第17話
朝。
風月の鐘亭は、すでに賑やかだった。
「さてと――」
女将が、腕を組んで二人を見る。
「そうと決まれば、まずは何をしてもらうか、だね」
琥珀とラファが、思わず背筋を伸ばす。
「「……ごくり」」
女将は、じっと琥珀を見る。
「まずは……見た目よし!」
「えっ」
「猫族かい?……いや、ちょっと違うかね」
軽く首を傾げて、すぐに笑う。
「ま、いいさ」
「猫耳よし!しっぽよし!今どき珍しい青い毛並み!」
「毛深くなくてよし!」
「へっ!?」
次にラファを見る。
「背が高くてりんとしてる。よし!」
「明瞭そうでよし!会計を手伝ってもらおうかね」
「……はい」
じっと見つめて、ふっと目を細める。
「……その服、可愛いね」
一瞬の沈黙。
「――閃いた!」
「えっ」
「先に部屋になる場所を掃除しておいで!」
「一階の突き当たり奥だよ!」
バタバタと、二人は奥へ向かう。
その直後。
奥のさらに奥から、ものすごい速さで何かを仕立てる音が響き始めた。
ガタガタガタガタガタ――!!
「……すごい音してるね」
「はい」
しばらくして。
「出来たよ!!」
女将が、満面の笑みで現れる。
手には、二着の服。
――けれど。
「……って、あんたたち」
「すごい埃だらけになってるじゃないか!」
豪快に笑う。
「ははは!いいねぇ!」
「これに着替えな!」
渡されたのは――
ラファが着ていたものに似た、メイド服風の仕事着だった。
「えっ、これ……」
琥珀が持ち上げる。
一瞬だけ、言葉が止まる。
「……ちょっと短いかも」
少しだけ戸惑う。
けれど。
ラファを見る。
同じ形の服。
「……お揃いだ」
頬が、少しだけ緩む。
「……いいかも」
しっぽが、ぱたぱたと揺れる。
「……でも!」
「マーレさん、これ……スカート、ちょっと短くない?」
女将は、にやりと笑う。
「女の子なんて、足を見せてなんぼよ!」
「ええぇ!?」
「それとね」
くるりと背を向けながら、軽く手を振る。
「女将でもなんでもいいけどね」
「ここじゃマーレだ」
「マーレって呼びな」
琥珀が、少し首を傾げる。
「……マーレさんは、猫とか大丈夫なの?」
「ん?」
マーレが振り返る。
「もしかして、獣人同士のいざこざでも気にしてるのかい?」
くすっと笑う。
「ないよ、そんなの」
少しだけ、やわらかな表情になる。
「いいことしたら褒める」
「悪いことしたら叱る」
「それだけさね」
その笑顔は、とても穏やかだった。
こうして。
風月の鐘亭での、新しい生活が始まった。
⸻
数日が過ぎた。
少しずつ。
この街での暮らしにも慣れてきた。
夕暮れ。
空が、ゆっくりと色を変えていく。
「はい、お使いね」
マーレが、軽く袋を渡す。
「頼んだよ」
「うん!」
琥珀が元気よく受け取る。
街の中を歩く。
「……ねえ、ラファお姉ちゃん」
「はい」
「働くのってさ、初めてだったけど……」
少しだけ、苦笑する。
「向こうでも、アルバイトとかしたことなかったのに」
「……そうですね」
「最初、すっごい失敗したよね」
「はい」
「現在までに、お皿は十八枚割っています」
「言わないでーーーー!!」
顔を真っ赤にする。
ラファは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「でもさ」
琥珀が、少し前を見ながら言う。
「大変だけど、楽しいね」
「はい」
「人と話すのも」
「一緒に何かするのも」
「なんか、あったかい感じする」
しっぽが、軽く揺れる。
「この街もさ」
「こうやって歩いてみると、ほんと面白いよね」
視線が、街へ向く。
動く歯車。
煙を上げる建物。
行き交う人。
「便利かって言われると、そうでもないかもしれないけど」
「でもさ」
「街も、人も」
「ちゃんと生きようとしてるの、伝わってくるんだよね」
少しだけ、優しい目になる。
しっぽが、ゆらりと揺れる。
「だからね……」
