る。
「いいの?」
「いいって言ってんだろ」
琥珀はそっと両手を伸ばし、差し出された釣竿を受け取った。
「ありがとう!」
「おう!」
琥珀が嬉しそうに竿を眺めていると、猪族の炭鉱夫が急に声を落とした。
「ただしな」
「?」
少しだけ身を屈め、秘密を教えるように顔を寄せる。
「グランには内緒な!」
「え?」
「がはははは!」
言った本人が、一番大きな声で笑った。
虎族の炭鉱夫が額へ手を当てる。
「そんなでけえ声で言ってりゃ、そのうち本人の耳まで届くぞ」
「その時はその時だ!」
「内緒にする気ねえだろ」
「気持ちの問題だ!」
琥珀はとうとう我慢できず、声を上げて笑った。
「ふふっ……分かった。内緒にするね」
「よし!」
「琥珀ちゃん」
ラファお姉ちゃんが、笑いながらも琥珀へ声をかける。
「釣りをするなら、水辺では足元に気をつけようね」
「うん!」
「そうだぞ」
さっきまで大笑いしていた猪族の炭鉱夫も、そこだけは真面目な顔になる。
「川がきれいでも、濡れた石は滑る。夢中になって足元を忘れんなよ」
「分かった」
「水も、そのまま飲むなら勝手に決めるなよ。使うならちゃんと確かめてからだ」
「はい」
ラファお姉ちゃんが頷いた。
琥珀は、もう一度手の中の釣竿を見る。
使い込まれた細い木。
特別きれいな飾りがあるわけでもない。
それなのに、さっきまで持っていなかったものが一つ増えただけで、この先の道まで少し違って見える気がした。
「釣れるかな」
「それは魚に聞け!」
「魚に?」
「がははは!」
琥珀のしっぽが、楽しそうに左右へ揺れた。
さらさら、と鉛筆の音がした。
横を見ると、絵描きさんの紙には、さっきまでなかった一本の釣竿が増えていた。
大きな手から、琥珀の手へ渡される、その途中の形。
「そこも描いたんですね」
「はい」
絵描きさんは短く答えて、最後にほんの少しだけ線を足した。
釣竿を受け取る琥珀の頭には、ぴんと立った二つの耳。
「……耳、こんなになってた?」
「なっていましたよ」
「ほんと?」
琥珀が自分の耳へ手を伸ばす。
隣でラファお姉ちゃんが、くすっと笑った。
「琥珀ちゃん、かなり嬉しそうだったからね」
「ラファお姉ちゃんまで……」
そう言いながらも、座席の横で揺れるしっぽまでは止められなかった。
絵描きさんは紙を閉じる。
「さて、そろそろ見るかの」
ベルグは座席から少し身を乗り出した。
車輪。
その上の板バネ。
床下の駆動の子。
荷物を押さえている紐。
降りずに見える範囲を、一つずつ確かめていく。
「大きなずれはなさそうじゃ」
「板バネは?」
「動いとる。揺れそのものは残っとるが、ちゃんと角は丸めとるようじゃ」
「よかった」
「まだ長い道はこれからじゃ。安心するには早いぞ」
「はーい」
琥珀の耳が少し横へ倒れる。
ラファお姉ちゃんも、座席の周りへ目を向けた。
水袋。
包み布。
道具袋。
小さな油瓶。
どれも大きくずれた様子はない。
最後に、琥珀が持っている釣竿へ視線を移す。
「琥珀ちゃん、その竿も動く前に置く場所を決めようか」
「ここじゃだめ?」
琥珀は膝の上へ釣竿を置いてみせる。
「ずっと持っているなら大丈夫だけど、揺れた時に手を離したら危ないからね」
「あっ、そっか」
琥珀は座席の横を見る。
「じゃあ、ここ?」
「うん。横に寝かせて、他の荷物とぶつからないようにしよう」
琥珀は釣竿をそっと座席の横へ置いた。
ラファお姉ちゃんが、荷物を押さえている紐の一部を使い、竿が転がらない程度に軽く固定する。
「強く締めなくていいの?」
「動かなければ十分だよ。締めすぎて折れたら大変だから」
「なるほど……」
琥珀は固定された竿へ軽く指を触れた。
ころがる様子はない。
「これなら大丈夫そう!」
「うん」
前では、ロクスが一度大きく肩を回していた。
続けて腰を軽くひねる。
「どうじゃ、ロクス」
「休んだ分、肩は楽になった」
「腰は?」
「返ってくる感じはまだある」
ロクスは腰へ片手を当てた。
「だが、このままなら行ける」
「無理そうならすぐ止まるんじゃぞ」
「分かってる」
虎族の炭鉱夫が、そのやり取りを見ながら街道の先へ腕を伸ばした。
「キャンプするなら、このまましばらく真っすぐ行け」
琥珀たちの視線が、その指の先へ集まる。
「左側に、少し木々が開けたところが見えてくる。そこから街道を外れればいい」
「遠い?」
「ここからなら、そんなにかからねえよ」
猪族の炭鉱夫も横から指を立てる。
「近くまで行けば、小川の音が聞こえる」
「小川の音?」
「ああ。静かなところだから分かる」
猪族の炭鉱夫は、にやっと笑った。
「魚が跳ねりゃ、もっと分かりやすいけどな!」
「そんな都合よく跳ねるの?」
「そこは魚次第だ!」
「また魚任せかよ」
「がははは!」
また大きな笑い声が、街道に響いた。
琥珀もつられて笑う。
「教えてくれてありがとう」
「おう。今日は空もいい。ゆっくり行けよ」
「竿、なくすなよ!」
「なくさないよ!」
「あと、グランには――」
「もういいって!」
「がはははは!」
琥珀は、釣竿がちゃんと固定されているのをもう一度確かめた。
ラファお姉ちゃんも水袋と荷物を見てから、前を向く。
絵描きさんは鉛筆と紙をしまい、ベルグも座席から身を乗り出していた体を戻した。
「そろそろ行くぞ」
「うん!」
「大丈夫です」
「こっちもよしじゃ」
「はい」
ロクスが前を向く。
肩紐へ、少しずつ力がかかった。
その動きに合わせるように、床下の駆動の子も目を覚ます。
ロクスが、一歩を踏み出した。
「じゃあなー!」
「魚、釣れよー!」
後ろから二人の声が飛んでくる。
琥珀は座席から振り向き、大きく手を振った。
「またねー!」
ころり、と車輪が回る。
もう一つ。
さらにもう一つ。
木陰に立つ虎族と猪族の炭鉱夫の姿が、少しずつ遠くなっていった。
座席の横には、もらったばかりの釣竿。
この先には、小川がある。
夜になれば、街道の灯りから離れた星空も見えるという。
馬力車の車輪が、もう一度ゆっくりと回り始めた。
次に向かうのは、街道のそばにある、小川と星空の場所だった。