ふと、動きが止まる。
「……あっ」
顔を上げる。
「そういえば!」
「色々ありすぎて忘れてた!」
ラファを見る。
「ドワーフのおじいさんのところ、行ってみない?」
「はい」
ラファが、静かに頷く。
夕暮れの街の中。
二人は、次の場所へと歩き出した。
⸻
久しぶりの休日。
風月の鐘亭の朝は、いつもより少しだけゆっくり流れていた。
「うーん……」
琥珀が、服を手に悩んでいる。
仕事着か。
いつものドレスか。
「どうしよ……」
最初は恥ずかしかったはずの仕事着。
けれど今は、少しだけ誇らしい。
「ドワーフのおじいさん、見たらどう思うかな」
くるり、と振り返る。
「可愛いって言ってくれたらいいなー」
そのまま、椅子にちょこんと座る。
ラファが、後ろに回る。
そっと、髪に触れる。
「少し、髪型を変えてみますか?」
やわらかな声。
「えっ、いいの?」
「はい」
指先が、髪をすくう。
ゆっくりと、まとめていく。
「……なんか、くすぐったい」
「動かないでください」
少しだけ、楽しそうだった。
数日の間に。
ラファもまた、少しずつ変わってきていた。
人と話すこと。
関わること。
その一つ一つが、確かに積み重なっている。
けれど――
ほんのわずかに。
ズレることがある。
それは、まだ言葉にはならない違和感だった。
「できました」
「ほんと?」
振り返る。
「……おおー!」
少しだけ、大人っぽい。
「いいね、これ!」
しっぽが、ぱたぱたと揺れる。
「マーレさーん!」
「いってきますねー!」
「お弁当ありがとうございますー!」
「行っておいでー!」
マーレが、手を振る。
「街裏のドワーフじいさんのとこでしょ?」
「それ、一緒に食べればいいさ!」
外に出る。
街の空気が、やわらかく包む。
「ねえ、ラファお姉ちゃん」
「はい」
「ドワーフのおじいさんってさ」
少し笑う。
「最初会ったときも思ったけど」
「意外と街の人に好かれてるよね」
「……はい」
ラファが、少しだけ考える。
「初めてお会いした際は」
「かなり破天荒な方だと認識しました」
「でしょ?」
くすっと笑う。
通りを進む。
「おや?」
街の人が、二人に気づいて顔を上げる。
「風月の鐘亭のとこの子たちじゃないか」
「どうしたんだい?」
琥珀が、少し身を乗り出す。
「ドワーフのおじいさんの工房って、この辺ですか?」
「ああ、あの変わり者のところかい」
気軽に頷く。
「この先まっすぐだよ」
「ただ、途中から道が狭くなるから気をつけな」
「ありがとう!」
進む。
言われた通り、道は少しずつ狭くなっていく。
人通りが減り、街のにぎやかさが、少しずつ遠ざかる。
その代わりに。
機械の音が、かすかに混じる。
カン、と。
ギィ、と。
やがて。
視界が開けた。
そこは、街の裏側だった。
広く確保された空間。
そのあちこちに、見慣れない機械の残骸のようなものが、山積みにされている。
「……なにこれ」
琥珀の目が、輝く。
壊れた車輪。
歪んだ金属。
途中で止まったままの機構。
「すごい……」
思わず、足を止める。
「これ全部……」
「試作品、でしょうか」
ラファが静かに言う。
「……多分!」
むしろ嬉しそうだった。
その奥。
少し古びた建物が、ひとつ。
煙突から、細く煙が上がっている。
「……あった」
琥珀が、小さく呟く。
ドワーフのおじいさんの工房が、そこにあった。
⸻
試作品の山のそばを進むたび、琥珀の足は何度も止まった。
壊れた車輪。
歪んだ金属。
途中で止まったままの機構。
「すごい……」
思わず、しゃがみ込む。
その中のひとつに、そっと手を触れた。
少し冷たい。
でも――
「……この子、まだ終わってない」
「え?」
ラファが小さく声を漏らす。
琥珀は、自分でも少し不思議そうに、その試作品を見つめていた。
二人は、そのまま工房の前へと近づいていく。
コン、コン。
琥珀が、扉をノックする。
その瞬間。
――ドンッ!!
中で、爆発音が響いた。
「!?」
黒い煙が、扉の隙間からもくもくと漏れ出す。
ぎぃ、と音を立てて、扉がゆっくりと開いた。
その向こうから――
真っ黒になったドワーフのおじいさんが、のそりと姿を現す。
「……おお」
「来たか」
「大丈夫なんですか!?」
後ろで、若者が叫ぶ。
「問題ない」
「今の爆発、問題ありますよね!?」
「調整中じゃ」
「絶対違うやつですそれ!!」
琥珀は――
ぽかんと見ていた。
そして次の瞬間。
「すごい……!」
目が輝く。
工房の中へと足を踏み入れる。
外とは違う空気だった。
床も。
机も。
棚も。
すべてが、きちんと整理されている。
工具は整然と並び、部品も種類ごとに分けられている。
外の山積みとはまるで別世界だった。
「……きれい」
琥珀が、素直に呟く。
「作る場所は、整えねばならんからの」
おじいさんが、鼻を鳴らす。
琥珀は、きょろきょろと辺りを見回す。
見るものすべてが新しい。
手に取ってみる。
けれど――
「……わかんない」
少しだけ困った顔で笑う。
それでも、楽しそうだった。
やがて。
簡単な机の前に、四人が集まる。
マーレからもらった弁当を広げる。
「いただきます!」
琥珀が、嬉しそうに手を合わせる。
「ほう、ええもん食っとるの」
おじいさんが、興味深そうに覗き込む。
「マーレさんのお弁当!」
「ほっほ、あやつは料理もうまいからの」
食べながら、ぽつりぽつりと話が続く。
宿のこと。
街のこと。
働いていた数日のこと。
おじいさんは、時折頷きながら聞いていた。
やがて。
話は、街の中心へと移る。
「この街はの」
おじいさんが、ゆっくり口を開く。
「風車の背に出とる歯車を使っとる」
「八角のやつ?」
「そうじゃ」
「街の機構は、あれを介して動いとる」
ラファの視線が、わずかに動く。
「では、内部構造は不明のまま運用されているのですか」
「そういうことじゃ」
あっさりと頷く。
「中がどうなっとるかは、誰にも分からん」
「使える部分だけ、使っとる」
琥珀は、少しだけ考える。
「……なんか、すごいね」
「無茶とも言うがの」
おじいさんは、軽く笑う。
ほんの一瞬だけ。
言葉が止まる。
「最近は、少ぅし無理をしとるがな」
その一言だけが、少しだけ重かった。
若者が、肩をすくめる。
「……あそこ、何がなんやらで」
「正直、よく分かんないんですよね」
おじいさんが、ぴしっと返す。
「あそこは貴重な場所じゃ」
「分からんからといって、価値がないわけではない」
琥珀が、ふと顔を上げる。
「……もっと知れるの?」
おじいさんは、少しだけ目を細めた。
「この街の成り立ちをな」
「詳しく知りたければ、ライブラリーじゃ」
「古い記録が残っとる」
「……ライブラリー」
琥珀が、小さく呟く。
外では、遠くで歯車の回る音がしていた。
その音が、ほんの一瞬だけ、わずかに乱れた気がした。
⸻
工房を出ると、少しだけ空気が変わっていた。
街の音が、戻ってくる。
人の声。
機械の音。
どこかで焼ける匂い。
「ねえ、ラファお姉ちゃん」
「はい」
「なんかさ」
少しだけ考える。
「さっきまでと、ちょっと違う感じしない?」
「……」
ラファは、すぐには答えなかった。
「感覚の変化を確認」
「原因は不明です」
「そっか」
琥珀は、少しだけ笑う。
歩く。
街の中を。
屋台の匂い。
行き交う人。
動き続ける機構。
どれも変わらないはずなのに――
どこか、少しだけ違って見えた。
そのとき。
琥珀の足が、止まる。
「……あ」
視線の先。
街の中央。
大きな風車が、ゆっくりと回っていた。
いつもと同じ。
同じはずなのに。
「……」
ほんの一瞬だけ。
回転が、わずかにズレた気がした。
「……ねえ」
「うん?」
「今、なんか変じゃなかった?」
「……」
ラファの視線も、風車へと向く。
ほんのわずかな間。
「異常は検出されません」
「……そっか」
それでも。
琥珀は、しばらくその場を動かなかった。
風は、変わらず吹いている。
街も、いつも通り動いている。
それなのに。
何かが、少しだけ噛み合っていない気がした。
風車は、回り続ける。
けれど。
その回り方は、どこか、無理をしているようにも見えた。




